無題

特になし

「没後50年 藤田嗣治展」を東京都美術館で見てきました

2018-09-17 22:24:43 | Weblog


「没後50年 藤田嗣治展」を東京都美術館で見てきました。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2018_foujita.html


絵具の盛り上がりなどがない平板な面、かつ、線画と影・明暗・色調で浮かびあげる双方の技巧がマッチした不思議な絵でした。


細部が想像以上に細かく描かれており、目立たない背景の装飾文様の美しさにも驚きました。


水彩画でないのに、面相筆?からなる細い線や点が多数見かけられ、自分がサークルで習っている八尋先生のタッチと同じパターンがあるのに、驚きました。エッチングのような細い線や点がたくさん入ったりするところです。ここに種明かし?がありました。
http://blog.zige.jp/manekitora/kiji/793051.html


販売コーナで立ち読みしたら、スランプがなかった、とか、頭より手が先に動いてしまう、時代や環境に影響されて感覚?で、思い悩まず、ささと描くようなところがあったとありました。パリ時代の絵、戦争画、晩年の宗教画、そういうことなのでしょうか。


戦後、日本を離れる際も、進駐軍ともすぐ仲良くなり、協力し、余計に、日本の画壇から節操がない?と嫌われたという記述もありました。


ところで、女性遍歴がすごいのは流石だと思ったのですが、立ち読みした本では、二度目と三度目のフランス人の奥さんは、他の男とできて、あっさり、藤田が家を出て行ったとありました。が、ネット情報だと、したたかな人で、故意に、自分から女性が離れるように仕向けて(寝取られるよう?)、新しい女性と後腐れなくとくっついたとありました。天才は、無節操というか、常人の理解を超えたところが、あるのでしょう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/42249?page=4



最初の妻、登美子の写真画像あり
http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/26-0457special-.html

二番目の妻フェルナンド・バレ と 三番目の妻リュシュー・バドゥの写真画像あり
https://matome.naver.jp/odai/2137799516473846901

四番目の妻マドレーヌの写真画像あり
http://www.asahi.com/gallery/kobeport/1935_20151025P0061AREG.html

最後の妻、君代の写真画像あり
http://mikarin1215.com/gaka/2670/

藤田の絵の模写です、


サザンの「闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて」よりZELDA(ゼルダ)「Ashu-Lah(アシュラ)」を思い出す

2018-09-16 10:08:52 | Weblog

今朝、MTVを見たら、サザンオールスターズ「闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて」のミュージックビデオが流れました。
https://www.youtube.com/watch?v=uSFdckpwXQc

歌詞など
https://ameblo.jp/for-ever-young/entry-12369389440.html



落ちこぼれて、田舎に職がなく都会に出てきたサラリーマンで負け犬人生中の自分と重なりました。

ま、自分は、この映像のピラミッドを這い上がるエリートサラリーマンの競争のリーグ、カーストには入らない枠外の下流、下層ですが・・ま、いいか。

桑田さん、ときどき、どうして、こういう社会派?の曲をメジャーな場で出すのだろう?
60年代のフォークやロックの伝統?を伝え続ける義務があると思っているのか?




本題です。自分が大学生の1980年前後、学際などに来ていたゼルダというバンドのアシュラという曲を、サザンのビデオを見ながら、思いだしました。

サザンの映像では、ピラミッドですが、ゼルダの歌詞では、埋め立て地の砂山です。
人間が、資本主義を経済をテクノロジーを、いくら、ドライブ、ふかしても、バベルの塔のように、崩れるか、目標がかくれんぼで消えてしまい、どこにも至らない。報われることはない。


『妄執によって苦しむ争いの世界。果報が優れていながら悪業も負うものが死後に阿修羅に生る。』(wikipedia)


サザンやゼルダが描いた、厳しい現実世界は、宗教的な心の開放(欲の質を変や方向性を変える?)より他に、解決策は、ないのでしょうか。自分は、経済でもテクノロジーでも政治でも、リアルな世界にも、別な抜け道?代替?を絶やさず、多数、並走させることが、肝要に思えてならないのです。

芸術には、ならないのでしょうが、サザンやゼルダの、その後の展開を、別解の展開?を聴いてみたいです。



▼ZELDA/Ashu-Lah
https://www.youtube.com/watch?v=D2h51dhwlSo

注)後期の整理された歌詞より前期の混沌とした歌詞のほうが、自分、好みです。但し、耳が悪く、聞き取ったものなので、不正確です。すみません。




コンビナートの砂山を 必死ではいあがっても
お山の大将は どこにもいない


金色の頂上さえ どこかに雲がくれ
終わりのないかくれんぼが アスファルトの地面をならす
(終わりのない戦いが アスファルトの地面をならす


窓から見える 車の流れは ナイフのよう
光をとばし 窓わくの絵を切りさく


(太陽をあびて 輝く巨大な夢が
キラキラと反射して はてない幻想を誘い出す)


細胞がふわふわと 必死に増えて頭の中
変わらない 変わらない 休日無縁の向上心となる


いつか金色に 染まろうとする人が
働きずくめで白くなる バタバタと粉になる


毎日いらいら 何もおもしろいことがない
道で拾ったの 淡い空白の時間


太陽の端で 輝くコンビナートの船
キラキラと反射して 私の幻想を誘いだす


からだ ビートになる ま昼の皇帝(光景)
目を閉じて またあければ
広がってゆく道路系


コンビナートの砂山を 必死ではいあがっても
お山の大将は どこにもいない


ひい・ふう・みい・よ
いつ・むう・なな・や


ひとは 死螺旋
あしゅら 死螺旋


(ギシンアンキ
アシュラヒソム)



墨田川と業平や梅若丸など

2018-09-10 20:35:10 | Weblog

無知でした。お恥ずかし。墨田川、業平や梅若丸など、平安時代から伝説に染まる川だとは!

ネットでも12歳の梅若丸の辞世の句?とありました。すごいです。

『尋ね来て 問わば応えよ 都鳥 隅田川原の 露と消えぬと』

▼梅若丸の歌舞伎の映像が最初にありました・・
https://www.youtube.com/watch?v=vHYrt_513F8



『名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと(在原業平)』

都鳥、ゆりかもめのことだと、ネットにありました。

確かに、支流も含めて、冬季は、よく見かけます。風流なんだなあ、ゆりかもめって。

例の江戸の舟遊びの絵は、墨田川かその支流のつもりなのですが、結局、いつものように、いまさんの出来で放棄です。笑。

江戸の舟遊びの習作、修正後


2018年9月6日、みなみ水彩画クラブ

2018-09-10 20:18:38 | Weblog

今日、八尋先生に仕事疲れを、愚痴っていたら言われました。

先生は、昔、サラリーマンを兼業していた頃、絵を描くための慰謝料のようなつもりで必死に働いたそうです。会社の仕事も絵を描く工程の一部だと思っていたそうです。当然、それがないと、生活もできないし、絵の具や画材も変えないと。先生の場合は、人生自体が絵を描くことだけど・・

自分の場合、理屈ぬき、感性・感覚だけで自由に遊べる?ところが絵のいいところ、開放感が幾分あります。自分の好きなようにできることって、趣味の芸術?作品しかないかも・・

本日も皆さま、傑作を、各々の個性で、描き上げておりました。

2018年9月6日、みなみ水彩画クラブ