無題

特になし

120415仕事で干される+松岡さんの干もちエール+職場を生き抜け

2012-04-16 07:02:20 | Weblog

自分は、常識と人間関係能力があまりに不足していることもあり、ヒラリーマン人生、とにかく、干されて寂しい思いをしていることが多い。若い頃と異なり、運の無さだけでなく自業自得かつ実力と今は納得。

最近になり、日経系列のネット連載「職場を生き抜け!」を読み、
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100520/92290/

仕事を干される、会社で嫌われる、リストラ対象となるメカニズムが、この歳にして、ようやくわかった。

「上司との関係が全て」

なそうである。

失敗した人のリベンジ方法も丁寧に解説してくれているのだが、自分の場合、も、遅いかな。

納得である。能力のある人は、どんな上司の下でも、うまく操縦して、かならず自分の意を実現する。

自分の場合は、とくに、忍耐力がないので、たまに、相性がよい上司や人徳のある上司や人使いのうまい上司の下についたときだけ、たくさん、面白い仕事をさせてもらってきた。偉い上司もたくさんいたのである。そう言えば、昔、人徳のある上司に、君、喋るのを(愚痴と文句)1/3に減らすだけでも違うよと叱責されたな。


この歳なり、雑用に勤しみながら、たまには、お世話になってる=会社で益だしをしている部署の方々を中心に、少しでも恩返し、役に立てないものか、干されながら、思案していた。

すると、女房が、テレビで、面白いものを見たと言うのだ。

「松岡修造 干されているあなたに 応援メッセージ」を見なさいと言うのだ。
http://www.youtube.com/watch?v=HuA5geoxHn0

とりこになってしまった。

干されている必要のない人も干し餅のように、風あたりに耐えて地道に自分のやるべきことをすれば、最後は、冬場の保存食として?人の役に立てるときが来るというのだ。必要とされるときが来ると言うのだ。

YouTubeを見ると、たくさん、松岡さんの同様な困ったちゃんへのメッセージビデオがたくさんあった。

ホームページにもある。
http://www.shuzo.co.jp/

【松岡修造】人とうまくいってないあなたに 応援メッセージ
http://www.youtube.com/watch?v=v1DP0JSj-v8
【松岡修造】継続できないあなたに 応援メッセージ
http://www.youtube.com/watch?v=FIEsI2b-yfk
【松岡修造】ぬるい環境にいるあなたに 応援メッセージ
http://www.youtube.com/watch?v=6CwgFsTxxfg
【松岡修造】初心に戻れないあなたに 応援メッセージ
http://www.youtube.com/watch?v=rPlwZkDfupA


笑いと涙の人生処方箋、人生訓、を、なぜ、このような恵まれた方が、馬鹿になってやっているのか、わからないが、感動した次第である。(スタッフの方が優秀なのか?タイプにより都合のよいメッセージだけ聞けばいいようになってます)

さ、今日もやれるだけ働こう、自分は干し餅だ、少しでも雑務でも仕事があるだけありがたいよ、ほんと。(クビにならない限りで、いくらでも自分で仕事をつくる余地もある)





山川浩一のスタンダードジャズ入門
http://www.voiceblog.jp/yamafan/

山川浩一先生
http://www14.plala.or.jp/inu789/yama/


120405杜甫は、なぜ社会批判の詩を書いたか?

2012-04-05 21:34:37 | Weblog

現代の中国では、道徳性が薄れ資本主義エゴ丸出しの社会になってしまったという記事を見かける。

しかし、自分は、30年前、高校の漢文で習った、理想の政治と社会を求めた杜甫の社会批判の詩が忘れられない。


すみません、ネット上から引用をお許しください。

「自京赴奉先詠懷五百字」では、
http://chinese.hix05.com:80/dufu/dufu_2/dufu201.hosen.html

‐朱門酒肉臭 路有凍死骨‐
(朱門のうちでは貴族が贅沢三昧の暮らし、その向こうの道では飢えた凍死者の骨がある)

と記し

兵車行(反戦の詩なのでしょうか、徴兵された兵士と家族の悲劇)
http://chinese.hix05.com/dufu/dufu_1/dufu117.heisha.html
石壕吏(やはり、反戦歌?民衆の苦しい生活)
http://chinese.hix05.com/dufu/dufu_2/dufu223.sekigou.html

と、続く。漢文の教師は、一部を、教えてくれたものだ。


和歌の世界では、啄木の時代まで、情けないことに、表現されなかった。

なぜ、中国人には、理想の政治が存在し、日本人は、理想どころか政治そのものが曖昧にしか存在しないのであろうか?(日本人は忍耐強く現実を受け入れることが多すぎると思う)


http://www.justmystage.com/home/kanshi09/toho04-3ri.html
によると

「杜甫は左拾遺の職に対し、とても強い期待があった。大きな夢があった。それは建国の頃の堯舜の時代のような理想の天子になってほしいと願っていた。粛宗のご意見番としての役目に燃えていた。」


とある。堯舜の時代とは、鼓腹撃壌の詩にある、
http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-129.htm

帝力何有於我哉(帝の権力や影響などわしには関係ない、どうでもいいことだ、とにかく満足して生きられる)

と爺が腹をたたいて歌っていたという。これも漢文の教師が教えてくれたのに、意味がわかっていなかった。今でも半分もわかっていないが。(漢文教師も教科書も立派だったのだ)

平和でほどほどに豊かで、人々が統治を感じないほど自由で主体的に生きられる分権社会?が、中国古来の理想政治、つまり、杜甫の理想だったのであろうか?


日本には、真の意味での政治?もないので、理想も語ることができない。

(お役人さまのさじ加減が全て?)(学校でも会社でも言論表現の自由に無言の圧力がある)

啄木は、歌人だけでなく、地方新聞の主筆?でも活躍している。

が、病気や特異な性格のこともあり、中途半端。杜甫も理想主義で実務能力がないのか官僚としては超中途半端。


それでも、自分は、杜甫や啄木の路線で、短歌を書きたいと思うのである。

どうも本屋にならぶ歌壇の歌は、教養もセンスもない自分には、難解で理解できず心に響かない。歌壇の先生方の生活、とくに、食うための労働は、どうなっているのだろう?労働歌はダメですか?自然詠や相聞や耽美や象徴だけでなく、無骨不細工な生の短歌があってもいいと思う。書を捨て町へ出ようの寺山修司にしろ本当に肉体や生活のある歌を書いたと言えるのだろうか?万葉集だって、山上憶良は、実際のところ、杜甫のような歌をたくさん書いたが、没にされたか、紛失したのだと言うのが自分の推理。(啄木の前に、憶良がいたのかもしれない)

ネットの短歌歌壇も、そのデジタル感覚、昭和のおやじには、ついていけない。(自分が言える分際でないけど、すみません、ちゃらすぎます、特に家元さんは、講演は最高で納得できましたが、肝心の短歌が自分にはつまらないです)

無名戦争兵士の歌や昭和万葉集のようなもののほうが、心に、しみいるものあがるよな。

 


山川浩一のスタンダードジャズ入門
http://www.voiceblog.jp/yamafan/

山川浩一先生
http://www14.plala.or.jp/inu789/yama/