無題

特になし

090929 ジャズメンも大衆音楽に戻り芸能人になれ?岩浪洋三先生

2009-09-30 22:14:21 | Weblog
文京シビックホールに「カララフルジャズコンサートビッグバンOrch.のジャズと昭和歌謡」を聴きに行った。
http://www.bigbang-music.com/

山田壮晃さん率いるビッグバンオーケストラとボーカルの有桂さんを中心に、ジャズや昭和歌謡のナンバーを演奏。
http://www.bigbang-music.com/yukaroom/y_index.htm


だが、演奏より、盛り上がったのは、ジャズ評論家の


岩浪洋三先生と
http://www.nxtv.co.jp/talent_iwanami.html

瀬川昌久先生の対談でした。
http://www.elifestreet.com/live/index.html


岩浪先生が曰くには、終戦後、ダンスホールが花盛り。ジャズビッグバンドがものすごくたくさん存在し、大人気の時代があった。ジョージ川口さんなどのドラマー合戦などが、バンドの華として繰り広げられ、中村八大さんのようなピアニストの結婚式に、芸能界の錚々たるメンバーが名を連ねたそうだ。当時、ジャズメンは、大人気で、芸能人として存在し、高額の収入を得ていたそうである。

岩浪先生の話を纏めると、今のジャズメンも芸術家志向?ではなく芸能人志向?に回帰して、大衆音楽=流行歌?の世界に、昭和歌謡の時代のように、どんどん入ってゆき、芸能人として、活躍するべきである。そうすれば、ジャズメンの懐具合もよくなってゆくはずだ。そんな感じであった。なぜか、この話が、心に、残る。岩浪先生は、ラスト「上を向いて歩こう」の合唱ではマイクを握り、延々と歌われました。確かに、この曲、ジャズぽいよな。

瀬川先生は、戦前の笠置シヅ子さんあたりの話しから始まり、

笠置シズ子 買物ブギ
http://www.youtube.com/watch?v=anC1B1ONq2o
笠置シヅ子 東京ブギウギ
http://www.youtube.com/watch?v=3alyYvsd3f4

これまた、延々と、薀蓄を披露されました。



山川浩一のスタンダードジャズ入門
http://jazzstandard.radilog.net/


090919歌誌(同人誌)「熾」高砂(浦和)9月定例 歌会

2009-09-19 19:56:35 | Weblog
浦和コミュニティセンター(浦和パルコ10F)での9月定例の「熾」高砂(浦和)歌会に行ってきました。

我拙作は、当日、一番の不出来、意味不明だと皆様に不評でした。

『ものなくも娘等すっぱき性つなぐ心ときめく毛糸の赤パン』

毛糸の赤いパンツは、老母が病気にならないおまなじないで、親孝行の歌だとか、戦中戦後の物不足の時代の歌だとか、とほほほ、全く、自分の意図した意味が伝わらず誤解されました。自分勝手、自己中の作品を書いても何もならないのを痛感。

沖ななも先生に、幼少時、桑の実を取りに木登りした女の子のスカートの中が眩しかった。桑の実がすっぱく恋の味がした。淡い恋心を感じただけだと告白すると、そのままを、単純に、歌にしたほうがいいと助言されました。

『木に登り桑の実くれるさつきちゃん、毛糸の赤パン、性がすっぱい』

自分の気に入ったメンバーの歌は以下のような内容です。

・交通事故の場所の跡に、白菊・竜胆のお供えがある主旨の歌
・細かい字列がルーペで拡大されると意味がわかり自己主張を始める歌
・己の血管もヤスデも雨宿りの軒下で、蠕動運動を淡々としている主旨の歌
・戦時中は死ぬのが怖くなかったのに、世相がめまぐるしく変わる今、死生観がゆらぐ


最後の歌が気になった。
戦時中は、皆、死ぬと思っていたので、何も怖くなかった。バラバラのダイバシティーで、何でもありで、変化する今。何のために死ぬのか、なぜ死んでゆくのか、自分に、うまく言い聞かせることができなくなった。死が怖くなった。こうしている30分後に、死んでいてもおかしくない。腹だけは、くくらないと。
このような主旨の作品に対して、沖先生は、世の中の表層は、めまぐるしく変化
するけれども、老い・病苦・死など、人間存在で古来より変わらないものもある。
と言われた。沖先生は、様々な人生を見たり経験されているようで、仏教的な不易の無常観?のようなことを、ときどき、語るのである。


▼語句や知識
温石おんじゃく⇒石を暖めてカイロにする
くぐみ鳴く⇒鳩などが、ボッポッ鳴く
さえずり⇒鳥の求愛のときの鳴き声
攫う⇒さらう
とみこうみ⇒あちらこちら見る
天彦⇒あまびこ、音の響き
雨彦⇒あまびこ、ヤスデ


▼秀歌鑑賞「吉川宏志」
○参考
http://blog.livedoor.jp/m-69_81425/archives/3105133.html

http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/tanka/tanka/tanka107.html
⇒脱線しますが、このホームページは参考になりました。

今週の短歌のページ(2007年で終わってるのが残念)
http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/tanka/tanka.html
沖ななも
http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/tanka/tanka/tanka74.html


いつもながら、沖先生、短時間で、たくさんの歌を、次々解説してゆく名人芸を見せます。今回の鑑賞は、吉川宏志さんでした。歌界では若手なそうですが、携帯電話以前の電話ボックスだとかプッシュフォーンなどが相聞歌に出てきて、1980年代から90年代前半を思い出し懐かしい感じがしました。もっとも沖先生世代だと、電話はボタンを押すのではなく、ダイヤルを回す、つまり回すものだったとかで、爆笑でした!


「熾」歌誌
http://www.o-k-i.org/

沖ななも先生(短歌)
http://members3.jcom.home.ne.jp/3247782501/
http://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/bungaku/tushin/oki.htm

古河文学館
http://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/bungaku/index.html


090917 ジャズ歌と経済の縮小衰退と人口減

2009-09-17 04:14:16 | Weblog
ここ数年のジャズ歌や従来スタイルのジャズ店(ジャズクラブ)の衰退について残念に思ってきた。以前なら最低でもボーカルのバックには、トリオ(ピアノ・ベース・ドラムス)がいたのに、最近は、ピアノとベース、もしくは、ピアノだけという店が増えた。不景気が続くせいか、お客さんも少なくなっているようだからギャラを払うことができないのかもしれない。実は、ヒラリーマンの自分も可処分所得が減って、小遣いが足りなくて、以前ほど、ジャズ店に、行けないのだ。普通のジャズ店でコストは、2ドリンクで、4000円~7000円くらいだろうか。


ジャズ店を支えていた層は、団塊世代以上の音楽好きで、割と所得に余裕のある人たちだったと思う。大企業の重役・中堅や自営業で、子供が既に独立し、時間・金に余裕があり、薀蓄・知識も確かで豊富な人たちだった。


団塊世代が一線を去り、人口減と経済の規模の縮小が、ジャズ歌と店の衰退に拍車をかけているのだろう。自分の所属する会社の若い人の給与水準を考えるととても頻繁に、ジャズ歌の店に通える状況にはないよな。(初任給で22万、20代は、ずっと20万代、若いときこそ自分への投資が必要なのに安すぎるよな、昔からあまり上がっていないような気がする)若い人が、ジャズ歌を生演奏を聴いてくれないと文句を言えた筋はないよな。反省。


これから旧来のスタイルの店やミュージシャンの淘汰が進むのだろうか?テレビによると、人口減と経済の規模の縮小する社会では、無数の名もなきヒーローたちの活躍と工夫が、地域の元気や希望を維持する鍵らしい。若い人たちの間から予想外のスタイルのミュージシャンやジャズ店のオーナが出てくるのかも知れないな。そんな感じで、生き残ってゆくのだろうか。山川先生が、生前、ジャズもタニマチ・パトロンがいないと成り立たないと言われていたのが気になる。



注1)自分が出没しているジャズ店には偏りがあるので、一般論になっていないことも確かです。正木まどかによると、学生や若者が行くジャズ店は、高田馬場などにあり盛り上がっているし、神奈川や中央線沿線、関西方面など、地方では、ジャズが盛んなところが、たくさんあるそうです。失礼しました。


注2)ちょっと前、定年を迎えた団塊世代は、退職金も年金もしっかりしていて優雅な生活がまだ、可能な気がします。比べて、彼等より10年以上、若い自分の世代以下は、退職金も年金もいいうわさがありません。やはり、ジャズ生演奏を楽しむ画期的なイノベーションが、業界で、起きるのを、神頼みするしかないのかな。ともかく、住宅ローン返済だとか、子供の教育費だとか、親への仕送りだとか、老後のための貯金がなかなかできません。本当は、ジャズ店なんか行っている余裕、自分もないんだよな。でも、趣味を全部、止めるというのも寂しいよなあ・・


山川浩一のスタンダードジャズ入門
http://jazzstandard.radilog.net/


090828 川井村「木の博物館(森林・大樹エコツアー?)」

2009-09-14 22:19:05 | Weblog
090828 川井村「木の博物館(森林・大樹エコツアー?)」

案内人 斉藤先生?(すみません、お名前忘れました)武内寛さん


岩手県川井村(来年、宮古市に合併予定)の「木の博物館」に行ってきました。博物館といっても、箱物=建物はなく、村内の森林をテーマに合わせてエコ・ツアーする感じです。本来、各テーマとも、一泊して、泊りがけで、山道を歩く工程が、ほとんどらしいのですが、我が家は脚力に問題があったので、車で移動し、歩きが少ない日帰りコースにしてもらいました。


それでも、ブナ・シナ・ヒバ・アオダモの原生林・大樹に触れることができて、都会育ちの10歳の長男は感動してました。熊が入った穴のある大木。高地特有のカエルなどの小動物や昆虫。木々の葉、幹、種子。生態系。子供にもわかりやすく興味を持てるように解説していただきました。


岩手で、18歳まで、育った自分ですが、火山や温泉が豊富で観光資源に恵まれた奥羽山脈に比べて、北上山地は、地味で、あまり縁がありませんでした。最近は、タイマグラばあちゃんで、川井村も多少は全国区になったとは思いますが。林業や牧畜が盛んだった頃より、北上山地は、生活の場として、存在していたように思います。宮澤賢治の詩や民謡「外山節」「南部牛追い歌」でわかるように、北上山地は、山また山。山を越えても超えても、派手さはないのですが、延々と山が続きます。


恥ずかしい限りですが、自分は、山国=岩手に育ちながら、植物、特に、樹木の知識が皆無です。案内人の方に、同行して、解説していただくことで山国出身者としての矜持を多少、保つことができた次第です。次回は、できれば、2時間、歩いて、イチイの大木を見に行きたいと思いました。少年時、遠野にいた頃、アパートの周りに、イチイの木がたくさんあり、赤い実を潰しては、シップ遊びを、よくやってました。これが、直径、2-3mの大木になるなんて信じられません。


ところで、今回、案内してくださった武内さんは、東京の人で、縁あって、今は、川井村に住んでいるようでした。きくと、鉄道マニアで、鉄道模型の製作の腕前はプロ級らしいです。また、途中、川井村漆工芸館?で休憩した際に、漆塗りのグランドピアノで、ショパンの名曲を弾いてくださいました。リクエストすると、いろいろ弾いてくれるらしいです。これまた、尋常ではない上手さでした。専門の山の動植物の知識も、前述のように子供の興味に応じて、その場で、工夫して、組み立てて、縦横無尽に、解説してくださるのでした。双眼鏡で野鳥を見せたり、種や葉を拾って触らせたり。それにしてもどうして、このような優秀な方が、こんなところにいるのか不思議でなりませんでした。感謝。


同様に、植物・樹木の大家である斉藤先生?(すみません、お名前を忘れました)は、わざわざ、盛岡から、汽車で、サポートに、入ってくださいました。山や樹木や生態系に対して、見当違いの愚問を繰り返す馬鹿な我が家のために、粘り強く、懇切丁寧に、説明してくださいました。本当に、ありがとうございました。



川井村「木の博物館」(実際は、森を巡るエコツアーです)
http://www.vill.kawai.iwate.jp/w_index.html

武内寛さん
http://www.taimagura.com/yama/guide.html

タイマグラばあちゃん
http://www2.odn.ne.jp/ise-film/works/Taimagura/taimagura.htm

タイマグラ
http://www.taimagura.com/