昨日は、小学校時代の友人の命日でしたが忙しくて行けず、今日1日遅れでお墓参り。
お墓の前に立つと、一足違いで誰か来てたようで、お線香が1本立っていました。
この日に来るということは同級生だったかな?と気になりつつも、僕もお線香を上げて合掌。
目をつぶって手を合わせていると、夕方のセミの大合唱がより鮮明に聞こえます。
そしてそのまま「スーッ」とその鳴き声の中に吸い込まれていきそうな感覚になります。
合掌を終えてしばしお墓の前に佇みます。
というより、そこを立ち去るのが惜しくて中々足が動きません。
そこにはお墓しかないのに、あたかも久し振りに誰かとあったような感覚になり、
何も言葉を発さないのに、何かを誰かとしゃべってるような気持ちになり
だから久し振りの再会の時間をもっともっと過ごしたい気持ちになるのです。
霊感なんてないんだけれど、なぜかこの日のこの場所だけはそんな気持ちになります。
目には見えないけれど、きっと「彼」がそこにいるんだろうな、そんな感じがします。
ほんと、ずっとそこにいたかったけど、名残をたくさん残しつつ「彼」のお墓を後にしました。
その後、同じ墓地にある僕のご先祖のお墓もお参りしましたが、「彼」のお墓の前のような感覚はありませんでした。
あれから27年。
「彼」は小学6年生のまま。
僕は38歳と年齢は重ねたものの、重ねた分だけ成長できているのか?
天国で「彼」に笑われてはいないだろうか?
来年「少しは成長できたよ」と「彼」に言えるようにまた明日から前へ進んでいかねば。
お墓の前に立つと、一足違いで誰か来てたようで、お線香が1本立っていました。
この日に来るということは同級生だったかな?と気になりつつも、僕もお線香を上げて合掌。
目をつぶって手を合わせていると、夕方のセミの大合唱がより鮮明に聞こえます。
そしてそのまま「スーッ」とその鳴き声の中に吸い込まれていきそうな感覚になります。
合掌を終えてしばしお墓の前に佇みます。
というより、そこを立ち去るのが惜しくて中々足が動きません。
そこにはお墓しかないのに、あたかも久し振りに誰かとあったような感覚になり、
何も言葉を発さないのに、何かを誰かとしゃべってるような気持ちになり
だから久し振りの再会の時間をもっともっと過ごしたい気持ちになるのです。
霊感なんてないんだけれど、なぜかこの日のこの場所だけはそんな気持ちになります。
目には見えないけれど、きっと「彼」がそこにいるんだろうな、そんな感じがします。
ほんと、ずっとそこにいたかったけど、名残をたくさん残しつつ「彼」のお墓を後にしました。
その後、同じ墓地にある僕のご先祖のお墓もお参りしましたが、「彼」のお墓の前のような感覚はありませんでした。
あれから27年。
「彼」は小学6年生のまま。
僕は38歳と年齢は重ねたものの、重ねた分だけ成長できているのか?
天国で「彼」に笑われてはいないだろうか?
来年「少しは成長できたよ」と「彼」に言えるようにまた明日から前へ進んでいかねば。