生駒のアラ還の独り言

医療業界のあることないことを独断と偏見で綴る

「想定外」という言葉の軽さと空しさ

2011-03-14 19:14:46 | 日記

東北関東大地震が発生し、更には予測もしなかった大津波によりその被害は想像を絶するものとなりました。
被害に遭われた方々の辛さと苦しみはいかばかりかとお察しいたします。

メディアでの見聞の限りですが、当事者や関係者の発言には「想定外」もしくはそれと類似した言葉が多見されます。
これって何なのでしょうか。責任逃れの言い訳に利用される言葉なのでしょうか。
この言葉を聞くにつけ、その軽さと空しさと無責任さを感じます。聞いていて情けない限りです。

マグニチュード9.0は想定外
10Mの防潮堤を乗り越えるような津波は想定外
原子力発電所のメルトダウンや水素爆発は想定外
 結果、東京電力の計画停電という事態になりました。

私としては、簡単に想定外と言って欲しくないのです。

想定外と言われてしまっては、犠牲者は報われません。

想定外というのは、事前の想像力の欠如だと思います。
想定外の最悪の事態への想像力が全ての基点であるという科学者の基本認識を忘れて(もしくは敢えて目を塞いで)、例えば御用学者のような学者が地震や津波やメルトダウンを予見できなかった(これも敢えて目を塞いで)のが、今回の悲惨な事態を招いたのだと思います。

そこには、自然に対する謙虚さも欠如しているのだと感じます。
私は経済や金融の畑の文科系の人間で自然科学には疎いのですが、理系自然科学でも同じだと思います。
自然や摂理には歯向かえません。これを力で抑え込むことは、一時的には可能としても未来永劫押さえ込むことは絶対にできません。

そろそろ人間とか人類の無力さを認識し、謙虚な気持ちに立ち位置を変えた形で、政治や企業活動や科学的研究を一から総見直しする時期に来ているのではないでしょうか。今回の大地震がその契機になってくれれば、犠牲者の方々への追悼も深まるのではないでしょうか。

独断と偏見を敢えて承知のうえでのブログです。

犠牲者の方々のご冥福を心からお祈りいたします。
また被害者の方々に心からお見舞い申し上げます。
辛く厳しい現実と今後の苦しみがありますが、決してめげずに生きてください。


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