古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

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12代景行天皇と日本武尊(ヤマトタケル)

2016-12-24 09:12:21 | 歴史
ヤマト尊の武勇伝です。もう既に神話の世界です。尊の父が景行天皇です。
『古事記』によれば景行天皇には
記録に残っている御子が21人、残らなかった御子が59人、合計80人も御子、寿命143歳です。
皇后、妃が30人を超えています。この方も熊襲征伐を行っています。
この時点で、景行天皇も神話です。
ヤマト尊の神話で有名なのは
その体躯は2メートルにも及んだとされ、その姿は気迫にあふれていた。
幼少の頃より超人的な力を持っていたようで、父親が「お前の兄が反抗的なのでお前から諭してみよ」と軽く命じられると兄の大碓皇子の手足を持ち前の怪力でもぎ取り、掴み潰してむしろに包んで捨ててしまいます。
父親は人知を超えた息子の力とその残忍性に恐れをなし、自分から遠ざける為に戦場へと送り込む事を決めたのでした。

九州ではクマソタケル兄弟を打ち破り、
出雲においてはイズモタケルを討つなど次々と戦功をあげていきます。
戻ったヤマトタケルでしたが、休む暇もなく、今度は東国への出生を命じられます。
東国に向かう前に叔母の倭姫のいる伊勢神宮を訪ね、倭姫は三種の神器のひとつである天叢雲剣と小袋を与えます。
草薙剣は元をたどればヤマタノオロチを倒したスサノオが手に入れ、アマテラスに献上したものであり
それが回りまわってヤマトタケルの手に届いた事になります。
野原で火攻めにあった際には天叢雲剣で周囲の草をなぎ倒し、小袋に入っていた火打石で火をつけ、逆に敵を焼き払って勝利をおさめます。
上総国(房総半島)に渡る途中、海上で嵐に遭って窮地に立たされた際には海神の怒りを鎮める為に妃である弟橘姫が自らの意志で海に入水すると嵐はやみ、ヤマトタケルは最愛の妻を失う事となりましたが無事に上総国に上陸する事に成功します。
東征を終え都へ帰る途中に尾張に寄る事にしたヤマトタケルはそこで出会ったミヤズヒメと結婚し、伊吹山の神を退治にいきます。
護身の呪力を持った草薙剣を妻に預けた事が命取りとなり、祟りにあってそのまま帰らぬ人となります。
亡くなったヤマト尊は、白鳥となり奈良の地へ帰ります。
この怪力ぶりは、スサノオの話にも似ています。
11代垂仁天皇の皇女が倭姫命 がアマテラスとも言われています。

歴代の天皇ですが
仁徳天皇まで全て100歳越え
景行天皇 熊襲征伐
ヤマト尊 熊襲征伐、出雲征伐、東国征伐
仲哀天皇、神功皇后 熊襲征伐
神功皇后 三韓征伐
何度も熊襲征伐が出てきます。近畿から九州へ移動するだけでも大変です。
ましてや地図もない時代、相手の社にたどり着く事さえ無理でしょう。
伊勢神宮が出来たのもかなり後です。
全てが神武天皇をBC660年に設定した為、多くの人物を投入せざるを得なくなります。
2~9代天皇は、欠史8代として実在しないと云われています。
古事記の中つ巻(初代から十五代天皇まで)に、1000年ほどの架空の人物が盛り込まれているなら
神武天皇はAC330年の人物となります。
魏志倭人伝の邪馬台国から古墳時代に移り80年後の話となり、時代背景がつながってきます。
BC660年では、まだ縄文時代ですしね。
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