弥生時代(九州限定版) 倭国大乱と卑弥呼の台頭に続きます。
まずは、180年頃に女王になった邪馬台国の発展です。
諸国から卑弥呼に祈祷をお願いするために贈り物があつまります。
中でも国同士(或いは一族の中のもめ事)では、自分に有利な祈祷を願う為、いわゆる賄賂が集まります。
宮殿には、財宝が蓄えられますので、周囲の兵士も増えていき規模も大きくなります。
その様な時代の中、漢が滅び、大陸は三国時代に突入
倭国にもっとも近い魏の国が大陸をまとめます。
卑弥呼は、魏国へ朝貢、「親魏倭王」の金印他、銅鏡100枚など沢山の贈り物を得ます。
西暦238年の出来事です。
卑弥呼が女王になって60年近く経過しています。当時の寿命を考えて、卑弥呼は一人ではありません。
既に4~5代目の卑弥呼だったでしょう。
宮殿内部で秘密裏に世代交代をしています。
卑弥呼は、時の流れと共に権力を付けて、実質的にも倭国の女王となります。
しかし、そんな卑弥呼に試練が訪れます。
邪馬台国の南の国、狗奴国の反乱です。
九州北部へ有利な政治を行う卑弥呼、ないがしろにされた南の国(狗奴国)の男王 卑弥弓呼 との戦争が始まるのです。
大陸との交易が栄えても何の利益もある事がない狗奴国、親魏倭王の金印も卑弥弓呼には効力がありません。
その様な中、卑弥呼は、魏から贈られた鏡を使って、人前で祈祷を行うようになります。
247年に贈られた黄幢(黄色いはた)をもって戦場に出ていきます。
仙人 卑弥呼の神秘性が失われます。
最後の卑弥呼が、卑弥弓呼との争いで死んでしまうのか、倭国からの使者に殺されたのか、老衰で亡くなったのかは不明です。
祈祷師 卑弥呼が不要となりました。卑弥呼が亡くなった事が公になります。
247年(或いは248年)とされています。
この卑弥呼の死を境(3世紀の中頃)に色々な事が起きます。
・吉野ケ里など環濠集落が国を捨てて人がいなくなります。
・各地で豪族が古墳を作ります。(この時代を境に、弥生時代か終わり、古墳時代に分けられています。)
・出雲国が新羅を支配、交易勢力に加わります。
・倭国は男王を立てますが、まとまりませんでした。
・朝鮮半島の支配が弱くなります。
(※卑弥呼から七枝刀(369年) と 広開土王碑(404年)にある様に4世紀後半には朝鮮半島の支配が無くなっています。)
大陸でも265年に魏が滅び、晋になります。倭国も大陸と交易ができなくなりますので
大陸の歴史書から姿を消します。
祈祷政治が終焉を迎えますが、その後も争い事が続いたり、天災等の災い起きたのではないでしょうか。
或いは、些細な災いも卑弥呼の祟りと言い出す人がいたのかもしれません。
倭国は、卑弥呼の墓を作る事を許可し、100人の殉職者を捧げます。
卑弥呼に仕えていた一族は、卑弥呼の墓の近くに住み着き、墓守として新しく国を作ったでしょう。
一方で、大分の離れた場所に、台与 を女王として祈祷の宮殿を造りました。
残念ながら、両国とも九州北部の支配するには至りませんでした。
伊都国、奴国も滅びて、筑紫国が出来たのもこの時代でしょう。
倭国の歴史は、朝鮮半島支配を失い大陸交易型から、瀬戸内海の山陽地方を通じて東へ向けられたようです。
旧邪馬台国一族は、九州を離れて(神武東征)近畿の奈良にヤマト朝廷を作り上げていきます。
卑弥呼が亡くなってから100年程の年月を要しています。
ヤマト国は、邪馬台国の移住が行われてたと考えています。
まずは、180年頃に女王になった邪馬台国の発展です。
諸国から卑弥呼に祈祷をお願いするために贈り物があつまります。
中でも国同士(或いは一族の中のもめ事)では、自分に有利な祈祷を願う為、いわゆる賄賂が集まります。
宮殿には、財宝が蓄えられますので、周囲の兵士も増えていき規模も大きくなります。
その様な時代の中、漢が滅び、大陸は三国時代に突入
倭国にもっとも近い魏の国が大陸をまとめます。
卑弥呼は、魏国へ朝貢、「親魏倭王」の金印他、銅鏡100枚など沢山の贈り物を得ます。
西暦238年の出来事です。
卑弥呼が女王になって60年近く経過しています。当時の寿命を考えて、卑弥呼は一人ではありません。
既に4~5代目の卑弥呼だったでしょう。
宮殿内部で秘密裏に世代交代をしています。
卑弥呼は、時の流れと共に権力を付けて、実質的にも倭国の女王となります。
しかし、そんな卑弥呼に試練が訪れます。
邪馬台国の南の国、狗奴国の反乱です。
九州北部へ有利な政治を行う卑弥呼、ないがしろにされた南の国(狗奴国)の男王 卑弥弓呼 との戦争が始まるのです。
大陸との交易が栄えても何の利益もある事がない狗奴国、親魏倭王の金印も卑弥弓呼には効力がありません。
その様な中、卑弥呼は、魏から贈られた鏡を使って、人前で祈祷を行うようになります。
247年に贈られた黄幢(黄色いはた)をもって戦場に出ていきます。
仙人 卑弥呼の神秘性が失われます。
最後の卑弥呼が、卑弥弓呼との争いで死んでしまうのか、倭国からの使者に殺されたのか、老衰で亡くなったのかは不明です。
祈祷師 卑弥呼が不要となりました。卑弥呼が亡くなった事が公になります。
247年(或いは248年)とされています。
この卑弥呼の死を境(3世紀の中頃)に色々な事が起きます。
・吉野ケ里など環濠集落が国を捨てて人がいなくなります。
・各地で豪族が古墳を作ります。(この時代を境に、弥生時代か終わり、古墳時代に分けられています。)
・出雲国が新羅を支配、交易勢力に加わります。
・倭国は男王を立てますが、まとまりませんでした。
・朝鮮半島の支配が弱くなります。
(※卑弥呼から七枝刀(369年) と 広開土王碑(404年)にある様に4世紀後半には朝鮮半島の支配が無くなっています。)
大陸でも265年に魏が滅び、晋になります。倭国も大陸と交易ができなくなりますので
大陸の歴史書から姿を消します。
祈祷政治が終焉を迎えますが、その後も争い事が続いたり、天災等の災い起きたのではないでしょうか。
或いは、些細な災いも卑弥呼の祟りと言い出す人がいたのかもしれません。
倭国は、卑弥呼の墓を作る事を許可し、100人の殉職者を捧げます。
卑弥呼に仕えていた一族は、卑弥呼の墓の近くに住み着き、墓守として新しく国を作ったでしょう。
一方で、大分の離れた場所に、台与 を女王として祈祷の宮殿を造りました。
残念ながら、両国とも九州北部の支配するには至りませんでした。
伊都国、奴国も滅びて、筑紫国が出来たのもこの時代でしょう。
倭国の歴史は、朝鮮半島支配を失い大陸交易型から、瀬戸内海の山陽地方を通じて東へ向けられたようです。
旧邪馬台国一族は、九州を離れて(神武東征)近畿の奈良にヤマト朝廷を作り上げていきます。
卑弥呼が亡くなってから100年程の年月を要しています。
ヤマト国は、邪馬台国の移住が行われてたと考えています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます