古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

卑弥呼は一人ではない

2016-10-15 20:44:11 | 歴史
いつも読んで頂き有り難うございます。
最終回も近くなりました。(投稿する情報も無くなりつつあります)
と云いつつも表題にもどりまして
卑弥呼
倭国の大乱後、幼女オ卑弥呼子が女王に(たぶん180年位)
既に、長年とありますので、老人でだったのです。
247年、或いは、248年に死亡
何と、68年にも及びます。
卑弥呼政権 70年、一代は絶対に無理ですよね。
当時の平均寿命は40歳ほど、巫女が老婆ではないと思いますので
30代位で世代交代があったのではないでしょうか。(女性には失礼すが)
卑弥呼は一代20年(10代から30歳まで)とすると卑弥呼は
3人から4人ぐらいはいたのではないでしょうか???
何度も同じこと主張しますが、卑弥呼は固有名詞(名前)でなく
役職(祈祷をする女性)の意味しています。
という事は、卑弥呼の墓は複数あります。
ここで、二人の卑弥呼を紹介します。
①親魏倭王の金印を貰った卑弥呼
237年の卑弥呼
②魏志倭人伝でなくなったとされる卑弥呼
248年の卑弥呼
です。
①の卑弥呼は権力があります。死後に次の卑弥呼は大きな古墳の作成を命令します。
出来たのが箸墓古墳
②の卑弥呼の死は女性の祈祷政治の終了です。案外、殺害された可能性もあります。
後は男王の政権となります。
つまり②の卑弥呼には、大きな古墳も100人の殉教者もあり得ないのです。
②卑弥呼の死後に、一団は九州北部を後にして日向の地へ移動します。
途中で吉野ケ里の古墳に②卑弥呼は埋葬されます。

卑弥呼複数説は、後の天孫降臨へつながります。


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4 コメント

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Unknown (マニア)
2020-02-21 01:44:25
卑弥呼は多数います。全国に卑弥呼の伝説が伝わる理由は、それです。すべて本物の卑弥呼です。大和出身の権威ある女性と婚姻関係を結ぶことによって、その国の安全保障されたのです。中国で記録されている大和の場所が特定できないのもそれらが理由です。年代についても一致しない等、間違いないと思います。
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Unknown (マニア2)
2020-02-21 02:15:31
邪馬台国の場所について、論争されていますが、ポイントとなるところは、奈良出身の女性でなければ、卑弥呼ではないという点です。つまり大和の国の女性と婚姻関係を結び、大和が全国を支配していった点で奈良で女性の墓がたくさんあるのもそれらが理由です。
力があった地方では、卑弥呼の墓が造られましたが、滅んだ国は、故郷奈良に戻り手厚く埋葬されています。
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Unknown (マニア3)
2020-02-21 02:18:19
マニア記載の「大和の場所が特定できない」の大和は邪馬台国の間違いです。訂正します。
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Unknown (Unknown)
2020-06-27 17:10:56
 私は、「ヒミコ」は「最上位のミコ(=シャーマン)」だと考えていて、各地の部族集団にそれぞれ「ヒミコ」がいたのだろうと思っています。
 ちなみに、「ヒミコ」に「卑弥呼」の字が当てられ、特に「ヒ」が「卑」になるのは、「倭奴国」(ちびすけどもを女性が支配しているというダブル蔑称)という呼称と同様、中華思想によるものでしょうね。
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