シェルティー ラン吉

拙者シェルティーラン吉でござる ラン吉のランは「団らん」のラン 一度しかない今日もろもろをラン吉ママがしたためまする

ポチの思い出ものがたり 18

2012-07-30 12:50:15 | ポチの思い出ものがたり

S少年と姉たちは、授業がおわると一目散に家をめざして走りました

「ポチは、ポチは、帰ってきた~?」  みんなで犬小屋にかけよります

見れば、そこには、鎖につながれたポチがいました

ポチは子どもたちに飛びつきたくて、鎖をひきちぎらんばかりの勢いでジャンプしてきます

「ああ~、ポチが、ポチが帰ってきた~!」

「よかった、よかった、ポチが生きて帰ってきた~!!」

となりのお兄ちゃんは、約束してくれたとおり、ポチを野犬狩りから救いだしてくれたのでした

 

S少年と姉たちは、お兄ちゃんにお礼をいうのも忘れて、無事に帰ってきたポチを夢中で抱きしめ抱きしめました

おそろしい思いで一晩をすごしたポチは、命を助けてもらったことがわかるのか

どんなにきつく抱きしめられても、いやがることもなく、されるがままに抱かれていました

ポチは家族やご近所のお友だちを愛し、そしてみんなに愛されて暮らしていました

 

**********

 

2代目ポチがS少年の一家と暮らしていた、昭和30年代の頃

神奈川県川崎市のこのあたりは、どのような風景だったのでしょう

 

**********

 

S少年の家は平屋で、かべは板でできていました

近所は空き地や草原だらけといってもいいくらい

まわりに高い建物がないので、数キロ先の小高い山までみえました

 

そして、中原平和公園のちかくに2011年にできた大手スーパーのある場所には、なんと、釣り堀がありました

釣り堀のよこには細ながいアパートがあり、さらにそのよこには、三角形の池がありました

駅から少しはなれた住宅街にはマーケットがあり、個人商店もたくさんあって、庶民の食卓を支えてくれていました

 一般の家庭には、冷蔵庫は、まだほとんどない時代のこと

朝早くから、あさり売りや納豆売りが、路地の奥にまではいって来て、おおきな声で売り歩いていました

 

 その頃の子どもたちは、下校してランドセルを放りだすと、友だちと一緒に、日がおちて暗くなるまであそびました 

S少年の家のならびには駄菓子屋があって、一日10円の小遣いは毎日その店にきえました

 2代目ポチは、そんな駄菓子はもらえませんでしたが、S少年や姉たちについてあるいて一緒にあそびました

トイレは、近所の空き地などに、気の向くままにしていたのでしょう

散歩は、時々思いだしたように、子どもたちが鎖につないで連れていきました

近所の空き地や道ばたで、人とも犬とも自由に交流をたのしみ、型どおりの散歩はあまりしませんでした

 子どもたちが夕飯によばれるまで、2代目ポチも一緒にあそびました

 

写真は、S少年と2代目ポチのベストショット

 

 


ポチの思い出ものがたり 17

2012-07-27 12:22:30 | ポチの思い出ものがたり

2代目ポチの姿がみえなくなって、S少年は、不安にかられていても立ってもいられません

「ポチがどこかにさらわれて行ったのだとしたら、一体どうなるんだろう・・」

と考えると、この日ばかりは食事ものどをとおりません

3人の姉たちも同じように、なかなかご飯がすすみません

「もしも、ポチが犬さらいに連れて行かれたのだったら、どうしたらいいんだろう」

S少年がぼそりとつぶやくと、3人の姉たちは、せきを切ったように泣き始めました

「いやだ~、いやだ~、そんなのいやだ~!」

「迎えにいかなきゃ殺される~、早く行かなきゃ~、早く早く~!」

「どこに行けばいいの~、どこに行けばポチにあえるの~?」

 

子どもたちの泣き声は、はげしくなるばかりです

こうなっては、もはや、食事どころではありません

子どもたちが泣き叫ぶのを、両親はなんとかなだめて寝かしつけました

 

S少年もしぶしぶ布団にはいり、夢見心地でまどろみ始めました

すると、姉のひとりが突然おおきな声で、「ポチ~、ポチ~」と泣きさけび始めました

どうやら、悪夢にうなされたようです

姉たちはまた起きだしてしまい、泣きながらポチの名をよんでいます

そして、知らず知らずのうちに、みんな泣きながら寝入っていったのでした

 

翌朝、S少年が目をさますと、庭から話し声がきこえます

姉たちと、となりのお兄ちゃんの話し声です

「なあ、ゆうべは、なにかあったのか」

「あのね、ポチが犬さらいにつかまっちゃったらしいの・・・」

「えっ、あのポチが?犬さらいに?」

「・・・・」

「ほんとうか?」

「・・・・」

「証拠はあるのか?」

「・・・・」

「どうするんだ?」

「・・・・」

「ポチは殺されちゃうのか~?」

「・・・・」

 

昨夜のように、姉たちの泣き声がどんどん大きくなります

 

「よし、わかった。お兄ちゃんがポチを引き取りに行ってやろう!」

「えっ、ほんとう~?」

「ああ、ほんとうだとも。まかせておけ。今からすぐに行ってやるぞ!」

「ああ、そうしてやって、行ってやって、お願いします!お願いします!!」

「大丈夫だよ。だから、みんな安心して、ちゃんと学校に行けよ~」

 

S少年と姉たちは、不安ながらも学校に行きました

となりのお兄ちゃんに、なんとかポチを助けだしてほしい・・・

授業なんかはうわの空で、一日中ポチの身の上を案じていました

 


ポチの思い出ものがたり 16

2012-07-25 12:48:05 | ポチの思い出ものがたり

2代目ポチは、S少年が学校から帰ってくると、小屋につないだ鎖からはなしてもらえました

ほどなくして3人の姉たちも帰ってきて、「ポチ、ポチ」とよびながらなでまわします

 

当時の遊びといえば、鬼ごっこや缶けり、ゴム飛び、ケンケン、紙飛行機など

道具はほとんどいらないものばかりでした

でも、近所にはなかまがたくさんいて、みんな泥んこになって遊びました

家のまわりの空き地や草原を、2代目ポチも子どもたちも自由に走りぬけました

2代目ポチは、そんな子どもたちの遊びの中に、あたりまえのようにとけ込んでいました

 

二軒先の友だちの家に、ポチとおなじような雑種の犬が飼われていました

その名も「タロウ」といい、いかにも勇ましい元気いっぱいの犬でした

子どもたちは毎日のように「タロウ~、タロウ~」と追いかけます

そして、つかまえては、じゃれあってかまうのです

元気なタロウは、道にできた水たまりだって、なんのその

じゃぶじゃぶと音をたてて入って行き、からだに泥水がはねあがるのも、まるでどこ吹く風

まったくお構いなしに、平気で渡っていきました

後から聞けば、「タロウ」とは名ばかりの、正真正銘のメス犬だったとのこと

メス犬とわかっていても「タロウ」と呼んで近所中のみんなでかわいがる

当時はそんな、おおらかな時代だったのかもしれません

 

それにひきかえ、S少年一家が飼っていた2代目ポチは、まったく弱虫の犬でした

近所にいたメス犬の「タロウ」とは、性格はまるで正反対

道にできた水たまりなどは、濡れないように、できる限りの遠まわりをしてよけていました

そして、家族のだれかが呼べばもどって来られる近所にしか、遊びに行かれません

ろくに遠出も冒険もできない、まったく臆病な犬だったのです

 

そんな2代目ポチが、その日にかぎっては、呼んでも呼んでも夕方のエサの時間に帰ってきません

自分から遠くに行かれないことは、家族のだれもがわかっていました

自分から遠くに行ったのでないとしたら、だれかに連れて行かれたのでは?

 

「ひょっとして・・・」 家族の中に不安がよぎります

 

あの、救い出しに行かれなかった初代ポチ・・・

2代目ポチも、ひょっとしておなじ「野犬狩り」にさらわれたのではないか・・・

 


ポチの思い出ものがたり 15

2012-07-23 23:15:26 | ポチの思い出ものがたり

2代目ポチは、家族の愛情を一身にうけて、すくすくと育っていきました

最初のころは、ビンで配達される牛乳をうすめてもらって飲みました

ちいさな子犬のからだは、日に日に大きくなりました

 

S少年のお母さんは、まるでヒトの子を育てるように、ポチに愛情をそそぎました

市販のドッグフードなどは、まだまだ世間にでまわっていない時代のこと

残りものを柔らかく煮た「おじや」も、少しずつ食べさせていきました

当時は、犬によくない食材があることは、一般にはあまり知られていませんでした

なので、そんな「おじや」は塩分もおおく、ネギやらニラやらも入っていたに違いありません

でも、それでも、ポチにとっては、家族から目の前にだされた貴重なごちそう

なかみがどんな物であれ、喜んでおいしく、食べていたのでしょう

 

そして、家中のみんなが「ポチ、ポチ」と自分の名前をよんでは、かわいがってくれる

これ以上の幸せがあるでしょうか

 

2代目ポチにとって、自分をとりまくこの小さな世界が、生きているすべてだったのです

 


ポチの思い出ものがたり 14

2012-07-20 23:51:59 | ポチの思い出ものがたり

ある日、S少年のお父さんがお勤めから帰ってきていいました

「工場の仕事仲間のおうちに、赤ちゃん犬が生まれたらしいぞ」

それを聞いた子どもたちは、もう大はしゃぎです

「ほしい、ほしい。 もらおう、もらおう。 うちにも一匹もらおうよ~~!」

 

次の日曜、S少年の一家はみんなで、わくわくしながらそのお宅に行きました

あいさつもそこそこに、玄関わきの箱の中をおそるおそるのぞいて見ると・・・

いました、いました! 中には、数匹の子犬たちがいました!

まさに、てのひらにのる位の大きさの、生まれて間もないパピーたちが眠っています

 

血統書なんて、庶民には、まず縁のない時代のこと

 「父親の犬はわからないんだ。 どれでも好きな子をあげるよ」といわれました

でも、どの子もかわいすぎて、すぐにはこの子と決められません

迷いに迷って決めた一匹をいただいて、そっと抱えて帰ろうとしました

すると、その子犬は、母犬のお乳をもとめるように小さな声でなきました

「まだ、おっぱいがほしいのかもしれない」

「あまりに小さすぎて、母犬からはなしていいか、心配だな」

「もう少し、一緒にいさせてやったほうがいいかもしれない」

 

結局、子犬をもらってきたのは、二か月ほどたってからでした

子犬はかわいくて、子どもたちはだっこしたくてたまりません

片時もはなさず、なでまわしたり、つついたりしています

「おいおい、そんなにかまっていると、犬だって疲れるぞ」

お父さんが子どもたちを叱ってくれて、子犬はようやく一息つけるのでした

 

「名前をつけなくちゃ」ということになり、家族みんなで話し合いました

名前は、すんなり、「ポチ」に決まりました

家族みんな、初代のポチが忘れられなかったのです

 

2代目ポチは、保健所に登録もされ、予防接種もうけました

そして、おしもおされもせぬ「飼い犬」として、暮らしていくことになりました

もらわれて来てすぐの間は、家の中で大切にそだてられました

小さなポチは、うろうろと部屋の中をあるきまわります

S少年は、そんなポチをふまないように、机の上にのって見まもりました

しかし、成長しておおきくなってくれば、やはり、居場所は家の外でした

S少年のお父さんはとても器用だったので、ポチのために小屋を手作りしました

その中に使いふるしの毛布をしいて、庭のすみにおきました

「飼い犬」らしく、首輪もつけて、その犬小屋に鎖でつなぎました

 

S少年のこども時代、昭和30年前後のころ

ポチみたいな子犬のもらい方や飼い方は、ごくごく普通のことだったのです

 

下の写真は、けがれを知らぬ、おさなき頃のS少年・・・

 

 


ポチの思い出ものがたり 13

2012-07-18 22:22:01 | ポチの思い出ものがたり

ポチの思い出ものがたり 再開です

 

    2代目ポチ    

 

S少年が飼った2代目「ポチ」は、初代と同じ、やはり茶色の犬でした

というよりは、白いなかに茶のブチがはいっている小さな犬でした

もちろん雑種です

でも今度は、勝手にいついた犬とはちがいました

母犬の家からきちんともらい受けた、いわゆる「飼い犬」です

初代の半ノラ犬・ポチの時とは、家族の意識がちがいます

 

S少年が小学校にあがる前後のころのお話です

 

 昭和20代の、なんだか、すごい写真がでてきました・・・

これは、S少年の4、5歳頃でしょうか・・・

 

ちなみに、S少年は幼稚園には行かず、毎日遊びほうけていました

おかげで、小学校に入っても、じっと着席していられません

おとなしく先生の話をきくこともできません

なんと、「学校はすわって先生の話をきく所」と知らなかったのです

まるで、野生児そのままのS少年のせいで、クラスはめちゃくちゃです

とうとう、先生の逆鱗にふれました

先生は、怒りにまかせて、S少年のランドセルを校舎の窓から外へポイッ

S少年は、泣きながら、はだしで家に帰りましたとさ

 (余談でしたね・・・)

 

つづく

 

 次回は、2代目ポチがいよいよ家にやってくる日のお話

 


経験したことがないような大雨

2012-07-13 23:51:00 | 日々のくらし@川崎 ( ~2014)

九州他方に、「今までに経験したことがないような」大雨がふり続いているそうです。

土砂災害や河川の氾濫、浸水などがおおくの地域で発生。

犠牲となる方々もでているとのことで、痛ましいかぎりです。

 

どうか、一時もはやく、この前線の活動がおさまりますように。

そして、どうか、避難の必要な方々は、一時もはやく、避難してくださいますように。

 

ひろい範囲で、大気の不安定な状態がつづくそうです。

 

もう、これ以上の被害のでることが、けっしてありませんように。

 


今年もミルキークイーンを作付けしました

2012-07-11 22:38:05 | 農人ナベさん

東日本大震災から、今日で1年4か月。

その被災地・福島県相馬市で、有機農業をつづける農人ナベさんですが、

去年のおコメは、原発事故の風評被害で、大打撃をうけました。

震災前は、予約なしにはありつけない、貴重なブランド米だったのに・・・

放射能は検出されなかったのに、ナベさんのおコメは、今もたくさん倉庫にねむっています。

それでもナベさんは、今年も「有機栽培米・ミルキークイーン」を田植えしました。

 

 

 

ナベさんが発行する「美土里通信」は、61号になりました。

 

 

 

今年は風評被害の影響なく、おいしいおコメがたくさんの人にたべてもらえますように。

微力ながらお手伝いができればと思っています。

 


うれし~たのしや~ 週末は実家で!! 3

2012-07-09 22:32:52 | ラン♪

おお~、これは世界三大夜景のひとつ、函館山からの夜景ではないか!

 

こちらは、石川啄木せんせいご一家のお墓のある場所、「立待岬」です。

  

そして、またしてもバアバの登場。 こちらは五稜郭タワーの展望台です。 

 

そして、函館名物といえば、イカ。 活イカの刺し身は、まさにおどり食いの醍醐味!

(ラン吉ママ 「みなさん、写真だけでごめんなさい・・・」) (しかも、イヌにはイカはご法度・・・)

 

そんなこんなで、父母とバアバは、二泊三日の旅行から無事にもどってきた。

その間、拙者は生まれ育った実家で、夢のような楽しい里帰りの時をすごさせていただきました。

 

実家のみなさん、大変お世話になりまして、本当にありがとうございました。

 

その時の様子はこちらから    リリーとカーラと子供達   

 

 


うれし~たのしや~ 週末は実家で!! 2

2012-07-06 12:53:23 | ラン♪

父と母は拙者を実家にお願いして、どうやら物見遊山にでかけたらしい。

むむっ、この写真はどこであろう・・・・

なにやら、洋館のおおい町のようでござる・・・・

 おお~、これはこれは、バアバも一緒であったのか・・・・   

 

その間、拙者は実家のみなさんに大事にかわいがってもらいました!

 

その時のようすはこちらから    リリーとカーラと子供達