シェルティー ラン吉

拙者シェルティーラン吉でござる ラン吉のランは「団らん」のラン 一度しかない今日もろもろをラン吉ママがしたためまする

【ミルキークイーン】追加注文はお早めに!

2012-08-30 12:52:55 | 農人ナベさん

被災地・福島県は相馬の農人ナベさんより、緊急のお知らせです。

23年度産の有機栽培米【ミルキークイーン】ですが、あと少しだけ追加の注文を受けられるそうです。

完売がちかづいておりますので、ご用命の方はお急ぎくださいとのことです。

発注の連絡先をお知りになりたい方は、この記事のコメント欄またはメッセージ欄から、お問い合わせください。

 

                                   

 

暑くても寒くても、農家の方々は毎日、私たちの食べる物を一生懸命つくってくださっています。

特に、被災地・福島県の農家さんは、風評被害にも立ち向かわなければなりません。

農人ナベさんの丹精こめた有機栽培米【ミルキークイーン】は、本当においしいお米です。

放射性物質は検出値以下ですので、安心して召し上がっていただけます。

 

                                  

 

ナベさん、残暑のきびしい毎日、農作業はたいへんな重労働かとお察しします。

どうぞ、熱中症などには十分ご注意くださいね。

 


中断しております ・・・ ポチの思い出ものがたり

2012-08-27 13:07:36 | ポチの思い出ものがたり

シェルティーラン吉のブログにアクセスしていただき、ありがとうございます。

そして、「ポチの思い出ものがたり」のつづきを楽しみにして読んでくださっている方々には、ものがたりの更新が1週間以上もできずにおりまして、たいへん申し訳ありません。

2代目のポチが亡くなったあとの話になりますと、やはり書いている本人自身がなにか胸のつまるような思いにしばられ、なかなかアップすることができないでおります

 

ご承知のとおり、この「ポチの思い出ものがたり」は、ラン吉パパがこども時代にかっていた2頭の犬-初代ポチと2代目ポチ-についてのお話です。

 

「昔にくらべて今のペットはなんて幸せなんだろう。それにひきかえ、なんてポチはかわいそうだったんだろう」とラン吉パパはくりかえし申しておりました。

そこで、ポチとポチがいきた時代をわすれないため、そしてポチを大切におもっていた気持ちを風化させないために、この話を書きはじめました。

そんな「ポチの思い出ものがたり」ですが、多くの方から直接うれしい反響をいただきました。

 

ここまで話はこぎつけましたので、尻切れトンボでおわることのないように、今しばらくつづけていくつもりです。 おつきあいのほど、よろしくお願いします。

 

ブログの更新は、少し気分転換して、ポチ以外のカテゴリですすめていこうと思います。

 


ポチの思い出ものがたり 21

2012-08-17 12:43:52 | ポチの思い出ものがたり

「ポチ、どうしたの」

「・・・・」

近づいてみれば、お母さんは、ひざの上にポチをだいています

「どうしたの、ポチ、なんでこんなところで寝ているの」

「・・・・」

「かあちゃん、どうしたんだよ」

「・・・・」

S少年はポチの頭にさわってみました

ポチはじっとしたまま、うごきません

「ポチ、どうした?かあちゃん、ポチへんだよ」

お母さんはようやく話しました

「ポチ、死んだ」

 

あまりに突然のできごとです

S少年は、かえす言葉もなく、ただ茫然とするばかり

 

どうしてなんだ・・・

今朝までいつもと同じように、あんなに元気にしてたのに・・・

いったい何があったんだ・・・

あのポチが、こんなにあっさりと死んでしまうなんて

ありえない・・・ ありえない・・・

 

S少年は、2代目ポチの突然の死が、どうしてもなっとくいきません

「どうしちゃったんだよ~、ポチはなんで死んじゃったんだよ~」

S少年のお母さんは、じっとポチを抱いたまま、なにも言いません

「なんか言ってよ、だまってたんじゃ、わからないよ~」

「・・・・」

「だってさ、今朝だって、あんなに元気だったじゃん!」

「・・・・」

「急に死ぬなんて、おかしいじゃん!」

「・・・・ ほんとう、おかしいわね・・・」

「そうだよ、おかしいよ!」

「そう、おかしいね、ほんと、おかしいわ~、おかしいっ、おかしいっ、あははは~」

お母さんは、涙をながしながら、おおきな口をあけて笑い出しました

 

その時、ちょうど、S少年の姉たちが学校から帰ってきました

「ただいま~、なにか楽しそうね!」

「なに笑ってるの?なにがそんなにおかしいの?」

なにも知らない姉たちは、うれしそうにはしゃいでいます

「あら、めずらしい!ポチが部屋にあがってる」

「ほんと、ほんと!抱っこなんかされてる」

「ポチも部屋であそんでもいいの?あたしにも抱っこさせてよ~」

「ポチ、ほら、こっちにおいで~

「かあちゃん、ポチを抱っこさせてよ~~」

お母さんは、じっとポチを抱いたままです

顔は、泣いているのか笑っているのかわかりません

「あれっ、かあちゃん泣いてるの」

「どうかしたの?なにかへんよ」

姉たちもなにか異変をかんじたようです

「ポチ、静かね・・・」

「ぐあいでも悪いのかしら・・・」

「ポチ、みんな帰ってきたのよ、お出迎えしてくれないの?」

「ポチ、動かないみたい・・・」

「ポチ、どうしたの?」

姉たちは、お母さんに抱かれたままのポチをなでました

いつもなら尻尾をふりながら、にこにこと見あげてくるはずです

 ところが、ポチは頭をなでられても、ピクリとも動きません

目をすこし見開いていましたが、ひとみに光はありません

「ポチ~、ポチ~!どうしちゃったの~?」

「ああ~~っ、ポチが、ポチが~~」

子どもたちの目にも、ポチの死はあきらかでした

子どもたちは動かなくなったポチにすがって、ただ泣くだけでした

 

夕方になってお父さんが仕事から帰ってきました

ポチはきれいなタオルにくるまれて、部屋の中にいました

お父さんは無言でみつめていましたが、やがてポツリと言いました

「かわいいやつだったのに、急なことだな、かわいそうに」

子どもたちは、その言葉を聞いて、また大泣きを始めるのでした

 

すると、お母さんは、まるで独り言のように話し始めました

「ポチはね、かわいそうじゃなかったのよ

ポチの最期はね、母ちゃんがこの腕のなかでちゃんと看取ってやった

ひとりで孤独に逝ってしまったわけじゃないんだよ

実はね、ポチね、自分から家の中にあがってきてね

最初はぐあいが悪いってわからなかったから、外に出したんだよ

そしたら、またあがってくるじゃないの

みれば、足元がよろよろとして、なにか苦しそうでね

でも、体のどこを見ても怪我はなさそうだし、水をやっても飲まないし

どうしようと思っているうちに、みるみる弱っていってしまって

もう抱いてやることしか、母ちゃんにはできなかったのよ

でも、母ちゃんはしっかりとポチを抱いていたからね

ポチはちっともこわがらずに、安心した顔で眠っていったよ」

 

「でも、急に病気になることなんてあるの?」

「少しずつ、おじいさんの犬になっていくなら分かるけど・・・」

「今朝だって、元気にご飯を食べてたじゃないか・・・」

 

ポチの突然の死をどう受けとめ、子どもたちになんて説明すればよかったか

お父さんにもお母さんにも、正直なところ、よくわかりませんでした

「ヒトだって、急病ってことはあるでしょう・・・」

「持病が急にわるくなることもある・・・」

でも、かかりつけの動物病院もなく、犬の病気については何もしりません

ポチの死んだ本当の理由は、だれにもわかりませんでした

 

子どもたちは、ただ涙でまくらをぬらしながら寝入っていくだけでした

 

 つづく

 


三歳の誕生日でござりまする

2012-08-12 19:03:31 | ラン♪

拙者ラン吉、本日をもって、満三歳とあいなった。

いつも拙者をかわいがってくださるみなさま方のおかげでござりまする。

 

先日は、母犬リリーさんのおうち、つまり拙者の実家のパーティーにおよばれいたした。

手術をぶじにおえた母犬リリーさんと、拙者ら兄妹たちの三歳のお祝いの会である。

夕日をながめながら、まずは屋上で乾杯。おっと、これはヒトだけでござる。 

 

後半は室内にて。拙者らイヌたちはこちらのケーキで Happy Birthday!!

土台 ― じゃが芋、さつま芋、かぼちゃ、にんじんのマッシュ

デコ ― プレーンヨーグルト、にんじん、バナナ、むき栗、きゅうり

 

では、少しずつ分けてもらって、「いただきま~す」

みぎから、妹イヌのマナちゃん、その先輩犬のミキちゃん、母犬リリーさん

ゲストのアンジーちゃん、妹イヌのカーラちゃん、そして拙者ラン吉でござる。

アンジーちゃん宅に来たばかりの子犬オルガちゃんは、ケーキはまだとのこと。

 

そして、リリーママさんからは、こんなすてきなプレゼント。

拙者ら兄弟たちがパピーの頃の写真をやいた、オリジナルのカップでござる。

父母ともに感激、大喜びでござる。拙者からもお礼もうしあげまする。

 

さて、今宵はなにか誕生日のスペシャルメニューであろうか・・・

 いくつになっても、拙者の興味は「ごはんとボール」をおいて他にない。

この一年も、無病息災でまいりたい。

 


*完売のみとおしです*福島県ナベさんの有機栽培米*

2012-08-07 13:06:12 | 農人ナベさん

大震災の被災地、福島県相馬市の農家さん、「農人ナベさん」は、今年も田植えをしました。

昨年度のおコメから放射性物質は検出されませんでしたが、風評被害で注文は激減でした。

それでも、行政にたよらず自力で大切な田んぼの除染をしながら、有機栽培のコメ作りに取りくんでいます。

さらに、避難先で生活される方々に、花や野菜を無償でさしあげるプロジェクトもつづけています。

そんな「農人ナベさん」から、おたよりが届きました。

 

                                   

 

相馬に台風などの被害は今のところありませんが、例年より気温がひくく、冷害のしんぱいがでてきました。

6、7月の最低気温と最高気温の平均値が、いつもより2度~3度ひくいのです。

稲や野菜の生育が、すこし遅いような気がしますが、受けいれていくしかありません。

 

いっぽう、うれしい報告ですが、我が家のおコメの完売のみとおしがでてきました。

皆さまのご協力のおかげです、ありがとうございます。 

 

                                   

 

ラン吉のおともだちの方々にも、おおくのご協力をいただきました。

誠実でまじめな「農人ナベさん」のおいしい有機栽培米・ミルキークイーンを、これからも多くの方にめしあがっていただきたいと思っています。

 

原子力のおそろしさについては、日本は、戦争でおとされた二つの原爆からだけでなく、原発事故という、三度目のおそろしい体験をしました。

 

風評被害や差別がはやくなくなりますように願っています。

 


ポチの思い出ものがたり 20

2012-08-03 12:52:36 | ポチの思い出ものがたり

2代目ポチは、S少年一家のれっきとした「飼い犬」として飼われていました

でも、家の中ですごせたのは、最初にやってきた赤ちゃんの頃だけでした

成犬になれば、家にあげてもらえることもなく、寝床は庭の犬小屋でした

 

保健所に登録はしたものの、獣医師にみてもらうのは、年に一度の狂犬病の予防接種の時だけです

それも、公園での集団接種でしたから、健康状態のチェックもそこそこに順番がくれば注射をうたれます

今でこそ日本では撲滅したとされる狂犬病ですが、昭和30年代には多くの人がおそれていました

 

当時、獣医師のお仕事は、おもに農家の家畜をみると思われていたようです

なので、飼っている犬や猫のためだけに、かかりつけの獣医師がある家庭はまずありませんでした

混合ワクチンの接種やフィラリア予防薬をもらいに動物病院へいく

そんなことが普及してきたのは、もっと後のことでした

 

でも、中には裕福な家庭があって、狂犬病の予防接種を愛犬に受けさせるために、往診をたのむ人もいました

そんな時、獣医師は玄関からはいろうとすると

「あっ、犬屋さん、裏口にまわってね」というような接し方をされたそうです

獣医師は、大切な家族の一員であるペットの健康維持にかかせない存在ですが、

そう思う人は、まだあまりいない時代だったのかもしれません

 

2代目ポチだって、れっきとした「飼い犬」でありながら、

朝晩のエサは、初代の半ノラのポチとなんら変わりはありません

残ったご飯に味噌汁をかけたものだけです

おやつには、子どもたちが台所から煮干しをもってきて、食べさせていたくらい

からだを洗ってやることも爪をきってやることもありません

庭の犬小屋にいるのですから、ノミもダニもついていたでしょう

犬のからだはそんなもの、とほとんどの人が思っていた時代でした

 

避妊手術や去勢手術をうけさせようという考えもなく、子犬がうまれれば、ひきとってくれる人をさがす

庶民にとって、飼い犬は雑種があたりまえでした

もらってきて飼い始める人だけでなく、ひろって育てた人もいたことでしょう

 

2代目ポチは、お父さんの仕事仲間のおうちからもらってきました

毎日子どもたちと一緒に楽しくあそんでいましたが、数年たった頃

 

ある日S少年がいつものとおり学校から帰り、おくにいたお母さんに「ただいま」と声をかけました

お母さんは、子どもたちが下校してくれば、家の中からかならず「おかえり」と応じます

それが、この日は、お母さんの後ろ姿がみえるだけ、畳の上にじっとすわっています

「どうしたんだろう」S少年が目をこらすと、肩がふるえているようにもみえます

「かあちゃん、どうしたの」

「・・・・」

「かあちゃん、なにかあったの」

「ポチが・・・・」

「えっ、なに、ポチがどうかしたの」

「・・・・」

S少年は、ただならぬ気配を察して、家の中へかけこみました

すると、家の中にいるはずのないポチのしっぽが、お母さんの横にみえます

「ポチ、どうしたの」

 

つづく

 

 


ポチの思い出ものがたり 19

2012-08-01 12:59:28 | ポチの思い出ものがたり

戦争中、川崎市中原区あたりには、軍需工場がたくさんありました

そのせいで、米軍のB29の標的となり、終戦の年の4月にはいわゆる「川崎大空襲」をうけました

一帯は、焼け野原となり、おおくの方が犠牲となりました

 

そして戦争がおわった後には、焼けた軍需工場の跡地のひとつを、米軍が接収しました

その場所が、今の川崎市中原区にある「中原平和公園」です

中原平和公園は、今でこそ、市民のいこいの場として親しまれています

しかし、S少年がこどもだったころ、そこには「アメリカ陸軍出版センター」なるものがありました

S少年たちはそれを「アメちゃん」とか「印刷局」などとよんでいました

それは、ある意味では、親しみをこめた表現ではありましたが、

一方では、「また恐ろしい戦争の相手となるかもしれない敵」の施設・・・

そんな不安の気持ちも入り混じった、複雑な気持ちでもありました

 

「アメリカ陸軍出版センター」は、鉄条網で厳重に警備されていました

その門の前には、憲兵がいて、いつも近よりがたい雰囲気がただよっていました

そんな米軍の施設があったので、アメリカ兵はこのあたりにたくさんいました

彼らは、道であえば流暢な日本語ではなしかけてきて、気さくにガムをくれたりします

S少年は、少しおそろしいような気がしながらも、思わず「日本語じょうずですね」とはなしたりしていました

 

一度その「印刷局」に、米軍のリコプターが降りてくることがありました

近所にすむ老若男女が我さきにと集まって、まるで宇宙船でもみるかのように、食いいるようにみつめていたそうです

 

そんなかつての敵国だったアメリカの「印刷局」でしたが、年に一度、自由に立ち入りできる日がありました

今から思えば、おそらく本土アメリカの「独立記念日」だったのではないでしょうか

門に憲兵の姿はなく、だれでも自由に入り口からはいることができました

なんだか、お祭りのような雰囲気がただよっています

S少年は、友だちと一緒に、きょろきょろしながら中に入りました

何があるのか、こわいもの見たさで進んでいきます

すると突然、大きな体つきのアメリカ兵が少年たちに何かをさしだしました

びっくりして手に取ると、それは見たこともないような鮮やかな色の紙の束でした

手のひらほどの大きさのカラフルな四角の紙が、一遍をのりづけしてメモ帳のようになっています

きめのあらいワラ半紙やうすっぺらな画用紙しか知らない少年たちには、カラーペーパーのメモ帳は、まさにお宝

一枚一枚ていねいにはがしとっては、思い思いの形におってみたり、自由に絵や文字をかいてみたり

それを、さも得意げに、たがいに見せ合いっこして遊ぶのでした

 

そんな色紙のはしきれは、米軍の「印刷局」にとっては、きっとゴミ同然だったでしょう

でも、そんな色紙を無邪気に喜ぶS少年たちの姿は、アメリカ兵にもほほえましいものでした

任務で日本にいたアメリカ兵だって、本土にのこしてきた家族を思わない日はなかったにちがいありません

 戦争にはたとえ勝っても負けても、楽しかったり幸せになったりした人はひとりもいませんでした

 

また、年に一度はいれる「印刷局」の中には、ちいさなホールのような場所もありました

おとなたちにまじって、その中にはいると、スクリーンではアメリカの野球の試合が上映されていました

今でいえば、大リーグのダイジェスト版のようなものだったのでしょうか

次々にでてくるバッターは、ホームランばかり打ちます

何もしらないS少年は、「アメリカ人はなんとホームランばかり打つものか・・・」と心のそこから、感激していたのでした

 

そんな「アメリカ陸軍出版センター」は、戦後30年たった昭和50年に、すべて返還されました

そして、今の中原平和公園と、県立住吉高校などができました

 

中原平和公園にあるのは、平和をねがう、たくさんのオブジェや植樹

 

 

さまざまなイベントの会場となる、野外音楽堂

 

広々としたレンガ敷きの、であいの広場

 

 

はだしの広場は、夏の間、小さいこどもむけの浅いプールになります

 

大きな遊具があるのは、冒険広場

 

水路は整備されて、水鳥のすがたもみえます

 

 って、今日はいませんでしたね・・・ ざんねん・・・

 

そして、毎日たくさんの人や犬があつまる、草原のお山もあります

シェルティー・ラン吉が、まだ我が家にくる前からの遊び場です

 

この中原平和公園には、ひとつの都市伝説があります

それは、アメリカ陸軍出版センターが撤収する際に、のこしたタイヤを地中にうめて、今のお山ができたというもの

お山の周辺をみれば、このうわさが真実だったとわかります 

 

基地をはじめとした米軍による接収地が、日本中にまだまだたくさんあるようです

 

戦争がなかったら、このあたりは、また今とはちがった町並みだったでしょうね