初めての海外出張から四半世紀が経ちました。
1987年4月、同僚のFさんがポルトガルでの国際会議へ参加を勧めます。
「ポルトガル語を話せないので参加は無理」と断ると
公用語は英語だから大丈夫 このチャンスを逃すと
ポルトガルへ行くチャンスは無いかも知れないよ。
部長に申請すると稟議書にハンコがペタペタ押され出張を許可されました。
その時、西ドイツに発注した装置の中間検査立ち会いを云い渡れました。
ドイツ語も出来ません! 無理ですと頭を下げると
商社マンの同行で「装置の製作状況」を調べる事になりました。
するとH室長がスイス EIR 研究所の Dr.G に会って交渉して欲しい
手紙では捗らないと書類を手渡します。
私は会議後「フィンランドH-研究所のDr.V」に面会を申し込み
彼から快諾の手紙が届きました。
初めての出張が英語圏でない 4カ国へ行くことになりました。
不安と好奇心一杯で旅立ちました。
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その頃はロシヤ上空は通過不可、ヨーロッパへはアラスカ・アンカレッジ
から北極圏経由でマッキンレイ見てイギリス・ヒースロー空港に到着。
BRITISH AIRWAYS に乗ってきました。
コンコルドが黒煙を吐いて飛んでいきました。
まるで墨を吐く烏賊(イカ)のようでした。
ここでポルトガル行きへ乗り換えます。
西ドイツと東ドイツ両立でベルリンの壁があった昔々の物語です。
利根川進博士が日本人初のノーベル生理学・医学賞を受賞。
土地や証券の投機が経済全体に波及 バブル経済が続いていました。
日経平均株価が終値ではじめて2万円を突破。
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Google earth Google 地図検索で昔泊まったホテルが見つかったこと!
懐かしい!昔の写真をスキャンして旅を再現しています。
ポルトガル大使館・文化部に昔の写真を送り
建造物の名称を教わりました。
非常に役に立ちました、深謝いたします。
(1987年4月4日 ~4月18日間は一生忘れ得ない
不思議の国の旅でした。)