マチャアキJAPAN10 カンボジアの井戸掘りが放送されました
今年は例年に比べ放送時期が2ヶ月ほど遅かったですね
撮影は1月末から3月初旬の約40日でした。
マチャアキJAPANも記念すべき第10弾となりました
その中でも井戸掘りは毎回の作業であり、
井戸掘り支援番組と言っても過言ではない番組になっていますね。
いつしか私も3度目と井戸掘り職人(仕事人)では最多出場となりました
さて、今回のカンボジアでのテレビで見れなかった部分をお話したいと思います。
みなさんは、アフリカの村とカンボジアの村ではどちらが大変な生活だと思いますか?
多分、アフリカの方が貧しい生活だと思う人が多いのではと思います。
しかし、私の目にはアフリカ以上に今回のカンボジアの村の生活の方が大変だと思いました。
水道、ガス、電気、そして道路も舗装されてない村の生活は想像できないほど大変です
アフリカであろうがカンボジアであろうが、貧困な暮らしには差がありません
そんな村に日本から我々が井戸を掘りに来たという出来事は、
村人たちにとって夢のような事だったのだろうと私は思いました。
リーダーを務めてくれた村人「ティ君」が言いました
「遠くの村に外国人が掘ったという井戸を見たことがある」
「その井戸からは綺麗で冷たいおいしい水が出ていた」
「自分たちの村にもこんな井戸があったらどんなに嬉しいことだろう」
「僕たちは、井戸の掘り方を見たこともやったこともない」
「だから、井戸ってどう作るのか全くわからないのです」
「先生、この村には綺麗な水が必要です。子供たちのためにも井戸掘りを教えてください」
「僕たちは、お金は無いけど手伝う時間ならいくらでもあります」
これにより、強い意気込みを見せた14人の村人が井戸掘りに協力してくれました。
作業状況はテレビで放送された内容ですが、
作業中の進行状況やトラブルをご報告するよりも、彼らの熱意を報告します。
村人は20代の若者が中心でした。
カンボジアはポルポト政権時代に多くの罪もない人が殺されました。
だから、ポルポト政権崩壊後に生まれた人が多いのです。
貧しい村人は、1日5ドル~10ドルで大きな農家のところに働きに行きます。
でも、それは田植えの時期と収穫の時期だけであり、年間2ヶ月ほどしか働けません
仕事のない時期は、家の庭にある小さな畑で採れる作物で食いつないでいます。
そんな彼らから、井戸掘りを手伝うための報酬や見返りを要求された事は1度もありません
むしろ、過酷な井戸掘り作業でズボンが破れたりすると、
遠くの町の市場で、1枚1ドルで売られているGパンの古着を買いに行くのです
彼らにとって、1ドルのお金は生活するべき非常に貴重な金額です
そんな彼らの前向きな姿勢に私自身涙が溢れてきました。
柔らかく崩れる地層、堀鉄管を跳ね返し刃先を砕く猛烈に硬い岩盤
鉄管が食いつかれるキャラメルのように粘性の強い層など
極端に地層が変わり、我々は本当に苦しめられました。
ここで思ったことは、カンボジアの村人の働き方ですが、
彼らは自分たちから休憩することはありません。
私が、ストップと号令をかけるまで延々とロープを引き続けます。
まるで、人力ではなくエンジンが動いているのではないかと思うくらいでした。
しかし、硬い岩盤は1日で50cmしか掘れない日もありました。
彼らの腕は悲鳴を上げ、骨にまで痛みが出てきてるはず。
私の頭の中では、これ以上彼らに作業を続けさせて良いのか?
続けるべきか、断念して機械ボーリングで業者に依頼するべきか?
掘り進めれないことはないが、人力の限界ではないのかと・・・
そんな私の心中に気づいたのか、リーダーのティ君が私に言いました
「僕たちは生まれた時から綺麗な水を知らない」
「生まれてくる子供に綺麗な水を飲ませたい」
「先生、僕たちのことは心配しないでください。まだまだ頑張れます」
その言葉に私も決心し、70kgという増量した重い堀鉄管を作りました。
連日の作業に彼らの腕は悲鳴をあげていたことだろう
その熱意と団結が綺麗な水を捕らえる事に成功しました
深さ30メートル、偶然にも私の予想と一致した深さで井戸が完成しました
彼らは、今まで見たこともない井戸掘りにチャレンジし、
自分たちの努力で綺麗な水を手にしたのです。
譲渡式には多くの村人や子供が集まりました
水が出た瞬間の歓喜は、お金では買えない喜びや笑顔です
本当に嬉しかったよ。
譲渡式が終わった時点で、私はすぐに帰国の準備をしなければなりませんでした
娘の結婚式も、もう数日後に控えていたのです。
慌ただしく帰国準備も完了した時点で
作業を手伝ってくれた村人と家族を我々の生活拠点のテント村に集まってもらい
村人たちに感謝とお別れのバーベキューパーティーを行いました。
そして、最後に私から作業を手伝ってくれた皆さんにささやかではありますが
お礼として蚊帳(かや)とタオルケットをプレゼントさせていただきました。
つかの間のパーティーも終え、お世話になったテント村を去る時
いつしか心の通う友情と絆で結ばれた村人たちが
「先生!先生!」と私にしがみつき、泣いている者もいました
後ろ髪を引かれる思いを振り切り、動き始める車を取り囲む村人たち
私は、きっと、またこの村人たちに会いに来ると心に誓いました。
ありがとう、カンボジアの皆さん。
そして、マチャアキJAPANスタッフの皆さんありがとうございました。
この番組がいつまでも続くことを願い、私の報告とさせていただきます。