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浴衣の弊害

2013-08-25 01:26:31 | Weblog
街で歩いていると、土日はどこかしらでお祭りや花火大会が催されているからか、浴衣姿の人が多いですね。日本の風情を楽しむのは良いのですが、着なれない人ばかりなのか駅の周辺は混雑するし、道を浴衣女性が塞いでいると中々前に進めなかったりで閉口することもあります。まあ、こちらもゆったりとした気分なら良いのですが、仕事の移動で急いでいる時は…イラっとしたりして…。
しかも、浴衣を楽しむというよりは半ばコスプレ状態で似合う似合わない関係なし、その上騒ぐ口実に花火を観に行くのに浴衣でなくても良いと思うんですがあ~?

帯も作り付けのワンタッチ帯で、着崩れてても平気な人もいますしね。「私浴衣着てるのよ!みてみて~」状態で歩いているのを見るのはうーん・・・。彼氏は嬉しいだろうけどちょっとねぇ・・・(笑)ま、着ても見てくれる人がいるんだから幸せなことですね。

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ここ数日、某飲食系店舗でのアルバイトの人がふざけた写真をSNSなどに投稿する問題がありますね。いくら表現の自由と言ったってやっていいことと悪いことの区別はつく年齢だと思うんですが。
こういう問題が起こるたびに「やっぱりネットは悪いものだ」とネット、あるいはデジタル恐怖症の人達が騒ぎ出すのもみっともないし、そう騒がれてもしょうがないぐらいひどい事態に落胆を隠せません。このような投稿をしてしまう背景には何があるんでしょうか。多分本人からするとほんの出来心だと思うんですね。友人におもしろ写真をメールするような感覚でしょうか。それが、あろうことか友人知人の枠を越えて世間一般に流れてしまうことを想像できないのは、やはり注意力だったり基本的な考えの欠落だと思います。

想像力や注意力の欠落が悪ふざけの写真の投稿となって広がり、お店の信用やその店を閉店に追い込むことももちろん問題ですが、お客さんの命に関わるような重要な問題だと笑い話ではすまなくなります。医療関係の学生が、解剖用に提供された内蔵を同じくSNSで写真投稿しグロい、みたいなコメントをのっけて流したこともありましたね。医療の発達と学生の勉強のために患者さんから提供された内蔵で授業を行なっている身でありえないと思います。

それから花火大会での屋台の爆発、炎上によって犠牲者を出した事件も警察では店主のガソリンの扱いによるコンロへのガソリン噴射が原因だと見ています。まず最初にガソリンを観客に噴射してしまい、それを誤ってコンロの方へ向け、炎上。最初にガソリンをかけられたお客に火が燃え移ってしまった悲惨な事件です。

別々の問題ですが、「不注意」「認識不足」「思わぬ事態」など、共通するキーワードがあるような気がします。

人間というのは失敗する生き物です。いくら知識や智恵をもってしても、事故は起きるしロボットやコンピューターのように始終プログラミングされた内容を続けられはしません。疲れたりもするし、その日の気分によっては昨日できたことが今日できなかったりします。でも、生きていく中で最低限の学習はしていかないと困ったことになります。それをある程度は法律や規制によって防ぐように仕組みを設けるのですが人間は愚かなことに中々失敗から教訓を得ることは難しいようです。

そんなことを書くと「じゃあお前はどうなんだ」と野次られそうですが、「私は聖人なので失敗しません」と言うまでブログを書いちゃいけないのかと言うことになりますのであえて好きに書かせていただきます。私も人間なので。

先日高校野球の決勝戦で、群馬県の前橋育英高校が優勝しましたね。決勝にあがったもう一つの宮崎の高校と決勝前日のテレビの特集を見て、何故か前橋の方が勝つんじゃないかなあと思っていました。(後日談ですがあえてこれも好きに書かせてもらいます)
前橋育英の監督は昔から一貫して「エラー(失敗)しても、そのあとが肝心だ」と言い続けて指導されてきたそうですね。これが、決してエラーするな、とかエラーしないように気をつけろ、という事ではないからすごいなあと思います。まずエラーすることもある、というのが前提ですね。これははたから見たら波紋を呼びそうです。頭の悪い学校や父兄がいたら、失敗することを推奨しているのか、とうるさいことを言われそうです。でも球児達からしたらこれがよかった。なぜなら、自分はどんな場面でエラーしやすいか、そしてそのあとどう立ち直れば良いのか「想像」し前もって自分の心を予習することができるからです。

ただ、あの高校野球の決勝戦という場面で先制点を与えてしまい緊張する場面で立ち直り挽回できたのは、球児たちと監督や周りの人たちの努力と経験、それまでに培ってきた練習だったり苦い思い出だったりがあったからこそではありますが「自分たちのやってきたことは間違いではなかった」という言葉からも、指導力の賜物と言えなくもありません。

最初に書いたSNSへの問題写真投稿をした学生たちも、落ち着いてよく考えてみれば分かったはずです。また、もしその場の勢いで写真を撮ってしまったとしても、投稿する瞬間「これはまずいのではないか」と思い直し、投稿をやめたかもしれません。そこまで考えることができれば、もう二度とそんな写真を撮るような馬鹿な真似はやめよう、と思うかもしれない。それが失敗を最低限に防ぐ方法ではないのでしょうか。
失敗から学ぶ、失敗を反省する、と言うのはとても簡単です。でも、まったく何も考えない状態でただ失敗することと、失敗する前に色々と対策を立ててそれでも失敗してしまうのとでは雲泥の差があります。前者はただ馬鹿なだけで反省してもすぐ忘れるでしょう、後者はこれからやり直せる余地があるように思います。

何度も何度も同じ失敗を繰り返して反省しない人もたまーに世の中にはいますが、人の振り見て我が振り直せ。悲しい事故や事件がおきないよう祈ると同時に自分がみっともない過ちをおかさないよう日々振り返りながら生きていきたいものです。

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