どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

最低気温が-8,3度だった

2017-01-16 21:48:12 | 日記

 

今日も放射冷却で寒くなりました。ただ午後3時から少し気温が上がり、氷点下あたりでウロウロした感じの気温です。暖かいといえば暖かいですな。真冬日ではなかったです。

 

 

日曜日に大雪を疑っていたのですが、実際は今日の昼過ぎから、モサモサと9センチ雪が降りやがってこんニャロメでございまして、除雪機を出そうとしたところ、車が邪魔で出せません。持ち主は風邪で動けません。ですがそこは立場というものでしょうか、頑張って車を出していただきました。

ということで除雪はできましたが、後でドリンク剤をお見舞いに持ってゆきました。まあ出費だったな。

 

 

雪はその後断続的に降りましたが、まあこんなもの。1センチは降ったかな。

響に行き、ケニアのニュークロップを飲む。相変わらずのスーパーリッチのウルトラストロングだが、ほんの少しグラッシーな爽やかな香りがあり、重厚な味わいに風が通った感じがする。コーヒーというのがいかに重層的な飲み物であるのかとわからせる一品だ。わずかなグラッシーの爽やかさが、重厚なアロマを華やかに開いてゆくのだ。

と書けば褒めているんだかけなしているんだかわからないと思う。そもそもグラッシーって何?なのだが、青草の香りなのだが、これが生豆の匂いに近いところもあっていわく説明し難い。生焼けのコーヒーの青草風はまた違う香りなのだ。あれは生臭いのだ。

草原を渡る爽やかな風の香りとでもいえばかっこいいのだが、それでは意味不明だ。牧草地を歩いている時の匂いなのだが、それでは堆肥の香りや近くのウシの匂いもするし、ササ藪を漕いでいる時の香りがわたし的に近いのだが、そんなこと誰もがしたこともないだろうし、これまた厳密に違う。チモシーグラスの匂いなのかな。ということで言葉を重ねれば重ねるほど訳の分からなくなる言葉だ。

牧場の一番草の刈り込み時の空気、といえばいいのかな。ハーベストマシンに追い立てられたネズミが飛び出すのを上空でトンビが何羽も待ち構えている、あの青空かな。

さらに訳が分からなくなる。こいつをシトラスという人もいるようだけど、確実にライムの香りではない。確かに刺激的ではあるけど、スパイシーではない。重いっきり無理やり強いていえば、スパイシーなのだが、どのスパイスという問題はある。ワインのように香りを分離して語るのが難しいのがコーヒーだと思う。

ただ、グラッシーというのはそう滅多にない表現だと思う。リッチでストロングでないと明快にわからないからだ。あっさりした豆だとこの香りはマイナスに響くだろう。青臭く感じるだけで終わる。力があるからこそこの若さが輝くのだろうか。まあこれ以上言葉は重ねないほうがいい。

 

 

 

ということで今日見かけた最強の車です。自宅前なんでしょうから周囲を盛大にボカさせていただきましたら、結果なんか変な感じになってしまいました。特に途中でめんどくさくなったのがよく見えるのは、ご容赦くだださい。最初っから切り抜きツールを使うべきでしたね。面倒は初めから受け入れるべきです。ハイ。

トヨタ車両のCOMSです。ウォ!どこ走ってきたんだ。確かに今日はなかなかの大雪だったが、車内?まで雪まみれの、後ろが空力どうなってんのかよくわかる雪の付着具合とか、まあそのあたりはともかくとして、頑張ったということだ。

人が頑張った。感動した一台だ。あのCOMSがえらくかっこ良く見えました。乗っている人もきっとかっこいいんでしょうね。

なおCOMSは人が近づくと、ライトが光るんですね。これはいい。


ー13度だったから泳ぎにゆく

2017-01-16 01:06:59 | 日記

 

高松の池で鳥と戯れてから、バスに乗ってゆぴあすに泳ぎにゆく。バス停で待っていると、知り合いが近づいてきた。バス停のそばにキッチンアベというカレーの迷店があるのでそこに向かうのだろうと思っていたら、ペットボトルを差し出した。「今買ったんですけど、凍っているんです!」。屋外の自販機で買ったのだが、昨夜の寒さで凍ってしまったようだ。自動販売機は冷蔵庫であり保温機でもあるので断熱性はとても高くできている。それでも凍ってしまったというのはただ事ではない。「自然をなめていました」。洗面器カレーとも言われるカツカレー大盛りに挑む前に、出鼻をくじかれてしまったようだ。「口を潤してからチャレンジしたかったんですが…」

自販機の中が凍ったのは初めて見たが、確かに寒すぎた。

 

 

最低気温が酷すぎると、気温が意外と高くてもみんな外にでたがらなくなる。これは数字のマジックだ。たとえ外が気温ー1度だったとしても、すぐに恐ろしい寒さになるのではないのかと、外出を控えるのだ。または超重装備で出ることになる。もうそれはそれはめんどくさい。だから誰も外に出なくなる。酷い数字を目の前にすると萎縮するのだ。リーマンショックの時に逆張りを打った人はいたが、ごく少ない。

ということは、今日のゆぴあすは空いていて、常連しかいない。そうなる。するとルールを守る人しかいないし、泳ぎやすい。これを狙っていったら案の定そうだった。だが、猛者しかいないといった具合で、結構いいトレーニングになってしまった。1700メートル泳いだが結構時間が余ってしまった。ゆったりジャグジーでほぐせた。

家に帰ったら、かなりぐったりしてしまった。

 

 

今年の1月11日は、エルサルバドルで奇跡が起きた。CNNの記事だ。殺人事件がなかったのだ。もう一回言う、殺人事件がなかったのだ。

中南米は殺人事件が多いので有名だが、エルサルバドルはその点で抜きん出ている。2015年の10万人あたりの殺人事件は103件で、ベネゼエラの90件、ホンジュラスの57件とかなり多い。

警察の統計記録によると、昨年1、2両月では1時間ごとに住民1人が凶悪犯罪に絡んで死亡する割合の事件が起きていた。」

昨年はうるう年だから両月で60日×24時間=1440人。すごいね。人口616万3千人の国でだ。日本の昨年の交通事故での死亡者数が3904人だから、人口比でもいかに多いかがわかる。

同基金によると、エルサルバドルでの暴力事件の頻発の背景には敵対関係にある武装ギャング団の勢力圏争いが絡む。12年に抗争終結の合意が崩れた後、殺人の発生件数が増え始めていたという。」

ただギャングの抗争での死亡事件なので、そういった危ないところに行かなければ、外国人はなんとかなると言うのが実情だろう。

この件で思い出したのだが、アメリカでは子供を車に置き去りにすると児童虐待になるとか、公園で遊ばせていても親がそばにいないと虐待になると言う話がある。日本も子供に対して体外にしろと言いたい状態になっているが、実は理由がある。

CNNの記事に18年前に連れ去られた子供が実の両親と対面したと言う記事がある。病院から連れ去られた事件だ。だがこの事件はかなりいい結果なのではないのかと思う。帰ってきたからだ。

実はアメリカでは誘拐事件が多発している。だがこれを正しく示している数字を持ったマトモな記事が出てこないのではっきり言えない。NAVERなんて絶対使いたくない。アメリカでは子供の誘拐がとても多いのだと言う。ただアメリカならではの、親権争いにまつわる事件が多い。いわゆる事件的な誘拐もとても多いのだが、いずれ行方不明になってしまう件が多いのだと言う。つまりは親権争い以外では金銭目的の誘拐ではなく、この事件のように子供を育てたかったとか家庭を持ちたかったからと言う動機で誘拐するようなケースも含め、行方不明になる子供がとても多いのだと言う。

数字は出てこないが、その数字も統計としてどうなのかと言う話もある。ただ子供がいたらこの話は違うだろう。子供が誘拐されたら、それは親の責任なのだ。その上その犯罪者が行う行為は親の行為と同等とみなすわけだ。だから誘拐されるような条件に子供を置くのは、虐待と同等となるわけだ。

子供に寂しい思いをさせるのは虐待だと、多分彼らも考えていないと思う。なぜなら家の中ではありうる話だからだ。どうしようもなく。だが外に出たら話が違うと言うのは、多分このことなのだろう。

憶測だが。

 

 

今日も月が煌々と照っている。放射冷却現象でえらく寒くなりそうだ。