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どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

ユージン・オーマンディってすごいのだが

2015-04-02 22:40:39 | 日記

 

NHK-FMを聞いていると、オーマンディの指揮した演奏が割とよくかかる。特に近現代の曲だとその比率が高いように思える。

その前にNHK-FMという公共放送なので、定評のある演奏しか流さない。特に時間幅をとる交響曲とかに成ると手堅い選曲になるのだろう。まあそれでもイロイロと冒険しているところはあるが、なぜ今更オーマンディなのかというのはあった。マニアからのクレーム対策もあるだろうし、権利関係の綺麗な故人の演奏というのもあるのだろう。

だがそうやってラジオから流れてくる音はしっくりくるのだが、なぜ他の人がいないのかというのが不思議になる。

オーマンディといえば「フィラデルフィア・サウンド」。華麗で美く、ダイナミックかつ流麗な音色の指揮ぶりで有名だった。このフィラデルフィア・サウンドという言い方に、オーマンディは「オーマンディ・サウンド」といって欲しい、といったようだ。そりゃそうだ。彼だけがあの音を作れたからだ。後続のリッカルド・ムーティーにはできなかった。いや、やりたくなかっただろう。

実のところ今の我が家にオーマンディーのディスクは一枚もなかった。理由は簡単で世の中ゴマンとオーマンディーの録音があったからだ。特に廉価版狙いだともうそれはそれは。それで安っぽい指揮者だと思ってしまう。特にCD初期の廉価版はすごかった。そして実際聞いてみると、とにかく明るい。華麗というのは確かだが、明るいのだ。この明るさに日本の評論家はケチをつけた。彼らにドイツ文学者が多かったというのはあるかもしれない。そういった刷り込みはある。

実家には多少あった。ただ近現代ものしかないというのが特長だ。だから、まだこの指揮者のディスクが売れる理由がわからないのだ。

真面目に「フィラデルフィア・サウンド」という言い方は、ポップスオーケストラに冠された言葉だ。あの音色では確かにそう言いたくなる評論家がいてもおかしくないし、そうなのだが、それではなぜ未だもってオーマンディーは聞かれるのかだ。もっと思索的で演奏も完璧なものがあるはずなのだ。そちらがラジオから流れてくるのが普通ではないのか。

その前に彼のことはアメリカ人だと思っていた。だがウイキ程度で簡単にわかった。ハンガリー人だったのだ。オルマーンディ・イーェネと本来は読むらしい。ブタペストでデビューしてこれからという1921年にアメリカ演奏旅行に行くが、どうもプロモーターにだまされたらしい。

今でこそアメリカはクラシックを持っていると大きな顔をしているが、第一世界大戦前までろくな演奏家がいなかった。レベルが低いのをなんとかしようと大学教授の資格と破格の給料でブラームスを呼んだところドボルザークが来てしまって、名曲がいっぱいできたというオマケもあります。なので一流の演奏家は金稼ぎにヨーロッパからアメリカに演奏旅行に行ったわけです。アメリカはとにかく飢えていました。だからいくらでも金を積んだのでしょう。ふさわしいホールもカーネギーが作ります。そういったパトロンにも恵まれています。

そういった状況ですから、新進気鋭のオーマンディはのっかたのでしょうか。結果スッカンピンになってしまいました。そこでアメリカで仕事を探すのですが、そこはオーマンディ。ニューヨーク・キャピトル劇場オーケストラのバイオリニストになって、すぐにコンサートマスターに。そして指揮者急病で代役になってからメキメキと頭角を現し、トスカニーニの代役をこなし、フィラデルフィアにいたストコフスキーと共同指揮者になり、38年に首席指揮者になる。

アメリカンドリームだね。1984年間までフィラデルフィアフィルと関わる。

こうして経歴を書くのは、オーマンディはアメリカとヨーロッパを橋渡した多分最初の指揮者なのだろう。しかも帰化した。ヨーロッパを引きずって苦労した音楽家はいっぱいいる。オーマンディーはその点では幸せだったかもしれない。

ものすごくわかりやすくかつ音が美しい。だから今でもラジオから流れるのだろう。ただ彼はものすごく苦労したと思う。当時のアメリカ人に受けながら自分を通すという困難があったと思う。そこに普遍性があるのだと思う。そして難解なショスタコービッチまでわかりやすく演奏してくれる。そういった保守的なアメリカ人をなんとかしたいような気がする。

ということでこの20世紀オーマンディーですが、オッソロシイほど曲がギチギチに詰まったセットでした。安いからいいかと思って「CDのみ」というのを紙ジャケットまで捨てているとは思わなかったわけで。そして一枚のCDにどこまで録音できるかを追求したフシがあって、ギチギチですからレーベル面にも細かい曲名を書けないわけです。

買い直すという屈辱ですが、まあいいや。

ここまで近現代曲の名曲を網羅したものもないです。さすがオーマンディーなのですが、ブリッジなのでイージーリスニングにも使えますし真面目にも聴けます。そして深さもある。オーマンディーについてくるソリストもいい。だから一番最初に聞いたほうがいいクラシックの指揮者になるのだろう。だから廉価版であんなに出ていたのだろう。

 

オーマンディーのスタンダード感はすごい。そして同じようなアンセルメもブーレーズもここまで幅広いレパートリーはない。ワルターもベームもない。ここがオーマンディの最大の美点だろう。

過小評価していた自分が恥ずかしいです。

 

2015ガマ合戦エイプリルフール

2015-04-02 02:22:55 | ガマ合戦

 

今日の日中は8度から3度と肌寒い天気だった。一日雨でもあった。18:40から19:20の観察だが撮影しているときは3.5度だろう。それでもカエルたちは戦いに向かうのであった。

 

 

戦いといえば安倍首相の「我が軍」発言だが、ホントにステロイド剤の副作用だと思う。困ったものだ。

山本七平の「空気の研究」を読み終えた。大変に読みやすく、大変にくどい本だ。というのは当たり前のことを当たり前じゃないと言うためには、とにかくくどく何度も話さなければわかった気にすら人はなってくれないからだ。

その「空気」は確かに右の傾向がある。だが「空気」のうつろいやすさというのは知っているはずだし国際政治上の問題もあるとわかっているのにしょうがない。生活の忙しさに大多数の人は「そんなのどうでもいい!」と思って、投票率に「水を指し」続けている現実を見たほうがいい。

なにか身内だけの「空気」があたかも全体の空気であるかのように考えているのかもしれない。そもそも「八紘一宇」の精神があるなら、なぜ「アジアインフラ投資銀行」に参加しないのか?イギリスとドイツが加わった時点で中国主導とはいかなくなるだろう。ああそうか、「八紘一宇」は中国からは嫌われているからな。そもそも日本主導の「八紘一宇」そのものが問題であったのだが。

私は別なところで憤慨している。自衛隊は確かに軍隊であるが「自衛隊」という組織である。これは言ってはいけないという「空気」があるものだ。それをアッケラカンといってしまう粗忽さもそうなのだが、首相官邸のシビリアンコントロールがあるからといって、自衛隊は安倍首相のものではない。「我が軍」という言い方は頭の悪い独裁者の使う言葉だ。「我が国の軍隊」もしくは「国民の軍隊」でなければいけない。

安倍首相のものではない。そもそも物ではない。日本のものであり日本人のものであり、ほとんどが日本人で構成されている組織だ。それは日本の一部であり、特定の人の所有するものではない。

ここが問題だと思う。戦前の軍人が「我が軍」というのは正しい。それは自分の所属している部隊だったり自分が大臣だったりする場合はそう言っても差し支えない。戦前だったら憲法上この言葉を言って差し支えないのは天皇のみだ。戦前の首相でこの言葉を使うのは軍出身者だけだろう。それでも使わないようにしているはずだ。「皇国の軍」とか言い換えはある。

真面目に、近衛内閣みたいになりつつある第2次安倍内閣のオチョコチョイがなんとも不安だ。

 

 

オスのカエルは、こうして何にでもしがみつきます。気がつくのに時間がかかるのがカエルならではです。まあ男も似たようなものですな。

 

 

今日は陸上に8匹、そのうちつがいが二組でした。ビオドープの方には7匹、つがいは一組でした。昨日まではビオドープは陸上に換算していたのでそれに従えば、15匹、3組です。

 

 

池にはかなり集まっています。とはいえ昨年の半分以下でしょうか。57匹でした。うちつがいは11組です。

 

 

池の脇のオーバーフロー穴から顔を出すカエルです。実はこのシーン初めて撮影できました。この中にいるのはわかっているし、誰もがそうだろうとわかっているのですが、証明できないんですね。多分中で交尾もしている。

カウントできないのが問題でした。とりあえずいるというのが証明できました。

管理者だったらこの上の覆いを外せるのですが。

 

 

今年は本当に鳴き声もありません。今の所ガマ玉の発生も目撃していません。ある意味正しい数なのかもしれません。

 

 

見よ、このイボを。これぞガマガエル。

 

 

カエルたちの運命やいかに!