どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

怒るとろくなことがない

2015-04-27 20:08:05 | 日記

 

25日に野球を撮影したのだが、コールドゲームということでろくな写真が無い。ゲームは日曜もあるから撮影しようかと思った。そして帰り道に響に寄れるからいいかと思った。その程度だったら大丈夫だと思った。

本当は泳ぎに行くつもりだったのだが、風邪気味でやめた方がいいとなった。そして撮影もどうかとなったのだが、行ってしまったのですな。

 

 

県営球場そばの山桜は、まだ咲いています。ここは風が強い場所なので、少し寒いのでしょう。

 

 

撮影前にツルハドラックに寄って風邪薬は買っていたのですが、効きはイマイチな感じです。

さて毎回このアングルから写真を撮っています。今年はどこが違うのでしょうか。オタノシミください。

 

 

野球といえば、この名残が好きです。合理的とは言えませんが、戦いの後を掃き清めるようで、清々しいです。

 

 

風邪を引いた理由は明らかに過労でしょう。その兆候はあって、おととい村上春樹の「1Q84」を読み終えてしまいました。暇つぶし用に買っていたのですが、読み始めて止まらなくなるというときは、大概体調が悪い。

あと私はフィクションが読め無い人だ。小説は1950年以降の作家だと村上春樹しか読め無い。あとは大藪春彦だろうか。ミステリー系は読まないようにしている。のめり込むのがわかっているからだ。

そう、50年以前だとリアリティがイマイチ無いからのめりこめるのですが、中途半端にリアリティがあるのはどうもダメなようです。一時期ガルシア・マルケスにハマったみたいな、あの徹底したフィクションが大切なのです。

 

 

めったに無いことなのだが、「1Q84」の天吾の造形は良かったですね。共感できました。アルアルです。体がデカイだけで世間の思惑で翻弄される少年期を過ごし、繊細というところを誰も理解されていない人物は散々見てきましたので。

体が大きいということで社会的役割を押し付けられてきた、というフシがある人はいっぱいいます。

とはいえ天吾は欠点がなさすぎて、困ったものです。

 

 

そういえば村上春樹の「村上さんのところ」というサイトが人気だ。そこの「原発NO!に疑問をもってます」というページに、ニューズウイーク誌上でジャーナリストの池田信夫氏がコラムで突っ込んでいる。

ただ理解できないのは、池田信夫氏がジャーナリストとしてどういった立場にいるのかということだ。優秀なジャーナリストなのは間違いがないが、なにかが弱く、今現在ではネトウヨから攻撃対象になっている。抑えられているとしても、時々ヒステリックな感じがする文章が多い。

この二つの噛み合無い議論は何があるのかといえば、ジャーナリストの驕りだろう。1次情報を持っているというものだ。

社会を敏感に感じられる小説家に、閉じこもるな社会に発信しろといい続けたのはジャーナリストたちだった。ところが小説家が発信すると、そんな情報の根拠の薄い感想でいいのか!と叩きまくる、そういった光景はいくらでもありました。同じ景色を見ている気がします。

ただ村上春樹が見た風景を説明するためには、時間がかかるわけです。小説家ですから、まだその時間は足り無いわけで、この程度で絡むのはどうなのかと、おかしい気がします。

私自身は、福島の事故以降原発推進派です。理由は経済合理性があるからです。電力会社は、全廃炉を目指して広く浅くお金を集めてもらいたい。いきなりやめるとシステム的にとんでもない金額が家計にくるわけです。

ただ、万が一事故が起きた時の保障がないというのが今回わかったわけです。それが15万人の避難民の話だと思うのですが、そういった想定を出来なかった社会というのはなんなのかというのを考える必要があるわけです。驚くほど科学的ではない避難地域指定とか散々見てきました。そして事故直後の原発職員の奮闘も知っています。

ただシステム的に何かおかしい、そう村上春樹はいっただけだと思うのだが。

 

 

実のない話です。

 

 

 怒ると風邪をを引く。