どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

今日もまたとりとめもなく

2015-04-21 01:46:47 | 日記

 

ようやく写真整理のめどがついた。400点程度を整理するだけだ。とはいえ明日500点は撮影することになるのだろう。ROWデーターなんてやってられない。今回少しあったが、重要なところ以外では必要がない。

以前から気になっていた倉庫だ。古いのだが手入れがされてある。修繕もされているようだ。そして桜も美しい。誰が所有しているのだろうと思ったら、あの三田商店だった。知る人ぞ知る盛岡の優良企業だ。ここは古い物件の管理で有名だ。資産というものの本質を知っている。

 

 

やはりなんのかんのと忙しくて、ネタ用に撮った写真がいっぱい余ってしまった。土曜から月曜まで結構残っていた。そこでここで出してしまうが、いつも書いている内容と写真が違うのが当たり前な当ブログにしても違和感がある。

なぜなら竹の子を買う話だからだ。土曜日に干し椎茸を買った。この時期にはどんこの干し椎茸の、かなり小さなものが出る。ハウス物の走りを干したものだ。規格外のサイズになりやすく、安くてうまい。あと一人暮らしには小さなサイズが丁度いい。特に白い色の花どんこが混じっている率が高い。だから買ったのだが、昨年の在庫がある。だから竹の子と椎茸と鳥の煮物を作ろうとなったわけだ。

 

 

椎茸は前の夕から戻した。ただどんこは戻りが遅い。ぬるま湯から始めるというズルをしたが、軸までは戻っていなかった。

竹の子を買うのだが、最近では米ぬかが付いてくる。一個600円と高価な食材でもある。そしてなのだが、大きいのを買ったつもりなのだが、やっぱり鍋に入らなかった。4人前の土鍋でようやく浸るくらいだ。

何年か振りで竹の子を炊くので、何かすっかり忘れている。手順をネットで調べると出てきた。あ~コレコレという情報が出てくる。少し前の玉石混合ではなく、割と早めに確実な情報が入るのは、集合知の成長なのだろうか。クックパットのようなレシピサイトが興隆する中で、その中に書けない基本的な下ごしらえの作法が細かく載っているサイトが出現するという展開が、面白い。

 

 

作法通りにやっても竹の子がでかいので、かなりてっぺんを切った。てっぺんの薄い皮も美味しくいただけるのでもったいないのだが、今回は煮物だ。容赦なく切る。縦に目を入れて土鍋で水から2時間炊いた。そのまま冷やして皮をむくと、18センチの鍋でも大きいくらいの、小さな竹の子が出てきた。そう毎回なのだがこのサイズの変貌には怒りすら覚える。努力と時間の結果は、この小さな塊のためだったのだ。

それでも生から炊きたくなるのが竹の子なのだが、竹の子を炊いているのか皮を炊いているのか、よくわからなくなる。

近くの農園のてっぺんが、シバザクラだったと初めて知った。

 

 

美味しそうな雉を発見しました。こいつを見つけたから竹の子を食べたくなったというのはある。

私は煮物にはほとんど砂糖を使わないのだが、今回は大さじ3杯も入れてしまった。なお鍋の容量は3リットルなので、やはり少ない。

かなり美味しくできました。

 

 

煮物を作りながら写真を撮りに行く。雨と桜は風情のあるものだが、桜の華やかなイメージが合わないのか、使ってくれない写真になるのがわかっている。

 

 

梨だったらいいのかといえば、どうなのか。

梨花一枝春帶雨

少しくらい。



「ハルサイ」祭りもようやく終盤になった。かなり面白い結果になりそうだ。何しろ作曲者が指揮が面倒なので、変拍子から4拍子に変更した版を作ろうとしたほどだ。5管編成のオーケストラも複雑で演奏困難。それがどう変化して行ったのかという面白さがある。

今週中には整理できればいいと思っているが、多分誰もがわけわからない表現しかできないだろう。

このデッカのボックスセットを買ったのは、実はワーグナーのリングでの仮説、表現に技術が追いついていなかった、というのがあるのではないのかということだ。それを簡単に傍証するとすればこのセットしかなかったわけだ。

どうなることやら。

 

 

雨の日の風景も、もう少し考え直してみよう。雨の日のくすんだ色も、技術的にはそれなりにできるはずだ。