どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

高校野球1

2011-07-20 00:21:11 | インポート
なでしこジャパンの、悲惨な競技人口について考えたが、次は日本最大の競技人口を誇る高校野球を考える。
昨年甲子園をチラっと見ていたのだが、明らかに選手レベルが下がっている。自由でのびのびしているとも言えるが、エラーや注意不足、チームとしての一体感は確実に10年前より下がっている。
一見すばらしい言葉に聞こえる、投手戦や打ち合いみたいな言い方は、実はこの裏返しと考えている。昔だったら地方予選みたいなのだ。しかも準決勝あたりが現在の甲子園になっている。
この理由は、間違いなく昔通りのやり方がうまく機能していないからだ。殴る蹴るや陰湿ないじめなどがあった過去をどうするかで、父母会が過剰に介入し監督が萎縮し、更に旧世代の監督がそれで引退し、更に野球留学(越境入学ですね。他のスポーツではまだまかりとおっているようですが)を制限しまくり、特待生や企業(企業ですね球団も)のスポンサードも否定され、構造不況そのものの状態になっている。
更に野球は練習でスポーツをやり、試合はゲームであるという特性がある。正直な所試合でどんなに体力を消耗しても、ピッチャーでカロリーメイト一箱のカロリーしか消費しない。外野手がゲータレードをがぶ飲みしたら、試合でのカロリー消費量は帳消し。
運動負荷がとても小さいのだ。結果練習では長時間の反復練習になる。競技としてポジション別であるため、全体練習をどうするのかがきわめて難しく、ポジション別の個別練習の集合体が練習になる。
体力を増すとかのメニューは、イジメと受け取られかねないから技術主体に移っている。が、今度は練習時の隙間を(シートノック練習を考えて欲しい。一人でノックして1塁からはじまったとしても全部が終わってまた1塁に戻る時間はどのていどあるのか?少なくとも心拍数を整えるには十分すぎる時間だ。しかしシートノックする人間がヒートアウトする)どうするのかだ。技術収得の反復練習が多くなるので当然時間ばっかりかかる。集中した練習なんか出来ない。試合が練習と言われているのはこのためだ。
それではレギュラーメンバーに十分な練習時間を与えるためにはどうするべきか。シードノックできる人が2人いて次々と打てばいい。こんな感じで、練習のために必要な人がどんどん積み上がる。シートノックは誰でも出来る事ではない。ライトに打つと言ってライト打てる人が必要だ。更に試合前なら、気持ちのいい打球を作ったりする。
リアルで、9人いれば出来る野球だが実際は交替要員含めて最低27人いないとチームにならない。
こっからが厄介なのだが、実際強いチームはその練習のための要員がいっぱい必要になる。特に連勝を考えているチームだと最低50人以上必要になる。100人なんてザラだ。
そうすると何が起きるかは、今まである不祥事事件がある。努力しても報われない欲求不満な子がいっぱい出来る。しかも野球ばっかりの世間の狭い子だ。それが問題を起こしてしまう。個人的にダルビッシュの喫煙事件は、相当贅沢な話しだ。
実は野球の練習があんなに一生懸命なのは、ヒマな時間がないように努力しているからなのだが、実際は相当ヒマだ。そこをどう詰めれるのかが監督なりコーチの力量なのだが、現実的にヒマな合間にだらけやすい選手が出来てしまうのだろう。それでは締めるために鉄拳とかも出来ないし、言葉も失敗するとパワハラになるし、それでは善導出来るかとか科学的な手法は出来るかとなるが、そこまで高校生は甘くない。それではなく、自分のモティベーションが高くなるチームがベストなのだ。個人主義の子供たちで今までのやり方でどうすりゃいいのが、見える事だ。
正直な所、日本の高校野球はシステムがおかしくなっていると思う。社会に対してあまりにも大きくなったので、ゆがみがあったのにそれを放置せざるを得なかった(アマチュア憲章の縛りは確かに異常にきつい。大学野球のポスターで神宮球場のコマーシャルをモザイク処理した写真を使っていた。プロ経験者が高校野球に関与出来るようになったのは最近の話しだ。それでも縛りはきつい。唐突だが巨人の罪は深い)。父母会や地域からムチャクチャになっているのが高校野球だと思う。そこに人口減が加わって今後どうなるのかが解らない。ただ現状は選手をただ甘やかす形になっているのではないかと思う。
いろいろくどく言ってきたが、自主判断が限定されている、つまり監督からの命令が大きいスポーツは、基本的にスポーツじゃないと思う。それが野球だ。正直な所現在の高校生のニーズにあっていない。
実は、近いうちに高校生のサッカー人口と公式野球人口は逆転する見通しがある。これは当然だ。自主判断の領域があまりにも違うからだ。