ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2022-81 三連休、初メロン、農作業の巻

2022年07月20日 | 日記
昨日の夜は雷雨。この時期、雨の合間にやることが多い。

先ずは雨で伸びる草取り。そして2週間に一度の割合で追肥。

ジャガイモ掘り。これは晴天でないと芋が乾かず傷むのだ。

そして瓜科のうどんこ病対策。菌が蔓延して茶色の斑点がついてしまう。
そのための薬かけは欠かせない。

そしてメロンやトマトの熟したものの収穫。雨に当たると表皮に割れが生じる。

困ったのが今年はメロンやスイカの生育が1,2週間、遅いのだ。
6月の冷害がたたったのか。

ようやくこの週末にメロン10数個収穫。昨年に比べ3分の1程度の数量だ。

天候をみながらの一連の作業。一気に色々な作業をやらねばならない。

暑い中、汗をかきながら農作業に精をだす毎日が続く。






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2022-80 岩手の新聞 昔と今

2022年07月17日 | 日記
小雨の土曜日。
所によっては局地的大雨で被害にあっている地域もあるようで被害が少ないことを願っております。

先人記念館でのシリーズ学習会。今回の学習会は「岩手の新聞、昔と今」
結構知らなかったことがあり、学ぶことが多い学習会だった。

岩手の新聞は1876年明治9年から145年の歴史があるのだった。当時は8社。
今は岩手日報、一関の岩手日日、奥州の胆江日日、大船渡の東海新報、盛岡のタイムス
青森八戸のデリー東北と6社。震災で釜石の岩手東海新聞は現在休刊。と全国紙がある。

現在、日報は18万部数、全国紙は3万部数、あるという。

さて地元で圧倒的な部数を誇る日報だが発足当時、強力のライバルが岩手毎日新聞。
大正元年時、発行部数、日報4060部数、岩手毎日4700部数だったと。
当時の新聞は1部、1000円と高価だったようだ。
創設者は県会議員で衆議院議員の高橋かたろう。
どちらも資産もちである銀行がついている。日報は盛岡銀行(金田一)毎日は岩手銀行。
そして高橋は4才下の原敬の政党に属している。つまり原敬は毎日新聞側であった。

当時の原敬は60になったら政界を引退し、夏は盛岡で冬は鎌倉の腰越に住んで政治史をかくつもりだ。
その時新聞がないと困るから、と毎日新聞援助の理由を語っていたそうだ。

しかし原敬は1921年暗殺され、その後10年後、銀行は世界恐慌にあおりで
新聞社から手引き上げ、両社ともとじてしまう。
しかし、日報は分裂したあと有志が集まり再建。今の日報の前身となるのだった。

戦時中は1県、1新聞という政策にと聞く。
そこで日報に全国紙の方も加わり合同新聞となったようだ。

設立から戦前、戦中まで、知らない当時のことを知るよい機会であった。



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2022-79 選挙の後・・猫の話

2022年07月11日 | 日記
参議院選挙が終わった。結果は予想通りだった。
ただ以外だったのは本県の結果。30年ぶりに自民へ。
女性候補が善戦。
予兆は昨年の10月末の衆議院選挙に見られた。
小沢氏が地元で初敗退。
その後の総括は野党連合に厳しいものであった。
結果で負けて、その後の対策でも負け、今回の選挙にまでこれが引きずっていた。

先週、東京近郊へ
友人宅に2泊、1日は猫好きな友人宅へ。保護猫等預かり、いつの間にか9匹とか。
全てに名前を付けていた。
たろう、こたろう、etc。ねこたちは自分の名前がわかっていると。
3年にわたって飼育して今では13歳をトップに10歳まで。はやり、一番上がしきっているようだ。

では我が家の猫等は
キジトラの先猫が4,5キロ 1年前7月の七夕に拾ってきたシルバーの猫が1歳で3,5キロ。
立派な名前はいつの間にか簡単なクロとシロになっていた。
1歳になるシロはなめるのならいいが何でもかむ癖がある。
ただいまはあまかじり状態だ。
しょっちゅう2匹で頭を横にしてにらみ合い取っ組み合いのケンカをしている。
しかし、ねこずきの友人曰く
「じゃれて遊んでいるんだよ、心配ないよ。」と。
それならいいのだが。・・・

たわいもない猫の話でした。







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2022-78 二年八カ月ぶりの4日間の旅

2022年07月08日 | 日記
今週の4日間、東京近郊へ出かけていた。
実に2年8か月ぶりに新幹線を利用した。
2019年の11月の和歌山でのマスターズ全国大会が最後であった。
本当に久しぶりということを痛感したのが駅のキヨスクでの買い物。
コロナ感染予防対策なのか無人販売になっていた。
東京駅に降りて東海道線の踊り子で熱海へ。
駅が綺麗になっていた。
そして地名を表示部分が英語の他に中国語や韓国語も表記されていた。
以前にはなかったことだった。オリンピックで外国人の受け入れのため国際化されたのだろう。
しらないうちにこのように変化されていた。
さて熱海で姪と会う約束をしていたが何度連絡しても携帯が繋がらない。
焦った。すでに到着はしているのに連絡がとれないのだ。
実家に連絡して、全国的にAu回線が不通になっていたことを知った。
しばらくしてにメールが届いた。ようやく連絡がとれ無事会うことができた。
熱海の海岸で食事をとり、オンラインで母と姪と会話を楽しんだ。
その後、あの伊豆山に向かった。
1年前に土石流で多くの方々が犠牲になった地域だった。
まだ土肌がむき出しになっていた。
そこのバス停近くの建物には当時の被害の状況や今までの進捗状況が掲載されていた新聞がはりだされていた。
まだ市との和解が進んでいないようだった。

久しぶりの再会。前日までは40度近い暑さだったそうだ。
その日は薄曇りで割と涼しかった熱海であった。(続く。)



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2022-77 安倍元総理の悲劇

2022年07月08日 | 日記
 今日7月8日、昼の11時半近く、奈良県内で選挙応援中に凶弾に倒れ亡くなった。
皮肉にも父の晋太郎氏と同じ67歳だった。
丁度、ラジオを聞きながら、スイカの玉回しと色棒を立てる作業をしていた時だった。
午後は暑くなるので午前中に済ませようとした。
玉回しとはすいかの実を下を上に回して均一な色を付けようとする作業だ。
また大きさによって青棒や白棒をさして収穫時期を見定めることも必要なのだった。
なぜなら、すいかの葉が生育がよくて実が隠れてしまい、適切な時期をのがしてしまうからだ。
汗だくだくで2時間近くやっていただろうか。
そんな時、信じられないニュースが飛び込んだ。元総理が倒れ、銃声が聞こえたと。」
あわてて仕事を終え、家に戻りテレビをつけたら現場の映像が流れていた。
心肺停止状態で緊急にヘリで病院へ搬入されたと。

こんなことが銃を持たない安全な日本で起こるとは信じられないことだ。
しかも今は2022年なのだ。
およそ100年前の1921年原敬が東京駅で刺殺された時と同じ出来事だ。
しかし、時代背景が全く違う。戦後の民主主義社会の中で起こった悲劇だ。

元自衛隊員で改造銃で狙ったようだ。爆弾など爆破物もみつかったとか。

安全な国家というものがゆらいだ今日の出来事だ




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