ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2017-6 歴史散歩・・盛岡北部

2017年01月19日 | 日記
今年度受講している中で楽しみな講座の1つが歴史散歩。
今日は盛岡北部。


 東北本線が開通したのは明治24年上野青森間が開通したのだが

①中心の盛岡駅はどこが候補地だったのか? 

 実は盛岡駅は当初仙北町駅が第1候補だったと。
 しかし当時の町民の東京から変なものが入っては困るという理由から
 大反対にあってなにも無い原っぱの現在の場所に決まったという。

②盛岡北部では明治39年に滝沢駅が設置されたがなぜ人が少ない所にできたのか。

 農林省の研究施設があったからだという。


③北厨川地区から南北に走る国道(現国道4号線)は藩政時代なんと呼ばれたか。

 奥州街道。と参加者誰もが答えたがこれは意外で鹿角街道。

 1里塚が上田。そして緑が丘のアネックス川徳にあるとのこと。
 ここから北上していくコースが奥州街道であったとの講師説明。

 秋田県の鹿角は南部藩領だったと。今では4号線で松並木道もあり主線道であるが
 歴史的には緑が丘から松園そして渋民に抜けるコースであったようだ。

 このように昔の盛岡を人物や事件、物事などがからまって意外な点を知ることが
 魅力の一つでもある。

 
コメント
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