へびのように賢く、はとのように素直であれ

いつの頃か、偽善が世の中に満ちている。偽善は見破らなければならない。へびのように賢く、はとのように素直でありたい。

デーヴィッド・アイク ニューズレター、2009年5月3日号 1

2009-05-18 11:13:54 | Weblog

デーヴィット・アイクのこの文章は、
ある意味で、一つの悟りである!!
良く読んでほしい。
良く読んで、得心いけば、怖れなんか無くなる!!



 このレターを読んで、溜飲が下がる人は投稿者だけであろうか? そんなことはないはずだ。そうでないことを祈りたい。


 豚(いつの間にか新型に変更されたが...笑)インフルエンザに、乱痴気騒ぎをしている多数の人もこれを読めば、きっと、落ち着くはずだ。我々は、アイクの言うように踊らされている。
 踊る人にも、理由がある。自分の本性を忘れて、奴隷化しているからに他ならない。


 アイク程でなくても、自分に誇りと自信を持とう。生命の偉大さに、永遠性に自信を持とう。誰にも支配されない本質に気づこう。人間は、大いなる意
識に直接繋がった存在なのである。誰かに繋げて貰ったのでもない。始めから繋がった存在なのであり、その関係は誰にも邪魔をされることはない。但し、邪魔をされたい人は別なのだ!!



【転載開始】


デーヴィッド・アイク ニューズレター、200953日号


「なぜ僕たちはこんな風に生きているの?」…



… 「毎日がその繰り返し」


みなさん、こんにちは


今週は私の誕生日で35歳になった。私はいつも35歳で、35歳が好きだ。他にもっといい何かが出てこない限り35歳のままでよいと思う。[訳注:アイクの誕生日は1952年4月29日]


誰もが私を57歳だと言っていた。新聞の「今日の誕生日」欄にそう書いてあったし、いくつかのラジオ番組でも「陰謀論者デーヴィッド・アイクが57歳です。」とか「元BBCの司会者で、その後おかしくなってしまったデーヴィッド・アイクが今日57歳になりました。」などと言っていた。


私は57歳じゃない。仮に年齢などという数字が必要だとすれば私は35だ。もちろんそんなものは必要ない。でもひとつ数を教えるとしたら、それはプログラムされた慣習ではなく、自分が選んだものだろう。だから私は35歳だ。


「まさか、35歳のわけない。髪は白いし、シワだらけ、それに、昔ビートルズの最初のヒット曲を買ったって言ってたでしょう。少なくとも50に違いない。」


悪 いが、私は永遠に35歳で、それでなじんでいる。あなたが自分のことを”80歳”だと思っているなら、私はあなたの為に抗議するだろう、違いますか。人生 はがっかりするものでもある。年をとることを誇らしく思う人もいれば、不名誉だと思う人もいる。少し年をとることを別にすれば、私の気持ちは後者の人々と同じだ。年をとるのはうんざりで、ただ不名誉なことと思うだろう。ああすっきりした。



35にしては悪くないでしょ


人々がこれほど年齢に取り憑かれているのは面白い。多くの人が最初の21年間は歳より上に見えるように努め、その後は若く見えるように努力する。それからクイズ番組に高齢者のご婦人が登場することがある。


「おいつくですか?」司会者が言う。


「今度の誕生日で88になります。」という答えが返ってくる。


私はいつもそれに続く反応が実に奇妙で困惑するものだと思う。観客は自然と割れるように喝采する。なぜ?彼女が死なないでその歳になったから?それはどういう種類の達成なのだろう?そうなっただけだ。自殺するとか何か犯すことなく何かやったのだろうか?


「生命が奪われることなく88歳にもなったことは素晴らしいことじゃないか、ブラボー…」


彼 女がもし人生でかなりいいことをしたとか、88歳はこうあるべきという決まりに従って生きたり、行動することを拒否しているというなら、手をたたいて「よ くやった」という価値もある。ところが88でただ生きているだけだって?ウ~ありえない?そんなことを言うのは多分私だけだ。私は好きな時に変人になれる。そして常にそうありたい。


他にも例がある。「その歳じゃそれは出来ない」だ。えっ本当?私を見て欲しい。両親が自分の子供に、あれやこれをするのにはまだ幼すぎると言い、後に子供が両親にあれやこれをするには年を取りすぎだと言っているのを耳にする。


年齢は多くの基準にされているプログラムの1つに過ぎない。そしてこのプログラムの異なる地点のソフトウェアを持つ人々は、そのプログラム上のステージではどのように生き、ふるまうべきか言われることで別のプログラム上にとどまるのだ。そのように回っている。



もう60だ。人生はおしまい。マニュアルにそう書いてある。


冷静になり、一歩下がって我々が「人生」呼ぶものを観察すればするほど、我々はコンピュータプログラムと同等のものの中で生きていることがより明白になる。
我々は自分の独自性を諦めてそれに譲り渡す必要はない。しかし悲しいことに、ほとんどの人がそうしている。今週私のウェブサイトにひとつの歌が投稿されていたが、そのことを切実に言い尽くしている。聞いてみて欲しい。(Brett Dennen-Ain’t No Reason)


我々はどうしてこんな風に生きているのだろう?毎日そうしているのだろう?我々が囚われる必要のないプログラムに囚われていているからだ。歌は次のように始まる。


物事がこんな風なのに理由なんかない。

物事はそうやってずっと変わらない。そしてこの先もそのままだろう。

なぜ僕たちがこんな風に生きているか、僕には説明できない。毎日がその繰り返しだ。


実 は説明できるのだ。本当の、永遠の”自分”である我々の「大いなる意識」は、我々が「マインド」と呼ぶ、あるいは私が「知的マインド」と呼ぶ経路や橋渡し 役(インターフェイス)を通してこの現実を経験する。なぜなら我々はみな同じ1つのものに繋がっているからだ。我々はその異なる表現にすぎない。それは同じインターネットに接続された複数のコンピュータが、別のウェブサイトを開いているようなものだ。


このことを次のように考えて欲しい。インターネットに接続したいのにできないとしたら、ワールド・ワイド・ウェブ(www)を体験することが可能なルートやインターフェイスが必要になる。このインターフェイスをコンピュータと呼んでいる。そして「知的マインド」は同じことを限りなくより高度な規模で行っている。


身体と「知的マインド」は本質的に1つのユニットであり、これらがこのわずかな周波数の範囲であるこの「世界」を経験するための乗り物を提供することで「大いなる意識」に仕えるなら、すべては良好だ。しかし我々が自分を「知的マインド」だと考えるようになると奴隷状態が始まる。


そしてもちろん、ほとんどの人々がそう”考えて”いる。「考える」の一語に尽きる。なぜなら我々は自分自身を自分の思考と同一化し、思考が自己を支配することを許すからだ。フランスの哲学者ルネ・デカルトは自己をこう定義している。「我思う、ゆえに我あり」。



し かしデカルトは我々がマインド、あるいは「知的マインド」であるという幻想をもたらした。そうではない。我々は「大いなる意識」だ。それは思考しない。そ れは知っている。そして我々に直感を通して話しかける(我々は独り言をいう)。「我知る、ゆえに我あり」がより正確な言い方であり、「我あり、ゆえに我あり」だと尚いい。


頭の中で際限なくおしゃべりをして考えるのが「知的マインド」だ。そして自分が「知的マインド」だと考えているなら、我々にそう言っているのは「知的マインド」だ。あまりに多くの知覚レベルでこの現実が操作されたおかげで、「知的マインド」は、その中で独り言をいう閉じた回路になってしまった。それは自分の尾を飲み込んでいる蛇のようにグルグル回り続ける。



一 旦この状態に陥ると、我々のすべての観点、注意力は「知的マインド」の世界だけを知覚するようになる。そして我々は「大いなる意識」の欠落したマインドで できた世界に住む、マインドでできた人間になる。世界規模の陰謀の中核と基盤はすべて、人々を「知的マインド」に留め、よってより広い意味での無意識状態に留めるように設計されている。

→2に続く


デーヴィッド・アイク ニューズレター、2009年5月3日号 2

2009-05-18 11:13:39 | Weblog
→1より続き

「知的マインド」の知覚はコンピュータのようなもので、規則や規定、行動の反復を好む。行動を見るだけで「知的マイ ンド」に著しく支配されている人を特定できるのはそのためだ。絶え間なく繰り返しているか?決められた行動から安心感を得ていて変化がない?ヒエラルキー に服従する?「知的マインド」はヒエラルキーやシステムが大好きだ。


あの歌で問うていたように、なぜ我々はこんな風に生きているのだろう?それは人々が「知的マインド」の操り人形だからだ。



インターネットに接続すると、突然コンピュータが乗っ取り、どのサイトに行き、それをどう考えるか決めるとしたらど うだろうか?これと酷似したことが起きている。そして注意力と焦点が「知的マインド」の中にあるため、我々は自分を「知的マインド」だと考え「知的マイン ド」が支配する。


ほ とんどの人があまりに予測可能なのはこのためだ。「大いなる意識」はすべての可能性であり、一方「知的マインド」はそのプログラムに書き込まれた可能性の 限定的な意味を認識するだけだ。従ってマインドでできた人々は必ず、「知的マインド」の基本状態である怖れによって支えられた自我と「生」の限界について 考える。大衆を操る人々は、このことをすべて理解している、そしてこの知識を容赦なく用いて世界中の人々を、私には出来ない、ちっぽけな私、怖れといった限界に陥れるのだ。


先日私の息子ジェイミーが学校から帰ってくるとこう言った。「パパ、豚インフルエンザって一体何のこと?」


「なんできくの?」と私


「だって学校じゃ、みんなそのことでビクビクしているんだよ。誰かがクシャミをするたびに、みんな顔を見合わせるの。」


最 後に調べた時、発生源らしいメキシコは、その子供たちが住んでいる英国南部のワイト島から5,000マイル以上離れていた。執筆中、メディアがメキシコで は人口1億1千万のうち160人が死亡したと言っていた。しかし水曜日に世界保健機構(WHO)の患者安全向上プログラム担当のヴィヴィアン・アランは、メディアがその時152人と伝えていた一方で、死亡者は世界中でたった7人だと言っていた。


神経外科医で作家、講師、ワクチン専門家のラッセル・ブレイロック博士は今週、メキシコで死者が出た理由を「人口の 過密さ、栄養不足、全般的に弱い免疫力」に求めることができ、「メキシコにはこれらの条件がすべて揃っている…そして[これらは]…ほとんどあらゆる感染 症から死にいたらしめる確信的処方である」と述べた。



豚がインフルエンザで頓(トン)死した。


世界の人口は70億に近づいているが、WHOによれば、私が執筆中の段階ではまだ、「メキシコの豚インフルエンザ」だと公式に確認された患者数は世界中で257人、8人が死亡、メキシコで7人、アメリカで23ヶ月の乳児が一人だ。


当然この数は増えるだろう。しかし毎年多数の人々がいずれにせよインフルエンザにかかる。違いはその知名度の大きさだ。


週後半の世界の状況は次のようになっていた。


WHOは木曜日に、世界標準時17:00まで豚インフルエンザの感染者数は世界中で257人まで増加したと述べた。


確認されたH1N1の感染者数が最も多い国はアメリカで109人、うち1人が死亡、ついでメキシコの97人でうち7人が死亡。


カナダは第3位で19件、スペインは13件、英国は8件の感染がある。


ドイツとニュージーランドはそれぞれ、3件の豚インフルエンザの感染があり、イスラエルは2件、オーストリア、オランダ、スイスは1件のこの病気の感染がある。


英国の人口は6千万以上だ。そして今週の木曜までの豚インフルエンザの感染は8件で、当局は全員回復しつつあると言っていた。問題ない。


それなのに、ここではジェイミーの学校の子供たちが、誰かが鼻をすすりそうなになるたびに、それを見つめておびえている。「知的マインド」は恐怖で震えるだけでなく、都合のよいドラマが好きなのだ。



私が「知的マインド」という視点から退くにつれ、私の人生ではドラマがより少なくなっている。最初はそれが少し退屈だった。しかし人間の「事件」依存症の「禁断症状」を一度乗り越えると、ずっと快適になった。すると、なんとまあストレスがなくなったことか。


ストレスは「知的マインド」がドラマを求めることからくる。それが頭の中にしかなくても、実際それがすべてドラマに なる。ストレスを感じるものについて考えてみよう。するとそれは体を刺激しストレスという化学変化を伴う反応を起こす。そのドラマを実際に経験する必要は なく、想像するか、恐れるだけでいい。


ス トレスから開放された時の化学物質はそれ自体中毒になりうるもので、定期的に「麻薬の注射」を打つために、「知的マインド」は麻薬を生むドラマをつくり続 けなければならない。私の母がそんな感じだった。常にグラスに酒を注ぎ足すように、ドラマがすべてだった。父も同じだ。彼は怒り中毒で、母は憂鬱と心配の中毒だった。頻繁だったり極端だったりするが、ほとんどの人がある程度似たようなものだ。


ジェ イミーの学校の子供たちは今週、プログラムに反応して化学的に麻薬注射を打ったようなものだ。世界中のメディアが「死に至る」インフルエンザのパンデミッ ク(世界的流行)についての、終わりがないヘッドラインによって火をつけた豚インフルエンザのヒステリーは、精神に及ぼすハリウッドのパニック映画のよう だった。そして「知的マインド」はこれを最大限活用していた。


多くの映画やドラマの中では、現代の街灯が1706年の映画のセットにあるといったことについて、疑わず鵜呑みにし て記憶を閉じる必要があることに気がついたことはないだろうか?もしそうしなければ、ドラマはそのインパクトと信憑性を失う。まあマインドのドラマはそう いうものでもある。


ここに新聞の見出しがある。


英国でインフルエンザによる死者5万人の可能性も


そんな馬鹿な!!!みんな死んじゃうんだ・・・、怖いよー


ちょっと待って、落ち着いて。大丈夫。間違えて一語抜かした。


英国で鳥インフルエンザによる死者5万人の可能性も


これが正しい。それと年を言わなかったが…2005年だ。


この見出しは英国主席医務官リアム・ドナルドソン卿の発表に関連している。この輩はあまりに無能なので、私は自分のうがい薬の処方もさせない。彼は三年後の今、豚インフルエンザの反応を率先して左右する立場だ。デジャヴ(déjà vu既視感)、あるいはデジャフル(déjà flu既に起きたことがあるインフルエンザのような感じ)とはこのことだ。


ドナルドソンとその仲間は英国のすべての家庭に小冊子を配布しインフルエンザの拡大をとめる方法を助言している。そ して政府はドナルドソン自身がほとんど役立たないと言っているにもかかわらず、「緊急に」マスクの備蓄を増やそうとしている。これもすべてドラマに加えら れる。

→3に続く


デーヴィッド・アイク ニューズレター、2009年5月3日号 3

2009-05-18 11:13:10 | Weblog
→2より続き

「まだ冊子をもらってないの?」


「もらったわ、怖いわね。心配でたまらないの。」


「すいません、何ておっしゃいました?マスクのせいでよく聞こえません。」




ダメ、笑わないオオー、よく似合いますよ


鳥 インフルエンザとSARSが出現した時、我々が今日目撃している同じパニックが起きた。テレビニュースはちょうど今しているのと同じように世界のどこで起 きたケースも細かく数え、記録した。パンデミックが起きることになっていた。「死体はないか(bring out yourdead)」。SARSウィルスはどうなっただろう?


豚インフルエンザそのものは1976年にもあった。今日と全く同じように世界の脅威だと思い込まされた。このビデオを見れば、いかに大衆の恐怖が組織的に煽られたか、そして一時的な流行が終わると二度と起きなかったことがわかる。ここをクリック



アメリカ人の健康問題活動家、ラッセル・ブレイロック博士は1976年の「恐怖」を個人的な体験から記憶している。


「1976年の最初の豚インフルエンザ恐怖の時、私は軍にいました。当時兵士全員が豚インフルエンザの予防接種を受けることが義務化されました。軍医として私はそれを拒否し、あやうく軍法会議にかけられるところでしたが、軍は評判が悪くなることを好みませんでした。ウィルス学の専門家が断言したにもかかわらず流行は起きなかったのです

実際に起きたのは500件のギランバレー症候群で、うち25名が死亡しました。これは豚インフルエンザに自体よるものではなく、ワクチンの直接の結果でした。当時ジェラルド・フォード大統領は疾病対策センターの進言に基づきアメリカ国民全員への予防接種を求めました。

それから33年にもなりますが、今日我々は同じような顔ぶれのウィルス学の専門家から発せられる警鐘を耳にしています。製薬会社は、ワクチンが関係する別の疾病が自分たちの稼ぎ時を台無しにしうる前に、この政権が予防接種を義務化することを期待して豚インフルエンザワクチンの開発に忙しいのです。」


そう、すべてが以前、全く同じように起きたことがあるのだ。


しかし、「知的マインド」がデジャヴ(既視感)を働かせずドラマの効果を薄めて予測されたオチにならなかったならば、以前のドラマは門に守衛が張っている記憶のない領域に身を引くのだ。


人生はあまりに退屈だ、だからドラマをつくろう。何でも危機にしてしまおう。おい、こんなことはやめようよ。


だが人々はそうする。家庭や仕事での、あるいはニュースに登場するどうでもいい小さなことがすべて大げさに拡大され、「知的マインド」のドラマ依存症に寄与するのだ。世界中が舞台で、我々はプレーヤーだ。そう、もし我々が許せば、「知的マインド」が脚本を書くことになる。


世 界の出来事の背後にいるイルミナティの血族は、事あるごとにこの依存症を利用する。経済的なレベルにおいてすら、彼らの操作者がつくり出した需要に応えて タミフルのような薬を売ることでさらに新たな富を得る。9/11とイラク侵攻当時「国防」長官だったドナルド・ラムズフェルドと地球温暖化詐欺の指導者アル・ゴアはともに、インフルエンザ薬に行なった彼らの巨額投資により、豚インフルエンザから棚ぼた式に大金を得るのだ。


全然そうならなかった鳥インフルエンザの「大流行」対策として、前回政府がタミフルを備蓄したのは3年前だった。興味深いことに、タミフルの使用期限は3年だ。


しかし鳥インフルエンザ騒ぎの時、タミフルを投与された日本の子供たちに、深刻な心理的問題が生じた。窓から飛び降 りて死のうとした子もいた。そしてアメリカ食品医薬品局はタミフルによって精神障害、幻覚、心肺疾患が起きること、そしてこの薬を飲んだ子供たちのうち 12人が死亡したとレポートに書いている。



それでもこれらのつくられた「知的マインド」のドラマは、子連れで並んでいる人々にこのクズを飲ませるだろう。私がここで概略を述べたことは、ひとりの生徒が豚インフルエンザと診断されたある学校についての英国報道ニュースの中で、ひとまとめにやってくる。


「自分たちのクラスメートが致死力のあるウィルスを持っていたと聞かされると、生徒たちはシクシク泣いた。怒った親たちは危険について知らされないままにされたと主張した。


『先生がひとり入って来て、何が起きている話したの、そして私たちがこれからお家に帰るように言ったわ。みんな泣き始めて、鼻をつまみ始めたの。私はその女の子をよく知っているわ。いい子よ。その子が心配なの』ある女児童は泣きながら、もらったばかりのタミフルの錠剤を握りしめて去った。」


豚インフルエンザにかかったその少女は、メキシコから帰国したばかりだったが、現在元気だ。ばか騒ぎと「豚インフルエンザ」という銘柄がなければ、インフルエンザにかかった生徒がひとり学校を休んだという症例にすぎないだろう。誰も別の考え方をしようとしない。


しかし人々が馬鹿げたメディアの言うことを信じ、恐れとドラマに中毒になっているために、手品ショーの舞台で引きたて役を演じることになる。はい好きなカードを1枚引いて、豚インフルエンザ、9/11、地球温暖化、どれでもいいよ。


これによって我々にあらゆる形の強制がもたらされる。その中には集団予防接種の義務化計画が含まれる。今週マサ チューセッツ州議会は「パンデミック」法案(戒厳令)を通過させた。これは知事が物資の分配に軍を使用することを可能にし、地元当局が許可なく個人宅に入 ることを許すものだ。


オバマを直接支配する大統領補佐官ラーム・エマニュエルが述べたように、「決して誰も深刻な危機が無駄になることを望まない」というわけだ。とりわけ、彼が生まれつきの嘘つきでなかったら、「もしその危機が目的のためにつくられているなら」と付け加えたことだろう。


我々が操られ、抑圧され、支配されるのは「知的マインド」を通してだ。そして我々が自分自身を操り、抑圧し、支配するのは「知的マインド」を通してだ。だが我々は「大いなる意識」であり、それはこのようなものである必要はない。


物事がこんな風になっているのに理由なんかない。


ところが理由がある。それは我々という「無限の存在」を「マインド」に明け渡すことだ。


物事はそうやってずっと変わらない。そしてこの先もそのままだろう。


その通り、物事はそのように変わらない。しかし物事がこの先も同じままかどうかを決めるのは我々だ。


――――――――――――――――――――–


【翻訳委員会◇D】


【転載終了】


米軍が認めた生物兵器=豚インフルエンザの散布???

2009-05-18 09:58:11 | Weblog

インフルエンザ・パンデミックの欺瞞を曝くことは、
世界支配戦略を見極め、打ち砕くことになる!!
遠慮は禁物だ。
徹底的にやる!!


 これまでのパンデミック・フルー大作戦の欺瞞を曝くシリーズの続編だ。重複する部分もある。しかし、それはそれで結構。徹底的にやる。


Amr0904280817002p7


 パンデミック(感染爆発)は、異常時に発生する。通常はそう言うことはない。自然の中で、生物は常に恒常性を保ち、穏やかに変化している。急激に変化することは希である。


 経験がある。一定の条件の下で、静菌(微生物の増殖の管理)処理と、滅菌(殺菌)処理を行う。すると、その差は歴然で、一般静菌数は静菌においては緩やかに下降するが、10の4乗以下には中々ならない。滅菌においては、たちまち10の2乗以下になり、やがて、検出不能になる。

5


<ロシアのガス爆発:記事には無関係>


 それで、在る一定の時までその推移を見ると、驚くべき変貌を遂げる。静菌処理をしたものは、在る経時変化は、やが て菌数は増加に転じるが、緩やかである。滅菌処理をしたものは、在る一定までは検出不能を示しつつも、次の瞬間、爆発的に菌数が増加する。その数値は、数 時間で10の6乗、7乗に及ぶ。これが、実験室のパンデミックである。


 こんな事は、中学生の実験である。こうした現象は必ずある。滅菌というが、実際には不可能なことであって、すべては検出不能状態を言っているに過ぎない。それに過信して、滅菌処理など行うものではない。必ず、ある時期にパンデミックする。


 つたない経験による、実感である。


【転載開始】2009年05月16日

米軍が認めた生物兵器=豚インフルエンザの散布???

「豚インフルエンザの源流?」、
http://alternativereport1.seesaa.net/article/119002528.html

「豚インフルエンザの本当の意味」、より続く。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/118696389.html

 既に、マスコミ・レベルでも報道されているが、米国メリーランド州フォートデトリック陸軍細菌兵器研究所は、4月22日、「ベネズエラウマ脳脊髄炎の病原体サンプルを紛失した」と発表している。もちろん、「ここは生物兵器の研究・開発組織」であり、生物兵器そのものが紛失・盗難されたと言うのが実態である。

「全人類の生存に関わる極めて危険な生物兵器に対し」、余りに「ズサンな管理体制」が敷かれていた事、あるいは「何者かが自由に、極めて危険な生物兵器を外部に、持ち出し、バラ撒けるように、便宜が計られていた」事を、米陸軍当局自身が「認めた」事になる。

米陸軍は、「ベネズエラウマ脳脊髄炎」の紛失と説明しているが、ベネズエラウマ脳脊髄炎ウィルスが「自由に外部に持ち出せるのであれば」、豚インフルエンザ、コレラ、ペスト、天然痘を「自由に外部に持ち出す事は不可能」であると、主張する事は出来ない。【転載終了】