ブラマ僧イエスの教訓を憤り、インドより追い出そうと決す!!
何時の世にも、真理に立ち戻ろうとする時、抵抗がある。それは既得の利権に胡座をかく勢力はいる。それを失うことを怖れる。真理とは永久に変わらないモノである。人間は常に真理に忠実とは限らない。知と意は、とかく自分の都合の良いように解釈する。偽善がまかり通る。
イエスの教えは、一貫している。それはこの浮き世の都合に左右
されないからである。本質を衝くから、反発がある。それが後、エルサレムでも起こった。しかし、ベナレスではその前哨戦があったとは、誰も知らない。記録
にはないからである。実際の所は、投稿者でも確認することは出来ないが、流れを見ているとよく理解出来る。矛盾はない。物語であったとしても、これほどよ
くできた物語はない。
<ベナレスの有名なガンジスの沐浴風景:ウィキぺディアより>
ブラマ教(ヒンズー教)も、永い時を経て、形骸化した宗教である。元の真理は形骸化によって廃れ、形式のみが受け継がれる。その形式に既得の権益を求める勢力が居座る。それがカースト制度である。それに一石を投じたイエスの言説が、社会騒擾を招いたのである。
何処も同じ、何時の時代も同じだ。しかし、形骸化した制度の下で縛られた民衆は彼を支持する。そして、真理を汲み取る。利権を貪る僧侶・支配階級は悪鬼と化す。何時の時代も同じだ。今、世界にその状況をかいま見る。
イエスの言動は国を挙げて不安にした。一般の民衆は彼の友となり、彼を信じ、群をなして彼に従って来た。僧侶と支配階級は彼を恐れ、その名を聞くだけでも身ぶるいした。
彼は人類の同胞主義と万人同権の正しいこと、僧侶と犠牲(いけにえ)が無用の儀式であることを説いた。彼はブラマ教を根底から震え動かし、ブラマ教の偶像を軽んじ、犠牲が罪を孕(はら)んでいると言うので、神社も法輪もみな顧みられないようになった。
僧侶たちは、もしこのヘブライ少年がこれ以上ここに留まっているなら、革命が起り、一般民衆が蜂起して僧侶を殺害し、寺院を打ちこぼつだろうと宣言した。そこで彼らは広く召集状を発し、僧侶を各州から集めた。ベナーレスはブラマ教の熱で燃え上がった。
かねてイエスの真の人となりを能く知っていた、ジャガンナス寺から采たラマースは、そのなかにあって、僧侶たちの芝居がかりの熱狂振りを聞いて、すっくと立ちあがって言った、
「親愛なる僧侶諸氏、気をつけなさい。行動を慎しみなさい。今日が大切な記録的な日ですよ。世人が見て居
ります。ブラマ思想の生命そのものが今や試練されて居る。もし真理を無視し、今日偏見が支配者となり、われわれが野獣性を発揮して、ブラマが見て清浄無垢
なるべき血で手を染めることになれば、ブラマの報復がわれわれに加えられ、今われわれの立っている巌(いわお)そのものが足許からくずれ、愛する僧侶社会
と、律法や寺院もろとも打ち果ててしまう。」
しかし僧侶たちはそれ以上一言もラマースに言わせなかった。怒り狂った僧侶たちは突進して彼を叩きつ、唾を吐きかけ、裏切者とののしり、流血のまま街頭に彼をほうり出した。
それから騒乱が巷に横行し、僧侶は暴徒化し、人間の血を見て魔性の行動を誘い出すなど、全く手の
つけようもない始末になった。支配階級の人々は戦争になりはしないかと恐れ、イエスを探したが、彼が静かに市場で教えている姿を見つけた。彼らはイエスに
自分の生命を救うよう、立ち去れと命じたが、彼はこれを拒んだ。
そこで僧侶たちは彼を逮捕する口実を求めたが、何の犯罪もなかった。それから虚偽の言いがかりをつけ、兵士たちが彼を裁判所に達れて行こうとしたが、民衆が彼を護衛しているので、恐れて手出しができなかった。
僧侶たちは途方にくれ、密かにイエスを殺そうと決心した。
彼らは人殺しを渡世にしている男を見つけ、自分たちの憎んでいる男を殺すように、夜間彼を出してやった。
ラマースはこの陰謀を聞きつけ、使者をやって友人イエスを警戒させた。イエスは急いで立ち去った。イエスは夜陰に乗じてベナーレスを後にし、北を指して路を急いだが、途中到るところで百姓、商人、首陀(スドラ)などが彼を保護した。
幾日かの後、彼はヒマラヤ巨峰に達し、カピパスツの町に辿りついた。仏教徒は広く門を開いて彼を迎えた。
【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】
第六部 インドでのイエスの生活と行動
第三十一章 ブラマ僧イエスの教訓を憤り、インドより追い出そうと決す。ラマース彼のためにとりなす。僧侶たちが彼を殺害しようと下手人をたのむ。彼はラマースの警告を受け、ネパールに遁れる。
1)イエスの言動は国を挙げて不安にした。
2)一般の民衆は彼の友となり、彼を信じ、群をなして彼に従って来た。
3)僧侶と支配階級は彼を恐れ、その名を聞くだけでも身ぶるいした。
4)彼は人類の同胞主義と万人同権の正しいこと、僧侶と犠牲(いけにえ)が無用の儀式であることを説いた。
5)彼はブラマ教を根底から震え動かし、ブラマ教の偶像を軽んじ、犠牲が罪を孕(はら)んでいると言うので、神社も法輪もみな顧みられないようになった。