ラバンナ、イエスをブラマ教研究のためインドに連れ行く!!
イエスが、若かりし頃、インドを旅したことは、多くの史実に語られている。しかし、斯く程までに具体的に描かれた話は少ない。真偽はともかくとしても、その旅の意義は容易に察せられる。世界的な宗教となるには、世界的な視野、識見が必要であることも当然と言えば当然である。
『明けの明星』をイルミナティーという。かといって、陰謀論で言うイルミナティーを想起して、詮索しても始まらない。イルミナティーと言葉は、本来、良い意味で聖書では使われている。悪用しているのは、アダム・ヴァイスハウプトの方である。大体、悪党は実体がない者であるから、実体のある物まねをする。偽物づくり、真似しが得意だ。
<2007年10月28日16:24パチリ!向こうの山は石鎚山。まゆみさんのコメントに応えて..>
アンチ・キリストであるとか、偽ハルマゲドンとか登場すると言うことは、本物のキリストが実在するからである。すべからく、偽物は本物に似せて語られる。よく偽物を取り上げて、本物の否定に奔走する者が居るが、それは主客転倒と言うべきである。偽ルイビトンが氾濫するのは、ルイビトンが評価されてのことである。本物ルイビトンは実在する。これが『理』である。
偽物が氾濫すると言うことは、本物の実体が評価された証拠である。そう思えば、そういきり立つほどのことでもない。
さて、イエスのインド行脚。これから楽しみである。
南部インドのオリッサ州の王族ラバンナは、ユダヤの祭礼に来ていた。
ラバンナは裕福な君子人であった。彼は一団の僧侶を連れて、西方に智恵を求めに来たのである。イエスがユダヤの祭司のなかに立って、読みまた話しているのを聞いて、ラバンナはびっくりした。
そこで、彼はイエスは何人か、どこの生れで、何をする者かと聞いた。祭司長ヒレルはこれに答えて言った、「わたしどもはこの子を天から降って来た『明けの明星』と呼んで居ります。それは彼は生命の光なる光を人々に携えて来て人々の道を照らし、その民イスラエルを救うために来たからです。」
それからヒレルはこの子についての予言、生れた夜の不思議な出来事、マギ僧の訪問、悪人の激怒から身を守るために、エジプトに遁れたこと、また今ナザレで大工となって、父と一繕に働いていることなど、詳しくラバンナに語った。
ラバンナはこれを聞いて、いたく感激し、ぜひ行って、そのような人を、神の子としてあがめたいから、ナザレに行く道を教えてほしいと言った。ラバンナは華美ないでたちをした部下をひきつれて旅路につき、程なくガリラヤのナザレに着いた。
彼は自分の目ざしている者が人の子らのために家屋を建てているのに出逢った。イエスと彼の初対面は、イエスが十二段の梯子(はしご)を登り、手にはコンパス、定規、斧などを持っていた時であった。
ラバンナは挨拶した、「ごきげんよう、おめぐみ豊かなお子よ。」それからラバンナは町民全部を旅館に招待してもてなした。その時イエスと両親は正客であった。それから数日問、ラバンナはマーミオン通りのヨセフの家の客となり、イエスの智恵の秘密を学ぼうとしたが、それは到底白分には及びもつかない大したものであった。
彼は子供の保護者となり、東洋に連れて行き、そこでブラマ経の智恵を学ばせたいが、どんなものかと相談を持ちかけた。イエスはぜひ行って学びたいと熱望した。それから数日たって、両親はこの申し出に応ずることにした。
ラバンナは望みが叶って、いたく喜び、一行と共に日の出ずる方角を指して旅賂についた。幾日かの後シンド河を渡り、漸くオリッサ州に達し、わが宮殿に戻った。
ブラマ僧たちはその帰国を喜び、ユダヤの少年を快く迎えた。
イエスはジャガンナス(クリシュナ神)の寺院に弟子入りを許され、ここで吠陀(ヴェッダ)聖典、マニ法典を学んだ。ブラマ教の教師たちは少年の聡明におどろき、時には彼が律法の意味を自分たちに説明するのを聞いて、しばしば感嘆の声を洩らした。
【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】
第六部 インドでのイエスの生活と行動
第二十一章 ラバンナ、宮でイエスを見て心動く。ヒレル、少年について語る。ラバンナ、ナザレにイエスを訪う。彼のために宴を設く。ラバンナ保護者となり、イエスをブラマ教研究のためインドに連れ行く。
1)南部インドのオリッサ州の王族ラバンナは、ユダヤの祭礼に来ていた。
2)ラバンナは裕福な君子人であった。彼は一団の僧侶を連れて、西方に智恵を求めに来たのである。
3)イエスがユダヤの祭司のなかに立って、読みまた話しているのを聞いて、ラバンナはびっくりした。
4)そこで、彼はイエスは何人か、どこの生れで、何をする者かと聞いた。祭司長ヒレルはこれに答えて言った、