転載しないわけにはいかない!!
父は、シベリヤ抑留者の一人であった!!
姉は、未帰還孤児だ。
1989年中国黒龍江省より帰還した!!
まさしく、転載記事の通りで満州開拓団の一員に応募した父は、戦中、満州の移住した。現地で農業に従事し、終戦間近、関東軍に現地応召した。まもなく、終戦。武装解除、シベリヤ抑留。昭和23年、舞鶴に帰還した。
勿論、家族は離散。帰国して、再婚。投稿者達が誕生した。
見知らぬ墓石が、3つあった。理由は分からなかった。中国未帰還孤児帰還運動が始まり、足繁く動き回る父の姿があった。そのころには、事情を飲み込めた投稿者も、新聞紙上に注意を喚起する日々が始まる。
突然、行政機関から通知があった。代々木で面会する運びとなった。会った。帝京大学でDNA鑑定があった。人違いであった。
再び、通知があった。今度は、正真正銘の別離した娘であった。そっくりである。甥っ子、姪っ子をを連れて帰国した。夫は中国解放軍兵士であったという。離 婚しており、姉とその子達の帰国であった。日本語はほとんど話せなかった。今子供達は、日本語堪能であるが、姉は不自由している。
意味不明であった墓石が、一つ取り除けられた。二つは、未だそのまま建っている。
【転載開始】舞鶴の悲哀
作成日時 : 2009/01/26 08:21 http://richardkoshimizu.at.webry.info/200901/article_26.html
舞鶴の悲哀
丹
後半島のリアス式海岸に舞鶴という町がある。京都府に属する。入り口が狭く湾内が広くて深い「天然の軍港」であるため、明治のころから海軍基地として開発
された。戦前戦中は、海軍の根拠地として、そして、海軍工廠での軍艦の建造で栄えた。(駆逐艦、特殊潜航艇などが建造された。)昭和二十年七月には二日続
けて米軍による大空襲を受けた。この町が戦後脚光を浴びたのは、引き揚げ船の到着港となったからである。
終戦時外地に残された日本人は、軍人軍属320万、一般人300万といわれている。この大量の日本人の帰国を受け入れる港のひとつとして、舞鶴が指定さ
れ、
66万人が舞鶴から故国の地を踏んだ。引き揚げは、昭和20年10月から始まり、まずは、朝鮮半島にいた邦人が、ついで中国満州の邦人が帰国した。彼らは
帰国までの間、辛酸を嘗め尽くす体験をし、食料不足、寒気、疲労、襲撃で次々と倒れた。引き揚げ船に乗るまでに財産をソ連兵や暴徒に剥奪され、女性は乱暴
されるか連れ去られた人も多かった。やっとの思いで乗船し、引き揚げ船の上で亡くなった人、舞鶴についてすぐに亡くなった人も多い。引き揚げが一段落して
後も、舞鶴だけが引き揚げ港として維持され、1947年までソ連のシベリア抑留から解放された旧軍人たちを迎え入れ続けた。
一 般人引揚者の大きい部分が、満州開拓民である。満蒙開拓団に応募した人たちが、満州の荒野に取り残され、(関東軍の幹部の一部はいち早く列車で逃げて、 さっさと帰国している。)ソ連の参戦で追われ、数千キロを徒歩で南に逃げ、多くの悲話を生んだ。(38度線以北はソ連の支配地域となった。)残留孤児や残 留夫人も、この過程で生まれた。食料がなく生きていけないと悟った母親は、満州の中国人に乳幼児を託したり、売ったりした。15,6歳の娘たちも、生きる ために中国人の嫁となった。
そして、この満州流民を産んだ遠因が、金融ユダヤ人であ
る。第二次大戦に先立ち、FRBを捏造したユダヤ人たちは、大恐慌を仕組んだ。第一次大戦で、欧州への軍需物資の輸出で繁栄した米国経済は、永遠の繁栄が
約束されているかに見えた。だが、活況を呈するニューヨーク株式市場は、突如、暴落した。結果、世界恐慌を引き起こした。FRBが通貨の供給量を極端に絞
ることで、意図的に恐慌を引き起こしたものと見做される。そして、底値に落ちた株式を買い漁ることで、アングロサクソンの財産を根こそぎ、金融ユダヤ人た
ちが手に入れたのだ。下がった株価は、大戦争を惹起すれば高騰する。従って、彼らは第二次大戦を企画する。(今回の金融危機とは幾分様相が違うので、混同
は危険だが共通部分はある。)
そして、ユダヤ権力の企画した第二次
世界大戦が勃発する。ソ連が不可侵条約を一方的に破棄して満州に攻め込む。満州にいた軍人軍属が抑留される。ソ連全域に設けられたラーゲリ(収容所)に送
致される。極東地域だけではない。バイカル湖周辺やモスクワ近郊まで送られたものもいる。凍て付く大地で森林伐採や鉄道建設に使役される。極端に悪い給食
事情とマイナス30度の極寒のおかげで多くが病に倒れ、異国の地の土となる。そして、生き残った人々は、毎日毎日、「東京ダモイ(帰国)」を何年もの間、
待ち侘びる。米国の仲介で、やっと帰国が始まる。恋焦がれた故国の港、舞鶴に到着する。シベリアで亡くなった戦友の骨壷を抱えて。
母親は、何故、凍て付く大地に最愛の子供を置き去りにせざるを得なかったのか?「岸壁の母」が、舞鶴の港で待ち侘びた息子は、何故、シベリアの土となってしまったのか?
国
家が国民を死地に追いやったのである。メディアが、国民の不幸を奨励したのである。そして、学校の教師が少年や少女の悲劇を「増進」したのである。なぜ
か?国民大衆が「世界の構造」をしらなかったからである。情報を発信する側の政府もメディアも同様に世界の真実がわかっていなかったからである。世界の
「設計者」を気取る一握りの輩に誰もが踊らされて、自ら不幸を選んだのである。
我々
は、大衆の覚醒によって彼らの支配に終止符を打たせ、二度と自ら不幸の道を辿ることのなきよう、眦を決して行動しなくてはならない。自らの支配の継続と拡
大のために戦争を捏造する連中の計略を暴き、阻止しなくては。二度と、舞鶴に避難民をあふれさせる事などないように。
21
世紀の今、政府やメディアの体質はほとんど進化していない。相変わらず、911自作自演テロを隠蔽し、イラクの自衛隊死者をごまかし、世界権力の片棒を担
いでいる。だが、一般大衆の世界では、大きな変化がおきている。ネットという新たな手段が大衆の覚醒を促している。ネットが本当の意味での賢者を生み出し
ている。夜明けは確実に一歩づつ近づいている。
リチャード・コシミズでした。 【転載終了】