カテゴリー別目次
2018-09-08
【きのこ先生 研究授業、いるのかなあ】
小学校は、ものすごく多すぎるほど授業研究会とかがあるらしいです。
中学校は、授業研究会はあまりありません。
高校は、ありません。
ツイッターで言葉を拾いました。
【研究授業、いるのかなあ】
【他の授業の教材研究が疎かになってしまっている】
研究授業は、いります。
研究授業は、どんな状況でも必要です。
「教材研究が疎かに」なろうが何だろうが必要です。
僕の世代の就職のとき、自殺しないのが不思議でしたが、研究授業はありました。
僕は、良い出会いと教えがあり、毎年全校研究授業に立候補しました。
僕の授業力はじわじわ落ちている。自分でも分かる。見てもらって評価されないからだ。ましてや、素人高校授業者だ。うまくできたらおかしい。たった二、三年で優れた授業ができたらおかしいだろう。プロとは何だということになる。
上記ツイッターには、
【何日もかけて準備して、残業して、つらい…】
と書いてありました。
「何日」ではなくて、「何か月」かけたら、きっと分かります。
研究授業が、カッコよく終わってもズタボロでも同じです。
研究授業の翌日。
教室が、昨日までと違う場所に見えます。
自分の授業が、どんなにひどかったかが冷静にわかります。
僕は大学生のとき、禅寺で二泊の体験座禅をしました。
「終わって帰るとき、世の中が違って見えます」
二十代らしい坊主が言い、その通りでした。
寺の門を出ると、空も建物も電車も、初めて見たものに見えました。
座禅の経験をしたかたには分かるはずです。
特別に日常と異なる努力・経験をすると、感性と思考と行動が変わります。
僕たちの国語科の知人は、幸運でした。
小・中学校で合同の授業研究会が残っていました。
小・中合わせて、参観教員は200人ほどです。
僕は三十くらいにその研究授業をさせてもらいました。
誰もする人が見つからなくて、俺がやる、となりました。
毎年、200人相手の授業者を見つけるのは難しいことです。
僕は、その6人の企画委員の一人でした。
依頼し、断られ、見つからず、俺がやる、ということになりました。
大変な幸運でした。
思い出したくないひどい授業でした。
でも、それ以来いつ誰に授業を見られても緊張することは全くありません。
授業修行にも、スポーツのように体力と気力の頂点があるはずです。
授業の苦労は、体力のあるうちにやらないとなりません。
アラ還は徹夜はできません。
20時、21時まで一人で「授業練習」は、もうできません。
空き教室で、一人で、誰もいない教室で、指導案のようにエア授業をする。
四十代で何回か、そういう練習をしました。
そして、学校の研究授業で見てもらいました。
もっと前からすべきでした。
しなかったのは、そういう授業上達方法を知らなかったからです。
でも、どんなことも始めるのに遅すぎることはありません。
【研究授業、いるのかなあ】
【他の授業の教材研究が疎かになってしまっている】
この言葉を見ると、小学校のことではないでしょうか。
辛いんだな、やっぱり。やることが多くて。
「研究授業」は授業の力を育ててくれます。
間違いありません。
5分間の模擬授業でも、同じ効果があります。
「見てもらって」「言って、書いてもらう」
それ以外に授業の力を伸ばす方法はありません。
でも、生きていてなんぼですから。
テキトーに。
もう、どうせ、日本の教育はたいして変わらない。
なんくるないさー。
ケ・セラ・セラ。
2018-09-08
【きのこ先生 研究授業、いるのかなあ】
小学校は、ものすごく多すぎるほど授業研究会とかがあるらしいです。
中学校は、授業研究会はあまりありません。
高校は、ありません。
ツイッターで言葉を拾いました。
【研究授業、いるのかなあ】
【他の授業の教材研究が疎かになってしまっている】
研究授業は、いります。
研究授業は、どんな状況でも必要です。
「教材研究が疎かに」なろうが何だろうが必要です。
僕の世代の就職のとき、自殺しないのが不思議でしたが、研究授業はありました。
僕は、良い出会いと教えがあり、毎年全校研究授業に立候補しました。
僕の授業力はじわじわ落ちている。自分でも分かる。見てもらって評価されないからだ。ましてや、素人高校授業者だ。うまくできたらおかしい。たった二、三年で優れた授業ができたらおかしいだろう。プロとは何だということになる。
上記ツイッターには、
【何日もかけて準備して、残業して、つらい…】
と書いてありました。
「何日」ではなくて、「何か月」かけたら、きっと分かります。
研究授業が、カッコよく終わってもズタボロでも同じです。
研究授業の翌日。
教室が、昨日までと違う場所に見えます。
自分の授業が、どんなにひどかったかが冷静にわかります。
僕は大学生のとき、禅寺で二泊の体験座禅をしました。
「終わって帰るとき、世の中が違って見えます」
二十代らしい坊主が言い、その通りでした。
寺の門を出ると、空も建物も電車も、初めて見たものに見えました。
座禅の経験をしたかたには分かるはずです。
特別に日常と異なる努力・経験をすると、感性と思考と行動が変わります。
僕たちの国語科の知人は、幸運でした。
小・中学校で合同の授業研究会が残っていました。
小・中合わせて、参観教員は200人ほどです。
僕は三十くらいにその研究授業をさせてもらいました。
誰もする人が見つからなくて、俺がやる、となりました。
毎年、200人相手の授業者を見つけるのは難しいことです。
僕は、その6人の企画委員の一人でした。
依頼し、断られ、見つからず、俺がやる、ということになりました。
大変な幸運でした。
思い出したくないひどい授業でした。
でも、それ以来いつ誰に授業を見られても緊張することは全くありません。
授業修行にも、スポーツのように体力と気力の頂点があるはずです。
授業の苦労は、体力のあるうちにやらないとなりません。
アラ還は徹夜はできません。
20時、21時まで一人で「授業練習」は、もうできません。
空き教室で、一人で、誰もいない教室で、指導案のようにエア授業をする。
四十代で何回か、そういう練習をしました。
そして、学校の研究授業で見てもらいました。
もっと前からすべきでした。
しなかったのは、そういう授業上達方法を知らなかったからです。
でも、どんなことも始めるのに遅すぎることはありません。
【研究授業、いるのかなあ】
【他の授業の教材研究が疎かになってしまっている】
この言葉を見ると、小学校のことではないでしょうか。
辛いんだな、やっぱり。やることが多くて。
「研究授業」は授業の力を育ててくれます。
間違いありません。
5分間の模擬授業でも、同じ効果があります。
「見てもらって」「言って、書いてもらう」
それ以外に授業の力を伸ばす方法はありません。
でも、生きていてなんぼですから。
テキトーに。
もう、どうせ、日本の教育はたいして変わらない。
なんくるないさー。
ケ・セラ・セラ。