制御屋の雑記

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在台ジャーナリストと称する酒井亨氏の論説はウソの塊

2007-03-12 | 海外関連

 在米の、Andy Changさんと言う方の論説を転載します。


 「李登輝の転向」はウソである

 在台ジャーナリストと称する酒井亨氏が日本の月刊誌「諸君!」4月号に発表した「李登輝は『転向』したのか」、という論考を発表して、李登輝の「中国寄り、日本離れ」を批判した。ご丁寧にも「台湾独立は望まない?」というサブタイトルをつけている。

 酒井記事について日本李登輝友の会 常務理事・事務局長 柚原正敬は以下の3点を指摘した。

 1、この論考は、李登輝前総統の影響力低下を狙って個人を誹謗中傷する、予断と偏見に満ちた内容である。
 2、李登輝前総統を親中派に転向したと断定する短絡的で軽率な指摘は、日本と台湾の離間を謀る悪質なものである。
 3、李登輝前総統の一連の発言は、本会が主催した昨年3月の李登輝学校研修団で発表された内容とほとんど変らず、台湾の国家正常化を意図したものである。

 酒井亨氏はフリージャーナリスト(在台湾)と名乗っているが、実際にはフリーではなくて民進党国際部で働いている。民進党の飯を食っている人間だから彼の言論は民進党派の意見であると見なしてもよいだろう。つまり彼は本人の意向のほかに民進党人士の意見を反映して発言したと思われる。本音は民進党と台聯党の諍い、兄貴風を吹かしている民進党の「弟イジメ」である。

 「諸君!」に反論を書かなければ日本の読者は台湾で起きている政治闘争の真相を知ることが出来ない。諸君!も公平な立場から筆者の反論を掲載して読者に判断にまかせることを願っている。(註:「諸君!」は掲載を断りましたので、独自配信と致します)

 筆者はどの政党にも属しない、アメリカで政治評論を書いている人間だから、李登輝、陳水扁、どちらも「お先棒」を担ぐ必要はない。台湾の政治論争に巻き込まれることなく、公平な批評ができると思っている。ついでに言えば、「台湾人の癖に本名を名乗らずアンディチャンなどと名乗っている」と謗られたこともあったが、私は台湾生まれでも在米生活48年、既に帰化したアメリカ人だからアンディチャンは本名である。酒井氏は台湾で「むじな」のペンネームを使っているが私はコメントしたことがない。

 ●間違いだらけの酒井「転向」説

 李登輝発言が起こした騒動のもとは香港系の雑誌『壱週刊』のインタビユーで週刊誌が故意に歪曲してつけた見出し、「李登輝は台湾独立を放棄した」である。実際に記事を読めば正しい発言は「私は独立を口に出したことはない。台湾は既に国立した国家だから、いまさら言う必要はない」である。

 問題になったのは「見出し」に書かれた三点で、(1)台湾独立はやらない、(2)中国資本を台湾に入れろ、(3)中国に行ってみたい、という見出しだが、記事の文面は大いに違う。李登輝発言については井沢元彦の単独インタビューが二月中旬の「SAPIO」に出ているので、「諸君4月号」の酒井記事と読み比べればい。

 まず第一の「独立はやらない」について、李登輝は「私はこれまで一度も独立を言ったことがない。台湾は既に独立した国であるから、独立を主張するのは逆戻りである。既に独立した国であるなら「統独問題」はない。統独問題とは民進党と国民党が選挙の題材にしているのであって実際には存在しない。統独問題で論争を続ければ人民が苦しむだけだ。政治家は国と人民を優先すべきで、選挙のために政治をやるのではない」と述べたのだ。李登輝の発言は常に「選挙政治をやめて国民、国政のための政治をやれ」と強調している。

 第二の点、「中国資本を台湾に入れろ」といった事について、李登輝は「これまで中国は台湾の資本をどんどん入れたお陰で経済が大幅に発展した。しかし台湾から中国へ行った投資は一方通行で、投資家が利益を台湾の還元することが禁止されていた。従って台湾資本はどんどん中国に向けて流出し、台湾の空洞化が進んでいる。これは台湾人民にとって非常に不利で不公平だ」と言ったのだ。この点、つまり『政治形態と経済形態の違い』については巷間の論争で間違った解釈がどんどん進行して李登輝の真意がわからなくなっているので、本稿の最後の部分で詳述する。

 酒井氏は井沢記事を引用して、「…しかし二月中旬になって日本の雑誌「SAPIO」(二月二十八日号)でも「台湾は民主的な独立国家。独立宣言は必要ない」と題するインタビューが掲載され、改めて親中発言が確認されたことから、もはや弁護の余地はなくなりつつある」と書いている。

 筆者が読んだ限り、井沢記事で親中発言が確認されたと言うのは最後の6行で、「台湾はもう独立国家なんだから、中国との貿易もどんどんやればいい。三通どころか四通でも5通もやればいい」と発言したことにある。

 李登輝の言ったのは不公平な一方通行の貿易をやめて中国に投資した資本を取り戻せ、それには中国と対等貿易をやれ、手始めに台湾観光をやればどうか、である。

 台湾は独立国家だから中国と(公平な)貿易をやれと言ったのを「李登輝は中国寄りに転向した、いずれ台湾は中国に吸収合併される」とはこじつけの解釈にすぎない。

 李登輝は「台湾と中国は二つの違った特殊な国と国の関係である」と主張して、機会あるたびにこの「特殊な関係」を強調している。李登輝が親中派に転向して独立運動をやめた、だから台湾は併呑される危険があると言うのは乱暴な予測と偏見である。

 「台湾と中国は対等だから、対等貿易をやれ」と言ったのに、酒井氏は「李登輝が中国にへりくだった、台湾の独立路線を捨てた」と結論したのである。解釈の違いと言うより(民進党側が)故意に歪曲したとも考えられる。

 第三点は李登輝が「中国に行って見たい」と発言したことで李登輝が中国を「訪問したいと言った」様な見出しをつけたことである。記事を読んでみると「私も若いときは、孔子が周遊列国をしたように、中国にいってみたいと思ったこともあった」である。遊びに行きたいと思った過去のことを、「政治訪問」をしたいと解釈したのは捻じ曲げた解釈である。

 李登輝は日本を訪問して芭蕉の「奥の細道」を歩いて見たい、と思い何度も入国ビザを申請した。しかし中国は李登輝が日本を訪問するのは「政治的意図がある」として日本に厳重抗議を申し込み、日本政府はビザを却下した。これと同じ論理で、昔は中国に遊びに行きたいといったのを政治目的で訪問したいと曲解したのだ。中国人のこじつけ手法である。

 外省人(中国人)が把持する台湾、または香港系のメディアが李登輝の発言について捻じ曲げた見出しをつけるのは理解できる。しかし内容は歪曲されていないから、記事を少しでも読めば『壱週刊』の見出しが歪曲であることがわかるはずで、見出しだけ読んで(または見出しを信用して)詳細を検証しないのは間違いである。酒井氏は中国語も台湾語も堪能だから、李登輝批判をする前、記事を書く前に『壱週刊』の内容を読むべきだった。これはジャーナリストの基本であり、やるべきことをやらずに李登輝批判を書いたのは怠慢か故意のどちらかであろう。

 それでは酒井氏はなぜ李登輝バッシングをやったのか?これを理解するには次に詳述する、今の台湾で起きている政治闘争の実情を知る必要がある。

 ●民進党の李登輝バッシング

 最初に明らかにする必要があるのは、酒井氏の周辺にいて李登輝批判をやっている人たちが殆ど民進党の連中、または民進党贔屓であることだ。李登輝発言のあと台湾で起きている現象は民進党の連中が結束して李登輝批判、しかも国民党メディアの間違った解釈を基本にした批判を「党をあげて」やっていることである。李登輝の発言を故意に歪曲報道したのは国民党系のメディアだが、民進党がこれに悪乗りしたのだ。

 一般に理解されているメディアが作り上げた政治構図とは、泛緑(パングリーン)=独立派=台湾人政党=民進党、泛藍(パンブルー)=統一派=外省人(中国人)政党=国民党となっており、小政党である新党、親民党、台聯党などはこの構図の大政党に組み込まれている。つまり小政党を相手にしない二極構造で、これが一般民衆に受け入れられた構図である。

 民進党と台聯党の確執は既に四年ぐらいの歴史があるが、外国ではこの確執が正確に伝わっていない憾みがある。もともと台聯党は李登輝が推進して始めた政党で、民進党の政治が国民党との和解と選挙運動ばかりやっているので国家政治を正す目的で作った政党である。台聯党は民進党と競争するために作られたのではなく、民進党の不足を補う意味で作られたのだ。

 2004年の総統選挙で陳水扁の続投選挙では人気投票わずかに35%、国民党の45%に負け気味だったので、李登輝の台聯党が「228全島で手を繋ぐ」運動を呼びかけて、台湾意識を盛り上げたお陰で陳水扁は辛勝したのだと言われている。

 しかし当選後の陳水扁は李登輝に恩義を感じることもなく、国民党との和解路線を継続し、あまつさえ「当選したのは李登輝のお陰ではない」などという発言があった。傲慢というより忘恩不義である。 民進党が台聯党に対して兄貴風を吹かせる原因は民進党が大政党で泛緑の代表と自認している、同時に台聯党の人気が伸びれば民進党が危ないという危機感もある。

 民進党は泛緑の代表であり、台湾人の代表と思っているがこれは大きな間違いだ。民進党が台湾人を代表する政党として人民の支持を得たのは民進党が台湾独立を掲げ、国民党に反対していたからである。民進党=泛緑が国民党=泛藍と和解を推進するのは敵の軍門に下 ることでないか。

 陳水扁が当選して民進党が与党となった後は国民党との合作、和解を推進して独立を言わなくなった。陳水扁は2000年に総統就任式で「四不一没有」(独立宣言をしない、国の名前を変更しない、両国論を憲法改正に入れない、統独問題の住民投票をしない。国家統一綱領と国家統一会の問題はない)と宣言して、独立は忘れたかのようになったので人民は失望し離反した。これに反して台聯党は台湾独立を掲げて成立した政党であるから、中国向きに転向するはずがないし、李登輝が中国に接近するわけがない。

 このような経緯があったにも拘らず、民進党は「中間路線」と称する国民党との和解合作で国会運営をしようと言う態度を崩さない。中間路線とは泛緑と泛藍の対立の中間にいる無党派の一般大衆を泛緑に投票させることである。だが一般大衆が泛緑を支持してきたのは国民党打倒と台湾独立であるから、国民党と和解するといえば人民の失望は大きい。

 さらに一般大衆といっても外省人は台湾人に投票しない、つまり泛藍は団結しているのである。李登輝はじめ台聯党にとっては民進党の中間路線に大不満で、国民党と和解すれば中華民国を打倒することが出来ないという危機感を覚える。

 ●李登輝の「民進党と決別」

 つまり民進党の中間路線とは「選挙のための策略」であり、選挙の勝つために政治で、そのためには統独問題を取り上げて選挙民の両極化を謀るのだ。こうすれば両極の中間に置かれた中間選民はどちらかにつかざるを得ない(実際には外省人票は団結一致している)から、泛緑の票が増えるという策略である。

 人民は民進党が国民党を打倒することを願い、和解を望んでいない。中間路線は人民の支持を得ていないのである。このことを民進党の主流派は理解していない。2004年以後の選挙では陳水扁が得意げに「台湾人民が民進党に投票しないで、誰に票を入れるのか?」と大見得を切ったので失望した人民は「どちらにも投票しない」ことを選んで陳水扁に反抗したのである。2005、2006年の選挙で、二回とも投票率が大幅に下がった原因がこれである。それでも民進党は中間路線を棄てないで、三度目の和解共生を主張しているのだ。

 李登輝は民進党のこのような選挙オンリーの政治運動に反対で、「民進党は国益を追求せず選挙票を追っている」と批判した。これが今回の李登輝発言の真意である。

 李登輝の「独立を言わない、言う必要はない」とは、(民進党も)すでに台湾は独立した国家であると認めている、独立国家なら統独問題は存在しない。愚劣なスローガン政治をやめて「台湾民主国」のために尽力しろと言ったのだ。李登輝がその後のインタビューで述べたように、李登輝の真意は「民進党との決別」にあると言うことだ。それで決別宣言を受けた民進党は党を挙げて李登輝バッシングをやっているのだ。

 ●選挙法の改悪

 民進党と台聯党が決裂した最大の原因は立法委員の選挙法改革にあった。この法案の骨子は(1)現在の委員数を半減して113議席とする、(2)小選挙区制度を導入して73区を制定し、73票は小地区内の自由選挙である、(3)残りの40票は政党比例で決める、というものだ。

 これは利よりも害が大きい制度である。まず、台湾は小さな島国でこれを73区に分割すれば小区域内で政争を起こし、国益は無視されて地方利益が重視され買収が容易になる。小区分割には住民数の違いなどで不公平がおきる。更に全体の三分の一を政党比例で決めるとなれば大政党に有利で小政党は潰される。この最後の比例代表は大政党に有利で小政党は絶滅する、これが自由民主といえようか。

 民進党が国民党と共に新制度を導入した理由は国民党と民進党の二大政党で「中華民国」の政治を掌握するつもりなのだ。しかし台湾独立が最終目標であるなら統一派の国民党は敵であり、国民党を潰すのが最大目的であるなら国民党と二大政党を作るのは独立の最大阻害となることは当然である。この改正選挙法で小政党である台聯党は潰されてしまう。民進党と台聯党の合併はありえない。なぜなら議員数が半減すれば党内でも党指名を巡って競争が起きるので、小政党を抱き込む余裕はない。

 つまり、民進党は兄貴風をふかして弟政党を見下し、あまつさえ弟政党を潰してでも(敵の)国民党と合作していく政策を採ったのである。国益のために政治をやらず、選挙で有利になるために台湾人の願望を捨てたわけだ。台聯党は生存のためにも民進党と決別しなければならない、本を糾せば民進党のイジメに起因する。

 李登輝の決別宣言の真意は「民進党は独立とか統一とかをテーマにして選挙や権力闘争をやるな、国のために努力しろ」と言うのであり、民進党は反省もせず「弟イジメ」をエスカレートさせたのだ。

 酒井記事は李登輝が統独論争をやめろと言った事で、親中派に転向したと断言している。酒井氏の論述を読めば「李登輝は転向したのか?→転向してもおかしくない→李登輝は所詮は転向人生だった→李登輝崇拝から脱却せよ」と言う風に読者を「誤導」していく過程が見え見えである。

 ●前後矛盾した陳水扁のスローガン

 酒井氏は故意に李登輝の中国転向と、李登輝に対する個人崇拝を攻撃しているが、これは井沢氏のインタビューの中で既に李登輝が否定している。

 井沢インタビューで李登輝は次の指導者の五条件を上げた。これは指導者の必要条件とは李登輝の信念といえる。

 (1)自分なりの信仰をもて
 (2)指導者は権力ではない
 (3)公私の区別を明確にせよ
 (4)人が嫌がることをやれ
 (5)カリスマを過信するな

 これを読めば酒井氏が間違っていることが明白だ。 李登輝に反して、陳水扁はこれまでに前後矛盾したスローガンを何度も掲げていて、「オオカミ少年」と言うニックネームさえつけられている。正直言って別に李登輝を持ち上げて陳水扁を貶すわけではないが、この6年来の言動を見れば李登輝の転向で騒ぐより陳水扁のフラフラで矛盾だらけのスローガンのほうが問題である。

 三月四日の「尾牙宴会」で李登輝は陳水扁に対し、「選挙スローガンはやめて、政治に精出して欲しい」と批判した。すると翌日の三月五日に陳水扁は台湾人公共事務会(FAPA)で、「四要:台湾は独立する、台湾は正名する、台湾は制憲する……」と述べた。これは彼自身の「四不一没有」とは完全に反対な発言だ。新聞は陳水扁の発言は李登輝批判に反撃するもので、陳水扁の矛盾発言はこれまでにもあったので驚くにあたらない、と評した。これまでの陳水扁発言を拾ってみると:

 (2000)「四不一没有」宣言;独立宣言をしない、国名を変更しない、両国論は憲法にいれない、統独問題の公民投票はやらない。
 (2004) [「四不一没有」宣言の再確認
 (2005.3.1):台湾は既に独立した国家で、その名前を中華民国と言う。だから国の名を台湾共和国と変えるのは絶対に不可能。私は人を騙せない、できないと言ったらできない(做不到就是做不到)。
 (2007.3.5):四要宣言;独立をやる、国名を変更する、憲法を制定する。

 どうでしょう、オオカミ少年の発言を信じますか?李登輝が選挙のスローガンを棄てて国益政治をやれといったのに、スローガンで反撃するとは情けない。

 ●台聯党の存亡と民進党の「弟イジメ」

 結局、李登輝の発言には問題はないのだが、酒井氏が述べたように(193ページ)陳水扁はダーティだ、馬英九のほうがクリーンだ、と言ったことで民進党がアレルギー反応を起こしたのである。つまり陳水扁が汚職嫌疑で調査されていること、馬英九のほうがクリーンだといったことに反発したのである。

 馬英九がクリーンだと言う発言は数日後に馬英九が起訴されたのでこれは確かに李登輝の失言である。陳水扁がダーティだと言ったのはこの一年来、新聞が書き、国民党が総攻撃を仕掛けたデッチ上げで、事実ではないかもしれない。しかし陳水扁がダーティと言う印象を与えたのは国民党の謀略で、本来なら国民党に抗議すべきものである。陳水扁は狙撃されて死に損なっても沈黙したまま、更に自作自演と濡れ衣を着せられても、強引な真相調査会を作っても沈黙、彼自身と家族が攻撃に晒されても沈黙してきた。国民党の攻撃に対しては何も言えないのだ。

 私が言いたいのは陳水扁/民進党の連中が国民党の攻撃に対して一言の反撃もしないのに、李登輝が一回だけ批判したことでシャカリキになって反撃する必要がどこにあるのかということだ。国民党は強力だから批判され、濡れ衣を着せられても反撃しない。反対に李登輝/台聯党は弱いから総攻撃を仕掛ける、つまり「弱きをいじめ、強きに媚びる」内弁慶、臆病で卑劣である。陳水扁が独立をさけぶなら、統一派と闘争するべきで妥協、和解は不可である。

 陳水扁が「四要」を宣言したことで、多くの台湾人は陳水扁の転向?豹変?を「よい方向に向かった」と歓迎している。もちろん私もそうであることを願う一人だが、本気でやるだろうかと言う疑問は残る。

 彼の宣言が単なる選挙か、李登輝に反発するためのスローガンでないことを祈っている。

 ●「M型社会」と「中道左派」

 李登輝発言で最も大きな誤解を招いたのが「M型社会」と「中道左派」で、詳しい説明が必要だと思う。 もともと「M型社会」とは経済学用語で貧富の両極化が進んだことを言う。健全な経済社会では中産階級が多数を占める「山」型の社会、たとえば日本の社会がそれであるが、台湾の資本が中国に流出して多くの企業が中国で金儲けをするようになると、台湾の経済は疲弊して失業率が増加し、貧乏人が増えて貧富の差が増大し、中産階級が減少するから「貧富のM型社会」になる。李登輝の専門は農業経済だから、彼の言うM型社会とは経済社会の形態を言っている。

 李登輝と台聯党の新党首・黄昆輝はこれまで何度か「M型社会」と「中道左派」を口にしてきたが、李登輝は台湾の社会経済が疲弊していることを懸念して「中道左派」、つまり「貧富両極型の中産階級貧乏人寄り」といっているのだ。これが政治家や一般民衆に誤解されている。

 謝長廷ら民進党連中が口にするM型社会とは政治の形態、つまり統独の二極化したM型のことである。この二つは完全に違ったことをいっているのだが、民進党の李登輝批判では中道左派といえば「サヨクに接近した李登輝の転向」という。そして一般の読者もこの違いを知らずに李登輝の転向の証拠と思い込んでいる。 李登輝は当初から独立を言わない、統独問題は存在しないといっているのである。統独問題は選挙用のスローガンだとしたら、政治用語の「統独二極、M型社会」はありえない。この点は李登輝/台聯党の説明不足だが、これを民進党が悪用して国民党のお先棒を担ぐのもよくない。

 台湾の将来を憂慮する人々はみな民進党が台聯党と団結して国民党打倒に向けて努力することを願っている。総統選挙となれば民進党の候補者が和解路線を取ることに反対しても、結局は台湾人の候補者に投票するだろう。だからといって民進党が人民を代表していると思い込むのは傲慢、間違いである。

 外省人の泛藍が団結しているのに台湾人の泛緑が分裂して攻撃しあえば外省人が喜ぶ。民進党が和解共生をスローガンにして国民党と二大政党を作れば台湾の政治を更に悪化させる。これでは人民が苦しむだけである。民進党が本気で独立を追及するなら統一派と妥協することは出来ない、統一派もこのことは百も承知である。政治は騙しあいではない、真剣勝負である。民進党が心から反省することを願っている。  

 最後に、台湾の将来を憂慮する国民は政治家の押し付け政見を鵜呑みにするべきではない。人民の期待する台湾の将来を政治家が実行すべきで、そうでなくては台湾はよくならない。人民は政党に対して人民の期待とは何か、和解共生はダメだと宣言して政治家の改心を促すべきである。

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