中国での交通事情を間近に見ると、ほんとにびっくらこきますw
交通マナーのマの字もありましぇん。もちろん歩行者もチャリも。
これでは事故が起きない方が不思議だと思っていたら、どうやら交通事故の件数もハンパな数字では無いようです。
>一体いつになったら我が国のドライバーはこのような恥じ入る感覚を持つようになるのだろうか
むりっ!
( ´,_ゝ`)プッ
【サーチナ・中国情報局】
自動車の販売台数が飛躍的に伸びる中国。そのような中で自動車の運転マナーが問題となってくる。その運転マナーについて、日本から学ぶところが多いとする日本在住経験の持つ林少華氏のブログより。
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自動車を持たない者の憂鬱 最近、あたかも突然大金が手に入ったのかのように、また突然教授か助教授に抜擢されたかのように、同僚たちは次々と車を所有するようになった。
同僚が車を持つことは私にとって利もあり害もある。利点は、時々別の校舎に行く際、車のある人は親切にも私を同乗させてくれ、そのため公共バスの混雑やタクシーの出費を避けられる。
害は学内の行動が不便になったことだ。以前は授業の前後や夕飯後の散歩など、好きなように歩けた。しかし現在では左右前後しっかりと確認しなければならず、雨の日など泥水がはねないよう注意しないといけない。もう一つは騒音がうるさいことだ。夜中に車の盗難防止の警報装置が作動したり、考え事にふけりながら道を歩いていると、後ろから突然クラクションを鳴らされ大変驚く。これらのことは歩行者を憂鬱にさせる。
私は日本で数年過ごしたことがある。周知のごとく日本は自動車王国であり、私を除いてほとんどの人は自動車を所有していた。しかし私は特に煩わしさや憂鬱を感じることはなかった。なぜか。それは日本では歩行者優先だからだ。人と車が出会った時、車は必ず早々と停車し、歩行者を先に渡らせる。住宅街を歩いていても車は歩行者の背後から突然クラクションを鳴らすことはなく、ただエンジン音を唸らせながら徐行し、歩行者が察知してから通過していく。車に気づくのを待ってくれている時はかえって申し訳なく思ってしまう。
確かにある面では、日本人は無表情である。その後しばらく経って、彼らがこんなにも無表情なのは、それが礼儀だと徐々に分かってきた。交通規則あるいは紳士的な態度を尊守するのに、もっとも重要なのは自己の反省であり、すなわちある運転手が客観的みて、歩行者の生存空間と享受すべき安寧を侵害することは、一種の後ろめたさを生み出す。
一体いつになったら我が国のドライバーはこのような恥じ入る感覚を持つようになるのだろうか。車の無い人の憂鬱が軽減されることを私は期待する。
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(出典:林少華的BLOG意訳編集) (編集担当:長谷川昌志)
(サーチナ・中国情報局) - 12月11日20時52分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061211-00000022-scn-cn