高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

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10月9日 リリー・フランキー「東京タワー」

2005-10-12 | 千駄ヶ谷日記
日曜日の快楽のひとつに、午前8時から始まる「週間ブックレビュー」がある。
「すべてを失くして」(内藤ルネ)と「夏の家、その後」(ユーティット・ヘルマン)

を買いに行かねば、と思う。
でも、この3連休は、「東京タワー」と「楽園のシッポ」(村上由佳)と「細野晴臣インタビュー」(細野晴臣・北中正和)を抱えてるし、前に紹介された「告白」(町田康)、「ポーの話」(石井しんじ)もまだ読んでないし、、、

ベッドサイドには「楽園のシッポ」と「インタビュー」、居間には「東京タワー」を設置する。
まず、「東京タワー」の追憶の時間に飛び込む。
リリー・フランキーと、オカンとオトン、家族の物語。
人は誰でも、自分の人生という一大小説のテーマを抱えているというが、彼の生い立ちの話にどんどん引き込まれてゆく。
彼の幼少の頃の九州、筑豊の炭鉱町の話は、ピンクドラゴンのヤマちゃんが育った北海道、赤平炭鉱の話を彷彿とさせる。
端々に現れる生きてゆくうえでの価値観にも共鳴した。
たとえば「ポケットの中に納められた百円は貧しくないが、ローンで買ったルイ・ヴィトンの札入れにある千円の全財産は悲しいほどに貧しい」

後半の後半、オカンがガンの末期になったあたりを読みながら、私はしばしば、ソファーに本をガバッとうち捨てた。
どうしても、自分の介護体験とだぶり、息が苦しくなって読み進むことができなくなる。

10分ぐらいしてから、また本を取り上げ、そこにある世界に入ってゆく。
私なんてさ、どれだけの肉親と長い過程の別れ、そして予期せぬ突然の別れがあったことか。
その時その時の光りを放ちながらも、ジワジワと消えていったた命も、いっしょに生きてきたのに、あれよっというまに目の前から消えていった生きている人間同志の絆の脆さもふくめて、さ。
読んでいて、うなずいたり、チクチクしたけど、号泣はしなかった。
そして読み終わったら、なんだかさっぱりした。
最後のほうに渋谷のスクランブル交差点をみる著者の心境の記述があった。

私もまったく同様のことを、こんなふうに日記に記したことがある。
渋谷のスクランブル交差点を、人々がかき回されながら渡る。
その中の一人である私は、たったひとり、大きな苦悩を背負った糞ころがしのようだ。そう感じると、明るい陽射しのなかで、突然どっと涙が出てきた。
でも、ここにいる人たち、実はみんな何かを背負った糞ころがしなのだ。
誰でもいつか経験することなのだ。

写真 (撮影・ガリバー) ヤマちゃんたちの故郷、赤平炭鉱で。71年。