高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

10月1-6日 東京駅で再会

2005-10-11 | 千駄ヶ谷日記
1日 突発的に映画「メゾンドヒミコ」を友だちと観に行く。
土曜日の第一回目だから、座れないことはないだろうと思ったら、甘かった。整理券が出ていて、最終ぐらいだったので、辛うじて前から2番目の席が空いていた。
「ジョゼと虎と魚たち」の監督で、あの時同様、臭覚を効かせた人たちで、混んでいるのかしら。
オダギリジョーと柴崎コウはすごく魅力的だった。

でもちょっと冷静になると、あの物語の中のゲイの方々はどうなんだろう。
たとえば、反射的に思い起こすのは、オーストラリアの映画で、ゲイのロードムービー「プリシラ」。
ファッションが素敵で、いつも画面の中に、お祭り騒ぎがあった。あの度外れの賑やかさと、ゲイとして生きることの悲しさ、そしてオーストラリアの雄大な自然。
いろんな要素がてんこ盛りの中に、毅然とした品格があった。
今回の田中ミンさんは、「蜘蛛女のキス」のモリーナや「プリシラ」の誇り高いゲイを連想させたけど、、、うーん、、、、
ダンスシーンでは、友だちも私も泣いてしまった。あの踊りのなかには、CMでいっしょになるカオルコさんのお弟子さんがいっぱいいたはず。
ともあれ、これからも千円の快楽(シルバーなので)を忘れないようにしようと思った。

このあと伊勢丹会館の「あえん」で、自然食の定食を食べ、ゲルマニウム温浴(足湯)に行き、残っていた風邪を吹き飛ばした。

4日
劇団新感線の「吉原御免状」を観た。
堤真一、松雪泰子ともに素晴らしかった。
特に松雪さん、実は九の一で、花魁(おいらん)の身とあっては壮絶な死は約束されたようなもの。この世にこんな色っぽいひとがいるのだろうか、というぐらい美しかった。
数年前、テレビで昔の女流作家を演じたとき、「あれ、こんなに地味な役なのにステキ」と驚いたけど、彼女って才能ある。

6日
東京駅南口のドームのなかにある「精養軒」で、約40十年ぶりに編集者の椎根和(やまと)さんと会う。
実は書き終わった「表参道のヤッコさん」に椎根さんのことを書かせてもらったし、60年代、70年代をいろいろチェックしていただくため。
あらかじめ送っておいた原稿を、たんねんに読んでいただいていたことに、恐縮する。

それとあの時代の写真で、撮影者不明としていたもの、主にロンドンの写真には、椎根さんに撮ってもらったものが多いことが判明。
そのあと、私の原稿からはみだしたいろんなことを教えていただいた。
たとえば、写真家の十文字美信さんの六本木スタジオのアシスタント時代のこと(ブログ8月28日「六本木スタジオで」を参照して)は、平凡パンチに「六本木スタジオのブリリアントなアシスタントたち」というタイトルで見開きで特集したことがあるとか、、、お宝のエピソードを いっぱい聴いて興奮した。(椎根さん、いつか、書かせてね)

椎根さん自身は、平凡パンチ時代に担当していた三島由紀夫に関して執筆中とのこと。
世間にあまた出ている三島由紀夫論があまりに椎根さんが接していた三島由紀夫とかけ離れているためだそうだ。椎根さんは紅いシャツを着て、短髪で、若々しかった。
私は40年前と同じように、目をきらめかせながら、椎根さんの話を聴いていたことだろう。

写真 (撮影・椎根 和) 71年ロンドン。椎根さんもいっしょに滞在していたイレブン・カドガン・ガーデンという、実はかなり格の高いプライベート・ホテルの前で。「KANSAI IN LONDON」の準備中の寛斎さん、ヘアメイクの鈴木輝雄さん、私。ここはキングスロードにも近かった。