goo blog サービス終了のお知らせ 

Re

Re=response=応答、感応=物事に触れて心が動くこと。小田和正さんの大好きな曲からいただきました。

「刀一振りに奥義あり~時代劇を支える殺陣師」

2008-03-16 | 観る、聴く

13日放送のNHK「刀一振りに奥義あり~時代劇を支える殺陣師」
ご覧になったかたは・・・いないかな~(笑)
(BS-hiの番組「アインシュタインの眼」で放送されたものの再放送のようです。
 地上波ではお初かな。)
偶然その番宣が目に留まって、面白そうだったから録画したのですが、
ものすごく面白かった~!!

時代劇を陰で支える殺陣師。
最新の映像技術スーパーカメラを駆使して、その技と秘密に迫る。
【司 会】恵 俊彰、塚原 愛
【ゲスト】加来耕三(作家)、吉本多香美(女優)
【出 演】林 邦史朗(殺陣師)

殺陣は、時代劇に欠かせない立ち回りを、
いかに本物らしく、いかに見栄えよく見せるかが命。
そのうえで、竹光(撮影用に作った刀)を使うといえど、
役者にケガをさせないよう、絶対安全な技術でなくてはなりません。
そのために、殺陣師は数々の驚くべきテクニックを駆使するのです。

迫力のある「寸止め」「抜き胴」には、
刀の振り方、柄の絞り方、手首の使い方などにコツがあります。
複数を相手にする立ち回りや、危険の伴う「突き」は、
カメラの死角を利用することで、
役者にとって安全で、観る側には迫力のある立ち回りを可能にしています。
時代劇や殺陣師にとっては、いわゆる「企業秘密」
それを知ってなお、殺陣の迫力と華麗さの魅力は尽きません。
逆に、それを観る面白さは倍増です。

また、殺陣は実際の剣術でもなければ舞でもなく、
あくまで、時代劇をよりリアルに見せる表現方法のひとつです。
そのための工夫が、数々あります。
まずは所作。
着物の着こなしから、歩きかた、立ち居振る舞い、刀の扱い、
常に道理を念頭にして動くことで「らしさ」が自然になります。
実際の剣術の応用。
立ち回りの流れは、現実の斬りあいを想定してプランをつくります。
すると、自分と相手、ひとつひとつの動きに道理があることがわかり、
殺陣に美しい「流れ」が生まれます。
性格づけ。
剣士の素性や腕前、性格によって、殺陣や動きを変えます。
これにも当然道理が存在して、すべての動きに「らしさ」が表現されます。
殺陣をこなすテクニックを覚えても、
道理に適った動きが伴っていなければ、殺陣は殺陣として成立しないのです。

最後に、林先生のもとで立ち回りのできる役者や殺陣師を目指して
修行を続ける若者たちの姿が紹介されました。
彼らは、週2回道場で殺陣の稽古をする傍ら、
ふだんの生活のなかでも、時代劇の基本ともなるすり足などの所作、
和服での生活を実践したり、夜間の素振りを欠かさないなど、
日々の努力を積み重ねています。
時代劇にかける彼らの熱い思いが、とても嬉しく思えました。
やがて、彼らが明日の時代劇を支えていく存在になることでしょう。

いやあ、45分みっちり、実に面白かったです。
なんと言われようと、
こういう番組が作れるNHKが、わたしはやっぱり好きですよ。
・・と感心していたら、番組の最後は
「4月から、木曜時代劇は土曜時代劇に変わります!
 その第1弾は『オトコマエ!』」
なんだよ・・番宣だったのかよっ(笑)

すごく楽しんだからいいんだけど・・
それにしても、その『オトコマエ!』
んん~~~、いいのか?伝統あるNHK時代劇。
なんとなく、最近ますます迷走気味ではないかいな。
「○曜時代劇」というのはもともと、
エンターテイメント時代劇だとして、
大河ドラマの時代劇とは趣を隔すものとして製作しているそうだけど、
なんか最近は、なかなか面白いのがないよね・・。
若い人とか女の人にも時代劇の視聴層を広げたいみたいだけど、
小手先の工夫(人気若手俳優を使ったり、若者むけ内容にしたり)では
その番組限りの人気で終わり、結局継続的な時代劇人気には繋がらないと
思うんですよ。
大河ドラマではできない斬新さを扱いつつ、
根っからの時代劇ファンの心をくすぐるような時代劇の醍醐味を
もっと大切にしていかないと、
時代劇人気は広がるどころか、衰退しかねませんよぉ。
新しい人たちをその醍醐味で惹きつけてこそ、
時代劇をまた見てみようという意識に繋がるんじゃないですかね?
NHKさんくらい、まともな時代劇を創り続けていただけませんかねぇ(涙)

今年は大河ドラマも観ていないのと、
(時代や人物には興味があるけど、メインの若手さんたちがどうも苦手で~)
歌舞伎をそこそこ見るようになったら、
最近はすっかり時代劇から遠のいてしまいました。
そろそろ「おおっ!」というような作品を観てみたいです。

久しぶりにかっこいい殺陣に触れたので、
やっぱり何か「かっこいい殺陣」を観たくなりました。
で、手っ取り早く出てきたのが・・
上川信長の本能寺のシーン。(「神に愛されなかった男~明智光秀」)
何度見ても、超かっこええ・・・(感涙)
(なおこのドラマは、このシーンを楽しむだけのために手元に存在する。)
殺陣師熟練のマル秘テクを駆使した立ち回りを、
教わった以上に(ほんとか)超~かっこよくキメまくった彼こそ、
「殺陣のできるホンモノの時代劇役者」だーっと、
深夜ひとり絶賛いたしておりました(爆)←完全な身内びいき。

茶髪より、侍がよい・・。
と、ちっちゃい声で言ってみる。←たぶん『きみ時間』を観るまでの願望。

「明日のために、今」

2008-03-11 | 観る、聴く

3月3日にTBS系で放送された、
TOYOTAスペシャル「明日のために、今」(番組HPはこちら
21:00から、と遅い時間帯だったので、
録画して先日子どもたちといっしょに見ました。

世界には、戦争や貧困や環境汚染などさまざまな問題があって、
その深刻な現状を見聞きするたび、
「今、なんとかしなくちゃ」と思うのだけれど、
「でも何をしたらいい?何ができる?」
そして、考えれば考えるほど、
「結局、何も変えられない、変わらない」
つい、そう思い至ってしまいます。

でもこの番組は、そんなわたしたちに勇気と希望を与えてくれます。

わたしたちのできることは、
世界の深刻な状況を、変えるようなものではないかもしれない。
はっきり言って、そんな簡単に世界は変わったりしない。
けれど、わたしたちに何かひとつでもできることがあるなら、
いえ、かならずできることはあるから、
わたしたちは、それをするだけ。
それが、少なくとも今を生きるわたしたちの、明日への義務。
「Do it!」

藤原紀香さんがナビゲーターとなって、
4つの問題について「自分たちにできること」を、
模索し、奮闘した人たちの記録を紹介しました。
紀香さんも、カンボジア難民の支援を通して「自分のできること」を
実践し続けている人のひとりです。

1.フィリピンの子どもたちに保育所を。
2.棄てられた犬に再び温かい飼い主の愛情を。
3.ブルキナファソの子どもたちに水汲みのリヤカーを。
4.日本縦断ごみ拾いキャラバン。
番組をご覧になっていない方は、ぜひ番組HP「4つの問題」をご覧ください。

日本に暮らすわたしたちは、しあわせです、
恵まれすぎた世の中で、人の心の在り方が変わってきてしまって、
人と人とのトラブルやさまざまな分野での偽装問題が噴出し、
果たして、物質的に恵まれたわたしたちとそうでない社会の人との、
どちらが本当にしあわせなのか、とも言われます。
たしかに、その点では考えさせられます。
それでも、やっぱりわたしたちは圧倒的に恵まれているのです。

わたしたちは、知ることができます。
今、どんな問題があって、どんな状態であるかを。
だから、想像することができます。
「こんなふうになったらいいのに」と。
そして考えることもできます。
「じゃあ、どうしたらいいのだろう」
想像して考えて、また想像して考えて・・
そうすれば、かならず「自分にできること」は見つかると思うんです。
自分にしかできないことじゃなくても、
すぐに何かが変わるようなことでなくても。
そして、その先にはきっと誰かの笑顔があります。
それを信じて、
わたしたちは、今、何かをしなければ。
そして、それをやり続けること。
明日のために。誰かのために。


この番組を見て、わたしも背中を押された気がしました。

今、町内の福祉委員会のお手伝いをしています。
ここ数年来縁あって、ボーイスカウトや子ども会、学校・保育園PTA
などの役員を続けて経験しました。
たくさんの人に出会って、たくさんの刺激を受けて、
ほんとうにいろいろなことを学ばせてもらい、感謝しています。
そのなかで、いちばん大切だと思ったことが、
人と人とのつながり、ことに地域の人たちとのつながりです。
役員の仕事が、ひとつ終わりふたつ終わりしていくうちに、
これで終わってしまっていいのか、
これから自分にできることはないのか、考えるようになりました。
ボランティアをしたり、仲間と話をしたりしていくうちにたどりついたのが、
町の福祉委員会のお手伝いです。
町の人たち=いちばん身近な人たち=いちばんお世話になる人たち、だから。

・この町に住んでいてよかったと思える町づくり。
・顔の見える近所づきあい。
・みんなが参加し創っていく、みんなのための福祉活動。
これが町の福祉委員会のめざすもの。
わたしのやりたいこと、わたしにできることが、ここにある!そう思いました。
委員会に自主参加させてもらって、もうすぐ3年になります。

実は、この福祉委員会自体発足して4年目なので、
まだまだいろいろなことが手探り状態、試行錯誤の繰り返し、
組織も、活動も、まったくもって不十分・・。
これでいいのかと思ったりするけれど、
役員のほとんどが70歳前後の町内会OBさんたち、
若輩者がおいそれと意見し難かったりもするのです。
でも、みんな「町のために、なんとかしなくては」という気もちは一緒。
焦らず、自分のできることで「お手伝い」することにしています。
動けるところは、どんどん動きます。
大先輩たちが動こうとするときは静観、バックアップにまわります。
わたしのことも、だんだんわかってくださるようになりました。
昨年度は、とってもいい感じでたくさんの活動を協力してできました。
みんなのやる気も、ほどよくアップしてきているように思います。

それでも、ときどき暗い気分になるときがあります。
委員会のみんなはとても頑張っているのに、
町のなかで、何かが変わってきたと感じることってないから。
町の人の関心が上がってきたとも思えないから。
このままでいいのかな、
何の役にも立っていないんじゃないかな、と思うこともあります。

でも、それでもいいのだ、と思えるようになりました。
「いい町にしたい」
それだけの気もちで、今できることを続けていくだけ。
何かが変わっていくかもしれないし、変わらないかもしれないけど、
これまでも、みんなで頑張ったとき、
決して多くはないけれど、かならず喜んでくれた人たちがいたから。
できることがあるなら、
まして、喜んでくれる人がいるのなら、
やるべきなんだと、はっきりわかりました。

『身毒丸 復活』 観劇

2008-02-27 | 観る、聴く

『身毒丸ファイナル』を以前DVDをお借りして観ました。
ストーリー的には気乗りのしない作品ではありますが、
やはり藤原竜也くんといえば『身毒丸』
先のが「ファイナル」とうたってあったので、
もうこれを観ることはないと思っていたところ、6年ぶりの思いがけない「復活」
この貴重な機会を逃す手はありません。
藤原くんの舞台はこれまでいくつか観ましたが、
それらを経て成長した彼が、彼の原点とも言えるこの作品を、
どう観せてくれるか、楽しみにして出かけました。

『身毒丸 復活』
作・寺山修司 岸田理生 演出・蜷川幸雄
出演・藤原竜也 白石加代子 品川徹 蘭妖子 石井愃一ほか
2月24日(日)12:30~ 愛知厚生年金会館 1階D列上手

見世物音楽劇、という言葉が浮かびました。
冒頭に出てくる、この時代風俗を象徴あるいは揶揄するかのような異様な人々、
あり得ないような巨大なカミキリ虫やハンコ人間、
黄泉の国?に行ける不思議な穴を持つ仮面売り・・。
現実と非現実の錯綜。
昨年秋に観た『エレンディラ』の世界に似たものを感じました。
その『エレンディラ』は、<見世物祝祭劇(オペラ)>とうたわれており、
要所要所で、役者(あっきーや美波ら)が歌で心情を表現しました。
この『身毒丸』において音楽は、役者が歌うのではなく、
歌舞伎でいうと浄瑠璃のような使われかた。
ときにナレーションであり、ときに心情を詠うものであり。
また、『エレンディラ』とは結末にも似たものを感じました。
道徳的思想や秩序=精神的な縛りからの解放。
祖母を殺し、恋人を捨て、心とからだの自由を求めたエレンディラ。
家族を崩壊させたのち辿りついた、継母撫子と継子身毒丸の恋情。
どちらの作品でも、ある意味人の道を踏み外したところに、
彼らの真の自由を見出して、混沌のなかへと消えて行きます。
だから、結末が非常に重くて、砂利を噛むような思いさえ感じます。
(ただし『エレンディラ』の場合、蜷川版では、坂手脚本がそういう原作の
結末に大幅加筆していて、最終的にはカタルシスを覚えるほどに変形されて
います。わたしはそれはそれでとても良かったと思いましたが。)

観劇後、そんなことをいろいろ考えながら帰路につきました。
あとからパンフを読んでびっくり。
寺山氏が興した演劇実験室天井桟敷の「身毒丸」公演ポスターには、
<見せ物オペラ>という文字が!
見世物音楽劇という言葉を思い浮かべたのは、
あながち間違いではなかったようです。
また、シェイクスピア作品の翻訳で蜷川さんとのつきあいも長い
松岡和子さんの寄稿のなかでは、
『身毒丸』と『エレンディラ』の関係が綴られていました。
(松岡さんが)『エレンディラ』の初通し稽古を見たとき、
すぐさま『身毒丸』を思い出したこと。
そのことについて蜷川さん自身も「女版『身毒丸』だ」と認めていること。
『身毒丸』なくして『エレンディラ』はなかったと思われること。
ちなみに「2007年の演劇的成果の一つは、ガルシア・マルケス原作、
坂手洋二台本、蜷川演出の『エレンディラ』だということに異論はなかろうが」
のくだりは、非常に嬉しく思いました。
ご覧になったかたが意外に少なくて残念だったのですが、
わたしは、演劇的面白さが満載のこの作品にとても興奮し感動しました。
わたしの昨年観劇作品のなかでは、堂々ベスト3入りさせています。

さて『身毒丸』
生の舞台を観てみると、
やはり『エレンディラ』同様、演劇的な面白さに興奮します。
演劇の面白さって、二通りあると思うんです。
具体的に見せることを極力押さえて、観客の想像力で見せる芝居と、
徹底的に見せる、観念的なもの、あり得ないものまで見せつくす芝居。
最近、歌舞伎をちょこっと観るようになったのですが、
前者は舞踊などに多くて、後者は荒事などによく見られる気がします。
どちらも舞台で観る芝居だからこその面白さで、もう病みつき(笑)
歌舞伎のにわかファンのわたしでも、
『身毒丸』の演出には、歌舞伎の手法を使っていることに所々気づいたし、
歌舞伎っぽいなあと感じる場面もいくつかありました。
撫子が買われてきて初めて「家」に入ったとき、
着物の「引き抜き」と下ろした黒髪をくっと結い上げることで、
一瞬にして「女」から「母」に変わったことを見せるところや、
身毒丸が仮面売りから奪った「穴」で黄泉の国に落ちるところ、
撫子が黒い着物に黒髪を振り乱して激しい情念を表現し、
身毒丸がその情念に操られ痛めつけられもがくシーンは「連理引き」
を観るような感覚でした。
いっそ歌舞伎仕立で、撫子を女形が見せたら、
白石さんとはまた違った妖しさと恐ろしさに痺れそうです。
『身毒丸』は、先ほどの後者、敢えて見せつくす芝居で、
観客を非現実の妖しい世界に酔わせながら、
徐々に想像力を掻き立てることにも成功していると思います。

ストーリーについて。
「母」として買われ、夫には女として愛されない女が、
継子に道ならぬ恋心を抱くが、彼は亡き母を慕い続け継母を拒絶する。
思うようにならぬことに苛立った継母は彼を折檻し、
さらに恨みを募らせて彼の両目を潰してしまう。
家を出た彼は、継母の子を汚し、父は狂い、家は崩壊する。
家という枠組み、継母子という関係から開放され、
ふたりは、愛を求め合うようになる。

継母が継子に恋をしたことが巻き起こす忌々しき悲劇の物語は、
そのベースが大変歴史が古く、中世文学・芸能にまで遡るものだそうです。
そこから現代まで、実に多彩なかたちで日本の文学や芸能の世界に
影響を与え、数多くの作品としてモチーフとなって生き続けています。
この『身毒丸』のほか、三島由紀夫の『近代能楽集 弱法師』や
人形浄瑠璃や歌舞伎の『摂州合邦辻』が有名ですが、
公演パンフに詳しいこの物語の歴史を読むと、
「継子への恋情」の毒々しいほどの生命力の強さが、空恐ろしくさえ思えます。
なぜこれほどまでに、このテーマが長く深く生き続けるのか不思議です。
近代以前にはよくあることだったのでしょうか・・。

寺山修司・岸田理生作、蜷川幸雄演出の『身毒丸』は、
継母・撫子の一方的な継子への恋情にとどめず、
継子である身毒丸も撫子に惹かれており、
互いに激しく傷つけあいながらも、最後は求め合って生きていくことになります。
ただ、わたしは「ファイナル」を観たときもそうでしたが、
今回「復活」を間近で観ても、はたして身毒丸が撫子を女性として
愛しているのか、疑問を持って終わりました。
身毒丸が撫子を拒否し続けたのは、撫子のなかの母性に惹かれつつ、
そういう自分を認めたくない、亡き母を母として忘れたくない、
忘れてはいけないという気もちの葛藤の表れかと、わたしには思えました。
今回観るにあたって、
身毒丸の恋情は、撫子のなかの女性に対するものなのか
母性に対するものなのか、ずっと関心をもっていました。
「お母さん!ぼくをもういちどにんしんしてください」
撫子の胸に抱かれた身毒丸が叫んだこの言葉の意味が
どうにも引っかかっていて、今回も明確にはなりませんでしたが、
身毒丸は、やはり母性に抱かれたかったのじゃないかな、と感じました。
家という枠組みがなくなり、継母と継子という関係もなくなり、
ようやく、亡き母の幻影を身のうちから消し去ることができたのかもしれません。
彼はこれから撫子を、母のような女性として愛していくのでしょうね。

藤原竜也くんについて。
藤原くんの舞台は・・と振り返ってみると、
なんと一昨年の『オレステス』名古屋公演以来でした。あらあ??
なんだか頻繁に観てるような気がするのは・・気のせいでした(笑)
お久しぶりの藤原くんは、ずいぶん大人の印象に成長してました。
(って、もう25歳なのね~!)
あの身長と声にして、童顔なのがどうしても好きじゃなかったのだけど、
(ファンの方、ごめんなさいね~!)
今回、はじめて「おっ♪」と思いました。髪形もすっきりと、よく似合ってた。
やっと少年から青年になったって感じかしら~。
(ふっ。まだまだね・・)←きゃあ石投げないでっ。
例のシーンは、真ん前でしたね。
ま、わかってたことだし、まだまだ青年だしね~、細っ!うすっぺらい!
残念ながら(残念じゃないけど)ときめきませんでしたわよ。←きゃあ、また石っ。
それより「あら!ほんとに水入れたよ~」と、そっちにびっくり。
冗談はさておき。
やっぱり悔しいくらい(なんで?笑)巧いですね、まだ25歳だというのに。
蜷川さんに0から叩き込まれているだけあって、
蜷川さんの選ぶ作品の独特な台詞を、ほんとに巧くこなすし、
台詞を聴かせる力、求心力がすごい。
そう、彼の求心力のものすごさを体験したのは『近代能楽集 弱法師』
これはもう一度観てみたいです。
くしくも、同じルーツから派生した作品ですね。
わたしは『身毒丸』よりも『弱法師』のほうが、お芝居としては好きです。
次回は、チェーホフの『かもめ』 共演陣も豪華ですね。
名古屋公演のチケットは確保済み。楽しみです。(夏は忙しいゾ♪)

白石加代子さん。
身毒丸の心のうちがいまいち掴みにくいのと対照的に、
継母・撫子の心情は、容貌(衣装や髪型)や表情、声色、しぐさ、小道具に
至るまで、次々手を変え品と変え、あえて見せる手法で表現されるので、
わかりやすいです。
妻、母、継母、恋人、そして情も募れば鬼女にもなる。
そもそも女という性に潜む多面性は、きっと男のそれよりずっと複雑。
ひとりの女が見せるさまざまな顔。
それらをすべて見せつくしていることで、この撫子は、
実に生々しく、それでいて不思議とかわいらしい「女」に見えたりもします。
さまざまな顔を隠し持って、ひとりの女。
そういえば、白石さんの猛女鬼女ぶりはいつもながらすごいですが、
一方で、この人の見せる大人の女のかわいらしさって、
ちょっと稀なものを感じたりします。
歌舞伎の女形が見せる独特のかわいらしさに似ているような。
たまには猛女にならない白石さんのお芝居も、観てみたいなと思います。

(以下、お芝居に関係なし)
お芝居が始まる前に、観劇友だち(大先生)とちょっとおしゃべり。
短い時間だったけど、あれもこれも話しておかなきゃ、
聞いとかなきゃ(笑)で楽しゅうございました。
おまけに彼女から、東京土産の「カンフェティ」(『きみ時間』特集)♪
大阪土産は『ウーマン・・』のできたてほやほや?本チラシ♪
をいただいてしまいました。(名古屋は今回まだ仮チラシだよ~)
気にかけててくれてありがとう~!お世話になりっぱなしです。
おすすめDVDは、ゆっくり観させていただきま~す。

『ウーマン・・』の本チラシを手に・・
その日まで、ここ厚生年金に通うのはあと2回!もうすぐだ~。
ちなみに、次にココに来るのは、3月のあっきーライヴです♪♪

観てないけど「ちいさき神の、つくりし子ら」

2008-02-18 | 観る、聴く

16日、教育テレビ『ろうを生きる 難聴を生きる』という番組を見ました。
ちょうど同日まで、キャラメルボックスの岡田達也くんが出演していた舞台
『ちいさき神の、つくりし子ら』で、初舞台にして初主演を務めた、
津田絵理奈さんという女優さんの奮闘を追った、短いドキュメンタリー。
番組HPはこちら  再放送もあります。

岡達くんの外部出演の舞台、それも大好きな板垣恭一さんが演出。
とっても観にいきたかった舞台です。
期待どおり、観に行ったブログ友だちさんにもかなり好評。
そしてこの番組のことを教えてくれたので、忘れずチェック。(ありがとうね!)

『ちいさき神の、つくりし子ら』
  マーク・メドフ/作 板垣恭一/演出 2/8~16  俳優座劇場 
ろう学校に赴任してきた口話教師ジェームズ(岡達)と、
そこで働く先天性ろうの女性サラ(津田)。
互いに惹かれ合うふたりが、
聴者とろう者のあいだの壁にぶつかりながら、ほんとうの愛を模索する。

「ヒロインのサラ役には、ろうまたは難聴の俳優を」
という強い希望が、この戯曲の冒頭に記されているのだそうです。
そのサラ役にオーディションで選ばれたのが津田さん。難聴だそうです。
高校時代、演劇における自己表現の楽しさに目覚め、女優をめざしています。

聴こえないひとたちの会話のしかた、いろいろあるんですね。
サラが使う手話は、ろう者本来の手話(日本語と異なる語順やリズムで成り立つ)。
しかし津田さんは、ふだんそういう手話を使っていません。
サラを演じるにあたっては、手話の解釈から手話のリズム、顔の表情など、
まるで違う言語を扱うようです。
より自然な表現ができるよう、ろう者劇団の方から特訓を受けていました。
また、戯曲には書き込まれていないサラの気もちの動きを、
自分で見つけ出し、考え、イメージして演じることも、
初めて本格的な舞台を踏む津田さんには、相当難題だったようです。
夢の舞台を目指して、それらひとつひとつに真摯に向き合う姿、
とても初々しくて好感が持てました。

2月8日に幕を開けた舞台。
翻訳ものなので、この先もたぶん映像などで観ることは期待できないと思います。
なので、ドキュメンタリーのなかでほんの少しだけだけれども、
このお芝居の様子を観ることができて、とても嬉しかったです。
実際に観てきた友だちが感想に上げたとおり、
舞台の津田さんは、とてもきれいな目をしていて、その目には強い力を
感じました。
その印象的な目と同じくらい、彼女の両手も、時に激しく時に悲しく、
とても豊かにことばを、心を表現しているように見えました。
はたして岡達ジェームズ、
彼の日記によれば、膨大な台詞や手話に相当苦労したようですが、
舞台人の大先輩として、この彼女の瑞々しい体当たりの芝居を、
どう受けたのでしょうか・・
彼女のサラが、あれだけ心をぶつけられているのは、
岡達ジェームズが、彼女の芝居を的確に受け止め、確実に返していることの
あらわれだと思います。
それから、短い映像のなかで、照明がとてもきれいで印象的でした。

こぢんまりとした劇場で、
大掛かりな舞台装置も演出もなく、仰々しい音楽もなく、
上質な戯曲で、心と心の糸が紡がれていくのを、
台詞と身体表現だけで、静かにじっくり見せていく舞台。
短い映像と友だちの観劇レポから、そんな印象を持ちました。
こういうのこそ観たい!
思い切って観に行くべきだった。
やっぱり、板垣さんの舞台は観ておきたい。
再演とか地方公演とか、考えてもらえないかなあ。無理だよなあ。
昨今「観たい!」と思うお芝居が増えるにつれ、
場所や日時の条件が合わず涙を呑むことにももう慣れっこ(?)だけど、
これにはつくづく後悔しました・・。
津田さんや、岡達くんじゃないけど、
チャンスは自分の手で掴まきゃ・・(なんかちょっと違う?笑)

津田さん、努力の甲斐あって、初舞台をほんとうに楽しめた様子でした。
「舞台が好きだ!」と、あらためて強く思ったそうです。
難聴の彼女が、役者として歩く道は、これからどう広がっていくのでしょう。
ろう者劇団のような場でもあるかもしれないし、
今回のようにまた聴者と共に演じる場もあるかもしれないですね。
強い瞳の奥に垣間見えた強い意志で、
お芝居を、舞台を、長く続けていって欲しいなと思いました。
そしていつかどこかで、
彼女のお芝居を観ることができたらいいなと思います。

千葉ろう者劇団九十九のHPに、印象的なことばがありました。
「ろう者の独特な表現能力を
 ろう者のひとつの文化として育て上げるためには
 演劇しかない・・」
以前少しだけ、かんたんな手話と手話の歌を教わったことがあります。
それこそ、ろう者本来の手話とは違うのかもしれませんが、
手話ってとても豊かな表現方法だなあと、そのとき感動しました。
津田さんが習ったようにリズムや顔の表情も入ると、
同じ言葉が、耳で聴くよりもずっと雄弁なものに思えてきました。
言葉を<感じる>っていうのかな。。そんなことを、思い出しました。
そういうことじゃないのかもしれないけど(笑)
「ろう者の独特な表現能力は、ろう者のひとつの文化」であるということは、
今回、すごくよくわかる気がしました。
劇団九十九だけでなく、ろう者劇団は全国にいくつかあって、
いろいろユニークな取り組みでその「文化」を、
聴覚障がい者だけでなく、誰にでも楽しめるものとして
広めていこうとしているようです。
機会があれば、こういう文化にも触れてみたいなと思いました。

『ファントム』 観劇

2008-02-04 | 観る、聴く

ミュージカル『ファントム』
A.コピット脚本 M.イェストン作詞作曲
鈴木勝秀 上演台本・演出
出演: 大沢たかお 徳永えり ルカス・ペルマン 
    大西ユカリ 伊藤ヨタロウ 姿月あさと(映像出演)
2月2日 12:00 愛知厚生年金会館 D列下手寄り

「ファントムは、怪人ではありません。人間です。」
これが今回の芝居のコピー。
人は社会のなかで、自分とは異質な存在を見つけたとき、
群れてそれを攻撃したり排除したりしようとする傾向にあります。
違う部分だけを見て、同じ部分を見ようとはしないのです。
同じ心を持ちながら受け入れられない人間の悲劇。
それはこのストーリーだけの話でなく、
現代社会のどこかで繰り返されているのです。

ミュージカルなんだけど・・
歌の力よりもむしろ、演出とか歌でない部分の芝居で、
この作品に惹き込まれました。
う~~ん、いいのか・・それで??

舞台セットは、かなり大掛かりな可動式で、凝ったつくりをしています。
ただ場面によっては、今回のような前方下手席では思いっきり見切れます(涙)
セットも大掛かりですが、演出もかなり大胆です。
芝居を、もはや舞台の板の上だけに留めない、
舞台上方から客席まで存分に空間を使った・・「飛び出す芝居」です(笑)
臨場感、緊迫感が、この上なく盛り上がります。
ほんとにびっくり! こればかりは観に来た甲斐があったと思いました。
(これについては、下のほうでネタバレで書いておきます。)

大沢たかおくん(ファントム=エリック)。
舞台で観るのは初めてですが、芝居の部分では申し分なし。
感情に大きく揺さぶられる芝居、
特に人間の弱さ、脆さをさらけ出すような場面は、いつも抜群にいいですね。
今回もキャリエール(伊藤ヨタロウ)との最後の場には、
久しぶりに嗚咽を堪えるのが苦しいほど泣けました。
注目の歌。初挑戦でよく頑張っていると思いますが、
・・・苦労してますね(苦笑)
聴いていて思ったのは、芝居の声はけっこう好きなのだけど、
声質がそもそも歌うのにあまり向いていないのかなあということ。
せっかくの舞台、やっぱりストプレで観たかったのというのが本音。

エリックの荒んだ心にひとすじの光を与えた天使の歌声。
亡き母を彷彿とさせる美しい歌声。それがクリスティーン。
やはりミュージカル初挑戦の徳永えりちゃん。
残念ながら、彼女にこの役はまだ早すぎ、重すぎではなかったかなあ。
決して歌は下手ではないと思うのだけど、
エリックの心を解かし、オペラ座の人々や観客のわたしたちを
一瞬にして納得させるほどには、その歌声には説得力が乏しいと思いました。
最初にクリスティーンの声でぐっと掴まれていたら、
エリックとクリスティーンの関係に、もっと心を寄せられたんじゃないかな
と思います。
一方、映像だけの出演でしたが、エリックの亡き母役の姿月あさとさん。
比べるのは酷ですが、さすがに歌声、歌唱ともに説得力がありました。
この母の記憶から徳永クリスティーンに結びつけるのは・・
いささか強引さを感じます(笑)

このミュージカル、実はたかおくんの芝居目当てだっただけで(笑)
ほかのキャストはほとんど知らない人ばかり。
そのなかで印象に残った役者さんにだけ、少し触れておきます。

オペラ座のパトロンで、クリスティーンに好意を寄せるシャンドン伯爵に、
ウィーンのミュージカルスター、ルカス・ペルマンさん。
昨年『エリザベート』来日公演で日本でも人気を博したようですね、
あっきーともジョイント・コンサートをしたり、と噂は聞いていました。
なるほど・・「貴公子」という言葉がぴったり。
慣れない日本語で台詞を頑張っていました。
なぜわざわざ彼(大阪ではパク・トンハ)を使うかの議論は別として、
その容姿といい、西洋人らしい自然なふるまいが、伯爵として申し分なく。
怯えるクリスティーンを守り、なだめようとするしぐさが、
なんともさりげなくやさしくて、
日本人の男優ではなかなかこうはいくまいと思わずためいきが出ました(笑)
歌は残念ながら1曲だけでしたが、さすがにらくらく声が出ますね、
ソフトでのびやかな歌声でした。

オペラ座の元支配人で、エリックをオペラ座の地下に長く匿ってきた
キャリエールを、伊藤ヨタロウさん。
重要な役ですね(と、いちおうぼかしておきます)。
エリックと心を通わせる最後の場、
たかおくんの渾身の芝居を、みごとに受けてくれています。
キャリエールのエゴと背中合わせの苦悩、最後の決断、泣けました。


さて、ここから演出等についてネタバレ解禁。
これから舞台をご覧になる方は、お読みにならないほうがいいかも。

先に書いたとおり、演出にはずいぶんびっくりしました。
飛び出す絵本ならぬ「飛び出す芝居」面白かったですよ~!
クリスティーンがカルロッタの罠に嵌り、
喉を潰してせっかくの舞台を台無しにしてしまったのを知ったエリック。
怒りを爆発させ、とうとうその姿を現します。

そこで<びっくり!その1>
舞台上方からいつのまにか降りたロープ(気づかなかった~、笑)から、
シューーーーッ!とエリックが滑り降りてきたのです。
びっくり~!&かっちょええっ!
ファントムが現れたことで、オペラ座は舞台から客席から大パニック
になります。

そこで<びっくり!その2>
実は、この事件のもととなったクリスティーンの初舞台が始まるときから、
その「仕掛」は仕組んであったのです。
仕掛というのは、オペラ座の観客に扮した役者たちが、
わたしたちの客席通路のあちこちに降りていて、そこからオペラを鑑賞
しているという設定。
劇中オペラを客席から観ながら、歓声をあげたり拍手をしたり・・。
そこへ、ファントム登場。
怒り狂ったファントムが、舞台を暴れまわります。
舞台上の照明は落ちて、銃声がパンパン鳴り響き、スモークも漂ってきました。
舞台上の役者たちは悲鳴を上げて右往左往。
と同時に、客席にいた観客(役者)たちも悲鳴を上げて逃げまわります。
舞台から客席を巻き込んで、ホンモノの大パニック状態です。
わたしはかなり前方席で、すぐ近くに観客役の役者さんたちがいたので、
黄色い悲鳴やら逃げ惑う足音やらまともに体感しちゃったので、
このパニック状態がめちゃめちゃ怖かったですぅ。
臨場感なんて生やさしいもんじゃないです、もうホンモノ・・(涙)
蜷川さん顔負けですよ、ほんとに。

<びっくり!その3>
ラストシーンですね。
ネタバレ解禁の場なので書きますが、オペラ座の元支配人キャリエールは
エリックの父親だったのです。
瀕死のエリックを前に、キャリエールは己の弱さを恥じ懺悔します。
キャリエールが父であることをいつからか感じていたエリックは、
そんな父を理解し許します。そして、最初で最後の願いを父に託します。
クリスティーンを連れてオペラ座のなかを逃げ回ったエリックが、
とうとう追い詰められたそのとき、
エリックが空を飛び(!)舞台上方から垂らされたロープに飛び移ったのです!
びっくりしたあ。
しかし、そこからはもう・・涙・涙・涙。
「助けてくれよ、父さん」
「わかっているだろ?」
すがるような悲しい声。(たかおくんのこういうの、たまりません・・涙)
父は、銃口を息子に向けました。
キャリエールが、どんな思いでエリックに銃を向けたか、
今も胸が苦しくなります。

最後に<びっくり!その4>
銃弾を受けロープから下ろされたエリックに、クリスティーンが駆け寄り、
仮面を外します。
初めてクリスティーンの前で仮面を外したエリックの顔は
(特殊メイクで)恐ろしい異形でしたが、
エリックの最期の顔は、(メイクを落とした)美しい顔になっていました!
クリスティーンが心の眼でエリックのありのままの姿を見て、
はじめてエリックという人間を受け入れたということでしょう。

いかがでしょう? ちょっとは伝わったでしょうか。
ずいぶん興奮して書きまくってしまいました(笑)
蜷川さんとか新感線なんかで、いろいろびっくりな演出は観ていますが、
いやあ、スズカツさんもやりますね~。

最後におまけ、カーテンコール。
カテコ中もわたし、かなり涙を引きずっておりました。
が・・!
カテコではじめて、たかおくん、仮面を外した素顔で登場です。
その瞬間、たかおファンの黄色い歓声っ!!
「すてきっ」「かっこいい!」「たかお~~♪」
あっという間にスタオベ、両手を振り降り、きゃあああああ。
びっくり!その5・・。
すっかり涙もぶっ飛びました。
前の方の席ってこともあると思うけど、なんか凄かったな~~。
『カリギュラ』の小栗くんのときも、前のほうはそうだったんだろうな。
そのときの席は果てしなく後ろだったから、蚊帳の外で平気だったけど(笑)

で、なんかラストで泣き疲れちゃったし、
あまりにまわりの勢いに圧倒されちゃったし、
それでもお隣さんは意地でも(笑)座っていらしたので、
今回初めてスタオベの波に抵抗してみました(笑)
いつも流されて立っちゃうわたし・・。
なかなか快感だったわ。
でもね~、2度3度たかおくんがあいさつに出てくるうちに、
「やっぱり笑顔を観ておかなきゃ、損、損~~!」
と思い至り、とうとう立っちゃいました~~(笑)
(いちおう、これはスタオベではない、と自分では区別している。)
感想。
うわ~~、これこれ♪思いっきり垂れ目の、くしゃくしゃ笑顔~♪
ほんとに背高~い、細~い、足長~~い!
エリックは怪人ではありません、元パリコレモデルです。
笑顔がほんとかわいくて、かっこよかったです。
立ってよかった(爆)

帰り道、ふと気がついた。
たかや、たかお、たかお(仁左衛門さんね)
「たか」がつく男に弱い、らしい。
かっこいいよな~~、たか・たか・たか♪
(ものすごいところへ軟着陸してしまいました、ごめんなさ~い!)

<明日だけを見る> 坂東玉三郎

2008-01-18 | 観る、聴く

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」1月15日放送は、
当世きっての女形、坂東玉三郎さん。(番組HPはこちら
海老蔵さん、亀治郎さんという今をときめく若手歌舞伎役者を取り上げた
ドキュメンタリーを最近続けて見たが、
同じ道にあって、彼らとはまたまったく違う闘い方をしている役者さんだった。
(彼らと比較するのはどうかとは思うけれど)
玉三郎さんは、常にマイナスを背負って、闘っている。
そこに、はかない命が放つ一瞬のきらめきのような強さと美しさを感じる。
切なくも痛々しくもありながら、しなやかで瑞々しく潔い。
それがそのまま、玉三郎さんの芸の美しさに表れているようだ。

玉三郎さんは、歌舞伎役者の家の出ではない。
また、1歳半のときに患った小児麻痺が原因で、
右足がわずかに短く、病弱でもあったという。
5歳のときに観た歌舞伎に興味を示し、
身体によかれと踊りを始め、その道に入ったものの、
女形としては背が高すぎた。

短い右足には、足袋のなかにフェルトを込める。
高い背丈は、腰を落とし膝を曲げることで低く見せる。
もともと丈夫ではない身体に、負担の大きい姿勢を強いることには、
毎日の身体の手入れ、節制を怠らない。
こうした踊りへの愛情と熱意と努力の積み重ねが認められて、
歌舞伎役者の養子となり、
今では、年間500もの舞台に立つという。

玉三郎さんは、歌舞伎役者としてマイナスを背負いつつ闘い続けるなかで、
「いつか踊れなくなる」
「踊れなくなったら、自分はどうなるのか」
そういう不安に苛まれるようになった。
それでも好きでたまらない踊りを止められない自分を思ったとき辿りついたのが、

<遠くを見ない、明日だけを見る>

今日を懸命に務め、それを終えたら、明日のためにできるだけの備えをする。
自分にできるのはそれだけ。
ただ、そうすることで明日は繋がる。

ただ、そうして毎日やってきた。
そしたら、50年経っていた、と玉三郎さんは柔らかな笑顔で言う。

キャスターを務める茂木健一郎さんとの間で
「役者における<華>とは何だろう」
という話になったとき、玉三郎さんは少し考えたのち
<よく生きること>
と言った。よく生きることとは、
「常に向上しようとすること」であり、
「身体的な衰え、造形的な美しさの衰えは確実にあっても、
 精神的、技術的、魂の部分で、少しでも向上していきたい」と。
役者の演技には、そのひとの生き方が表れるといわれる。
よく生きている役者には<華>がある。
ずんと、その意味の重さを感じる。

そんな玉三郎さんが、さらに目指すものは
<無意識の美>
自然の何気ない美しさ、
たとえば花は誰かに見せようとして美しくあるのではない。
そのような美しさでありたい、と。


遠くを見ない、明日だけを見る。
それは今日、今という時間をきちんと生きることだと思う。
それは、よく生きることでもあると思う。
歌舞伎が芸術であり、庶民の文化でもあるように、
玉三郎さんの生き方は、
歌舞伎役者としてだけでなく、ひとりの人間として、すばらしい。
こんなふうに、生きていきたい。
また、いい出会いを得られた。

(追記)番組では流れなかった話にも少し触れられています。
  茂木健一郎さんのブログ

<No Model New Model> 市川亀治郎

2008-01-11 | 観る、聴く

昨年の大河ドラマ「風林火山」から大注目の市川亀治郎さん♪
信玄はもちろん、パルコ歌舞伎『決闘!高田の馬場』も、
歌舞伎チャンネルの『亀治郎の超まじKAME!』も、すごく面白かった。
そんな彼が「情熱大陸」に登場!(番組ブログはこちら

この番組っていつもながら、
みごと「その人」に惚れされてくれるなあ!(笑)

<No Model New Model>
う~ん、なんて完璧なキャッチフレーズなんだっ(←かなり感動。)
誰かの型を踏襲するのではなく、自分の型を新たに創り上げる。
「歌舞伎は面白くない(のが大部分だ)」とさらりと言い放つ。
しかし、
「面白くできる。」
淡々と語りつつ、自信に裏づけられた不敵な表情が印象的。

澤瀉屋(おもだかや)2代目市川亀治郎。32歳。
父は段四郎、伯父に猿之助。
自分にとって歌舞伎とは、
人がごはんを食べるのと同じくらいごく普通のこと。
高校生のころ、落書きは隈取りだし、
サッカーやってる片隅で踊りを練習していたり。
生まれながらの歌舞伎役者、
歌舞伎ひとすじの道に、何の疑いもない。

しかし彼は、決してその決められた道を安穏と歩かない。
ナナハンでぶっ飛ばしてみたり、逆立ちして歩いてみたり、
あるいは道に落書きしたり、トンネル掘っちゃったり・・
自分が面白いと思ったことをどんどんやりながら、
それでも確実に、まっすぐと前へ、道を進んでいる、そんな感じ。
澤瀉屋、「型どおり」「寄らば大樹」を嫌うらしい。
彼もその血筋らしく、師匠猿之助から敢えて離れ、一匹狼でゆく。
<傾(かぶ)き続ける一匹狼> それが市川亀治郎。

1年半の大河出演の直後、
初の座頭巡業で、一座を引き連れ1ヶ月で全国20都市を回った。
規模も施設もさまざまな劇場で、
その劇場にあわせた演出をしたという。
すごい。

彼のなかには、溢れんばかりのイマジネーションとパワーが漲っているようだ。
ところが彼、そんなところにスポットを当てられると、
実に淡々と、そっけないくらいに受け流す。それがまた面白い。
意気込みはない、目標は持たない。
淡々と芝居をこなすだけ。
「何かを決めると、
 それさえしていれば、と安心してしまうので、
 あえて何もきめないのです」
ふだんから、決めたことは必ずやり遂げるというのが当たり前だからこそ
吐ける台詞だ。
(「それさえして」ない自分が言えば、ただの見栄っ張り発言だよ)
ふっ、どこまでもかっこいいヤツ!

ところで、彼の歌舞伎に対するスタンスを見ていて思い出したのが、
市川海老蔵。
秋に、彼のドキュメントをやはり興味深く見たから。
彼にとっての歌舞伎は、亀治郎にとってのそれとは、大きく違った。
彼は同じ道に、ずっと違和感や嫌悪感を持って生きてきた。
彼はその道を、ずっと悩みながら、迷いながら、焦りながら歩いてきた。
芸の実力の違いはいざ知らず、
このふたり、歌舞伎道の歩きかたについては、
どちらが優り、どちらが劣るというものではないと、わたしは思う。
ふたりとも、じゅうぶんに傾(かぶ)いているじゃないか。

今、若手の歌舞伎役者たちは、実に個性的で、明るく元気なようだ。
それに惹かれて、歌舞伎人気は急上昇中。(わたしが喰いつくくらいだし)
歌舞伎界にとって、とても幸福な時代なんじゃないか。
しかし、決してそれに奢らず、伝統はしっかり継承し、
一方で型破りの面白さを、追求し続けてもらいたい、と思う。
(超ビギナーが、偉そうなことを言ってみました。)


あ~あ、亀ちゃんの舞台『風林火山』やっぱり観たくなってきたなあ。
「きみ時間」と抱き合わせにしたかったなああ。

リベンジ 「カリギュラ」

2008-01-09 | 観る、聴く

もうね・・意地になってます、わたし(笑)
昨年観劇分で、どうしても感想が書けなかったふたつのうちのひとつ。
コレを観た仲間内ではめちゃくちゃ評判が良かっただけに、
・・・はっきり言ってね  くやしいのっ!

早々にWOWOWが放送してくれるっていうので、待ってたわよっ。
それでダメなら、完全にアタシには合わなかったんだと諦める、と決めて。

観た。
おおお・・・。
やっとこのお芝居の魂を受け止められた気がした。(おせ~よ)
なるほど、すばらしかった。泣けはしなかったけど。
カリギュラ、ケレア、シピオン、セゾニア、エリコン・・
みんなこんな表情、こんなお芝居してたのか~~!
重要な台詞や好きな台詞はもともとけっこう頭には入っていたんだけど、
やっと心のなかにすーーと入ってきたよ。(もう謙信じゃない。笑)
わたしがわるうございました。未熟でありました。
いや・・席が悪すぎたのだ・・とちょっと言い訳してみる。
いやいや・・よくよく考えてみても、やっぱりあの時(観劇時)の気分には
そぐわない内容であったのは間違いない。(これも言い訳?)
まあいいや、ともかくリベンジできた!というわけで♪

理不尽極まりない神の所業に対抗するため、
不条理をあらゆるものに押し通そうとするカリギュラ。
自らが神を理解できないように、自らを理解されることを拒むカリギュラ。
しかし、シピオン、ケレア、セゾニアのなかの人間性
=生きること、愛することに対する純粋さに触れるとき、
凪の海に小さな波がひとつ、またひとつ生まれてくるように、
カリギュラの心が、確かにぴくと揺らぐ。
そのいくつかの小さな波がやがてひとつの波になって流れ出そうとする瞬間、
カリギュラはいつも、その波を粉砕してしまう。
神を超えようとする自分のなかに閉じ込めた人間が目覚めようとするのを、
何よりも恐れているように見える。
人間性と、それを一切否定する論理のはざまを、
幾度も行ったり来たりするカリギュラの姿は、奇しくも最も人間くさい。
そしてそういう瞬間の小栗カリギュラの表情が最も良かったし、
そういうシーンに最も惹かれた。

実は小栗カリギュラより楽しみに観にいった共演者たちも、
映像でやっと満足のゆく鑑賞ができた。
ケレア、長谷川博巳くん。
あらためて彼の台詞説得力には感心!
台詞ひとつひとつが、音もクリアだし意図もとてもクリア。
眼がとても良い!!立ち姿も良い。
もっともっと観てみたい役者さん、いつか生で!
シピオン、勝地涼くん。
カリギュラやケレアとの対峙をすごく楽しみにしていたのに、
劇場で(2階席)物理的にも感覚的にも、
なぜかいちばんお芝居が観えなかった印象。
シピオンの台詞はわかるし、悪くないとは思うけど、
やっぱり何かが足りない?違う?感じがして仕方がない。
でも、おおむね健闘、かな。
セゾニア、若村真由美さん。
ドラマでちょっと観るくらいだったけど、巧いんだーと見直した。
カリギュラとの最期の対峙には、息を呑んだ。
セゾニアの無償の愛が、カリギュラの心をこじあけていく。
カリギュラは、セゾニアの愛とセゾニアへの愛に気づきながら、
その愛を自ら殺すという不条理をもって、己の論理を突き通す。
すでにカリギュラは、その論理に行き詰まりとか限界を感じているのに。
セゾニアの愛は、カリギュラのなかの愛を確かに呼び覚ましたけれど、
彼を、彼自身を縛りつける論理から、結局救うことができなかった。
彼女の死は、カリギュラを絶望にまた一歩近づけた。

番組の最後に、このメイン出演者たちの短い座談会の様子が流れました。
この難解な戯曲に対し、わからないなりに繰り返し繰り返し演じる過程で、
このキャストなりの感情、解釈を重ねて芝居を創り上げてきた、
演じれば演じるほどより深い芝居が生まれ続ける、もっと続けたい、、、
充実感に満ちたそれぞれの表情が、とても印象的でした。
観る側としても、観れば観るほどより深く、あるいは別の感情や解釈を
得ることができそうな作品だと思いました。
この作品でも、蜷川さんのキャスティングが大当たりであったことを
感じます。さっすがだなあ!

カリギュラ。
あまりに純粋すぎて繊細すぎてもろすぎた心。
こういう人間の話は(多くは狂気や混乱に走る)
さまざまな感情に溢れたりして、創りがい、演じがいがあるだろうし、
お芝居として見応えのある作品になることが多いように思うけど、
ストーリーそのものにはどれも、
どこか受け入れがたいものがわたしにはあるなあと、
今回つくづく感じました。
うん、お芝居は嫌いじゃないけど、話(人物)が苦手かな~と気づきました。
もうちっと人生や観劇経験を踏めば、
また違ってくるかもしれないですけど。

やれやれ~~。
あばよ!カリギュラ(笑)

クライマー夫婦の挑戦 (NHKスペシャル)

2008-01-08 | 観る、聴く

上川さんがナレーションのお仕事をしてくれるおかげで、
ときどき、まったく関心外の世界を覗かせてもらったりするのだよね。
そんな出会いって、とってもありがたいことだと思います♪

NHKスペシャル(1月10日放送)
「夫婦で挑んだ白夜の大岩壁」(番組HPはこちら)
ナレーションが上川さんだというので・・見ました(笑)
でも。
いつの間にかすっかりのめり込んで見ていて、
頂に登り切った夫婦と同じ目線で、眼下に広がる美しい自然に感動しながら、
そこに流れているやさしく懐かしい声にふと気づいて、
「あ、ナレ、上川さんだったんだよね(笑)」と再認識。
新年の門出にふさわしい、勇気や希望を奮い起こしてくれるような、
良いドキュメンタリーを見せてもらいました。

過去のヒマラヤ登山で事故に遭い、凍傷で手足の指を失った
山野井康史・妙子夫妻が、
いったんあきらめかけたクライミングに再挑戦した記録。
目指すは、北極圏グリーンランドにある前人未到の大岩壁「オルカ」
小さな小さな人間の前に、「オルカ」は厳しく大きく立ちはだかります。
しかし、山野井夫妻と同行した先輩クライマーの3人は、
熟練の知識・経験、鍛錬された身体能力、愛情、友情、勇気、
そして何よりクライミングにかける熱意、
それらすべてを凝集して、19日間をかけて「オルカ」の頂に立ちました。
頂に立ち両手を振る3人の姿は、
そのとき「オルカ」=大自然と一体になったように見えた!

大自然を相手に生きる人間の大きさなのか、
凍傷で指を失った当時を振り返るときも、
不自由な手足で厳しいクライミングを続ける様子にも、
悲壮感とか焦燥感とかを、
このふたりにはまったく感じることがありませんでした。
まっすぐ前(上)だけを見据えている清清しい強さが、印象的でした。

塾から帰った中1の長男も、
家に入るなりテレビにかじりつきになったわたしの横で、
しばらく真剣に見ていました。
「なんだ、上川さんだから見てるのか」と言いつつ。(スルドイ、笑)
彼、昨日の夕方も、夕食の支度をしながらわたしが見ていた「報道特集」を
じっと見ていました。
太陽に当たれない兄弟と、彼らを見守る母や学校・地域の取り組みを
6年間にわたって取材したものでした。(これもすごく良かった!)
多感で柔らかい心をもったお年頃の息子。
彼は特別感想を言ったりしないけれど、珍しくじっと見ていたので、
きっと何か感じるものがあったと思う(思いたい!)
直接でなくとも、本であれテレビであれ映画であれ、
いろんなひとのいろんな生きざまにたくさん出会って欲しい。
そう母は願っています。
母の不純な動機も、たまには役に立つものです(笑)

「トリツカレ男」 観劇

2007-12-25 | 観る、聴く

キャラメルボックス・クリスマスツアー「トリツカレ男」
12月22日(土)夜 サンシャイン劇場 2階3列 センター
この日はすでに数週間前から満席、2階の階段までお客さんが入ってた!
リピートのお客さんが多いのかな。
すごい人気公演になっていることを実感。
今日の千秋楽は、別室で中継映像の観劇組まで出るかも?な勢いらしい。

11月9日の初日を、4年半ぶりに訪れてくれた名古屋で観た。
明るくて温かくて、ちょっと切ないファンタジー。
キャラメルボックスでなければたぶん味わえない、このテイスト。
みごとにヒットしてしまったんだよね~、わたしのハートに。
「もう1回観たい!」の思いが、クリスマス直前に叶うことになった!
今年最後の観劇を、
同じくどうしてももう1回観たかったあっきーの「モーツァルト!」に続き、
この「トリツカレ男」で締めくくることができたのは、
とーってもステキな気分だったー! 

名古屋で観たときは4列目。
役者さんの表情や動きを、こと細かに観られて感激だった。
今回は2階席だったので、舞台全体がよく観えた。
仮面祭の様子は、上から観ると実に華やかだったし、
ロープウエーのシーンは、タタン先生の様子がよく観えてよかった。
そしてクライマックスの美しさは、前で観るより格別にすばらしかった!
キャラメルボックスで、絵的にあんなに美しくて感動的なシーンって・・
今すぐ思い出せないなあ。
2回目を観るには、とってもいい席だった。

初日を観たときって、
我ながらガキんちょみたいに、相当興奮して観ていたんだと思う(笑)
とにかくどんなふうに演出されるか楽しみなお話だったから。
その点では、今回すでに手の内は明らかになっている分、
落ち着いて、じっくりお芝居自体を観られたかな。

もう今となっては、役者さんそれぞれにすっかり役が馴染んでいるから、
ほかの役との絡みもしっくりかみ合っているし、
感情の交流には深みがたっぷり増している感じがして、とてもよかった。
この作品、誰かが誰かのことを想う気もちっていうのが、
すごくいいのだよね・・。
ジュゼッペ(畑中)がペチカ(岡内)を想う気もちはもちろん、
トト(岡達)はジュゼッペを、ニーナ(安理)はペチカを、
そしてイザベラ(温井)、アンナ(坂口)、ビアンカ(井上)、タタン(西川)・・
みんな、男とか女とかじゃなくて人として(人じゃないのもいるけど、笑)
大切な誰かのために何とかしたいと思ってる。
そんな気もちを伝える、ここぞという瞬間の感情の沸きあがりが、
2度目に観たこの日はとっても強く伝わってきて、何度もきゅんとしたー。

特に畑中くんのジュゼッペ。格段によくなってたと思う。
初日の必死さとはまったく違う必死さが、よく伝わってきたよ。
ジュゼッペがタタン先生になっていったように、
畑中くんがジュゼッペになったのだろうね。
達也さんのあとを継げる、キャラメルの看板になれそうだね。
これからも期待してる。がんばれっ!

初日、ちょっと物足りなさを感じた西川さんのタタン先生。
さすがです! やっぱりあんなもんじゃない。
クライマックスでの存在感の大きさは、やっぱり西川さんだなあと感涙。
ペチカの部屋の窓に、ふっとタタン先生が現れた瞬間は、
初日同様、思わず視界がぼやけた・・。
そのあとのひとことひとことが、初日の印象と違って、
重くてやさしかった。
「もう、ペチカは大丈夫だ! 
 ペチカにはちゃんと、この世にジュゼッペ、きみがいる」
表情までは観られなかったけれど、この西川さんの声、たまらなかったー!
よかった(涙)西川さんがちゃんとタタン先生になってくれて・・。
上川さんがタタン先生だったら・・発言、きっぱり撤回します(笑)

あとは達也さんのトト(はつかねずみ)、安理ちゃんのニーナ(インコ)だな!
西川さんのスヌーピー、坂口さんのサブリナに続く、
屈指の愛すべきアニマルアクト!!(笑)
こんなことができるキャラメルボックスって、すごいゾ!(笑)
達也さん、お疲れさま!
初日からすると、さらにムダに激しく動き回ってるよね(笑)いいね~♪
畑中ジュゼッペとのコンビネーションもばっちり。
それにしても、いろんなところで細かく気配りしている感じがしたなあ。
達也さんは、やっぱりこういう役がいいな!
西川さんとは違うベテランの味を堪能できて大満足。

そうそう!ラストシーン、ペチカのパン。
割ったパンから、リアル湯気って出てたかなー?
2階からは観えなかったように思うけど。
もしかして、あの演出なくしてくれたのかな?
わたし、初日の感想にも書いたし、キャラメルにも送ったけど、
あそこはあのキレイな台詞(「綿菓子みたいな湯気」)だけで、
じゅうぶん匂いまで感じられる!と思ったのだよね。
もし演出変更になってたのなら、すごく嬉しいんだけどな。

初日の興奮しまくりの感動とは違う、
舞台から心がじわーっと伝わってくる感動を、今回は得られたと思う。
やっぱりここまで来てよかった!

カーテンコールの笑顔は、あまりはっきりとは見えなかったけれど、
初日を無事完走した直後の、あのすばらしくほっとした笑顔は、
たぶんこの日の笑顔とは違うと思ってる。
あれは、わたしのなかで宝物みたいなもの♪
でも、いつだって役者さんが見せるカテコの笑顔っていいよね。
そして。
「いつでもぼくたちはここにいます。」
・・思わず感涙。
これだよーー。これが聞きたかったの!
西川さんのこの言葉、やっと、初めて生で聞けたー!
実は、この日いちばん泣けたのは、この瞬間だった・・。(ダメですか?笑)
ありがとう、西川さん♪


この日は観劇後、23:40東京駅発の深夜バスで帰る予定だったので、
どんなにワタシが鈍くても、時間的にはよ~ゆ~う~♪
なので、劇場でしっかり?感想も書き残し、
(買う気はなかったけど)グッズをいろいろのぞいてみたり・・。
そしたら、出口付近でみっこさん(大森さん)が!(加藤Pのおまけつき)
クリスマス限定、サンタ仕様のみき丸を売ってたのだけど、
あるひとに買ってもらえたみき丸に、
「よかったね~」って言って、子どもを見つめるような笑顔で袋づめしてたの。
それを見たら、まだうるっときてしまった(もう涙腺ゆるゆる、笑)
そのとき!
この子(今PC横にいるみき丸)と目が合ってしまったのよ!
わたし、ダメなんだよねー。
ぬいぐるみとか人形とか目のあるモノ、目が合ってしまった子は
買わずにおいて来られない(笑)
「この子ください」とそのみき丸、
それから、ちょっと狙ってた(笑)菅野クンの「困虫記」
その気はなかったけど、勢いで子どもたちにキャラメル
なんと気がつけば、どっちゃりお買い物してしまったのであった・・(汗)
せっかくここまで来たんだし・・と言い訳してみる。
して、こうなったら、、と勇気を出して
「初日を名古屋で観てすごく感激して、どーしてももう1回観たくて、
 思い切って、初めてここまで来ちゃいましたっ」
とかなんとか・・言ってしまった。
「えー!ほんと?うれしーー!」喜んでいただいた、ようです(笑)
そしたら
「え!さっきもそういうお客さんが。。」と横から加藤P。
あらま、似たような人間がいたんだ・・いるわな。
「来年、また名古屋行きますからっ」としっかり宣伝の加藤P。
「はい!絶対観にいきます!」と約束してきたよ。
「次の次には、上川さん連れてきてください!」とは言えなかった(爆)
いちばん言わなきゃいけなかった・・んじゃないのか、自分?
そして、みっこさんがあったかい両手で、しっかり握手してくれた♪
う、うれちい。ここまで来てよかった・・。

そしてそして。
お目当てのお品「きみがいた時間 ぼくのいく時間」のチラシ、
ハテナに入れてくれなかったバージョン、
上川さんが紙飛行機構えてる、かっこいいアップのあれ。
しっかりいただき♪(次に入るかもね、だけど。)
ああ・・ホントにここまで来てよかった(笑)

自分へのクリスマスプレゼント、最高の思い出になりました♪
今日の千秋楽、どうだったかな~!