現在のパット・ライリーフォトをみつけて、驚きのあまり思い立った。
私の記憶では1987-88シーズン、ヘッドコーチとしてレイカーズで4度目のチャンピオンシップを
得てから、1990年代前半のニックス時代、90年代後半のマイアミヒート時代のH.コーチとしての
イメージしかなかったから・・・白髪の品あるおじいちゃんになってる。
90年代のライリーは、アルマーニ高級スーツ、端正な顔立ち、ベンチでもモデル並みのスタイルで
一糸乱れぬ黒髪オールバック、厳しそうなイメージだった。
(80年代バスパンは短パンだ。懐かしい~)
彼のキャリアは、1981-82シーズン途中、レイカーズアシスタントコーチからヘッドコーチヘの昇格で
始まった。NBA伝説のセンター、ジャバーと長身PGマジック・ジョンソンらを速攻主体のオフェンスチーム
に仕上げ、80年代レイカーズの「ショータイム」を演出した。80年代後半からは、走力あるジェームズ・
ウォージーを得てマジックのノールックパス、ディフェンス重視からの速攻で「ショータイム」の時代を築き
あげて一世を風靡した。
若きレイカーズ時代では、81-82、84-85、86-87、87-88の4度優勝を成し遂げた。
<パトリック・ユーイング>
1991年から95年まで、ニューヨーク・ニックスで指揮を執る。
M・J率いるシカゴ・ブルズに何度も煮え湯を飲まされ、同じイースターンカンファレンスでは
プレイオフで何度もやられた。ガードのJスタークスとかニューヨーカーらしくない荒ぶれ軍団との戦いは
一触即発の肉弾戦が多かった印象が残っている。
「いかにしてM・Jを止めるか」、他のチームが20,30点は仕方ないと半ばあきらめる中、
ライリーは徹底してM・J対策をダブル・トリプルチームで止めに来た。時には無謀とも思えるオールコート
プレスでジョーダンをいじめに来たりした。しかし、ことごとくM・Jに打破されて、コーチとして心底M・Jの
凄さを認識した一人ではなかろうか。ジョーダンもニックスとの戦いは、ライリーとの戦いでもあると何度も
発言している。緊張感ある真剣勝負が大好きなジョーダンは、きっとニックス戦でライリーが打ってくる
M・Jディフェンスシフトを楽しみにしていたのではないだろうか。
ヒートで「23番」を永久欠番にした背景が、きっとこの5年間の戦いにあると推測する。
2005-06シーズン、記憶ある方が多いでしょう。シャック、モーニング、ペイトン、ウェイドら
マイアミチーム創立以来の初優勝!
若きウェイドが、プレイオフ平均得点34.7、ファイナルMVPを得た爆発的活躍だった。
<ウェイド> <シャック> <モーニング>
1995年から2003年まで新生チーム「マイアミ・ヒート」を指揮する。
誕生したばかりのチームをゼロから強くするということは、大変なことだ。
ドラフトで大物新人をピックアップして、トレードで有能選手、ベテランを集めて
着実に強いチームになっていたが、2005ー08年で復帰した1年目に、
レイカーズ時代から数えて何と18年振り5度目のNBAチャンピオンシップであった。
マイアミ・ヒートというチームのすべてに関わり、マイアミをビッグチームに作り上げた
最大の功労者だ。2008年現場を引退してからは、ヒートの最高経営責任者として、
現在のチーム作りにも深く関わっている。
今シーズンもマイアミは、優勝候補筆頭に挙げられるチームだろうが、ライリーの
NBA史上最も厳格な練習、選手へのスピーチのうまさ・叱責・檄・期待かけた鼓舞等々、
NBA創設50周年で、リーグ史上最優秀監督10名の一人である采配を、今のマイアミメンバーで
みたいと夢見る。