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バスケと人生の日々~陽のあたる場所へ

NBAと高校・大学・JBL・Wリーグバスケの話題中心に日々の雑感、バスケ戦術の記録、時に音楽・将棋について

卒業シーズン~新たな道へ旅立ち

2012年03月09日 | 人生

 

 卒業シーズンである。

毎年、この時期になると胸の詰まる別れがあり新たな道へと旅立つ若者を送り出す。

特に、バスケ部で苦楽をともにした部員たちには感慨深いものがある。

幼さ残る顔で入学してきてたった3年間で驚くほど大人びて卒業していく。

 自分を振り返っても高校までの人生は、自分のことだけ頑張ればよい人生みたいなもので

お世話になった周りの人々に生かされていた感じがする。今や高校の進学率が98%を超える時代であるから

高校もある意味義務教育みたいなものである。高校卒業後から本当の意味での「人生」を創るステージになるんだろう。

 大学に進学するもよし、専門学校等へ進むもよし、就職して社会に出るもよし、大学目指して浪人するもよし。

一番大切なことは、自分が「どのようになりたいか?」と模索し続け、それに向けて努力し続けることである。

 『人はなりたいとおもうように成っていく』

歴史上かの有名な方が残した言葉をしみじみそうだなと思う。

 

 

 

 

 若い頃、時間は無限にあり人生は果てしなく続くんだなと錯覚していた。

人生は明らかに有限であり、今が何より大事である。いくつ年を取っても、今とこれから「どうありたいのか」と

探し続けることに変わりない。生きるエネルギーや体力が減少しようとも、情熱の持ち方・出し方に違いなんてない。

 

 浜田省吾の曲に「家路」という名曲がある。その曲の中にこんなフレーズがあって今も口ずさむときがある。

 「どんなに遠くてもたどり着いてみせる。石のような孤独を道連れに空とこの道出逢う場所へ」

 

 このごろ歌をあまり聴いていない。あまりの忙しさにその日暮らし的な毎日で、寸暇にNBA結果をチェックし気がついて

みたら当ブログもNBA関連ばかりになっている。まぁそんなことはどーでもよくて、気ままに好きなことを書こうと始めたこと

であるから、これからも思いのまま気になることにためらわず書いていく。

 

 

 

 

 古い曲になるが、ブルーハーツというバンドの晩年に「夕暮れ」という名曲がある。上の写真は「朝焼け」であるが、

この曲にも随分励まされた。80年代バンドブームの火付けになったブルーハーツには、今の時代聴いてもグッとくる曲が

たくさんある。

 

「人生は夢じゃない、まぼろしなんかじゃない。僕たちはなんとなく生きてるんだ。夕焼け空は赤い、炎のように赤い。

 ・・・それよりももっと赤い血がからだ中を流れてるんだぜ。」

 

 『卒業』は人生における1つの『夜明け』なのかな。あとは自分で考え、自分を信じて生きていってよ。

頑張っても、頑張らなくても『なんとかなるさ』、生きていれば

 道につまずいたり、迷ってる人は、斉藤和義のカバー曲「深夜高速」(フラワーカンパニーズ)を聴いてみて。

 

「 青春ごっこをいまも続けながら旅の途中 ヘッドライトの光は手前しか照らさない 真っ暗な道を走る

  胸を高ぶらせ走る 目的地はないんだ 帰り道も忘れたよ。・・・(中略)・・・

  僕が今までやってきたたくさんのひどい事 僕がいままで言ってきたたくさんのひどい言葉

  涙なんかじゃ終わらない 忘れられない出来事 ひとつ残らず持ってけ どこまでも持ってけよ

  生きていてよかった 生きていてよかった そんな夜を探してる

  生きていてよかった 生きていてよかった そんな夜はどこだ

  いこうぜ いこうぜ 全開の胸で いこうぜ いこうぜ 震わせていこうぜ

  もっともっと もっともっと 見たことのない場所へ ずっとずっと ずっとずっと 種をまいていく

  全開の胸 全開の声 全開の素手で 感じることだけがすべて 感じたことがすべて

  生きていてよかった 生きていてよかった そんな夜を探してる

  生きていてよかった 生きていてよかった そんな夜はどこだ 」

 

 

 


人生のたわ言(6)~受験に思うあれこれ

2011年11月26日 | 人生

         

 

 

 

     冬の季節は、バスケシーズンでもあるし受験シーズンでもある

    高校受験、大学受験と毎年、受験生といろいろな関わりを持つ。

    昔に比べて、受験情報は様々氾濫している。受け入れる学校・大学もあの手この手で

    説明会やらオープンキャンパスやら売り込みに熱が入る。

 

     模擬試験の判定結果に(一喜)一憂する受験生、親、先生が多すぎる。

    AとかCとかDの合格判定に何をそんなに騒ぐ必要があるのだろう。

    本人がどう受け止めて、今後のどういう対策・準備をすればよいのか、

    具体化して努力すればいいだけの話。合格判定なんて、途中地点の単なる大まかな目安に過ぎない。

    DとかE判定をもらって第一志望校(チャレンジ校)をあきらめたりする弱気な受験生は、

    はじめからその気がなかっただけ。バスケでも受験でも弱気の姿勢・気持ちが一番危険だ

    弱気でいくら練習しても力は付いていかない。迷いも同様だ。

    はったりでもよいから、

       自分を信じ切って突き進む奴が成功の道へとたどり着くことがほとんどだ。

 

     あと現役生に多いが、チャレンジすることを恐れて今現在の学力に見合った学校選びをする

    場合も多い。滑り止めを2つも3つも受験しようとするケース。12月の最終面談で、受験予定の

    リストと合格発表・手続き等の受験計画をみていつも思う。

     私立大学がいくら受験出来るからと言って、10回受験すると受験料だけで40万近く、

    一次手続き金だけで一校30万の時代。大学入学の初年度費用だけで何百万も投資しようとする。

    人それぞれ価値観があるから、最終的には自分の価値観は押し付けないし親の考えを否定しないが。

     「先生、全部落ちたらどうするんですか?女の子だから一浪は絶対できません。」

    何度も言われたことがある。こんな親にはもう何も話することありません、お好きなように受験して

    ください、とやんわりと話す。ただし、これだけの費用と連日の受験による労力と疲労がありますよ

    とだけ忠告はする。

 

     自分の受験体験や価値観は役に立たないことが多い。時代が違うということもあるかもしれないが

    本質は、「第一志望は、成績の良し悪しにかかわらず絶対に譲らない」という発想があるかないか。

     浪人するかどうかは結果が出てから考えればいいだろう。

    結果出る前に「浪人したらどうしよう?」と浮かぶ地点で負けている

     見栄を張って言うのではなく、少なくとも私を含めて高校時代の同級生には「滑り止め」という受験は、

    存在しなかった。受験慣れするための受験は1つくらいあったが・・・

 

     高校3年間、部活も頑張り、学校行事にも夢中になり、部活を引退した3年の夏前から本気に

    受験モードに入ります。だけど一浪はできません。とにかく大学に入れるようにしてください。

    「虫がよすぎるだろう、欲張るだけ楽しんでおいて」、こんな生徒や親には本気で対応しない。

         受験の方法論や勉強論の前に、

     大学でどんな勉強したいの? どういう大学生活したいの? どういう人生送りたいの?

    本人に問うてみる。まずは、高校卒業後のヴィジョン(生き方・在り方)について考えさせる。

 

     強く望む目標やヴィジョンがないと、あんなつまらない受験勉強なんて精がでるのかな?

     このヴィジョンの強さが受験勉強をやり抜く原動力になるんじゃないの?

     それが確固足る意志の強さや高いモチベーションを維持してくれるんじゃないの?

 

     何も受験に限ったことだけではないだろう。

    生まれ持った運動の能力差ほど頭の能力差はほとんどないと言える。

     何事も、やる気や情熱の作り方、探し方の能力を高めて、

    維持し続けた人が望みをかなえられるようになっていく

 

 

    


人生のたわ言(5)~螺旋階段を登る

2011年11月15日 | 人生

          

 

 

 

      明日あたりから、最低気温9℃前後まで冷えるらしい。やっと初冬の兆し。

     変わり者かもしれないが、冬が最も好きな季節。

      ピシッと空気が締まり、空色の濃いブルーが好きだ。1年間の中で頭が一番冴える

     感覚がある。寒いのは誰だって嫌なものだが、暖のぬくもりがかえって心地よい。

      雪の多い地域の方に怒られそうだが・・・

 

      この1ヶ月あまり、毎日ブログを書くようになって、日々の生活の中で自分に対して

     「何かおかしくない?」と少し感じ始めている。何か本末転倒みたいになっていないか、

     「大丈夫か?」と自問自答してみる。

 

      1日の中、自分だけで使える時間は、ごく少ない時間しかない。

     ある意味、毎日が時間との闘いの中、次から次へと重層的に起こる事柄をやっつけて

     やっと自分の好きなことができる貴重な時間にありつけるのだが・・・

      夜の帰り道、たまに本屋寄って30分くらい本漁りや立ち読みしたり、自宅PCのヘッドフォンで

     好きな音楽聴いたり、Youtubeで音楽漁りしたり、PCでプロ将棋棋譜を再現したり、

     バスケ関連指導書の類を読み返してみたり、と。

 

      短い時間であっても、自然と意識が集中できる事柄は、精神を安定させてくれる

 

      書くことで、文章にしてみることで細部までわかってるかどうか確認が取れることもある。

     頭の中に漠然としたことやアンテナ張っていることを書いてみることで、新たな発見に

     つながったりして、意外に大事なことだとわかる。

 

       情報をインプットするだけでは、頭が疲れてしまう

      ブログはアウトプットするよい機会である。お偉い学者さんが、情報化社会の危険性や

     無意味な情報(ブログ)について、批判的な物書きをしているが、たいしたことはない。

     無意味なことに付加価値が見出せないだけの場合が多い。

      若い頃は、肩書きある人や世間から評価される人が書いたものは、それが解かりにくい

     文章でも、自分の理解力が乏しいからだと思うところがあったが、40を過ぎた頃から

     はっきり判別できるようになってきた。上っ面だけ取り上げ難しく書いてる著作物は、

     山ほどある。学問を突き詰めることと、味のある深みのある文章を書くことに、相関関係は

     ないと断言できる。

      学問を突き詰めた人で、素晴らしい物書きもいるし、その逆もあるということ。

     優れた文学作家ほど、学問領域から遠ざかる術を持っているのではないか。

      もちろん、学問を否定するわけではなく、その大切さは昔も今も変わらない。

 

      めまぐるしい一日の中で、時折ふっと力を抜くというか、脱力するみたいな時間を作りたい。

     思考を停止して頭を空にするような短い時間が。いつ何時も緊張して気張っていては、

     全体の効率が上がらない。深く集中して潜るときは、潜り続ける。時折、楽な呼吸をしに

     水面に顔を出す。一息ついたらまた潜るみたいな

      あと、好きでない義務的な仕事は、先にできるだけ手早くやっつける。

     嫌なことでもやらねばならぬことは、先にさっさと済ます。得意なことは後からじっくり取り組める。

 

      頭の切り替え、心の持ち方は、何事においてもとても重要な要素だ

     モチベーションを維持し続ける工夫、現実の自分より目標を高く設定する手法、

     まだ見ぬ景色を観たいと努力する姿勢、もちろん大事。

     それと反対に前進することを止めるひととき、正直に振り返る勇気、己の弱さを認める自分、

     これも大切なこと。

 

      一つの側面の価値だけでは、人生はうまくいかない。そう反する事柄や気持ちを同時に

     バランスよく抱えてこそ、難所を乗り越える決定打にたぶん辿り着ける。

      こんなことは、辿り着いたあとに解かればよいか・・・そして、また次の目的地に・・・

       まるで螺旋階段を登るようだ。

 

 

   


人生のたわ言(4)~岐路

2011年11月07日 | 人生

              

          

 

    「そういうつもりじゃなかったんだけど・・・」 

   人生には、二者択一を余儀なくされる場面があるものだ。

    今から思えば、色々な選択肢があったんだろうが、その時は2本の道しかないように

   みえた。

    高校卒業後から始まった人生の岐路、紆余曲折まさに曲がりくねった道を走ってきた。

   何度やり直してもいいから、やりたいことをやろうが決め手だったのかも。

 

    将来の人生設計なんてあまり考えない。想像がつかなかった。ばんやりしてた。

   やるだけやったら結果がどうであれ何とかなるさと楽観する。

   たくさん失敗して何度も起き上って、知らず知らずのうち成長したのかわからないが・・・

 

    人は人、自分は自分と、世の常識的考えは否定して「自分らしく」を求めていた。

   ほんとうの自分は、どういう自分なんだと未だによくわからない時があるが。

 

     人生はわからないことだらけだ。

 

    わからないなりに懸命に追っかけて、探し求めてる時間や場所が

   楽しかったのかもしれない。

    年を取ったなりに追っかけることはある。

   定年後の岐路も同じように進む。食べることに不自由しなければよい。

 

    人生の岐路は、深刻に考えず生き生きと努力することだけ考えて

   日々進めることができれば幸せだ。

 

    


人生のたわ言(3)~才能ってなんだろう?

2011年10月26日 | 人生

           

              <富士五合目にひっそりと咲いた名の知らない高山植物>

 

 

   よく世間では、あの人は才能あるからね、とか、夢に向かって努力したんだけど才能ない

  ことに気づいて・・・ということを耳にする。

   十代後半の頃から、ずーと思ってることなんだけど、

     「才能っていったい何なんだろう?」

   たぶん、ほとんどの人は、「能力」という言葉と同義語のように捉えてるかもしれないし、

  「センス」という言葉かもしれない。

   それでは、センスがあるとか、ないとか、誰が判断するのだろう?まわりの人か自分か?

   また、こんな風に言う人もいる。

   センスには2種類あって、先天的に親の遺伝子で決まる能力と、後天的に努力した環境

  で培った能力である。

   なんとなく説得力がありそうに聞こえるが、頭の片隅では、ほんとかな~と思ってきた。

   自分がうまくいかなかったときの言い訳や理由にしてるんじゃないのと。

   世の中でどんな分野でも、世界的に一流と認められ結果を残してる人たちには、どことなく

  共通点があるように感じる。その共通点とは、2つ。

  1 静かに平然と自分流の努力を積み重ね、日々の努力を長い月日に渡り継続して

    いる。

  2 その努力する過程を苦少なく楽しんでいる。根っから好きだという根底に揺るぎない。

 

   高校時代、私の周りには、高1の頃から大学卒業後は、医師になるとか、生物学者になる

  とか、弁護士になるとか、職業選択の確固とした目標を定めてる奴が結構いた。

  だから、○○大学○○学部○○学科に進学したいんだとか、東大以外は大学として眼中にない

  からないから東大しか行かないとか。

   内心では、おまえら頭いかれてるんじゃないのと思いつつ、自分にはほんとうに打ち込み

  たいこと、何よりも好きなことが見出せないでいた。彼らも自分と同じだけそれなりに長い人生を

  過ごして、だいぶ変化しただろうけど・・・

   幸せの価値なんてモノや地位では決まらないだろう

   

    今の時代、安定志向だから、資格とか職業にこだわった大学選びをする高校生が多い。

   それも一つの選択肢。一つの生き方。なんの文句もございません。

 

      自分がホントにやりたいことって何だろう?

     自分の才能ってどこに潜んでるんだろう?

     能力や才能って探すことなの?

 

   自分に対していっぱい?を持ち、その答えを探し続けて、なりたいと思う目標に

  何より好きな根っこがあり、そういう仲間と共に死ぬほど努力する、そんなところに

  生きがいを感じる、こうありたいと思う。

   一流のプロスポーツ選手、将棋棋士、ミュージシャンをみてると、そんな感じがする。

 

   「才能とは、一瞬の閃きではなく長い年月にわたり、同じスタンスで

    やってもやっても成功するかどうかわからなくとも、同じ情熱と同じ意欲で

    挑戦し続ける努力である」

    と、ある天才棋士は静かに言い切っている。

 

   

  


人生のたわ言(2)~デジタル情報の怖さ

2011年10月19日 | 人生

 

                            

    我が家の「ミー」近所の商店街で子猫引き取ってもらえませんかと

   店頭の張り紙見て6年程前から飼ってる。メス猫でおとなしく超人見知り。よく寝る。

 

   一週を1つの単位期間として生活のリズムやパターンが繰り返される人が多い。
  このブログも今日でちょうど2週間。木からスタートして水でひと周期とみてる。

   何事もそれなりに自分の中で達成したければ、継続することが何より大事なこと、
  1日1投稿1時間を目指してこれからも取り組んでみる。

   確率や数字にあまりこだわるほうでないが、訪問者の方が何人かリアルにわかるというは
  どうなんでしょう?
 
   人それぞれのとらえ方があると思うが、数字に振りまわされたり、順位に一喜一憂する、
  というのは、長い期間でみるとあまり意味がないこと。意味を求めすぎても苦しくなりますが。

   もともと生活のデジタル化にそれを享受しながらも、抵抗していた部分があってPCやネットは
  必要に迫られないと使わないスタンスだった。仕事で多いときは、5h/1日くらいPC相手にする
  から自宅ではバスケと将棋の情報くらいしか関わらなかった。

   ブログランキング系を覗いて、恐ろしく細分化されたジャンルと何十万人という膨大なブログ数
  に呆然とする。深遠な闇の世界に何があるんだろう、とデジタル特有の得体のしれない組み合わ
  せに戸惑ってしまう。そこには、Myブームとか個人の趣味・主張を共有する場があって、
  昭和の時代であれば、地域コミュニティやごく一部の有名人の著作物、マスコミからしか
  情報発信していないものだったのだけれど、誰でも少しの手間をクリアすれば、
  簡単にほしい情報を手に入れられるし与えられる。

   このフリー世界をうまくあやつり(操られ?)必ず様々な企業広告が存在する。
  タダで利用して自己満足したり、共有する仲間に情報発信してうまく活用してるのかもしれないが

   ひょっとすると、目に見えない集合体に知らず知らずのうちに利用されてるのでは?

    ちょっとネガティブに考えすぎでしょうか。
   しかし、デジタル世界っていうのは、あまりに鮮明で複雑で境界がはっきりしすぎている。
   視覚化しづらい部分をデジタル映像で強力に補足している。
 
   人間のもってるイマジネーションって、もっと上をいってるんじゃないだろうか

   境界がはっきりとしないところからまた新たなものが生まれる。いわば重層的に。

   リアルすぎる映像より、文学から描ける想像力のほうがはるかに膨らむ要素をもっている。

    やはり、デジタルとアナログの両刀使いがバランスがいいような気がする

   どんなに便利な世の中になろうとも。余計なお世話かな・・・


   自分に行き詰まりを感じたり、疑心暗鬼になってるなと思ったときは、よくこう口づさむ。

    「Take it easy !  気楽に行こうや!  大丈夫だよ!!」

   人生は簡単ではないが、難しいものでもない、なりたいと思うようになっていく

 

     


人生のたわ言(1)~偶然からの贈り物

2011年10月14日 | 人生

 

      ブログを始めて一週間が過ぎた。半世紀生きて、まさかこの年で見る側から書く側になる

 

      とは思いもしてなかった。

 

      平凡なありきたりの人生だったかもしれないが、振り返ると何かに夢中になるきっかけは

 

    いつも偶然な出来事からだった。

 

      前に触れた好きな音楽についても、職業、バスケ、スポーツ、将棋、文学(読書)なども

         追っかける対象は、いつも自分のまわりが刺激を与えてくれたように思う。

 

     「人が動くのは、結局、人によるところが大きい」

 

 

         若いころは、俺の人生は俺が決めるんだとずいぶん鼻息荒く自尊心が強かった。

      負けず嫌いの性分が出過ぎて、何でも張り合い真面目に捉え過ぎていた。

      もう少し肩の力を抜いたり、笑い飛ばすような余裕があれば、衝突も少なかったかも。

 

 

          しかし、小学校から大学までたくさんのよき友に出逢ったことをとても感謝している。

      社会人になってからも、心から尊敬できる、目標となる先輩・同僚に恵まれたことは、

 

       今現在の動機、目標、やる気につながっている。

 

 

         この頃、月に何度か、季節の変わり目あたりに、ひどく疲労を感じることがある。

      年を1つ重ねることに妙な重みを感じてしまう。あと20年は生かせてほしいと誰に頼む

      でもなく、まだまだやりたいことたくさんあるからと自分に言い聞かせてる。

       いつの日か、見知らぬ海外でただ静かに雄大な自然に溶け込んで時を感じてみたい。

         

     こんな景色をぼんやりと眺めながら、偶然の贈り物を大切にしよう。