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「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの山登り:初秋の高尾山・城山・景信山・明王峠を歩く

2011年10月06日 | 日帰りの山登り



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10月2日、久しぶりに山を歩いた。

高尾山口駅から出発し、稲荷山コースで高尾山に登り、城山・景信山を経由して明王峠から相模湖駅に下りるコースは、私にとって最も頻繁に歩く山登りコースの一つである。

百名山を筆頭に登った山の数を競う人もいれば、飽きもせずに同じ山に登り続ける人もいる。

そうした分類をすれば、私は「飽きもせず」の集合に、どちらかというと包含される。

高尾山系ではメインルートとなっている今回の登山路を、私は目をつぶれば登山路の風景を順を追って思い描くことができるほど繰り返し歩いている。

このルートも、高尾山口駅から高尾山までの登山路、高尾山から城山までの登山路、そして景信山から明王峠の巻き道など、細かく言えば登山路の選択が可能である。

また、明王峠を過ぎて陣馬山まで到り、陣馬高原下のバス停へ下りて、高尾駅へ向かうコースもあるが、最後の「林道歩き+バス」が嫌なので、直接下りた場所から電車に乗れる今回のコースの方が、私は好きである。






9月21日の台風15号による被害で、高尾山の登山ルートの多くが現在も通行不能になっていて、通れる稲荷山コースでさえ、上の画像の通りかなりの倒木が道を横断していた。

コースの案内は、繰り返しブログで紹介しているので、今回は山で出会った草花を中心に、画像でまとめてみたい。

コースの詳細は、以下のブログ等を参考にしていただきたい。

マッキーの山登り:高尾山口~高尾山・城山・景信山・明王峠~相模湖駅



ルートの登山道脇に続くように群生していて、見ることを楽しみにしていたタマアジサイではあるが、時期的に見頃を過ぎ、画像のように少々貧弱だが僅かばかり咲いていた。

ホトトギスも群落で咲いているのだが、やはり時期が遅かったせいか、今回は全く出会うことはなかった。



クサギの実が、朱とダークブルーのコントラストを強調して、花のように開き始めていた。



高尾山周辺でこの季節に白い花をつける植物の代表はサラシナショウマだろうが、画像のシモバシラもいたるところで見られ、独特の花の付き方をしているので、見間違うことはない。



高尾山系で、この時期に最もよく見かける花はと問われたら、私はアザミの仲間と答えるだろう。

上のアザミは、アズマヤマアザミだと思われるが、他にも種類の異なるアザミが、至る所で見られた。



城山の茶店周辺に、これでもかといった風に咲いているヒガンバナ

年々その株の数が増えているようだ。

いつものように、城山の茶店でナメコ汁(250円)を注文し、持参したおにぎりで昼食をとった。

天気が良いと、正面に富士山を望むことができるのだが、当日は曇天で富士山まで視界は届かなかった。






この時期に、高尾山系の山に登ったら、私には出会うことを楽しみにしている相手がいる。

それが、上の画像のアサギマダラというチョウである。

個体差は多少あるが、このチョウはマクロで撮影しても、逃げようとしない。

流石に海を渡って千数百キロの旅をするチョウだけあって、そこらの人間様よりも落ち着きと風格がある。

羽の色は、画像の通り表と裏の色は異なっている。

「オッ、アサギマダラだ!」

今年も、幸運にも1頭のアサギマダラに出会えた。

ちなみにチョウの助数詞は、日常では匹、正式にはである。

アサギマダラについて、詳しくは以下のブログを参考に。

マッキーの随想:自然は不思議なことばかり…秋の山の話

マッキーの随想:生きる力を学ぶ…チョウや植物から



サラシナショウマのような花を付けた植物は何?

草丈はサラシナショウマよりもだいぶ低く、矮小化した姿かたちをしているのだが?

今回期待していた本物のサラシナショウマは、やはり時期が遅かったのか、見かけることはなかった。



シシウドの仲間であることは間違いないのだが、明王峠の茶店横に咲いていた花だが、何という植物かは分からない。

私のブログは、毎日およそ500IP(人)の訪問者があり、1500PV(回)程度の閲覧数があるが、私よりもずっと植物に詳しい人も、その中にはいらっしゃると推察できる。

不明な植物名をお知りの方や、私の植物名の同定ミスに気付かれた方は、お手数だが文末のコメントを使ってご教授いただければ、とても幸いに思う。



秋の七草の一つであるハギの花は、まだまだ咲き続けている。

秋の七草の覚え方は、「お・す・き・な・ふ・く・は」である。

すなわち、「オミナエシ・ススキ・キキョウ・ナデシコ・フジバカマ・クズ・ハギ」となる。

日本人ならば、春の七草・秋の七草は、覚えておくべきだろう。



シラヤマギクの花



ツリバナの独特な形状の実が、枝からぶら下がり、趣のある景観を作り出していた。


最後に、やはりこの時期に山歩きすると、ぜひ収穫したいものがある。

それは、ヤマイモの蔓に付くムカゴである。

ムカゴは実ではないが、栄養分を蓄え、地面に落ちるとそこから芽が出てくる、面白い植物の器官である。

とっても美味いという訳ではないが、一年に一回は口にしたい季節の食べ物がある。

「ムカゴ飯」、私にとってそのような食べ物の一つである。

今年は、台風であらかた地面に落ちてしまったのか、例年のように蔓に付いているムカゴはほとんどなかった。

それでも注意深く探すと、やや小粒ではあるが手のひら一杯ほどのムカゴが収穫でき、翌日の弁当は、それを使ったムカゴ飯であった。

 


マッキーの山登り:花咲き乱れる尾根のわらび・モミジイチゴ・青山椒そしてミツバ

2011年06月23日 | 日帰りの山登り


(ユキノシタ)



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毎年私の山菜師匠Y氏と、6月のこの時期に、山の幸を求め某尾根伝いに山歩きします。

今年は6月19日(日)、曇天の一日でしたが、それでも夏至間近(今年は22日)の太陽光線は、屋外を歩いていると、雲を突き抜け日焼けするほどに強くなっていました。


この尾根の登りは、まず民家の横から歩き始めます。

麓から上に幾つか点在する民家へと続く小道を歩きながら、道端に生えているミツバを採集しました。

民家のある所を過ぎ、杉林を抜けると雑木林となり、その雑木林にまじって、今回私の目的の一つであるモミジイチゴ(木いちご)の木が散在しています。


(いつも元気な師匠Y氏)

モミジイチゴは、とてもデリケートで、最盛期の一週間を過ぎれば、すぐに枝から離れ地面に落ちてしまいます。

今回は、モミジイチゴの本来の採集時期からすれば、少し遅かったのですが、山のほとんどの植物は、今年に限って言えば一週間ほど生育が遅れているようで、結果的にはジャストタイミングで木いちごを採ることができました。

昨年は、同時期に出かけましたが、黄色いモミジイチゴはほとんど枝に付いて無く、赤いニガイチゴの実がほとんどでした。

しかし、今年はモミジイチゴの最盛期で、ニガイチゴはまだ固い青い実の状態でした。


(モミジイチゴ)

収穫したモミジイチゴをタッパーに入れ、次はワラビ採りに目指す中腹まで登りました。

今年は、若干例年より少なめの量でしたが、ワラビをゲット!

また、今年は山椒の実が当たり年のようで、点在する山椒の木の枝に青山椒がしっかりと実っていました。

山椒の木に花が咲く頃に強い風など吹かず、受粉も上手くいき、その後の生育環境が整えば、今年のように豊年となるのでしょうか。

それとも、豊作の年と凶作の年が、山椒の木単位で、周期性があるのでしょうか。

いずれにしろ、帰宅後に青山椒から小枝を取ってその重さを量ると、236gほどありました。


(ウツギ)

山の豊かさは、食に限ったことではなく、目を楽しませるさまざまな植物が咲いていることからも、実感することができます。

麓から稜線まで、ウツギの仲間とアジサイの仲間が、ある場所では満開の美しさを見せ、また違った場所では散った花びらの絨毯で、私たちを楽しませてくれました。

ウツギ・タニウツギ・コゴメウツギ・ガクウツギ、ガクアジサイ・コアジサイ、またエゴノキ・・・・・・。


(エゴノキ)

ユキノシタ科の植物には、アジサイ属やウツギ属が含まれ、多くは今の時期に花を付けています。

かつては山登りをスポーツの範疇としか認識していませんでしたが、年輪を積み上げていくと、軽蔑に近い眼差しでその前を通り過ぎた山野草を愛でる人たちに、自分が一歩近づいていることが分かります。

多種多様な植物の中で、ほんの一握りの植物名を覚えるだけでも、自然をちょっと違った視点で見ることができるようになります。

これから、低山の山登りでは、気温の上昇とともに、敬遠したいほどの厳しい蒸し暑さとなります。 

それでも山好きは、

そんな暑さにめげずに登るほど、

山には人それぞれの魅力があります。


次回のブログでは、今回の山登りで採って来た山の幸を料理します。 



(コアジサイ)

 

 


マッキーの山登り:故郷新潟ゴールデンウイーク登山…大蔵山・菅名岳

2011年05月06日 | 日帰りの山登り



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北国・雪国の春は、雪で閉ざされていた鬱憤を晴らすかのように、素早い足取りでやってきます。

今年もゴールデンウイークは、故郷新潟で過ごしましたが、さまざまな草木の花が一斉に咲き乱れるのも、この頃です。

そして、この連休の一日を使って、中学時代からの旧友N氏と、新潟の山に登ることを、私は毎年楽しみにしています。


今年の行き先は、昨年登った菅名岳(すがなだけ)の隣に位置する大蔵山

五泉市の東端にある、昨年登った鳴沢峰・菅名岳、そして今年予定していた大蔵山は連山で、手ごろな登山が楽しめることで知られています。

菅名岳・大蔵山の中腹には、ブナの原生林やカツラの巨木が植生しており、人の手が介在しない太古からの自然に触れることができます。



5月2日、例年よりは少し肌寒かったのですが、雨を心配する必要のない曇天でした。

当日は10時に車で出発して、大蔵山登山口手前にある登山者駐車場に車を止め、10時47分身支度をして歩き始めました。

およそ10分ほど林道を歩くと、大蔵山への登山口に着きます。

入口から少し登ると、大蔵山への階段コースと沢コースの二手に道が分かれます。

今回は階段コースを取り、しばらく植林された針葉樹林帯を登ります。

登山道はやがてブナの原生林となり、足下にはイカリソウ・エンレイソウ・スミレが咲き、登るにつれてイワウチワの群生が見られます。


(イワウチワ  イワウメ科)
(本州中国地方以北の山地帯の林内や林縁,岩場などに生える常緑多年草。
花弁は 5 枚で,先がギザギザに裂け、花の色は普通は淡紅色。
葉は光沢があって固く丸い団扇(うちわ)形。
これとよく似た「岩鏡(いわかがみ)」は、1本の茎に多数の花をつける。)
         

また、ムシカリやヤマツバキなどの花木も多くなります。


(ムシカリ 虫狩)
(スイカズラ科ムシカリ属 の落葉小高木。
ムシカリは、葉を虫が好むため。
別名オオカメノキは、葉が亀の甲羅のようにも見えるため。
4~6月に枝先に散房花序を出す。
白い大きな花は、花冠が大きくなった無性花(装飾花)、花序の中心にある小さな花が両性花。)


4合目で沢コースと再度合流し、6合目から上には残雪が残り、雪上のコースを選択して登ることになります。

この時期に新潟のある程度の高さの山に登ると、たいていは雪上を歩く山登りとなります。

雪上には、ウサギの糞が至る所に見られ、小動物も春の到来を感じ取って、活発に動き回っていることが分かります。

登山口には、熊注意の看板もありましたので、熊もこの時期には冬眠から覚めて活動しているようです。

駐車場からおよそ2時間で、大蔵山山頂に到着。

大蔵山山頂は展望が開け、越後平野を鳥瞰すことができ、阿賀野川・五泉市のチューリップ畑・水を張った見渡す限りの水田などが一望できます。

これから田植えのために水田に水が引き込まれ、そのために豊富な雪解け水を使っているようです。

日本の穀倉地帯新潟は、雪国であるということが、品質の高い米を作る為の条件になっていることが分かります。


私は、今年に入って山登りも体を動かすことも少なく、体力が落ちていて、やはり今回の山の登りでは、体の重さを感じました。

私の体調で、登ってきた道を下山するか、大蔵山から望むことができる昨年登った菅名岳を経由して下山するか、 N氏は二つの選択肢を考えていたようです。

「この後どうしようかね?」

私は疲れてはいましたが、「菅名岳を経由して下りようよ!」と応えました。

雪山状態の稜線歩きは、とても楽しい経験ですし、後から振り返れば、下山路も変化に富んだ谷川沿いのコースで、この選択は正解でした。

雪国の人は雪の上を歩くことがとても上手い。

私も雪国育ちですが、18の春からほぼ雪の無い東京住まいをしていると、雪の感覚は忘れてしまいました。

新潟で毎年残雪の残る春山登山をしていると、アイゼンを付けている人に出会うことはなく、長靴で登山している人さえ見かけます。

枝が鞭の如く突然跳ね上がったり、大きな木の周囲は雪が溶けて、落とし穴のようにずぼっと踏み抜いてしまったり、様々な変化が面白い。

また、場所によっては、左右が切れていて、滑落したらずっと下まで落ちていきそうな所もあります。

高校時代、ピッケルを使って滑落を止める訓練をしたことがありました。

何も持たない状況で滑落したら止めようが無い場所で、滑落するような状況じゃないよと言いながら、すいすいと歩くN氏の後を、まじ慎重になって続いて歩きました。

大蔵山から菅名岳まで50分ほどで歩き、休憩もそこそこに下山を開始しました。

この山域は、イワウチワの群生がすばらしく、またツバキやミツバツツジ、そしてムシカリなどの花木も多く、登山者を楽しませています。


(スミレ)

菅名岳から50分弱で、椿平に到着します。

ここからは、そのまま丸山尾根を下り菅名岳登山口から駐車場へ向かうコースと、左手にコースを取り、胴腹清水を経由して沢伝いに下り大蔵登山口の駐車場に至るコースに分かれます。

雪椿が群生している椿平で、私たちは左手にコースを取り、10分ほど急坂を下りました。


(丸木橋)

沢と出会う地点が、私たちは気付きませんでしたが、実は胴腹清水(どっぱらしみず)で、この山域にはこのような清水が多数湧いています。

この出合いから、雪解け水でゴーゴーと音を立て流れ下る沢に沿って、丸木橋やら角材を組んだ幾つもの小さな橋を渡って、この沢を右へ左へと何回も移動しながら下る、とても爽快な登山路です。


(ネコノメソウ)
(ユキノシタ科ネコノメソウ属の多年草
林縁や谷間の半日陰地の湿地に生育する。
黄色と緑のコントラストが綺麗で、マット状に群生する。)

沢に沿って、色の変化があるキクザキイチゲやネコノメソウ、その他様々な草花が咲いていました。


(白のキクザキイチゲ)
(キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草。
本州近畿地方以北~北海道に分布し、落葉広葉樹林の林床などに生育する。
高さ10~30cm。花期は3~5月で、白色~紫色の花を一輪つける。
キクに似た花を一輪つけることからこの名がついた。
春先に花を咲かせ、落葉
広葉樹林の若葉が広がる頃には地上部は枯れてなくなり、
その後は翌春まで地中の地下茎で過ごすスプリング・エフェメラルの一種。)


今度は晩秋の時期に訪れて、このコースをゆっくりと遡上して、紅葉と落ち葉と沢水のコラボを楽しみたいと思いました。


(紫のキクザキイチゲ)

奥入瀬よりもワイルドで、無論登山靴で歩くことになりますが、その美しさは勝るとも劣らないのではないかと、想像してしまいます。


(朽ちた巨木)

雪解けの清流が勢いよく流れる沢に沿って35分ほど歩くと、林道終点にたどり着きます。


(新緑が映える)

林道を20分強歩くと、朝登り始めた大蔵山登山口との分岐点に着き、そこから10分弱で、駐車場に到着しました。


(満開のヤマザクラ)

登山路から、30分ほど一般車は通行止めになっている林道歩きをすることになります。

駐車場からわずかばかり下ると、朝も帰りも数台の車が止まっている「吉清水」があり、私もペットボトルに2本、勢い良く湧いてくる清水をお土産にしました。

その清水の脇に、お婆さんが地元で取れたセリとまだ根は小さいワサビを売っていて、それもお土産に買いました。

お婆さんの話では、ワサビに熱湯を注ぎ、市販の出汁に漬け込み、まだ小さいワサビの根を擦り、それを入れて数日置くと美味しいとか。

結局私は、セリとワサビを一緒にしておひたしにして食べましたが、さわやかな春の味と香りを楽しむことができました。

帰路に、日帰り温泉「村松さくらんど温泉」に立ち寄り、登山の汗を流し、湯船に浸かりながら、登山の余韻に浸っていました。

その後、新津駅近くの居酒屋で、その日の登山と四方山話も酒の肴にして、N氏と一年ぶりの酒宴を楽しみました。


(参考歩程時間) 

大蔵山登山口駐車場10:47分~10分~10時57分大蔵山登山口10:58
~54分~11:52四合目分岐点11:54~56分~12:50大蔵山山頂13:11
~50分~14:01菅名岳山頂14:03~47分~14:50椿平14:52
~10分~15:03胴腹清水(どっぱらしみず)15:05~35分~15:40林道終点
~23分~16:03大蔵山登山口(菅名岳登山口分岐点)~8分~16:11大蔵山・菅名岳登山者駐車場


汲んで来た吉清水と

昨年塩漬けした八重桜を使い、
母と桜茶にして飲みました。

茶碗の中でピンクの八重桜が咲きました。

昨年来、病を患って体調が優れず
八十を越えて体が衰えた母が、
吉清水で入れた桜茶をおかわりしました。

新緑、雪解けの清流…生気に満ちた春の風を
母に届けることができたでしょうか。


 

 

 


マッキーの山登り:荷田子バス停~戸倉城山~金剛滝~網代城山・弁天山~武蔵増戸駅

2011年04月21日 | 日帰りの山登り

 

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都内のソメイヨシノは葉桜となり、少し遅れて咲く八重の桜が街中で咲いています。

ふと気付くと、桜に代わってさまざまなツツジが花開き、いよいよ春本番の季節がやってきました。

4月17日(日)、事前の天気予報では、雨の確率が高かったのですが、次第に良い方向に変わり、当日は春山を楽しむ絶好の天候となりました。

師匠Y氏と、武蔵五日市周辺の里山と、その麓にある山里を登ったり下ったりしながら、ヤマザクラ咲く春を満喫しました。

今回のブログは、数多くの画像をアップロードしましたので、春の草木の花々と山里の風景を堪能してください。


(ミツバツツジが咲き乱れる登山道)

早朝新宿7:44発の「ホリデー快速あきがわ1号」に乗車。

例年この時期、この列車の座席は、満員になり立っている人も見られるはずですが、地震とそれに続く原発事故の影響からか、シートは空席が目立ちました。

武蔵五日市駅から、9:00発の数馬行きのバスに乗り、荷田子バス停で下車。


(登山路の脇には、ヤマツバキが咲いています)

バス停横から、今日の登山道がスタートします。

しばらく稜線に向けて登りが続き、やがて戸倉三山を巡る稜線上の荷田子峠に出ます。

右手に行くと臼杵山への登山道ですが、今回は左手に進路を取ります。

木々の芽吹きと、ツクシ・ゼンマイ・スミレ・ミツバツツジ・ヤマツバキ(ヤブツバキ)などの花や、山桜の花が終始登山路に舞い落ち、奥多摩の山々を眺めながらの山歩きでした。


(スミレ:スミレ科スミレ属の植物の総称。
花は独特の形で、ラッパのような形の花を横向きかやや斜め下向きにつける。
5枚の花びらは大きさが同じでなく、下側の1枚が大きいので、花の形は左右対称になる。
ラッパの管に当たるのは大きい花弁の奥が隆起したもので距(きょ)という。
花茎は根際から出て、やや立ち上がり、てっぺんで下を向いて花のラッパの管の中程に上側から着く。)

最初のチェックポイントは、戸倉城山(434m)。

頂上は展望が開け、周囲を見渡せる場所にベンチが設置されていて、休憩にはもってこいの場所です。

11時前に到着しましたが、周囲の景観とミツバツツジが楽しめる戸倉城山山頂で、昼食を取ることにしました。

戸倉城山の名前は、中世の頃、浅間嶺越えの甲州街道を見下ろす要害の地に、甲武の国境の守りとして砦が築かれた事に由来します。



食事後に城山から、戸倉の集落に向けて30分ほど下ると、2番目のチェックポイントのヤマザクラの古木で知られる光厳寺に着きます。

光厳寺の大桜は、樹齢400年といわれるヤマザクラの大木で、例年ソメイヨシノの散った後の4月中旬が見頃となります。


(樹齢400年のヤマザクラの古木)

ただ、このヤマザクラのかなり前にフェンスがあり、離れた場所から鑑賞することになります。

したがって、本来の古木のごつごつした幹などは、残念ながら味わうことができません。

フェンスの前には、ヤマザクラをモチーフに、数人の日曜画家たちが楽しそうに絵を描いていました。

寺の境内には、ヤマザクラや花木が多数植栽されていて、長閑な春を味わうことができるでしょう。

光厳寺を後に、麓に下ります。

戸倉の集落にある野崎酒造で清酒「喜正」を購入する予定が、日曜休日で買えずにがっかり。


(造り酒屋玄関の杉玉…日本酒の神様として有名な奈良県の三輪神社の御神木が杉であることから、その御神木と同じ杉を軒先に吊るすことによって、お酒や酒蔵の無事を祈願する)

3番目のチェックポイントの金剛の滝目指して、しばらく車道と林道を歩き、小さな小川に架かる橋を渡り、再び登山道を歩きました。


(登山路のイチリンソウ:キンポウゲ科イチリンソウ属
山麓の樹下に生え、高さ20cm程度で白い花をつける。
ニリンソウに比べ花は大きめで、葉が細かく裂けているので区別できる。
花弁状の萼片が5-6枚のイチリンソウと、萼が8-12枚のキクザキイチゲとがある。
花の色は青紫。また、花びらが白色のアズマイチゲもある。
夏には、地上部は枯れてしまい、地下茎のみとなる。)

金剛の滝は、手前に約4メートルの雌滝があります。

その脇の岩のトンネルをくぐると約18メートルの雄滝が現れるという、変わった趣向の滝です。

滝の周囲は岩が露出した崖で囲まれ、本来は涼やかな雰囲気を醸し出すのでしょうが、地震頻発の昨今は、滝下を早く立ち去りたい心境になりました。



金剛の滝から、山を登り返して再びしばらく下ると、4番目のチェックポイントの広徳寺にたどり着きます。


ニリンソウ:キンポウゲ科イチリンソウ属多年草で、春山を代表する花のひとつ。
深く裂けた根生葉を持つ。に3枚が輪生する葉には、サンリンソウのような柄はない。
3-6月に、白い萼片を持つをつけ、多くは1本の茎から特徴的に2輪ずつ花茎が伸びる。
根茎で増えるため、群落を作ることが多い。)

広徳寺は、
応安6年(1373年)創立の臨済宗建長寺派の古刹で、境内にあるカヤとタラヨウの木は都下最大のものといわれ、都の天然記念物に指定されているほか、境内全体が東京都の指定史跡になっています。

茅葺の建物が並び、静寂があたりを覆い、訪れた人たちは、しばしその雰囲気を味わうように、其処彼処に腰を下ろして、サウンドオブサイレンスを楽しんでいるようでした。



広徳寺から、秋川に沿って舗装道路をしばらく歩きました。

秋川の川原に幾つかの設置物がありました。


(聖牛…写真ではスケールが分からないが、かなり大きな構築物。かつて堤防が土を固めて造られていた時代には、作る手間を考慮しても、効果があったのかも知れない。)

一見して、洪水時の水力を減退させる設置物であることが分かりますが、それが「聖牛」と呼ばれる、武田信玄が創案したといわれる、伝統的河川工法であることが、しばらく行った案内板で判明しました。

聖牛(ひじりうし):河川水勢緩和させるための装置雑木棟木のように結び、その間に柵を設け蛇籠(じやかご)を数本並べたもの。


ヤマブキバラヤマブキ属の落葉低木。黄色の花をつける。季語。)

5番目のチェックポイントの網代城山(330,7m)へ登るために、舗装道路から再び山道に入ります。

頂上直下の長い階段登りを強いられた後、樹林に囲まれた網代城山山頂に到着しました。

山頂は、樹林におおわれ、展望は利きません。

樹林の中に生え出たヤマザクラは、日光を求め幹を伸ばして、空高くに花を咲かせ、そこから舞い落ちてくる花弁で、その存在に気付きます。


(ムラサキハナナ=オオアラセイトウ は、アブラナ科オオアラセイトウ属越年草
別名にショカツサイ(諸葛菜:諸葛孔明が広めたとの伝説から)、ムラサキハナナ。)

網代城山:15世紀中頃、この地域の地侍たちにより山城が利用され、16世紀中頃に八王子滝山城に入城した戦国大名北條氏照によって、滝山城の支城として再び役目を果たしたと考えられている。

最後の6番目のチェックポイントである弁天山は、網代城山からしばらく稜線を歩いたところにあります。

弁天山の狭い山頂は、ミツバツツジと山桜に彩られ、片方は展望も開けていて、この時期は人気のスポットとなっているそうで、しばし休憩したくなる場所でした。

山頂から少し下った場所に貴志嶋神社の奥の院があり、かつて弁財天が祀られていたこという事ですので、弁天山の名称はそれに由来すると推察できます。

弁天山から下って麓に出る所に、貴志嶋神社の真っ赤な鳥居があり、そこをくぐると網代の集落になります。

花の咲き乱れる集落を抜ける舗装道路をしばらく歩くと、ゴールの武蔵増戸駅に到着しました。

駅周囲には、ビールを売っている店が無く、立川まで出て途中下車し、駅前の居酒屋で師匠Y氏とビールとレモンハイを飲み、親交を深め帰路につきました。

今回のコース全体に山桜が多数咲き、
僅かばかりの風にソメイヨシノより繊細な花弁が、
青空から舞い落ちてきます。

山桜の花びらが敷き詰められた道を歩き、
途中で山里の古刹を巡り、
周囲に咲くミツバツツジを中心に、
様々な春の草花や花木を楽しむことができた山登りでした。


【参考歩程時間】

武蔵五日市駅9:00~荷田子バス停9:25~10:50戸倉城山11:15~11:40光厳寺11:50~12:55金剛の滝13:05~13:35広徳寺13:55~15:00網代城山15:10~15:27弁天山15:35~15:50貴志嶋神社~16:10五日増戸駅

 

 

 


マッキーの山登り:早春の愛鷹山(越前岳から黒岳への縦走)

2011年03月10日 | 日帰りの山登り

 

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今年は2月25日に『春一番』が吹き、春が足早に近づいて来ました。

 3月7日は、肌寒い真冬のような気温で、関東地方でも雪が舞いましたが、その前日6日(日)は、気温も上昇して、春の穏やかな一日でした。

この時期は、暦の上では春といっても、春と冬とが一進一退のせめぎ合いの時期でもあります。

また春先は、高気圧と低気圧が交互に日本付近を通過し、3日から4日の周期で 高気圧が移動していきますが、この高気圧を『移動性高気圧』と呼び、天気は周期的に変化します。

『三寒四温』は、国語の四字熟語で学習し、小学生でも知っている言葉です。

この言葉の本来の意味は、朝鮮や中国大陸部において、冬にこの言葉通り周期的に気温の変化が見られる気候の現象を指す言葉でした。

しかし、日本においては、春先に高気圧と低気圧が交互に日本付近を通過することによって起きる、周期的な天気の変動を指すのが一般的です。


3月6日は、ピッタリと晴れの周期に入って行楽日和の日曜日となり、予定通り師匠Y氏とその友人Sさん(雑誌編集者)・Aさん(翻訳家)と、久しぶりに山登りに出かけました。

今回の行き先は、静岡県の富士山南麓に連なる日本二百名山の愛鷹山(あしたかやま)。

愛鷹山とは、幾つかの連山全体の名称で、今回は愛鷹山山塊の最高峰である越前岳(1540m)から黒岳(1087m)を縦走する山登りでした。

連山の一つの愛鷹山峰の山頂には愛鷹明神を祀る桃沢神社があり、この山塊の名称の由来になっていますが、山登りの対象としては、最高峰の越前岳を見逃すわけにはいきません。

また、愛鷹山はかつては活火山で、愛鷹火山の活動期は箱根火山とほぼ同時期で、すでに活動を停止した火山です。

したがって、登山路には火成岩が露出した場所も多く見受けられます。


Sさんの車(ランドクルーザー)に同乗して出発するために、全員が午前7時に国立駅前に集合。

中央高速を経由して東富士五湖道路を通り、愛鷹山北側に位置する高原駐車場へ直行。

天気は快晴で、国立からずっと冠雪した富士山を車窓から眺めることができました。

 高原駐車場には、20~30台ほどの車を駐車できるスペースと、公衆トイレが設置されています。

身支度を調えて9時30分、駐車場から続く階段を登り始めました。

歩き始めて15分ほどで十里木展望台に到着。

富士山とその裾野全体を見渡すことができる眺望は、素晴らしいの一言に尽きます。

展望台から、25分ほどで馬の背に至り、そこから越前岳まで本格的な登りとなります。

登山道には雪が残り、登るにつれて雪は凍結した状態となり、安全のため軽アイゼンを装着。

中高年のグループ登山者を中心に、頂上を目指している幾つかのグループを追い抜き、11時20分頃に越前岳山頂に到着しました。

頂上から僅かに下った所の日当たりの良い場所を選んで、昼食をとりました。

冬枯れした木々の枝の先に、富士山を絶え間なく見ることができる稜線上の、枯れた下草の上に腰を下ろしてのランチタイムです。

 

越前岳から少し下ったところに富士見台と言う場所があり、富士山に向かって木々が払われて展望が利き、平坦なスペースが確保できるため、人数の多いグループ登山者の格好の休憩場所となっています。

黒岳への尾根に対して、南に平行に連なる稜線上には、鋸岳の険しいシルエットが、伊豆半島や太平洋のきらめきを背景に、雄々しくそびえていました。

低山にしては、アルペンチックな山容は印象的で、いつか登ってみたい衝動に駆られました。

今回の山登りは、好天にも恵まれて、終日富士山の雄姿を望むことができる、贅沢な一日となりました。

間近に見る富士山は、垂直方向にそびえる峰の威厳と、水平方向に伸びる裾野の雄大さで、私を圧倒します。

ただし、日本のシンボルと言ってもよい富士山ですが、仔細に観察すると裾野の周囲には送電用の鉄塔が並び、ゴルフ場が傷跡を残し、絶え間ない銃声音が聞こえます。

私たちは富士山の扱いを誤っていて、残念ながら世界遺産としては、不適格といわれても仕方が無い印象を受けます。

13時40分過ぎに、二番面のピークの黒岳に到着しました。

頂上からは、遮る物無く富士山を眺めることができ、山頂の周囲にはミツマタの白い蕾が、後僅かで開花する風情で、青空に映えていました。

 黒岳を後に、一旦富士見峠分岐へ戻り、すぐ下にある愛鷹山荘へ下ります。

愛鷹山荘は、こじんまりとした無人の山小屋で、先着順という条件はあるものの、無料で使用が可能な、使ってみたいと思う山小屋でした。

14時50分、鳥居のある山神社前に到着。

この登山口には、かなり広い駐車場があり、ここから黒岳・越前岳をピストンすることもできます。

ここから林道を15分ほど歩くと国道へ突き当たり、その分岐点に愛鷹登山口の看板が設置されています。

その分岐点間近にバス停があり、偶然にも10分もすれば1日1本の十里木行きのバスが到着するという、グッドタイミングでの登山終了となりました。

本来は、車を止めた十里木駐車場まで、6kmほどの舗装道路を1時間強歩くはずだったので、ラッキーという他ありませんでした。

バス終点の十里木で降りて、少し歩いたところにある十里木駐車場に、15時40分頃に到着。

朝来たコースの逆ルートで国立駅前に向かい、無事到着後解散となりました。

その後、師匠Y氏とAさんと私の3人は新宿で途中下車し、新宿西口のミュンヘンで、ビール片手に山登りの反省会で盛り上がりました。

天候に恵まれ友人との楽しい山登りができた、充実した早春の一日でした。

 
富士山を背景に、黒岳山頂のミツマタの白い蕾

 

【標準歩程時間】

高原駐車場~0.15~展望台~0.25~馬の背~1.20~越前岳~0.40~富士見台~0.50~黒岳分岐~0.20~黒岳山頂~0.20~愛鷹山荘~0.30~山神社~0.15~愛鷹登山口

 

 


マッキーの山登り:人里から浅間嶺~払沢の滝の山登り

2011年02月17日 | 日帰りの山登り



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暦の上では春ともなれば、冬型の西高東低の気圧配置が崩れ、太平洋側は冬らしい乾燥した晴天の日は長続きしません。

この時期、関東地方に雪が降ることが多いのは、「南岸低気圧」と呼ばれる低気圧が日本の南岸を通過することが主な理由です。

13日の日曜日を挟んで、関東周辺でも日差しが少なく冷え冷えした日々が続き、雪も降りました。


翌日14日の東京は雪降り

友人Tさんが世話役をしている「山酒会」の月例山行が、天候の都合で翌日の13日(日曜日)に変更になった知らせを受けて、久しぶりの山登りに出かけました。

「山酒会」は、産経新聞社のОBと現役を中心とした山登りを愛好する人たちの会です。

今回の行き先は、浅間尾根を歩く「浅間嶺から払沢の滝」へのお気軽コースでした。

このコースを数年前wifeと歩きましたが、そのときは浅間尾根登山口バス停から登りましたが、今回はそれよりもコースを短縮した人里(へんぼり)バス停からのスタートでした。

新宿7時44分発の「ホリデー快速・あきがわ1号」に乗車し、武蔵五日市駅で下車。

この列車は、おくたま1号と連結されていますが、あきがわ1号が先頭寄りでおくたま1号が後尾寄りとなっていて、以前と反対ですので注意が必要です。

休日の朝の時間帯、武蔵五日市駅前バス停は中高年を中心に、多くの登山者で列が出来ます。

9時発の数馬行きバスに45分ほど乗車し、人里(へんぼり)バス停で下車。


バス停付近の民家


バスを降り立つと、周囲の民家や林はここ数日の雪で清められ、静寂の中に凛とした朝の冷気が周囲を包んでいました。

平均すると十数名の参加者の山行が多いグループですが、曜日変更と積雪という条件があったせいか、今回の参加者は8名。


先頭を歩く私の前には、1匹の動物の足跡だけ!

身支度を調え、9時50分にバス停前から始まる坂道を歩き始め、しばらく民家の前の舗装された道を10分ほど歩くと、雪が15cmほど積もった登山道にたどり着きます。 

絶好の晴天の朝日を受けながら新雪を踏み締めて50分ほど歩くと、浅間尾根上の人里峠に到着します。


人里峠への登り登山道

峠の左手の尾根が数馬方面、右手の尾根が浅間嶺への登山道です。

峠から10分ほどで、巻き道と尾根上に登る道と分かれますが、右手の尾根上に登る道を選択します。

分岐点から10分ほどで、眺望の無い本来の浅間嶺(903m)に到着します。

浅間嶺を示すプレートは、木の幹に打たれていて、見落とす危険もあります。

分岐点を左手の巻き道にとると、東屋のある休憩スペースに到着後、ほんの僅かばかり歩くと、大きな浅間嶺の看板が立つ見晴らしの大変よいベンチのある比較的広い場所に着きます。

注意すべきことは、本来の浅間嶺はプレートのあった場所で、展望は良いけれどもピークの高さを比較すると一段低い場所が一般的に浅間嶺と思われている場所であることです。 


浅間嶺下の休憩広場で雪見の宴

東屋のある休憩スペースに、みんなより先についた私たちは、東屋横のベンチとテーブルに15cmほど積もった雪を払い、昼食スペース、いや宴会スペースを確保。

このグループの名前は「山酒会」、山に登っては酒を飲み交わし、山から下りては反省会と称して酒を飲み交わす人たち。

今回もビールから始まりワインや各種日本酒がテーブルを賑わし、時に枝から落ちてくる雪を盃に受けながら、雪見酒を楽しんだのでした。

この人たちは、山に登って酒を飲むのか、酒を飲むために、飲むためのシチュエーションを創出するために登るのか?いずれにしろ、酒を飲みながら目一杯楽しむグループです。

ただし、創立メンバーの年令も高くなり、一升瓶を持って登るといった事は無くなり、些か健康にも配慮が見られるようになったようです。

1時間ほど浅間嶺下の休憩場で昼食をとった後、 少し登った先の浅間嶺の案内板前で富士山や笹尾根をバックに集合写真を撮り、時坂(とっさか)峠を経て払沢の滝への下山道を下りました。

浅間嶺から、およそ1時間ほどで払沢の滝駐車場に着き、右手の大きな案内板の所から、払沢の滝へ向かいました。

払沢の滝へは、往復30分ほどで、今回は下の写真のように部分的に凍結が見られました。

帰りは、 払沢の滝バス停前の豆腐屋で、お土産の豆腐を買い、15時20分のバスに乗車し武蔵五日市駅へ向かいました。

前回wifeとこの払沢の滝へ下ったときは、暑さの残る9月頃でしたが、バスを待つ間、村祭りの囃子を聴きながら、豆腐屋で買って食べた冷たい柚子豆腐の美味しさを、いまだに忘れることができません。

武蔵五日市駅でホリデー快速あきがわ2号に乗車し、その後立川で途中下車し居酒屋でよもやま話に時を忘れ、またの山行を約し帰路につきました。 

 

【参考歩程時間】 

武蔵五日市駅~人里(へんぼり)バス停登山口~1.00~人里峠~0.30~浅間嶺~0.50~時坂(とっさか)峠~0.20~払沢の滝バス停(滝往復所要時間約30分)~武蔵五日市駅

 

 


マッキーの山登り:初冬の秋山里山の山登り

2010年12月14日 | 日帰りの山登り


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師走の早朝、漆黒の夜空が少しずつダークブルーに色を変え、やがて東の地平線上の空が刻々とその色彩を変化させながら、白々とした夜明けを迎えます。

12月5日、山菜師匠Y氏と中央線沿線の南に位置する、秋山周辺の里山を歩くために早朝起床。

折しも金星探査機「あかつき」の周回軌道投入の成否が話題になっている明けの明星が、東の空に輝いていました。

後日談ですが周知の通り、残念ながら「あかつき」の金星周回軌道投入は失敗に終わりました。



夜明け前の東の夜空……ひさしの下に金星が輝いています


中央線藤野駅から、8時25分発の奥牧野行きバスに乗車し、15分ほどで終点の奥牧野バス停に到着。

車窓から見る山里は、地面が白く霜に覆われ、冬の到来を感じさせました。

計画では、バス停からすぐ先にある秋山川に架かる吊り橋を渡り、安寺沢と綱子川の間に南北に続く一般登山路ではない稜線へ、渡った対岸からすぐに登り始める予定でした。

しかし、肝心の秋山川の吊り橋が使用上危険との理由で、完全にバリケード閉鎖されていました。

そこで、相模原市の奥牧野から、秋山川に沿って隣村の上野原市古沢の集落まで歩き、秋山川に架かるコンクリート橋を渡ることに計画を変更。

同じバスで、且つ同じく秋山川に架かる吊り橋を渡る予定だった2人組の登山者も、Y氏の提案に従って一緒に行くことになりました。

橋を渡り終えて左手に進み、安寺沢に沿ってしばらくは舗装された林道歩きをしました。


バス停からおよそ1時間で、登山案内の標識に従い、流れも細くなった安寺沢に架かる竹で作られた小さな橋を渡ります。

2人の登山者と別れ、登山口から稜線へ向けて針葉樹と広葉樹の混在する道を登り始め、登山口から25分ほどで稜線上の綱子峠に到着しました。



落葉樹林の中を通る小道に積もる枯葉の上を歩くY氏


冬晴れの山を、落ち葉を踏み鳴らしながら歩くこの時期の山登りは、汗かきの私にとって最も爽快と言っても良く、今回のような里山の散策はとても楽しと感じます。

あらかた落葉した木々の枝に僅かに残った枯葉が、ほんの微かな風に吹かれて、地面に舞い落ちてきます。

若葉としてこの世に姿を現し、雨風や夏の強い日差しに耐え、自分の役割である光合成をせっせと行い、秋に初めて自由に自分を装うが如くに紅葉する木々の葉。

躊躇せず、潔く枯れ枝を離れると、ハラハラと空中で最期の舞を演じた後、地に落ちて土に返っていく一枚の枯葉。

冬の陽に照らされながら散っていく、一枚の枯葉からも学ぶことはある、・・・と私は思います。



針葉樹林の中に差し込む冬の淡い陽が、名残雪のようにまだら模様を描く


東京周辺(北緯35度)の、冬至における太陽の南中高度は、90-35-23.4=31.6(度)

およそ、90度・60度・30度の直角三角形の三角定規の2番目に長い辺(長さが1:2:ルート3のルート3の辺)を机に置いたとき、三角定規の斜辺の傾きほどの太陽光線が、この時期の最高高度です。

ちなみに、夏至における東京周辺の太陽南中高度は、90-35+23.4=78.4(度)

上の冬至との太陽高度差は、かなりあることが分かるでしょう。(塾では小5で学習)

(注:地球の公転面の垂線と地軸とが作る角が上の計算式の23.4度で、地球の北回帰線・南回帰線がそれぞれ北緯23.4度・南緯23.4度であることも、同じ理由による。 )

落葉広葉樹の林では、根元の隅々まで冬陽が差し込み、また針葉樹林では淡い日差しが幻想的な光景を演出します。



夏はさぞかしうるさいブッシュも、冬枯れして日差しを受けて暖かい


綱子峠から入道丸を経由して平野峠までは、一般登山道ですので明瞭で歩きやすい道が続きます。

私たちは平野峠で一般登山道から分かれ、大川原山(677m)、大川原天神峠、舟山(587m)、綱子天神峠そして峰山(570m)と縦走し、大久和にある「藤野やまなみ温泉」まで下るルートで歩きました。

このルートは、一般登山道にはなっていませんが、全体的にはかなり整備された道となっています。

これからの冬の時期、少し経験を積んだ人が、静かな日だまりハイクをするには、適した里山と言えます。



秋が過ぎ行くのを名残惜しむススキの穂


秋の七草の一つであるススキは、順光で見ると薄茶色の穂が、逆光の中では銀色に輝き、澄んだ秋空に映えて美しく感じます。

春の七草は知っていても、秋の七草を言える人は少ないのですが、その覚え方は、「おすきなふくは」です。

お…オミナエシ、す…ススキ、き…キキョウ、な…ナデシコ、ふ…フジバカマ、く…クズ、は…ハギ、……これを覚えておくと便利です。
(塾では、小4の理科で学習)



ふかふかの落ち葉の上を下るY氏


このルートで多少気を付ける所は、登山道をそのまま進むと、舟山は巻いてしまいますので、頂上を目指すなら、適当な所で舟山山頂へ斜面を直登する必要があることと、舟山から綱子天神峠までのルートファインディングが必要な箇所がある点です。

もう一つは、峰山から大久和のやまなみ温泉へ下るルートですが、本来は遊歩道と名付けられた道があるのですが、あまり歩かれていない道のため、ルートが確認しづらくなっています。


この時期の登山道は、落ち葉で被われ、落ち葉を踏みしめると言うより、登山靴を落ち葉の中で泳がせるようにして、カサカサという音と感触を味わいながらの山歩きとなります。

そして、『秋の日はつるべ落とし』と言いますが、日照時間が急速に短くなるので、日が暮れるのが早く感じられることを指す言葉ですが、冬至前後の冬山の日没は、無論秋よりもかなり早い時間帯となります。



『藤野やまなみ温泉』…入口に産地直売の野菜売り場があります
300円で、実に重たいハクサイを1個買ってお土産にしました


少し遠回りをして下った日帰り入浴施設『藤野やまなみ温泉』で湯舟に漬かり、久々の山歩きの汗を洗い流しました。

入浴後、藤野駅行きバスの発車時刻まで1時間ほど間がありましたので、休憩室でビール片手にY氏と四方山話に花を咲かせました。



ローカルっぽさを一層強調し、哀愁さえ漂う夜の藤野駅イルミネーション


やまなみ温泉始発のバスに僅かばかりの時間揺られて到着したJR藤野駅は、閑散としてはいるものの、至る所イルミネーションで飾られ、それが一層年の暮れを感じさせました。

列車に乗り込むと、経済的な酒量で気持ち良くなったY氏は、列車の揺れに身をまかせ、夢の世界を再び彷徨しているようでした。


今回の山登りが、私の今年の登り納めとなります。

月2回の山登りが私の理想であり目標なのですが、今年は様々なことがあり、近年になく少ない山行となってしまいました。

ストレス解消に、メタボの予防に。
もっと積極的に言えば、仰ぎ見る山々と出合い、足下の草花を愛で、
一瞬の光景に感動し、友人と楽しい時を過ごし、そして心優しき人に出会う。

そんな山登りが、来年は目標通りできればと願っています。


【参考歩程】

藤野駅~バス~奥牧野バス停~1.00~登山路入口~0.25~綱子峠~0.30~入道丸(714m)~0.15~平野峠~0.15~大川原山(677m)~1.00~大川原天神峠~0.15~舟山(587m)~0.30~綱子天神峠~0.30~峰山~0.40~大久和(やまなみ温泉)~バス~藤野駅 (今回の歩程:5時間30分)




冬枯れの木の枝が、澄み切った青空に向かって伸びている光景が私は好きです。


今回のブログは、パソコンで完成原稿を作り、携帯で投稿したら、どうした訳か全ての原稿が失われた状況で投稿されてしまいました。
すぐにブログから消去し、再度一から原稿を書いて投稿しました。
しかし、白紙の記事のタイトルは残ったままですので、戸惑っ方がいらっしゃったかも知れません。
やれやれ!




マッキーの山登り:高尾山口~高尾山・城山・景信山・明王峠~相模湖駅

2010年09月30日 | 日帰りの山登り

その季節にしか出会えない動植物を求めて、特定の場所を訪れたいという衝動に駆られることがあると思います。

9月、高尾山のメインルート・稲荷山ルートを登り、城山・景信山と歩き、明王峠から相模湖駅に下るか、陣馬山まで歩きバス停まで歩道歩きをするコースで、私は山歩きをしたくなります。

理由は先に述べたように、その季節にしか出会えない動植物と山で再会するためです。


9月26日(日)7時少し前に自宅を出て、8時30分頃高尾山口駅に到着。

8時40分、幾つかある高尾山までのルートのうち、稲荷山ルートを登り始めました。

登り口に、まず期待していた最初の出会いがありました。

それは、この時期このルートの至る所に咲いているホトトギス

毎年咲いている登り口のホトトギスは、とても薄暗いところにあるので、撮影には向いていません。

しかしこの判断が、今回は大間違い。

高尾山までの登山路に、例年ですと9月頃に普通に咲いているはずのホトトギスが、今年はこの登山口を除き全く見ることができませんでした。

どうした訳でしょう。

若干時期が遅かったからか、今年の猛暑が原因なのか、それは登るにつれ明らかになっていきました。

登山口のホトトギスを写真に納めておくべきだったと後悔しましたが、幸いにも下山道で偶然一株だけ咲いているホトトギスを発見、カシャッ!。


《ホトトギス》
ホトトギスは山野草として人気の高い植物で、東アジア~インドに約20種類(内、日本原産のものが10種類)が分布します。
名前の由来は、花びらの斑点模様が、鳥のホトトギスのお腹の模様に似ているところに由来します。


次の出会いは、タマアジサイ

この時期は、高尾山から城山への迂回ルート上に、ヤマアジサイやガクアジサイより遅咲きで、7月~9月に開花が見られる瑞々しいタマアジサイの花が、咲き乱れているはず。

ところが、随所に咲いているはずのタマアジサイは、例年よりもかなり数が少ないだけでなく、花も貧弱。


《タマアジサイ》
玉紫陽花は、アジサイ科アジサイ属の落葉低木。
樹高は1.5mから2mくらいになります。
花期は7月から9月で、苞に包まれ玉状になった蕾が裂けるように開花し、淡紫色の小さな両性花の周りに花弁4枚の白色の装飾花が縁どります。
名の由来は玉のような蕾から。


次は、サラシナショウマ

かなりの数のサラシナショウマが、毎年群生して咲いている場所では、花の穂が垂れるようにして咲いているはずが、タマアジサイと同様に咲いている花の数が少なく貧弱な花つきでした。


《サラシナショウマ》
キンポウゲ科サラシナショウマ属
升麻はサラシナショウマの漢名で、サラシナというのは、若菜を茹でて水で晒して食用に供することからつきました。
北海道~九州の落葉樹林内や草原などに生えます。
茎の先に15~30cmの穂状花序を出し、柄のある白い小さな花を密につけます。
花期は8~10月。


ツルニンジンの花も、あるべきところに無く、下山道に咲いているのを偶然に見つけました。


《ツルニンジン》
ツルニンジンはキキョウ科の蔓性多年草で、東アジア一帯の森林に生育します。
別名はジイソブ(爺のそばかすの意)といい、これは類似種バアソブ(婆のそばかすの意で、花冠にある斑点による)に似て、より大きいことに由来します。


こうした例年と異なる植物の生育を考えると、記録的な今年の猛暑は、間違いなく生態系に影響を及ぼしたようです。

クマの出没や、凶暴化したサルの人家付近への出没などが、今年は特に話題になりましたが、こうした環境の変化が原因かもしれません。


ところで、私にとって花の撮影の他に、もう二つ出会いたいものがありました。

その一つは、アサギマダラという蝶であり、もう一つは、ヤマイモの蔓に生るムカゴ。

北高尾山稜では、この時期にかなりの数の群れで舞うアサギマダラと遭遇することがあります。

今回、幸運にも高尾メインルート上で、一頭のアサギマダラを写真に収めることができました。

蝶の助数詞は「匹」ではなく「頭」が、アカデミックな数え方です。


アサギマダラは、タテハチョウ科・マダラチョウ亜科に分類されます。
秋になると、海を渡って南西諸島や台湾まで南下する渡りをするチョウです。


私がカメラを向けていると、問いかけてきた老人がいましたので、「海をこれから渡る珍しい蝶」であることを教えてあげると、「ほう、そうですか。」と言いながら、感慨深げに見入っていました。


以前のブログで、アサギマダラを取り上げていますので、興味ある方はご覧ください。


マッキーの随想:生きる力を学ぶ…チョウや植物から


マッキーの随想:自然は不思議なことばかり…秋の山の話


むかご(零余子)は植物の器官のひとつで、種子ではなく栄養繁殖器官です。


さて、最後になりましたが、ヤマノイモのムカゴ

今回のルートで、例年さほど多くは採れないムカゴですが、今年は写真のように豊作でした。


小どんぶり2杯分のムカゴ


蔓性植物のヤマノイモは、今年の猛暑をものともせずに、光合成で作った栄養をしっかりとムカゴに蓄えたのです。

帰宅後に、さっそく塩ゆでにして、ビールのつまみになりました。

翌日は、ムカゴ飯として、朝食と昼の弁当になって、我が家の家計をちょっぴり潤したのでした。


小さめのムカゴを使ったむかご飯


かつて私たちの祖先は、有限ではかない人生に対比して、自然の強靭な永続性を疑わなかったようです。

国破れて山河在り 城春にして草木深し

戦火で都は荒廃してしまったけれども、春が訪れていつもと変わらず草木が生い茂っている情景から、人の世のはかなさに比べて、自然の永続性を詠んでいると思います。

年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず

毎年季節が巡ってくれば、美しい花は同じように咲き自然は変わらないけれども、この花を見る人々は毎年変わっているという、人の世のはかなさを詠んでいます。

しかし、現代においては、こうしたゆるぎない自然の営みは人間の幻想であり、実は人間の世と比べても、とても繊細ではかないものだということが、認識されつつあります。

人間の欲望の追求は、ついには地球全体の環境をも破壊するエネルギーを持つに至ったようです。

自然の変わらないと思われた営みの変調が、私たちに警鐘を鳴らしているように思います。


【標準タイム】

清滝登山口~1.10~高尾山~1.00~城山~1.00~景信山~1.10~明王峠~1.25~相模湖駅 (計5時間45分)


高尾山系の山登りとしては、以下の3つのルートに大まかに分けることが出来ますので、興味有る方はご覧下さい。


◎展望は少ないけれども登りごたえのある北高尾ルート
2008.1.28北高尾山稜縦走…1年で最も寒い時期の山登り


◎最も整備され展望も良い高尾山~陣馬山メインルート
2008.06.04ミシュランの三つ星:陣馬山~景信山~城山~高尾山の山登り (今回の逆ルート)


◎それから南に位置する南高尾ルート
2008.02.18南高尾山稜…冬の日だまりハイク


今年はツリフネソウの群落が目立ちました。
ツリフネソウ(釣船草 )は、ツリフネソウ科ツリフネソウ属に分類される一年生草本植物です。
色が黄色のツリフネソウもよく見かけますが、キツリフネ(黄釣船)と呼ばれています。



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マッキーの山登り:講習の中休みを利用した那須岳登山

2010年08月28日 | 日帰りの山登り
今年は台風やら天候不順で、お盆休み中の恒例夏山登山に出かけることができませんでした。

この恒例の夏山登山をサボると、年末に体調を壊し厳しい風邪などをひくというジンクスが私にはあります。


そうした意味もあって、少し焦り気味の8月も残りわずかな25日(水)、講習の中休みを利用して日帰りで那須岳に登ってきました。

那須岳を選んだのは、3年前同じ時期に登った朝日岳から望む茶臼岳の美しさに感動したことと、青春18切符が1枚手元にあったという理由からでした。

事前の25日の天気予報は、昼過ぎから天候が崩れて雨になる確率が50%と出ていました。

どうしようか思案しているうちに前日となり、24日講習帰宅後、夜遅く急いで準備をして12時に就寝。



3年前、朝日岳から茶臼岳を望む
この雲海は、しばらくすると瞬く間に雲散霧消し、展望が開けた


翌朝は、4時30分に起床。

5時25分の電車に乗るために、眠い目を擦りながらエレベータホールまで行くと、偶然にも昇りエレベータが、私を待っていたかのように26階で止まりました。

降りる人のためにエレベータの正面を避けドアの開くのを待つと……、おや?だれも乗っていない!

無人のエレベータが、26階まで私をお迎え!

エレベータのドアの開閉のボタンを押した後、静かに下降するエレベータの中で、背筋がぞくっとしました。

今日は気を付けろというサインか。


前回3年前は、茶臼岳・朝日岳・三本槍岳と回り、峰の茶屋跡から下山しました。

今回は、帰りに温泉に入浴することと、午後から天候が崩れるという予報から、茶臼岳と朝日岳を登り、峰の茶屋跡からバス停のあるロープウエイの山麓駅まで下るコースを計画しました。

上野駅まで出て、6時9分宇都宮行きの電車に乗り、小山で黒磯行きの電車に乗り換え、8時56分黒磯駅に到着。

駅前のバス停から、9時20分発東野交通の那須ロープウエイ行きのバスに乗車。

避暑地らしい松並木や、至る所に観光地の施設がある通りを走り、ちょうど1時間で那須ロープウエイ山麓駅前(1300円)に着きました。

しばらく乗り場の列に並び、かなり大型のロープウエイ(片道料金大人650円)で4分ほどかかって山頂駅に到着。

ロープウエイの途中から、ガスがかかって視界が悪くなり、降り立った山頂駅からは展望はほとんど無し。

10時40分、山頂駅を出発して茶臼岳の山頂に向けて歩き始めました。



ガスって視界が悪い茶臼岳への登山道


登山道には、老若男女が様々な服装と足ごしらえで、各自のペースで頂上を目指していました。

サンダルや草履をはいた人もいましたが、山を楽しむには身支度はしっかりすべきです。

確かに茶臼岳は、山頂を往復するだけなら、小さな子どもを連れて気軽に登れる山でしょう。

しかし、天候が急変する可能性のある日は特に、空身で山頂を目指すことは避けるべきです。


登るにつれて視界が利かなかった天候も、やがて少しずつ青空が見え隠れするほど回復し始めました。

登りの途中には活火山らしく、硫黄のにおいと蒸気を上げている場所もあります。



那須岳山頂…鳥居の先の祠が山頂


11時10分、鳥居と祠のある茶臼岳山頂に到着。

しばし、3年ぶりに登った茶臼岳山頂に吹く、晩夏の風を体に感じていました。



ウラジロタデの花…那須岳に最も多い植物


茶臼岳から峰の茶屋跡へ向かう途中に、大きく崩落して白い蒸気や火山性のガスを盛んに上げている場所があります。

茶臼岳は活火山で、100年に1回程度の水蒸気噴火を起こし、マグマ噴火は数千年に1回程度の割合で起きているそうです。



峰の茶屋跡の先に望まれる右手奥のピークが、次の目的地・朝日岳


11時45分、峰の茶屋跡に着き、休む間もなく朝日岳へ向かいました。

このあたりから見る朝日岳は、かなり荒々しい姿をしていて、登山意欲をかき立てます。



朝日岳への登山道


登山靴を履いて那須岳に来たら、主峰茶臼岳だけでなく朝日岳も登ることによって、初めて那須岳を味わうことができます。

那須岳は、那須五峰を中心とした山地の総称で、三本槍岳(1917m)、朝日岳(1896m)、茶臼岳(1915m)、南月山(1776m)、黒尾谷岳(1589m)を那須五峰と呼びます。

一般的に主峰の茶臼岳を那須岳と呼び慣わしているようです。

いずれも火山で、中でも茶臼岳は現在も活動を続けている活火山です

無論、時間の余裕があれば那須岳最高峰三本槍岳を含む3つのピークを踏破すべきです。

朝日岳へ向かう登山道には鎖場もあり、変化ある山登りができます。



朝日岳最後の登り…この日最も天気が良かった時間帯でした
年老いた父母をサポートしながら急坂を登る若者


12時20分、朝日岳山頂に到着。

残念ながら、曇天の空にお椀を伏せたような稜線を見せる茶臼岳を除いては、展望はイマイチ。

けれども、未明に起きてやって来た満足感を味わいながら、前夜作った焼明太子とサケのおにぎりの昼食を朝日岳のピークでとりました。



朝日岳から那須岳を望む…再びガスが出始め雲行きが怪しくなってきた


前回来た時は、青空の下に、一面の雲海が日の光を受けて輝き、その雲海の上に茶臼岳が小島のように浮かんだ絶景を見ることができました。



この残像が、私をここまで再び呼び寄せたのですが、今回はそうした感動を喚起するほどの景観ではありませんでした。



リンドウの花が此処彼処に咲き始めていました
リンドウ科リンドウ属 和名:竜胆/生薬名:竜胆(りゅうたん)
本州~奄美諸島の山野に自生する植物で、近縁種も含めるとほぼ日本全域に分布
リンドウの青い花は、清々しい秋の空気に似合うと思います


12時40分、朝日岳の山頂を後に峰の茶屋跡へ向かって下山開始。

13時10分、峰の茶屋跡を発ちロープウエイ山麓駅までの下山道を歩き始めました。

下山道を歩き始めて間もなく、残念ながら雨がパラつき始め、空の雲は急速に変化して暗くなり、ついに雷を伴うスコールとでも形容できる激しい雨となりました。



激しい土砂降りの中、傘を差して下山


ふと、朝日岳の山頂下のベンチで老夫婦が楽しそうにお弁当を広げていた風景を想い出し、あそこでは逃げ込む場所もなく、峰の茶屋跡までの鎖場のある下山道の危うさを思い、私は大丈夫だろうかと気になりました。

しかし、登山とはこうしたリスクを伴うスポーツであることは、間違いありません。

雨具は準備してきていましたが、私は傘で大丈夫と思ったのが間違い。

雨具を着込もうと思った頃には、そんな余裕など無いほどに激しい雨となり、私は豪雨の中を小さな傘を差し、2回ほどスリップして転びながら、下山を続けました。



下山道のヤマハハコの花
ヤマハハコ(山母子)はキク科ヤマハハコ属の多年草


13時50分、滝となった階段をやっとの事で下りて、ロープウエイ山麓駅に着きました。

上半身は雨でぬれた程度ですが、下半身はほぼびしょ濡れ。

雷雲発生のため、ロープウエイは止まった状態で、山麓駅は朝の混雑と比較にならないほど閑散としていました。

前日には、皇太子が那須岳に登られたそうで、そんな話を売店のおばさんから聞きました。

今日のような不安定な天候の時は、皇太子一行はどうするんだろうか。

やはり、難渋なことは避けて事前に中止を決めるのでしょう。



朝日岳へ向かう登山道に咲くホツツジ
ホツツジ(穂躑躅)はツツジ科ホツツジ属の落葉低木。
ホツツジ属は本種一種のみであり、日本特産。


タオルで搾るほど水を拭き取ったズボンは、バスを待つ間にみるみる乾いていきました。

スポーツ関連衣類に使われている化繊の進歩には驚かされます。


14時30分、山麓駅バス停から乗車し、那須湯本バス停で途中下車し、鹿の湯で入浴



鹿の湯の男風呂…幾つかの小さい湯船に分かれている


小さな湯舟が幾つか並び、それぞれ異なる水温の温泉がかけ流しの状態となっています。

白濁した温泉に入り、温泉特有の臭いに包まれながら、しばし瞑想の一時を過ごしました。

しかし、鹿の湯には洗い場は無く、ましてや石けんやシャンプーを使って体を洗うことさえできません。

歴史を感じさせる源泉から導かれた本格的な温泉に浸かり、ただただ身も心もセラピー効果を感じるだけ。

無論上がり湯などもなく、温泉特有の匂いの染み込んだ体のまま着替えをして、鹿の湯を後にしました。



シラネニンジンの花
シラネニンジン(白根人参)セリ科のシラネニンジン属。
亜高山~高山帯の草地や湿原に生え、茎の高さは5~40センチ。
茎先の複散形花序に、直径2~3ミリの白色の花を多数つける。
総苞片、小総苞片がある。葉は2~3回羽状に細かく裂ける。
終裂片は広卵形で、ニンジンの葉に似る。葉柄の基部は赤みを帯びた鞘状。


「わあっ、このバス、温泉の匂いがする!」

バスに途中乗り込んできた避暑帰りの若い女性グループが、嬉しそうに叫びました。

いくら温泉街を抜けてきたバスでも、温泉の匂いが染みつくわけがないでしょう。

違うって!バスではなく、無論バスタブでもなく、私が源泉の匂いを運んでいるんだって!

こうして、那須から自宅までの列車の中に鹿の湯の源泉の香りを、私はお届けすることとなったのでした。

山登りをした下山後の入浴は、温泉の質よりも、洗い場がしっかりある汗を流せる温泉を選ぶ方が利口です。



3年前、茶臼岳山頂から雲海を眺めていた高齢の登山者


初めて雲海を見たのは、高校1年の初夏
雲よりも上に登り、雲を上から眺める感動
雲海の上には真っ青な空がどこまでも深く続く
太陽は、雲海を容赦なくキラキラと照らす
ザックから水筒を取り出し、ごくりと水を飲む
そして、雲海を眺めようと再び振り向くと……
そこには、どこまでも続く山々が
夢のように、雲海は何処にか消え去っていた
魔法のような雲海……それが私の印象




【参考歩程時間】

山頂駅~40分~茶臼岳~20分~峰の茶屋~45分~朝日岳~35分~峰の茶屋~40分~山麓駅





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マッキーの山登り:木イチゴとワラビを求めての山登り

2010年06月27日 | 日帰りの山登り

某尾根では、この時期わらびと木イチゴを採集することができます。

無論、この尾根の登山道は、登山地図には一般登山道として記載されていません。


6月20日、山菜師匠Y氏と梅雨時の曇天を利用して、実益も兼ねた山登りに出かけました。

行き先の尾根は、中腹を過ぎないと風が通らずに、この時期の登りは蒸し風呂状態ですが、背に腹は換えられません!

この尾根は中腹まで幾つかの民家が散在し、中腹から上のブッシュに木いちごの木が混ざり、その上の稜線間近にわらびが生えています。

稜線上に出ると、山の爽やかな風が吹いていますが、そこまで至るまでが、何と暑い場所なんだろうという印象が私にはあります。



モミジイチゴ(最後の貧弱な~)
モミジイチゴとは、バラ科キイチゴ属に分類される植物の一種。
東日本に分布。葉がもみじに似ているためこの名がある。
黄色い実をつけるため黄苺の別名がある。果実は食用になる。


登山道に入ると、路傍にはミツバが春先の柔らかそうな状態から、日光で鍛えられた堅そうな状態で生えています。

お土産がてら、ミツバを摘みながら、木いちごとわらびの生えている場所へ向かいました。

昨年は、黄色いモミジイチゴをジャムに加工するために、タッパーいっぱいに採集しました。

しかし、帰宅するとタッパーの中の木いちごが、果汁と固形分に分離してしまっていて、木いちごを洗っていないために、衛生面を考え果汁を捨てる羽目になってしまいました。

今年は、この木いちごを使って、リキュールを作る予定でしたので、現場で木いちごを持参した水で洗い、その場でアルコール漬けすることにしていました。

しかし、今年は1週間ほど遅かったせいか、目的の黄色いモミジイチゴはほとんど採ることができず、代わりに赤く実ったニガイチゴを採集しました。

モミジイチゴは、生食してもマイルドな甘味が美味しい木いちごです。

今回主に採ったニガイチゴは、モミジイチゴよりも味が強く、ちょっぴり苦みを感じます。

まだ結果は出ていませんが、リキュールを作る材料としてニガイチゴを使うことにより、個性的な味わいのお酒ができるのではないかと期待しています。



ニガイチゴ
ニガイチゴとは、バラ科キイチゴ属に分類される植物の一種。
山野に生える落葉低木。
果実はいわゆるキイチゴの形で甘く食用になるが、小核に苦味があり苦苺と呼ばれる。


わらびは、中腹から稜線上にかけて、かなり広く分布して生えていましたので、自宅で食べる分には申し分ない量の収穫がありました。

わらびは、「わらびの一本漬け」にして、しばらくの間酒の肴にまた副食として、季節感を味わいながらいただくことができます。

わらびの若干の毒性に私などは神経質に反応しますが、山菜師匠Y氏はそんなことは意に介さない様子。

Y氏は、今回もキノコを採集して持ち帰りましたが、毒性の植物に耐性ができているかも知れません!?


帰宅後、現地で少量のアルコールに漬けた木いちごを、スミノフの赤ラベル40度のウオッカに氷砂糖を入れて漬け込みました。

こうした果実を漬け込むことにより作るリキュールは、氷砂糖をある程度まとまった量入れることにより、浸透圧の関係で十分にアルコールに果汁を溶解させることができるのではないかと、私は思っています。

甘味の少ないリキュールを望むなら別ですが、どうせ食前酒に小さなグラスに入れて、特に夏はオンザロックにして、少量をいただくわけですから、氷砂糖は十分な量を入れたほうが良いでしょう。



木いちごのリキュール:木いちごはすぐに小さな粒に分かれます
1ヶ月ほどで木いちごは取り除く予定


わらびは、沸騰した熱湯に重曹とともに入れて火を止め、一晩灰汁抜きします。

わらびを漬けた湯は、翌日には濃い緑色に変色していて、かなりの灰汁がある植物であることが分かります。

酒:みりん:しょうゆ=1:2:2の割合で混ぜ、今回そこに白だししょうゆと食酢を入れ一度煮立てて冷ました漬け汁を、タッパーに入れたあく抜きしたわらびにかけて漬け込みました。



わらびの一本付け
(発がん性を気にして、上部は取って漬け込みましたが、わらびの一本付けとしては邪道とY氏から指摘されそうな!)

(わらびの毒性の補足)
牛や馬、羊などの家畜はワラビを摂取すると中毒症状をしめす。
また人間でもアク抜きをせずに食べると中毒を起こす(ワラビ中毒)。
ワラビには発癌物質であるプタキロサイドが約0.05-0.06%含まれる。
しかし、ワラビ中毒がきのこ中毒のように問題にならないことから判るように、副食として食べている程度ならば害はない。
またアク抜き処理をすればプタキロサイドはほとんど分解され、ジェノンという物質になる。


山登りから帰ったこの日の夜は、上記の作業だけでなく、2週間塩漬けしたらっきょうを、甘酢漬けと醤油漬けの二種類の本漬けにする作業もしました。

このらっきょう漬けについては、改めて報告したいと思います。



下山道にある初夏のお花畑を下るY氏



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マッキーの山登り:2010年ゴールデンウイーク・新潟『菅名岳』

2010年05月05日 | 日帰りの山登り

日々の寒暖が目まぐるしく変化した今年の4月でしたが、ゴールデンウイークに入ると、かつてない好天に恵まれた連休が続きました。

この連休に、私は故郷新潟の秋葉区に帰省し、中学校以来の親友と、恒例の春山登山をしました。

今年の行き先は、新潟県五泉市にある菅名岳

菅名岳中腹は、ブナの原生林が見られ、手付かずの自然を楽しむことができます。

このエリアは、清水がいたる所から涌き出ており、登山路にある『どっぱら清水』や、麓にある『吉清水』などが知られています。

また、登山口には国立天然記念物の小山田彼岸桜樹林があり、4月中旬の見頃には登山客でにぎわうそうです。



この時期は、至る所さまざまなスミレが咲いています

スミレ(菫)は、スミレ科スミレ属の植物の総称。
花は独特の形で、ラッパのような形の花を横向きかやや斜め下向きにつける。
5枚の花びらは大きさが同じでなく、下側の1枚が大きいので、花の形は左右対称になる。
スミレ科にはおよそ16属850種があるが、そのうちでスミレ属が400種を占める。
高山のものは黄色い花をつけ、それ以外のものは紫、青か白系統のものが多い。
スミレの語源は昔の大工用具「墨入れ」に由来し、距を墨入れに見立てたものとされる。


菅名岳の標高は909.2mで、今回私たちは小山田の駐車場に車を止めて、丸山尾根を登るコースを選択しました。

このコースは、登山口から尾根まで30分の急で長い階段が続きます。



稜線へと続く長い階段を上る親友N氏


しかし階段周囲には、様ざまな花が咲き始めていて、オーバーペースにならないように草花を愛でながら登ると良いでしょう。



ショウジョバカマ

ユリ科ショウジョウバカマ属の多年草。
北海道から九州までの、やや湿った場所に生える。
垂直分布が広く、人里近くの田んぼの畦道から高山帯の高層湿原まで生えている。


この丸山尾根コースは、菅名岳山頂への最短コースで、標準所要時間は登り2時間40分、下り2時間となっています。



雪割草

雪割草は、キンポウゲ科ミスミソウ属( Hepatica )の園芸名。
日本には、ミスミソウ・スハマソウ・オオミスミソウ・ケスハマソウが自生。
これら雪割草の中で最も注目される「オオミスミソウ」。
その自生地は、新潟県を中心とする日本海側。
このオオミスミソウは、雪割草の中でも最も変異の幅が広く、さまざまな色や形が楽しめる。
しかも性質が丈夫であるため交配に熱中する愛好家も増えている。


稜線に到着すると、広葉樹の自然林の中を緩やかに登ります。



エンレイソウ

ユリ科エンレイソウ属の多年草。別名、タチアオイ。


【比較】

今年、高尾山系で見つけたシロバナエンレイソウ

別名:ミヤマエンレイソウ(深山延齢草)
エンレイソウ(延齢草)は褐紫色の花をつけるが、本種は白い花をつける。
ユリ科なので、内花被と外花被が各3枚ずつある。
白いのは内花被で,外花被は緑色。
大きな3枚の葉が輪生している。


登山道の足元には、イワウチワの群落が続き、ショウジョバカマも目に付きます。



イワウチワの群落はすばらしい

イワウメ科イワウチワ属の常緑多年草
本州中国地方以北の山地帯の林内や林縁,岩場などに生える。
花弁は 5 枚で,先がギザギザに裂けている。
花の色は普通は淡紅色。



動物のような姿の古木の中を歩く


頂上近くでは、例年よりも多くの雪が残っているそうで、登り始めてからおよそ2時間ほどで菅名岳山頂に到着。

頂上の主脈稜線は、菅名岳から鳴沢峰までかなり多くの雪に埋もれていて、この日は冷たく強めの風が稜線上を吹いていました。



菅名岳から鳴沢峰を望む
鳴沢峰の奥に、昨年上った五頭山を遠望できました


頂上直下に自然にできた雪の窪みを見つけて、寒風を避けて私たちは昼食を取りました。



鳴沢峰の頂を目指して雪上を登る


食後、菅名岳から雪で埋もれた稜線を30分ほど歩いて鳴沢峰に到着

鳴沢峰からは、遠く飯豊連峰が展望でき、阿賀野川を挟んで対岸に五頭山が望まれます。

頂上近くを除いて登山道には雪は見られず、したがって中腹までは春爛漫の山を、また頂上主脈稜線は冬山を楽しむことができました。




青色が美しいキクザキイチゲ

菊咲一華はキンポウゲ科イチリンソウ属の多年草。
キクザキイチリンソウ(菊咲一輪草)とも呼ばれる。
春先に花を咲かせ、落葉広葉樹林の若葉が広がる頃には地上部は枯れてなくなる。
その後は翌春まで地中の地下茎で過ごすスプリング・エフェメラルの一種。


登山道最後に、金属製の階段を下り、小川を石伝いに渡ると、登り口に続く林道にたどり着きます。



ネコノメソウ

ユキノシタ科ネコノメソウ属の山地の湿地などに生える多年草。
花茎の先端近くの葉が淡黄緑色になり、花弁はなく4枚の萼片のみ。
裂開した果実が猫の目のように見えるのでこの名前になった。


駐車場まで続く林道では、幾人かの山菜採りの人と出会いましたが、何を採っているのかは分かりませんでした。

ただ、このエリアは、山深く入らなくともある種の山菜が採れるようです。…研究の余地あり!


下山後、近くにある五泉市のふるさと創生事業として掘削した温泉の馬下保養センターで汗を流し、帰宅後新津駅近くの居酒屋で、親交を深めました。

店を出て、駅前でN氏と来年の山登りを約束し握手をして分かれると、春の宵の風が、アルコールで火照った私の頬を優しく撫でながら、故郷の街角を通り抜けて行きました。



【今回の登山ルート】

小山田口~丸山尾根~菅名岳(909m)~鳴沢峰(880m)~小山田口

五泉市の登山情報では、登り2時間40分・下り2時間30分となっていますが、およそ4時間ほどで周回できると思います。




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マッキーの山登り:2010年・今年の山菜採り山行

2010年04月26日 | 日帰りの山登り
今年も4月25日(日)、恒例の『春の山菜採り』and『春山宴会』に参加しました。

この恒例の山行は、かつて新ハイの江戸川支部の人たちが始めた年中行事で、今年75歳のK氏を中心として、20年ほど続いています。

私の山菜師匠のYさんが、この会に参加していたことから、誘いを受けて今年で3回目の参加となりました。

高尾山系にある沢沿いの道を、稜線に向かって上り詰めていく途中で、山菜を採りそれを肴に春の宴を催すという企画です。



今年もよく採れたモミジガサ


今年は、電車の運休等もあり9時30分集合の予定が、出発地点となる某駅前を少し遅れて出発しました。

総勢15名の参加者は、最高齢は傘寿を越えたO氏、その他山好きな中高年の人たちで、多くは長年この山菜採り山行に参加し続けている人たちです。

そして、今ではお互いにお会いするのがこの春の山菜採りのみという関係の人もいるようでした。



この時期最も多く見られるスミレ


今年は、天候不順が続きましたが、当日は快晴の山登り日和で、参加者は若葉が美しい長閑な春山を愛で、春の息吹を感じる足下の草木を楽しみました。

しかし目的のエリアに足を踏み入れれば、今年初参加者を除き、手際よく山菜採りに熱中しました。



今年はゼンマイが多く採れました


今年は天候不順のせいで、全体的に山菜の生育が遅く、そのため例年と異なる種類の山菜の収穫となりました。

例年ですと、麓から歩き出すとすぐにミツバが採れたのですが、今年は全くその姿を見ることが出来ません。

代わりに、例年になくゼンマイが目立ち、またこの時期にはすでに傘が開いた状態のヤブレガサはまだ食べ頃の新芽を収穫できました。

収穫した山菜は、モミジガサ(シドケ)を中心にハナイカダ、ゼンマイ、ヤブレガサ、ヨメナ、ノカンゾウなどでした。


今回屋外ではモミジガサ(シドケ)とハナイカダは、おひたしのごま和えにしましたが、家庭では油炒めや天ぷらも美味しくいただけます。

ヤブレガサは、葉が開かないものを採り、天ぷらにすると良いでしょう。



ヒトリシズカ

センリョウ科 チャラン属の多年草で、高さは10~30cm。
葉は4枚が輪生状に付き光沢があり、縁には鋸歯がある。
花期は4~5月で、茎の先に1本の穂状花序を出し、ブラシ状の小さな白い花をつける。
一本で生えるのは稀で、普通群生する。
名称の由来はこの花の可憐さを愛でて静御前になぞらえたもの。
近縁種のフタリシズカが花穂を2本以上出すのと対比させた。



小さな稜線上にある少し平たく開けた場所が秘密の宴会場で、無論そこは一般の登山ルートでは無く、このグループが心おきなく使える場所です。

宴の料理は、収穫した山菜の他に、持ち寄った酒の肴、そして面白いのは牛肉を買ってきてステーキをそこで食べることが伝統になっていることです。


楽しい宴


今年は、長老K氏の知り合いで、現在はIT関連の会社社長ですが、かつてコックの経験もある方が、ステーキを含むフライパンの料理を担当しました。

数種類の調味料を使い、山で食べるには贅沢なステーキのできに全員満足顔でした。


最後に恒例のチャーハン作り!……各自の残ったおにぎりを中心に、残り物をなんでもかんでも入れた、『闇鍋』風チャーハン



闇鍋風チャーハン作り

これが何故かすこぶる美味しい!

長閑な昼下がり、今年もこうして元気に会えたことをお互い喜び感謝しつつ、春の山菜を味わい、アルコールも入って、楽しい会話に花を咲かせました。

春の淡い日差しが西に傾きかけた頃、宴も打ち上げということにして、全員で後かたづけをしてから、何故か最後に自己紹介をして終了しました。



ニリンソウの花

キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草。春山を代表する花のひとつ。
深く裂けた根生葉を持つ。
茎に3枚が輪生する葉には、サンリンソウのような柄はない。
3-6月に、白い萼片を持つ花をつける。
多くは1本の茎から特徴的に2輪ずつ花茎が伸び、和名の由来となっている。
根茎で増えるため、群落を作ることが多い。


各自お土産の山菜をリュックに入れ、秘密の稜線から一般登山道に出て、帰路につきました。

私とYさん、それにTさん3人は、やはり恒例になった春の山菜山行後の反省会のために、新宿で途中下車し、居酒屋で親交を深めました。

日頃は互いに出会う機会の少ない人たちが、年に1回、春の陽気に誘われて集う『恒例山菜山行』は、まさに春の恵みであり天からの贈り物と言って良いと思います。




この時期山を飾るヤマブキの花

バラ科ヤマブキ属の落葉低木。黄色の花をつける。春の季語。
低山の明るい林の木陰などに群生する。樹木ではあるが、茎は細く、柔らかい。
背丈は1mから、せいぜい2m、立ち上がるが、先端はやや傾き、往々にして山腹では麓側に垂れる。
地下に茎を横に伸ばし、群生する。葉は鋸歯がはっきりしていて、薄い。
山吹色といえば、オレンジ色に近い濃い黄色のことである。
往々にして小判の色をこれにたとえる。





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マッキーの山登り:秋山の二十六夜山

2010年04月01日 | 日帰りの山登り
春は名のみの 風の寒さや♪……。

今年は、桜の開花までは順調でしたが、その後『花冷え』と言う言葉以上に寒い日が続きました。

時期外れとも言える寒さの3月28日(日)、春期講習の合間の休日に、念のために雨具をザックに入れる必要のある天気でしたが、山菜師匠Y氏と山登りに出かけました。


行き先は、『二十六夜山』

東京周辺には、『二十六夜山 』と言う名称の山が二つあります。

一つは、山梨県都留市にある標高1297.3mの山で、道志二十六夜山とも呼ばれています。

もう一つは、山梨県上野原市にある標高971.8mの山で、別名秋山二十六夜山と言われています。




風は冷たくとも、山里の道端にはツクシが芽を出しています

スギナはシダ植物門の植物で、日本のトクサ類では最も小柄な、胞子植物です。
スギナは、途中の節の所から引き抜き、再び元に戻して、「どこどこついだ、どこついだぁ~」の遊びをする例の植物です。
春にツクシ(土筆)と呼ばれる胞子茎を出し、胞子を放出します。
つくしの名の由来は、スギナにくっついて出てくる事から「付く子」、袴の所でついでいる様に見える事から「継く子」からきていると言われています。
「土筆(つくし)」は春の山菜として、袴を取って茹でて灰汁を抜き、だしで軟らかく煮たり、佃煮にしたりして食用とすることができます。




今回目指した山は、秋山の二十六夜山です。

上野原駅8時28分発の無生野行きバスに乗車し、大地バス停で下車。

二十六夜山の登山コースは、この東西に延びる無生野行きバス路線から北斜面を登り、この同じ路線のバス停に下るのが一般的です。

およそ、2時間30分から3時間ほどで、二十六夜山を巡ることができます。


今回の登山コースは、二十六夜山が連なる稜線に対してこのバス路線とは反対の南斜面に回りこみ、二十六夜山に登った後、このバス路線に下るコースを採りました。

バス路線のある北面と異なり、バス停から遠い南側からの登りは、ほとんどが一般コースとなっていません。


バス停を後に、秋山川を越えて、まばらな民家を見ながら、なだらかに上り勾配の舗装道路を歩きます。

秋山川に注ぐ支流の「大の入川」に沿った道を歩きました。

右手の標高の高い所に林道が通っていますが、今回の目的の一つが、早春の山菜採りでしたので、川沿いの道を歩くことにしました。

しかし川沿いの道は、かなり大規模な道路建設が行われていて、周囲は工事のために整備され、多くの場所が山菜採りには不向きな状態となっていました。

それでも、かつての林道の状態が残っているところでは、ふきのとうやつくしなどが採れます。



今回のメインの山菜は、春一番のふきのとう
「春の皿には苦味を盛れ」と言われますが、ふきのとうの独特の苦味は魅力的です。
その言葉の所以は、 冬の間にたまった脂肪燃焼させ、味覚を刺激して気分を引き締める役割があるからとか。
本当かどうか定かではありませんが、冬眠から目覚めた熊は、最初にフキノトウを食べるそうです。



1時間半ほど林道歩きをした後、稜線に向かって伸びる登山道(一般ルートではない)に取り付きました。

やがてその登山道は、赤鞍ヶ岳と二十六夜山を結ぶ稜線の登山道に垂直に出会います。

そこの分岐点から、右手の二十六夜山へ向けて、松や杉で囲まれた稜線の道を歩きます。



クリスマスツリーのような、霧氷のついた木々の中を歩くY氏



稜線上は薄くガスが立ちこめ、Y氏のザックに付けられた温度計は0度を指し、周囲の木々の枝には霧氷が付着していました。



周囲のガスは、木々の小枝にぶつかると、稜線の冷気で霜となり結氷し、小枝のガラス細工となります。



この時期の山登りは、春の訪れを五感で感じることができるはずですが、今回に限っては、去り難く居座る凍えるような冬景色の山歩きとなりました。

昼近くになっても手袋をしないと凍えてしまいそうな低温の山歩きでしたが、登山路に入って1時間ほどで二十六夜山の山頂に到着し、昼食をとりました。



うっすらとガスが立ちこめる二十六夜山の山頂



山頂近くの二十六夜塔


30分ほど休憩し、正午頃に浜沢の集落に向けて下山開始。

東屋を過ぎ、麓のキャンプ場から、山麓を縫って寺下方面へと続く山里の道を選択し、道すがらふきのとうやつくしを採りました。

結局、バス時刻の関係で、朝降り立った大地バス停まで歩いたため、今回の山登りは周回コースとなりました。

大地バス停近くの酒屋でビールを買って、大きな桜の木の下(残念ながらまだツボミ)のテーブルで乾杯。

14時45分の上野原行き最終バスに乗り込むと、朝のバスに乗り合わせたカップルやおばあさんが、数が少なくそしてやけに早いこの同じ最終バスに乗り込んできました。


かつてバスが通じていた登山口に、路線廃止のためにたどり着けなかったり、廃止は免れてもバスの便数が減らされたりといったことが最近よくあります。

中高年の登山者を中心に、『山登りには公共交通を使おう!』という『流れ』があってもよいのではないでしょうか。

そうした『流れ』を確立できれば、登山者の利便性を確保できるとともに、少子高齢化の荒波にさらされる山里に住む高齢者の公共交通の足を確保するという副次的な効果も期待でき、登山口に住む方たちに対する恩返しにもなります。



二十六夜山の山麓にある二十三夜の月待塔(つきまちとう)

月待塔は、特定の月齢の夜に集まり、月待行事を行なった講中で、供養の記念として造立した塔。
月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事。
江戸時代の文化・文政のころ全国的に流行し、特に普及したのが二十三夜に集まる二十三夜行事で、二十三夜講に集まった人々の建てた二十三夜塔は全国の路傍などに広くみられる。



今回の山登りは、5時間ほどの歩程でしたが、その多くの時間は山麓の林道や村の道路歩きでした。

見知らぬ村落をぶらぶらと歩くのも、私にとっては決して悪くない時間の使い方です。

最近は機会がありませんが、地図を持たずに当て所も無くおよその方位を拠り所に、かつては都内の街中をぶらりと散歩したものでした。

目に新しい風景、突然印象的な景観に出会う意外性、ガイドブックなど持たない無計画の安易さ、行き当たりばったりの先の見えない不安と冒険心……、時間が許せば復活したい楽しみです。



麓の紅梅白梅ならぬ紅白の桜


今回は、師匠Y氏と下山後の反省会はせずに家に帰り、持ち帰った山菜を料理しました。



つくしのきんぴら

意識してつくしを食べたのは、生まれて初めて。

勿論、つくしの袴を取って料理したのも初めて。

つくしのきんぴらは、苦味があると聞かされていた割に癖が無く、繊維の食感が心地よく、早春の季節感を味覚で楽しむことができる山菜料理です。

山菜師匠Y氏は、子どもの頃よりこの時期に、つくしを卵とじなどにして食べて、季節感を楽しんでいたそうです。

同じ九州でも、阿蘇地方は食べる習慣は無く、福岡地方は「つくし」を春の味覚と楽しんでいると言う記事を見ました。…師匠Y氏は、福岡出身…当たっている!



唐津焼(藤ノ木土平)のぐい呑みに盛った蕗味噌

近年は、毎年この時期に蕗味噌を決まって作ります。

この蕗の風味と苦味は、ひとたびその虜になると、この時期にはずすことができなくなります!



早速私の弁当のおかずになった山菜と自家製海苔の佃煮

朝7時過ぎに家を出て、夜10時半過ぎに帰宅するまで、教室では早春にも拘わらず熱い春期講習が行われています。

山で採った山菜を口に含めば、長閑な早春の山里が目に浮かび、その風味は私にとって一時のアロマセラピー!

ここしばらくは、12時半を回ってから就寝し、6時前には起きる毎日。

ブログも少しずつ書きためて、八日ぶりの投稿となりました。



興味ある方は、道志二十六夜山のブログも参考にしてください。

マッキーの山登り:二十六夜山~芭蕉月待ちの湯




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マッキーの山登り:三本松山・甚ノ函山・矢平山・丸ツヅク山

2010年02月18日 | 日帰りの山登り

立春(2月4日)を過ぎて、日光の強さが増してくる時期ですが、今年は日差しが少なく体の芯まで冷えてしまいそうな日が続いています。

ところで、立春とは、昼夜の長短を基準に季節を分けるとすると、冬至と春分の中間に当たります。

立春から立夏の前日までが春で、立春は「♪夏も近づく八十八夜~」の八十八夜の起算日(1日目)となります。


2月14日(日)、2月としてはとても寒い日でしたが、久々の晴れ間を使って私の山菜師匠のY氏と山へ出かけました。

早朝の乗換駅の高尾駅からは、前日までの冷え込みで、一面の木々が真っ白な山の雪景色が望まれました。

中央線にほぼ平行して、九鬼山・高畑山・倉岳山・矢平山・高柄山と連なる稜線を登る場合、中央線の各駅から北面を登り、同様に北面の下山路を使って中央線の駅まで下るのが一般的です。

今回は、この稜線に南面する反対側にある一般路とは言い難い尾根筋を通り、矢平山を目指すコースで登りました。



クリスタルの小枝をかき分け、レインドロップの降りしきる中を登る


中央線上野原駅前バス停から8時28分発の無生野行きバスに乗車。

バスは、雪道をゆっくりと走りながら山里を通り、下車場所の秋山役場前に9時頃に到着。

まず、金毘羅大権現を祀る社を目指し、取り付き地点を捜してバス停から少し歩くと、つい最近2月上旬に行われた祭事用の幟が目に付きました。



金毘羅大権現の幟


ちょうどその幟を片づけている人たちに登山道を確認して、登り始めました。

その祭事のために、周囲の藪は刈られて、その中に上に伸びる道が付けられていました。

もしもこの作業をしていなかったら、この取り付きルートは、藪こきをして登る他はありません。



ブッシュを切り開いたばかりの登山道を行くY氏


周囲の雪景色ほど寒くはなく、やがて太陽が照り始めると、木々に積もった雪が雨だれとなり、私たちの上に雨のように降り注ぎます。

行く手を遮るように、木々の小枝には樹氷のように雪や氷が張り付いていて、それを払うようにして登りました。



ストックで露払いならぬ雪払いして進むY氏


青空に向かって結氷した木々の小枝が伸び、照り始めた太陽の光をキラキラと反射させていました。

冬は、このような低山であっても、私たちが日常見かけない自然の美しさを、教えてくれます。


特に冬、暖房の効いた部屋でゴロゴロしたいと、軟弱になりそうな心を抑えて出かけた冬山で、来てよかったと思う景色に出会うことがよくあります。

霜柱の花・凍った木々・真っ白な雪景色・凛とした静寂・春と冬が同居した山……

厳しい山の季節にも、私たちに様々な自然の移ろいを感じさせてくれます。



子連れではありません
今回、私たちの唯一の伴走者…小動物の足跡


この尾根は、私たちを除いて登っている人は無く、尾根には私たちの靴跡と、可愛らしい小動物の足跡がくっきりと残されているだけ。


三本松山(725m)そして甚ノ函山(810m)のピークを越えて進むと、その尾根は旧大地峠にたどり着きます。

このメインの稜線は、そこまでの尾根筋と異なり、こんな雪が張り付いた時期でも、数組のパーティーとお会いしました。

峠からしばらく進むと、私にとってくり返し通過している馴染みの矢平山(860m)の山頂にたどり着きました。


この時期、雪が降っても太陽が顔を覗かせると、木々に付いた雪や氷が溶けて、雨具を準備するほどの雨垂れです。

これで、風でも強かったら、濡れた衣類では凍えるほどの寒さだったでしょうが、山頂の木々のすき間の雨垂れの当たらない場所で休憩している間に、ぬれた化繊の衣類は体の熱気で瞬く間に乾いていきました。



真っ青な空に、キラキラ輝くクリスタルの小枝が美しい


矢平山山頂で、青空から落ちてくる雨垂れや氷の破片を避けるようにシートを敷いて昼食をとりました。

この頂上では、他に3組の登山者が同じように昼食をとっていました。

ちょうど正午に矢平山を後に、この稜線では一番急坂な矢平山西側の岩場混じりの登山道を慎重に下り、丸ツヅク山(763m)を通過して、寺下峠から梁川駅への下山道を選択し下り始めました。

下山道から振り向くと、矢平山が真っ白な冬景色を見せていました。



冬景色の矢平山


登山道の終点から梁川駅までは、しばらく舗装された道を歩くことになります。

駅前の店で缶ビールを買って、間もなく到着した列車に乗り込み、まずは乾杯。

今回は時間も早かったので、新宿に途中下車し、小田急ハルク地下の居酒屋『ミユンヘン』で、ドイツビールを味わいながら、山の反省会。

山も、アフタークライミングも楽しい、充実した休日でした。


【標準歩程時間】

秋山村役場~1.50~旧大地峠~0.25~矢平山

~0.50~寺下峠~1.20~梁川駅(計4時間25分)




凍りついてガラス細工のような木々の枝

その氷の中に封印されたような冬芽

一斉に芽吹く春を待つ、冬枯れした木々

自然の生命力を感じる一瞬



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マッキーの山登り:登り初めは、富士山を望む杓子山~倉見山

2010年01月12日 | 日帰りの山登り
怒涛の冬期講習が終わり、8日から平常授業に戻りました。

1月10日(日)、私にとって今年の登り初めは、師匠Y氏と富士山間近の杓子山と倉見山の縦走でした。

新宿高速バスターミナルから7時10分発のバスに乗り、中央道を西に進み富士吉田駅に9時過ぎに到着。

富士吉田駅から登山口近くの陸橋までタクシーで1800円ほどの距離を乗車。

陸橋を渡るとすぐにある左手の階段を上ると、南朝忠臣藤原藤房卿墓の石碑があり、そこが今回の登山路のスタート地点です。



登山道入り口の陸橋から富士山を望む



後醍醐天皇の側近の公家で、当時の政権の中枢にあった人物。
後に政治への情熱を失い、役職を辞して京都の岩倉で隠遁生活。
隠遁生活後行方不明の為か、藤原藤房卿伝説は各地に有る。
そういった意味で、この藤房の墓もちょっぴり怪しい。


今回の杓子山西尾根は、若干道が不明瞭な箇所もあり、晩秋から春先にかけてを除いて、ブッシュがうるさい箇所があります。

そういった点では、杓子山西尾根は、一般登山道とは一線を画す面白い登山路と言えます。

痩せた尾根があり、露岩の場所あり、頂上近くの急坂ありと変化に富んだ登山路でした。


尾根筋の登山路南面には、随所で富士山を望むことができます。

登山路上部には、最近降ったと思われる新雪が薄っすらと落ち葉の上に積もっていました。



薄っすらと雪がかかった登山路


送電鉄塔を越えて、土留工事が施された大ザレ(しゃくしとは、このザレを指し、この山の名の由来ともなっている)を過ぎ、しばらくきつい急坂を登れば目的地・杓子山の頂上(1597.6m)に到着します。






広大な裾野を従えるように、孤高に崇高な姿を見せる霊峰富士山


私たちは富士山の雄大な姿を面前に、ベンチに腰掛けてその眺望を楽しみながら昼食をとりました。



頂上に設置された鐘…うるさくならないほどに鳴らせば、
アルペンチックな鐘の音が富士山を前に心に染みます


朝方強風が吹いて、とても寒く感じられましたが、頂上に登り切った昼頃にはその風も止み、新春の陽光の暖かささえ感じる、絶好の陽だまりハイクとなりました。


昼食後、杓子山から北に伸びる北尾根に入るため、いったん少し西尾根を下り、向原峠への小さな金属標識に従って、北尾根下降を開始。

しばらくは、雪が張り付いたちょっといやな岩稜帯の急斜面を慎重に下ります。

積雪・凍結時は、十分な注意を必要とする個所です。



一息入れて見上げれば、冬の青空に向かって伸びる冬の木々


向原峠、そして相定ヶ峰を通過し、しばらく登り返すと倉見山(1256m)に着きます。

だいぶ西に傾いた太陽が、富士山の少し上に輝いていました。



倉見山山頂



松の枝の先に富士山が望まれる


倉見山から落ち葉の絨毯を踏みしめながら、三ツ峠駅への登山路を順調に下りました。



北面した登山路のため日が遮られて、
早くも暮色に解け入りそうな三角錐の倉見山



登山靴もすっぽりと入ってしまうほどの落ち葉の絨毯
濡れ落ち葉を見下すこと無かれ!
だいぶ原型が崩れている落ち葉
やがて大地に戻り、さまざまな生き物の糧となる


秋から初冬にかけて山の日暮れは早く、特に山の北面を下る場合、思いの外登山路が暗くなるのが早く感じられます。



冬の早い日暮れ…夕日を浴びて麓間近の登山路を快調に下るY氏


夕方4時を回った頃、山道の下りを終え、私たちは山里の風景を楽しみながら、充実した山歩きを反芻しつつ三ツ峠駅へ向かいました。


登山路が終わり、麓を流れる用水路の水の清らかさに心洗われる気分


駅前の店で早速缶ビールを買って、ちょっとの列車待ちの時間、喉を潤しました。

Y氏との山登りは、私もメンバーである山酒会では考えられない、缶ビール1本程度で満足する『アフターハイク』です。

手に持った缶ビールが空になる頃、子どもが喜びそうなトーマス号が構内に入ってきました。

大月でトーマスを降り、中央線に乗り換えて帰路につきました。




三ツ峠駅で私たちを迎えてくれたトーマス号



車内も、これでもかといった風にトーマス関連のポッポがいっぱい!



Y氏との山登りは、地図に無い登山路(一般登山路でない道無き道)を、ブッシュをかき分け登る山登りが多い。

しかし、今年の登り初めは、昨年の石割山に引き続き、富士山を愛でる開放的な山行でした。

変化に富んだ登山路、そして歩程時間も十分で、充実感を味わえる山登りでした。

ただ、…ただ、新春早々にひいた風邪の病み上がりとしては、体力的に少しきつかったかも。




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