「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの『四季を楽しむ』:河津桜が満開に!

2020年02月19日 | 四季の植物と風景

 教室へ行く途中で、遠回りで公園へ行き河津桜をチェックしました。前回のブログで、河津桜の開花を綴りました。今日は、その河津桜が見頃の満開になっていました。





 今年はかつてないほどの暖冬でしたが、それでも桜の咲く時期になると、身も心も暖かくなります。ただこの時期は、花粉症の人にとっては、厄介な時期の到来となります。桜の開花を感知して、例年ですとメジロが沢山飛来しているのですが、今日はなぜかいませんでした。





 足元には、早春の花・日本水仙がまだまだ元気に咲いていました。植物の変化をブログに載せるとき、ちょっとでも遅れてしまうと時期外れとなってしまうほど、これから慌ただしく季節が変化します。

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マッキーの『四季を楽しむ』:河津桜が咲き始めた!

2020年02月13日 | 四季の植物と風景

 2月11日(建国記念日)、近隣の公園を散歩しました。毎年楽しみにしている河津桜が開花していました。三分咲きでしたが、満開の時期には、どこからかメジロの群れが飛来します。やはり早咲きの桜が咲き始めると、春の訪れを感じます。







 河津桜は、オオシマザクラとカンヒザクラの自然交雑種であると推定されています。 名前の通り、この桜は河津町で発見された品種の桜です。カンヒザクラの遺伝的な影響でしょうか、ソメイヨシノよりも濃いピンク色をしています。春先の青空に映えてとても美しい桜です。





 ロウバイも咲き、マンサクやサンシュユなどの黄色い花が咲き乱れるのも間近です。レンギョウ・ヤマブキ・キンシバイなどが咲けば春本番です。春は、以上のような黄色い花が多いのが特徴です。花を楽しみながら散歩をするには、とても良い季節が訪れます。

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マッキーのお出かけ:小江戸・川越を散策

2020年01月19日 | お散歩・お出かけ・遊び

 1月13日の成人の日、埼玉県の川越へ妻と散策に出かけました。川越をネットで検索すると、江戸時代には親藩・譜代の川越藩の城下町として栄えた都市で、「小江戸」の別名を持つ。城跡・神社・寺院・旧跡・歴史的建造物が多く、文化財の数では関東地方で神奈川県鎌倉市、栃木県日光市に次ぐ。歴史まちづくり法により、国から「歴史都市」に認定されている(埼玉県内唯一の認定)。戦災や震災を免れたため歴史的な街並が残っており、市内の観光名所には年間約732万人もの観光客が訪れる観光都市である。海外の旅行ガイドブックに紹介されることも多く、最近では外国人旅行者が多い(例えばニューヨーク・タイムズ紙の「2009年トラベルガイド」の 川越特集)

 私たちは、まず川越駅西口から出ている巡回バスに乗って、行く予定の場所で最も駅から離れた氷川神社へ向かいました。約1500年前に創建されたという歴史ある神社で、出雲大社の縁結びの神様としても知られる大己貴命(おおなむちのみこと)をはじめ、2組の夫婦を含む5柱の神様が祀られています。境内には、300円の鯛釣りのおみくじがありました。「一年安鯛」の可愛いおみくじです。また、境内には人形流しを行う払いの川があり、100円でしたので妻が行いました。

人形流し(ひとがたながし):紙製の人形に、心身のけがれや災いなどを移して祓 (はら) えをし、川や海に流す行事。「形代(かたしろ)」は、身代わり信仰の一つで、人間の身代わりとして3月の上巳の節句に身のけがれや災いを人形(ひとがた)に移し代わらせて、川や海に流して子どもが無事に成長できるようお祈りするものでした。 この形代の祓い行事が現在も行われる流し雛の由来であり、雛人形の起源の一つです。この3月上巳の日がやがて室町時代ごろに3月3日に定まっていきます。 









 氷川神社から南に歩いた場所にある川越城本丸御殿を見に行きました。17万石を誇った川越城の本丸御殿で、 東日本には唯一のそして全国的に見ても貴重な遺構だそうで、江戸時代に川越城の本丸に建てられました。本丸御殿は建物の数16棟、1025坪(3388平方m)の建物面積を誇るものでしたが、明治以降に建物の移築・解体が行われ、現在では本丸御殿の玄関部分と大広間・家老詰所が残るのみです。質実剛健の侍が行きしていた場所は、狩野派の襖絵に囲まれているような絢爛豪華な場所ではありませんでした。一部に板絵がありましたが、飾り気のない空間が、かつてあった昭和時代の住居を連想させました。









 次は、西にしばらく歩いた場所にある菓子屋横丁・蔵造の街並み・時の鐘・大正浪漫夢通りというメインの散策エリアへ行きました。菓子屋横丁は、子どもを連れて行ったなら、もっと楽しい場所かもしれません。

 蔵造の街並みは、土蔵をリニューアルしたのではありません。蔵造りは類焼を防ぐための耐火建築で、江戸の町家形式として発達したものです。今の東京では見ることのできない江戸の面影をとどめています。ファサードは重厚で豪華な印象を受けます。一階は、オープンな商家であり、二階は扉付きの窓が変化を付け、黒漆喰の壁と鬼瓦が印象的です。

 時の鐘の足下で、獅子舞に出会いました。川越囃子という法被を着た人たちと、獅子・恵比寿・大黒天・迦楼羅などの御面と衣装を着けた人たちが、お囃子に合わせて踊り歩いていました。新春早々とても楽しい芸能を見た思いでした。







 蔵造の街並みから、大正浪漫夢通りを南下し、最終の目的地喜多院へ向かいました。途中熊野神社にも参詣しました。境内には、銭洗い弁財・輪投げで運勢を見る「運試し輪投げ」・足踏み健康ロードなどがあります。成田山川越別院を経由して、喜多院へ行きましたが、出店も多く思ったよりも大きな境内でした。

 喜多院:良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られる。建物の多くが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有する。広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっている。

 喜多院に隣接した仙波東照宮も参詣しました。仙波東照宮は、喜多院第27世住職天海僧正が徳川初代将軍家康公を祀ったものです。日光久能山と並ぶ日本三大東照宮の1つ。









 大正浪漫夢通りの延長の通りであるクレアモールまで西に歩き、商店街を歩いて川越駅まで戻りました。蔵通りの街並みから川越駅までほぼ連続的に商店が続いている規模は驚きです。サツマイモを加工した商品を売っている店が多く、小江戸おさつ庵のおさつチップを買って食べたいと思っていましたが、とんでもないほどの行列を見て諦めました。ちょっと研究して出かけて、食べ歩き目的の街歩きも楽しいと思われます。江戸時代の面影のある商店街・由緒ある寺社仏閣・伝統的な物品・特徴的な食品、見て感じて味わって散策する街・川越を十分に楽しみました。

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マッキーのお出かけ:宝塚月組公演「I AM FROM AUSTRIA」を観劇

2020年01月10日 | お散歩・お出かけ・遊び

 もうすでに昨年の話となりましたが12月22日(日)、東京宝塚劇場の月組公演を観劇しました。タイトルの「I AM FROM AUSTRIA」は、オーストリアの国民的シンガーソングライターであるラインハルト・フェンドリッヒのヒットナンバーを中心にドラマが展開する作品です。2017年にウイーンで初演された作品ですので、最新のミュージカルです。「故郷」や「家族」をテーマとしたアイデンティティに関わる問題を、ロマンスを交えながら笑いを誘う愉快な仕掛けも交え展開するミュージカルです。



 私の教室に、小学3年生から高校2年生まで、宝塚音楽学校へ通う前まで通っていた生徒の関係で、宝塚歌劇を見るようになりました。101期生ですので、中堅レベルの団員になりつつあるのでしょうか。新人公演では、中心的な役柄を演じるようになりました。一層精進して、トップを目指して頑張ってほしいと願っています。私の長女の幼馴染である礼真琴は、昨年星組のトップスターとなり活躍しています。トップスターともなると、人間的にも、芸の道にも秀でているだけではなく、体力的にも精神的にも優れていることが条件となるでしょう。月組のトップスター珠城りょうと美園さくらも、今回の歌劇では安定した力を示していました。連続する公演に、体調を維持して演じることは、大変だろうと想像します。



 年末に、日常を忘れて夢のような華やいだ雰囲気を味わえて、とても素晴らしかったです。二部構成の後の演技は、毎回会場と一体となった雰囲気づくりがされていますが、それも宝塚ならではの楽しみです。観客の多くは、熱狂的な女性の宝塚ファンですので、男性の観客は1割にも満たないと思われます。また、小学生程度の子どもの姿も少ないと思われます。そうした点が、劇団四季のミュージカル観客とは、対照的です。熱狂的な宝塚ファンだけに焦点を当てるだけではなく、そうした点に配慮して今後の宝塚の変容に期待したいと思います。

 有楽町周辺は、年末から恒例のイルミネーションで彩られ、とても綺麗だったのですが、小雨が降っていましたので、散策はしませんでした。妻は、今回が私と二回目の宝塚観劇でしたが、とても良かったという感想でした。いつも一緒に行く小学生の娘よりは真剣に観ていました。


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マッキーの随想:各地の聖火ランナー決定で思い出すこと

2019年12月25日 | 時事随想

 いよいよ来年は、オリンピックイヤー。出場選手選定や、各地で聖火ランナーが決まってきているようです。聖火ランナーが、どういった基準で決まるのかは分かりませんが、問題点も指摘されているようです。選ばれた人たちは、人生の良き思い出となることでしょう。

 ところで、1964年の東京オリンピックの時、私は小学6年生でした。私の町にも聖火リレーはやってきました。私は、母校新津第一小学校の代表として、聖火リレーの伴走をしました。児童会の役員や学級委員などを歴任していたので、私の名前が出て来たのでしょう。ただ、代表の最終決定の為に、グラウンドで短距離走をして勝った人が選ばれました。今になって思えば、スポーツの祭典らしい決め方だったなと思います。

 ただ、2500名ほど在籍していたマンモス校で伝統校の小学校で、私は最も足が速いと感じていました。運動会では、紅白リレーや地域対抗リレーなどに、選抜された選手として走りました。6年では、紅白対抗リレーのアンカーとして、1等でテープを切った記憶がありますので、競走で負けることはないと確信していました。

 私が走ったコースは、我が町のメインストリートの商店街で、畳のような大きなオリンピック旗の端を持って走りました。沿道には、多くの方が小旗を持って声援していました。大した距離ではなかったので、選定に運動能力の測定などあまり関係がなかったと思います。記念に、メダルをもらったのですが、いつしかどこかへいってしまいました。

 無論小学生ですので、聖火のトーチを持って走ることはできませんが、後になって思えば聖火リレーに参加したのは、思い出深いことでした。この年には、新潟国体も開かれました。また、新潟地震もあった年でした。新潟県民にとっては、忘れられない年となりました。国体では、鼓笛隊の演奏がありましたが、その練習を授業をつぶして5年生頃からやっていたと思います。東京オリンピックは、聖火リレーなどに参加しなければ、首都圏を除けば縁遠い行事でした。それでも、聖火リレーはオリンピックが開催されることを、多くの人たちに実感させたイベントだったと思います。

 そうした意味でも、聖火リレーに多くの小中学生を関与させるべきです。特に地域の子どもたちには、オリンピックの特別なイベントに参加して、有意義な経験をさせたらよいでしょう。費用をかけて競技場で生の競技を観戦する人もいるでしょうし、自宅テレビで観戦する人もいるでしょう。ボランティアでオリンピック運営に関与する人もいるでしょう。膨大な費用をかけたオリンピック開催が、ポジティブなレガシー創出につながるように考慮する必要があります。これからの世代に、貴重な経験をしてもらいたい。東京オリンピックのシンボルマーク・国立競技場の設計・マラソンや競歩の会場等、様々な問題がありましたが、それを乗り越えて充実したオリンピックであってほしいと願っています。

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