「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの山登り 夏の尾瀬沼

2023年08月23日 | 泊まりがけの山登り
浅草23時45分発の夜行列車を使って尾瀬に出かけました。一番下の娘と尾瀬沼ヒユッテに一泊して、帰りに檜枝岐に寄って温泉と食事をする計画の山歩きです。



終点の会津高原尾瀬口駅でバスに乗り換え
沼山峠に6時10分に到着しました。朝食をとって、早速スタートしました。実は娘が小学生の頃に、今回と同じルートで尾瀬沼を散策したことがありました。

沼山峠から大江湿原まで50分ほど樹林帯を歩きます。湿原の木道を20分歩くと、ビジターセンターに到着します。ニッコウキスゲの花がとても少なくなりましたが、シカの食害が原因と言われています。


尾瀬沼の反対側にある沼尻平まで往復しました。尾瀬沼の南岸ルートは一部歩きづらい場所があるので、北岸ルートで往復しました。
宿泊の予約をしてあった尾瀬沼ヒュッテにチェックインして、入浴し夕食をとりました。その後、管理人の助言を聞いて尾瀬沼の夕暮れを見に行きました。しかし残念ながら雲が広がって、期待した夕暮れは見ることができませんでした。早朝の霧に包まれた尾瀬沼も、宿泊した者のみが味わえる景色ですが、ひさびさの運動で疲れたせいで、早起きはできませんでした。


翌日は、沼山峠発8時10分発のバスに乗るために、朝食をとったらすぐに出発しました。ヒュッテの管理人の助言に従ってミニ尾瀬公園で途中下車して、そこでレンタサイクルを借りました。尾瀬沼ヒュッテに宿泊したことを説明すると無料で利用できました。

公園を散策した後、カフェでここしかないサンショウウオが入った限定ジェラートを食べるように娘に勧めましたが、檜枝岐産の山葡萄のジェラートを食べました。その後レンタサイクルを使ってひうちの湯へ行き入浴しました。平日の午前中でしたので、一人で独占して入浴できました。




温泉の後は、昼食です。裁ちそばで有名なまる屋まで自転車で行きました。十割りそばですが、とても美味しい蕎麦で、檜枝岐で途中下車しても食べる価値があります。


食事の後は、近くにある歌舞伎舞台を見て、悪縁を断ち切るお婆さんにお詣りしました。最後は、道の駅まで行きレンタサイクルを返却しお土産を買いました。労力をかけずに檜枝岐の端から端まで、行きたい場所を巡ることができたレンタサイクルは正解でした。道の駅で会津高原尾瀬口駅行きのバスに乗りました。雪崩防止のトンネルをいくつも通りますが、かつては尾瀬は秘境だったのでしょうが、檜枝岐の村自体が冬季は孤立してしまう秘境だったのでしょう。


電車に乗った後に雷雨がありましたが、今回の山旅では天候に恵まれて、雨具の使用はありませんでした。私は、小屋泊まりで夏山を縦走することを恒例としてきましたが、ここ数年体調不良で実施できずにいました。今回はハイキング程度の運動量でしたが、日頃の運動不足で登り下りはキツく感じました。
平日は、江戸川区の中学校で数学と英語の放課後補習指導を行い、土曜日は江東区の中学校で中3土曜教室の学習指導をしています。したがって、山歩きをするとすれば日曜ということになります。運動不足を解消するためにも、日曜山歩きを計画的に実施しようと考えています。

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マッキーのお出かけ:娘と立山黒部アルペンルートを巡る・・・3日目

2018年08月19日 | 泊まりがけの山登り

 8月9日、旅の三日目。最終日は、まず山小屋のロッジ立山連峰から室堂ターミナルまで1時間ほど歩く必要があります。8時発のバスに乗るために、朝食後余裕を見て6時30分に山小屋を出発しました。天候が良かったので、その途中の景色を楽しむことができました。ただ、登りが多く結構の運動量でした。







 エンマ台から地獄谷を見て、みくりが池に映える山の景色も楽しみ、ターミナルまで歩きます。雄山の頂がはっきりと見えるほどの快晴でした。下の画像の立山の山崎圏谷(カール)は、立山の雄山北西山腹に見られる圏谷(カール)のことです。圏谷(カール)とは、氷河によって削り取られたお椀型のU字谷のことです。







 室堂ターミナル前の破砕帯から湧き出す湧水を、お土産用にペットボトルに入れました。立山玉殿の湧水は、とても冷たくおいしい水でした。帰宅後に、その水を使ってお茶を入れましたが、とても美味しく感じました。また、リュックに入っていた室堂で空になったペットボトルが、自宅では娘のものも私のものも、ぺしゃんこになっていました。これは、気圧の差のせいだと娘に説明しました。室堂は自宅よりも標高が高いので気圧が低いために、持ち帰ると平地の気圧に押されてへこんでしまうのです。

 平地の気圧は1013hpaと習いますが、室堂平の標高は2450mですので、気圧は760hPaしかありません。また、気温は標高が100m上がるごとに0.6℃下がるといわれています。つまり標高2450mの室堂では平地に比べ約14.7℃低くなります。平地が30℃を越す真夏日でも、立山では20℃を越えることは稀です。

 そんな別天地に、様々な交通機関を使いますが、汗水流すことなく到達できるというのは、やはりすごいことだと思います。スケールが異なりますが、室堂はいわば日本のユングフラウヨッホ(標高3500m程度)と位置付けることができるでしょう。だいぶ古い話になりますが、私はユングフラウヨッホから一泊二日の日程で世界自然遺産に登録されているアレッチ大氷河を、ガイド付きで下ったことがあります。







 室堂から立山高原バスに乗り、美女平まで行く途中の弥陀ヶ原で下車してラムサール条約に登録されている高層湿原を散策しました。弥陀ヶ原遊歩道外回りコースを歩きました。ほどんどは木道で、その木道に昆虫がたくさんいました。ワタスゲの白い実が奇麗に風に揺れていました。池塘の規模は思ったよりも小さかったのですが、高原に霧が発生したり、周囲の山々と青空が夏の高原を奇麗に彩り、散策を楽しむことができました。











 ワタスゲが揺れ、ヒョウモンチョウが花の蜜を吸い、ヤマハハコ・シモツケソウ・ハナウド・コバイケイソウなどが咲いていました。







 娘にとって、こんな景色の中を歩いたことはなかったはず。広々とした風景や済んだ空気、そして遠方にガス(霧)が立ち込め始め、いっそう高原の雰囲気を醸し出しています。







 一時間程度で周遊できましたので、バス到着までだいぶ時間がありました。そこで弥陀ヶ原ホテルへ行って冷たい飲み物を注文して休憩しました。帰りに「ワタスゲ」と名付けられた名物のお菓子を購入。弥陀ヶ原から美女平まで高原バスで行き、美女平から立山駅までケーブルカーで降ります。立山駅から富山地鉄駅まで電車で行きました。娘は、電車の中ではさすがに疲れて寝ていました。

 富山駅で、北陸新幹線の切符を購入し、娘が好きであることと海産物が美味しい土地柄なので、昼食にはお寿司を食べました。お土産に買った素干しの白エビホタルイカを、新幹線の中で食べました。娘は白エビの素干しが、よく味わうと美味しいと言っていましたが、私は味がしっかりとしたホタルイカの素干しの方がおいしく感じました。白エビの希薄な味覚を旨味として感じるとは、通ではないかと思いました。「あまり食べ過ぎないでね。お母さんにも食べさせたいから。」「無論、そうだね!」

 娘にとって初めての経験が多かった旅でした。食べ物のお土産だけではなく、旅の楽しいお土産話がいっぱいできたはず。今回の旅の記憶が、小学4年の夏休みの楽しい思い出としていつまでも残ってほしいと願いました。

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マッキーのお出かけ:娘と立山黒部アルペンルートを巡る・・・2日目

2018年08月16日 | 泊まりがけの山登り

 8月8日、この旅の二日目は、山歩きです。まずは、繰り返し登ているコースである室堂から一の越山荘を経由して雄山を往復することを考えました。しかし、宿泊地が雷鳥沢だったことから、宿泊地から大走谷を直登して稜線に出て、大汝山を超えて雄山に到達し、一の越山荘に下り室堂ターミナルを経由して宿泊地へ戻る周遊コースを計画しました。午前中は、山の稜線もはっきりと見える快晴でした。昼近くから稜線に雲が出て、曇り状態となりました。









 キャンプ場から板の橋を渡り、大走りの登山路までちょっと分かり辛い道が続きます。娘は、板の橋をおっかなびっくり通過しました。今の子どもは、こうした危険性のある場所の経験がとても少ないと思います。大走りの登山路を歩き始めれば、道は明瞭でした。ただ、娘のように山を歩きなれていない者は、岩がゴロゴロした登山路をどう歩いたらよいか迷いながら歩いていました。

 この山域にはチングルマが多く、ただし花状態のものよりも、多くは放射状に穂を広げた実の状態になっていました。娘は、高尾山系金時山や丹沢の大山に登ったことがありますが、今まで経験した山のスケールとは格段に違う山の規模に圧倒されているようでした。大走りコースは、ひたすら登りで、稜線まで標準で2時間30分ほどかかります。











 登るにつれて、疲れも出てきて早く戻りたいと言い出しました。この状態で、周遊することに危険を感じ、かつ私自身が疲労を感じ、稜線に出て引き返すことにしました。下りは、標準で1時間30分ほどです。私達は登り3時間下り2時間ほどかかって歩きました。ほぼ3000mレベルの山に登った娘にとっては、十分な山歩きといった気分だったようです。

 初心者の下りは危険なので、怪我をするのは下りの方が多いことを話し、最後まで注意力を働かせて歩くように頻繁に言いました。実際崖側に転んでしまえば、下まで転がってしまう可能性のある場所もあります。登山路脇にある雪渓に行って、ペットボトルを冷やして飲ませました。夏に雪があり、天然の冷蔵庫です。これも、子どもにとって新鮮な驚きだと思います。ただ、雪渓は喜んで走り回ってはいけない。中が空洞で踏み抜いたら怪我をしてしまうことを注意しました。







 無理して疲れ切って登山路を歩かせるよりも、よかった山登りだったかなと思います。私自身は、大汝山も雄山も繰り返し登っているので、目的を外しても構いませんでした。ただし、何かあった時には、娘をおんぶして下りるエネルギーがなかったことも、計画を途中で変更した理由でした。その点は、とても気になることでした。

 山荘に無事に到着して、ちょっと遅い昼飯に白エビラーメンを注文して、山を見ながら食べました。白エビは、ホタルイカと並び富山湾の名産です。山荘の食事は残してばっかりでしたが、ラーメン好きな子でしたので、おいしいと言って完食しました。ただ、残念ながら白エビがラーメンに入っているわけではありませんでした。

 食後少し休んでから、温泉に入りました。山歩きの後に温泉に入浴するのは、とてもリラックスできて幸福も感じます。その後、布団を敷いてゴロゴロしながら本を読んだりしていました
。山荘周辺にもチングルマが咲き、雪が残っている場所もあります。午後は曇りましたが、登山中はとても良い天気で、娘にとって気分の良い山歩きができました。

マッキーのお出かけ:娘と立山黒部アルペンルートを巡る・・・1日目

マッキーのお出かけ:娘と立山黒部アルペンルートを巡る・・・3日目





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マッキーのお出かけ:娘と立山黒部アルペンルートを巡る・・・1日目

2018年08月12日 | 泊まりがけの山登り

 娘の上の兄弟は、この立山黒部アルペンルートに複数回行ったことがあります。また、北アルプスも登ったりしています。小学4年になった娘に、黒部ダム立山の登山を経験させたくて今回の旅を計画しました。ただ、台風13号が計画期間に影響を与えそうなので、中止も検討しました。けれども、立山界隈の天気予報が意外と良かったので実行することに。ただし8月7日自宅を出るときには、小雨でしたので傘をさして出かけました。結果的には、雨具の使用はこの時だけでした。新宿7時30分発のあずさ3号に乗りました。あずさ3号は、松本から大糸線に入って、目的地である信濃大町まで直に行くことができます。


 信濃大町から、立山黒部アルペンルートの出発点扇沢まで路線バスに乗ります。扇沢は複数の山に登る登山路入口があり、私は複数回扇沢から山に登っています。立山黒部アルペンルートは、扇沢から黒部ダムまではトロリーバスを使います。トロリーバスは、空中に張られた架線(トロリー線)から電気を受け取って、モーターで走るバスです。見た目はバスですが、日本の法令では「無軌条電車」として鉄道に分類されています。ただし、
2019年の車両更新で、トロリーバスから充電式電気式バスに変更する予定で鉄道事業廃止届が提出されました。



 トロリーバスから降りて、長い階段を登って屋外に出ると展望台に到着します。雨天かもしれないと覚悟していましたが、なんと陽の光が強く射していて娘に帽子を被らせました。ダムの規模が半端ではないので、娘も圧倒されたのではないでしょうか。長い外階段を降りてレインボーテラスへ行き、迫力ある放水を堪能しました。





 その後、レストハウスで元祖!黒部ダムカレーを食べました。甘口のお子様カレーもあります。ただし、出来上がるのに30分程かかりました。食後に殉職者慰霊碑を見ました。困難な工事を多くの人の力で克服して完成したダムでした。
黒部ダムから黒部湖駅まではダムの上を歩きます。ダムの上から放水を見ると、奇麗な虹が出ていました。昨年友人と黒部川源流周辺の山に登りました。ひょいと飛び越えられそうなあの黒部川源流から流れ下った水が、巨大なダムから放水されていると思うと、感慨深いものがあります。







 黒部湖駅から黒部平までは地下のケーブルカーに乗ります。黒部平から大観峰まではロープウエイを使い、大観峰から室堂まではトロリーバスに乗ります。一日目は、このような観光を主たる目的で楽しみました。





 室堂ターミナルから、1時間ほど歩いた雷鳥沢にあるロッジ立山連峰に2泊して山歩きを楽しむ予定でした。ターミナルに隣接する立山自然保護センターをまず見学しました。ライチョウやオコジョを、幸運であれば見ることができるのですが、今回は観光客が多く通る道が多かったので出会うことは出来ませんでした。









 「あの、白いのは何?」「雪だよ!」「こんな時期に雪が残っているんだね。」血の池と呼ばれる池塘も見られます。地獄谷界隈から、火山性のガスが噴き出しているので、みかぐり池付近からガスがきつく臭ってきます。場所によっては、集団の学生に対して先生が濡れタオルで口鼻を覆うように指導していました。立山曼荼羅でも分かるように、立山は天国と地獄が共存しています。室堂は、そんな変化に富んだ場所であり、東京の日常では見られない自然があります。







 室堂ターミナルからだいぶ歩いた先に、今日の宿泊地のロッジ立山連峰にたどり着きました。ターミナルに隣接するホテル立山みくりが池温泉一の越山荘などに泊まったことがありましたが、雷鳥沢は剣御前小屋を経由して剣山荘を目指す時に通過地点として経験していますが、子どもにとって思ったよりも長い道のりだったようです。室堂平最奥ですので、雷鳥が出てきそうな雰囲気はあります。

 受付を済まし、別山という個室に宿泊することになりました。源泉かけ流しのお風呂に入りました。もう小学4年生ですので、一緒に入ることはできません。宿泊客はそう多くはなかったので、温泉もゆったりと入ることができました。温泉大好きな娘も満足したことでしょう。雄山山頂は雲に覆われ見えませんでした。天候は、雨は降りませんでしたが、曇ったり陽が差したりガス(霧)が出たりと変化しました。

 布団を敷いて、ゴロゴロしながら持って来た本を読んでいました。こうしたゆったり感の中で、本を読んでいるのがとても好きな子どもです。窓から変化する山の連なりや空が見て取れます。明朝は早いので、9時には消灯して就寝しました。

マッキーのお出かけ:娘と立山黒部アルペンルートを巡る・・・2日目

マッキーのお出かけ:娘と立山黒部アルペンルートを巡る・・・3日目






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マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・4日目

2017年08月26日 | 泊まりがけの山登り



 
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 北アルプス縦走最終日。私は太郎平小屋から折立に下り、バスで富山駅へ向かう途中、亀谷温泉に下車して入浴し、富山駅から北陸新幹線で東京へ帰ります。相方の山縣さんは、計画したけれども実行できなかった、太郎平小屋から薬師岳を往復する計画を実行するために、太郎平小屋にもう一日延泊します。

 薬師岳は、およそ30年前に立山から縦走して登りました。体力があれば、私もご一緒したのですが、今回はその余力がありませんでした。そこで、私たちは、ここからは別々の行動をとることになりました。

 小屋で朝食を取り、6時過ぎに分かれて各自の計画を実施しました。天候は、ちょっとあいまいな状況でしたが、私の方は、折立まで3時間30分ほどの歩きとなります。3日間の多くの登山路が初めてでしたが、この下り中心の登山路は、繰り返し通っています。今回の体調を考え、10時20分発のバスに間に合うように、6時過ぎに小屋を出発しました。





 結果的には、折立に9時前に到着。そして、お盆用の時間で、バスは9時40分発となっていました。いずれにしろ、間に合いました。転ぶこともなく、休みもあまり取らないで歩くことができました。一つ下の画像は、今回の山登りの終点、折立の登山路入口。





 途中下車した亀谷温泉は、山の中のホテルが行っている日帰り温泉で、山の温泉情緒はありません。温泉に浸かる瞬間、日焼けや擦り傷がヒリヒリと痛みました。しかし、これもビールの苦味のように、私には感じられました。湯船に体を伸ばせば、そこは天国でした。ついさっきまでの山歩きが、既に思い出になって、走馬燈のように浮かんできました。

 体を洗って、衣類は全て着替えました。私は、いかにも山に登ってきたといった汗臭い服装で帰りの電車には乗りたくありません。これは、若い頃からの習慣です。

 さて、今回の山登りは、どうだったでしょうか。当初の目的は達成しました。けれども、日頃の運動不足を痛感した山登りでした。また、疲労もあったのでしょうが、不自然な転倒を二回してしまい、問題も感じました。また、すべての日程で、昼食をとる元気がなく、昼食抜きで行動しました。結果的には、体力と登山計画のミスマッチということでしょう。ただし、日本列島全体が天候不順の今年ですが、その状況の中で雨具を使用する必要が無かったのは、ラッキーでした。



 ところで、最近の登山者は、ストックを用いて歩く人がとても増えました。ある時期から、高齢者がストックを用いることが増えました。それは、岩崎元朗さんが高齢者に対してストックを使うことをテレビの中で奨励したからでしょう。最近では、年齢に関係なくストックを2本用いて登っています。また、男女ともスパッツをはいて、短パンで歩いている登山者が増えました。

 30年ほど前、ヨーロッパアルプスを10日間かけて、登った経験があります。その時、ストックを用いて一般ルートをトレッキングしている老若男女を、車窓から眺めることができました。一般的な登山路でも、途中で雪渓を越えることが多いからだと感じました。そのスタイルが、現在日本の山登りの一般的なスタイルになっているのは驚きです。

 それから、山岳部やワンゲルの部員ではない一般的な人が、小屋泊まりではなく、テント泊をして北アルプスを登っていることに驚かされます。テント関連の装備がとても軽くなっていますが、それでも食糧なども運ぶ必要がありますので、大きなリュックが必要です。年間を通したアウトドア生活の普及と、一般的な日本人の体力の増進が、その理由でしょうか。

 夏の楽しみであり、課題でもある夏山登山を無事に終えた充実感虚脱感を感じる今日この頃です。肘と膝の擦り傷は、大袈裟にかさぶたができました。生徒が、「その傷どうしたの?」と、聞いてきます。腰の周囲の筋肉が、今回は長く痛みを感じます。山登りに必要な筋肉が弱っていただけではなく、日常的に重要な筋肉が減退していたようです。体調を万全にして、再び夏山登山にチャレンジする計画を立てたいと思っています。

マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・1日目

マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・2日目

マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・3日目

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マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・3日目

2017年08月23日 | 泊まりがけの山登り



 
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 三俣山荘を、朝食は弁当にしてもらって、5時過ぎに出発。天候は、青空も覗き、今までで一番良さそうでした。三俣蓮華岳を迂回して、2時間ほど先の黒部五郎小屋をまず目指しました。







 黒部五郎小屋前のベンチで、三俣山荘の朝食弁当を食べ、ドリップで入れただろうコーヒーを注文して、周囲の風景を味わいながら飲みました。日本百名山・黒部五郎岳には、稜線コースと黒部五郎のカールを超えていくコースがあります。私たちは、カールを超えていくコースを選択して出発しました。頂上まで、2時間30分のコースです。

 このコースは、水場・花畑・岩場と変化のある山歩きができます。カールという名称は、氷河の浸食作用が作り出した地形を言うので、そうした場所なのでしょう。スコップでくりぬいたような地形に、岩石が重なり、谷が流れ、様々な高山植物が咲いている天空の伽藍と言っても良いでしょう。









 黒部五郎岳の手前の肩と呼ばれる場所にリュックを置き、頂上を目指しました。頂上はガスが出て、周囲は見えない状態でした。山頂を示す物は、皆が手に持って写真を撮っている山名が書かれた板だけでした。疲れ切った顔を写すのが嫌いで、山頂で自分を入れた写真を撮らないことが多いのですが、今回は止む無し。

 再び肩まで戻り、2時間10分ほど先の赤木岳、その40分ほど先の北ノ俣岳を目指して出発。疲れてくると、目の前に見える頂が頂上と思いたがるのですが、頑張ってその頂に登ると、その先にもっと高い頂が現れることをくり返すことはよくあることです。北ノ俣岳も、そうした山頂でした。







 北ノ俣岳から1時間30分ほど歩けば、今日の宿泊地・太郎平小屋に到達します。けれども、道はとても長く感じました。おまけに、岩場で転んで肘と膝に擦り傷を作ってしまいました。足の踏ん張りが効かなくなり、後ろ足が引っかかるように一回転して倒れ込む状況です。怪我をしないように、慎重に歩きました。

 ふと気がつけば、周囲はお花畑ハクサンイチゲの大群落の光景は、夢を見ているような景色でした。周辺は、高山植物の花の香りで満ちていました。こんな経験は、初めてなほど、驚くほどの大群落でした。

 ガスの中から一人の登山者が現れ、周囲のハクサンイチゲに魅了されたような顔つきで、「綺麗だなあ。」と独り言を言いながら、私の横を通り過ぎ、再び霧の中へ消えていきました。こんな時間に、縦走する装備をして、彼はどこへ行こうとしているのだろう? 下の画像のように写真を撮りましたが、その登山者はちゃんと足が付いているようですね。やがて、太郎平小屋が目の前に現れました。3日目も、宿泊する小屋に日暮間近の6時に到着する事となりました。

 この太郎平小屋は、およそ30年ほど前に、立山から薬師岳を経て宿泊して以来、数回宿泊しています。次の日に私は折立に下山しますが、山縣さんは、薬師岳を往復し太郎平小屋に延泊することになります。

 次回のブログで、最終日と今回の山歩きの総括をしてみたいと思います。












マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・1日目

マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・2日目

マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・4日目

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マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・2日目

2017年08月19日 | 泊まりがけの山登り



 
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 本来は、朝飯を弁当にしてもらって、未明の4時に烏帽子小屋を早立ちしようと考えていましたが、小屋の手違いで5時30分に小屋で食事を取った後、6時前に出発しました。













 先ずは、1時間30分ほど先の三ケ岳を目指します。天候は曇天。周囲がガス(霧)で見えなくなったり、突然陽が差したりと、変化の大きい天候が一日中続きました。三ケ岳の次は、2時間ほど掛けて、野口五郎小屋を経由して、野口五郎岳を目指します。







 雪渓の雪解け水を飲料にするために集めている山縣さん。そうした周辺には、お花畑が見られることが多く、目を楽しませてくれます。













 野口五郎小屋を経由して、野口五郎岳に到着。次は、2時間30分ほど歩いて、水晶小屋を目指します。崩落箇所もあり、気の抜けない登山路を歩きます。









 水晶小屋にリュックを置き、サブザックに飲料等を入れて、往復1時間10分の日本百名山・水晶岳へ向けて出発。頂上は、手狭な岩場。長居はせずに、水晶小屋に戻りました。周囲は、ガスったりガスが切れたりを目まぐるしく繰り返す天候。







 水晶小屋から、宿泊地の三俣山荘までは、計画では2時間50分かけて鷲羽岳を超えて行く登山路でしたが、鷲羽岳を巻くように付けられた登山路ですと、2時間10分で、40分短縮できることから、こちらのルートを選択。鷲羽岳は、百名山ですが、どちらも既に登った山だったからというのも理由の一つです。







 稜線から沢に沿って下り始めます。この沢は黒部川の源流であり、この沢に沿って様々な花が咲いていました。登山路は、沢状態だったり、ぬかるんでいたり、沢を渡ったりと、変化のあるルートです。











 山に囲まれた谷の日暮れは早い。時間的にもこのルートの最後の通過者が私でした。足の踏ん張りが効かなくなった頃、注意していたにも関わらず、転んでしまいました。私の右手と顔は、右手の草に突っ込んだ形で転びました。驚くべきは、右手が宙に浮いた状態だったこと。草の向こうは、谷に向かって崖になっていたのです。重いリュックが私の体をもう少し前へ押し出していたら、崖から落ちてしまう状態で体は止まっていました。危ない!どんな状況でも、目的地に到達する自信は、長い登山歴で持っていました。けれども、崖から落ちて怪我をした状態では、極めて困難な状況になったはず。前回のブログで半歩間違えば、私の最終章ともなりかねない事態」と綴ったのは、この転倒のことでした。

 そこからは、より慎重に登山路を歩きました。黒部川源流の沢から離れ、稜線の三俣山荘への登りが最後に待っています。三俣山荘には、6時ちょっと前に到着。遅い私を心配して、山縣さんは山荘から下りて待っていてくれました。こんなに遅く山小屋に入るのは、始めてのことでした。

 暮れかけた稜線に出ると、槍ヶ岳が見えました。この日は、水晶小屋で宿泊することも出来ましたが、三俣山荘まで進めて良かったと思いました。それは、山縣さんが太郎平から薬師岳往復が可能になる日程だからです。今年、太郎平から薬師岳往復を計画していましたが、予定が変更となり実施できなかったそうです。三俣小屋は満員で、布団1枚に2人が寝る状況でした。では、次回は3日目を綴ります。







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マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・3日目

マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・4日目

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マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・1日目

2017年08月16日 | 泊まりがけの山登り



 
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 私は長い間、数日間の夏山登山を慣習として行ってきました。今年は、十数年前に計画して行っていない登山計画を実行することにしました。私の山仲間であり、山菜の師匠である山縣さんが、日本百名山完登にあと僅かという状況で、今回の私の山登りの計画に興味を示したので、単独行が2人のグループ登山として実現しました。

 この登山計画の概要は、以下のようなものです。
前夜発の夜行バスで七倉に入り、1日目の早朝に乗り合いタクシーで高瀬ダムに向かい、ここからブナ立尾根を登り、烏帽子小屋で宿泊。
2日目は三ヶ
岳・野口五郎岳を経由して水晶小屋まで行き、そこから水晶岳を往復。水晶小屋から鷲羽岳を超えて、三俣山荘まで行って宿泊。
3日目は、黒部五郎小屋を経由して黒部五郎岳に登り、赤木岳・北ノ俣岳を経由して太郎平小屋まで行って宿泊。
4日目は、太郎平小屋から折立に下り、亀谷温泉に立ち寄り入浴し、富山駅から北陸新幹線で東京に戻るといった計画でした。

 「日本三大急登」の一つであるブナ立尾根からスタートする今回の計画は、毎日が10時間近い歩程時間を要するので、ある程度体力に自信があることが必要です。この計画を当初立てた頃から比べると、私の体力が格段に落ちていましたので、体力増強の準備が必要でした。しかし、ぶっつけ本番となってしまったことが、今までにない厳しい山登りになりました。

 ラブリーな夏山を歩き続けて、山々の雄大さや荘厳さを感じ、咲き乱れる高山植物の美しさに魅了された経験が、体に心に刻まれてきた夏山の記憶は、私の宝物の一つと言えるでしょう。今回の山登りも、そうした記憶の一章に加えられました。けれども、一歩間違えば、いや半歩間違えば、私の最終章ともなりかねない事態も経験しました。そんな山登りを、画像とともに綴ります。

 8月10日、講習会を指導後、22時30分発の夜行バスに乗るために、竹橋へ出かけました。夜行バスでは、よく寝ることが出来ないので、若干寝不足で山登りをすることになりますが、最近は多くの登山者が利用しています。

 この夜行バスは、未明に七倉まで入ります。下の画像は、七倉から高瀬ダムに向かうタクシー乗り場で、順番を待つ登山者です。



 高瀬ダムでタクシーを降り、ここから歩き初めます。ダムの上を歩き、トンネルを抜け、吊橋を超えて行くと、登山路入口に到達します。ここから烏帽子小屋まで、5時間30分の登りがスタートします。こうした厳しい登りでは、休憩を頻繁に取るのではなく、ゆっくりでも良いので持続的に歩き続けるほうが良いのは、経験的に知っていました。けれども、今回は足が動かずに、20分から30分毎に休憩を取らざるを得ませんでした。







登山路脇には、さまざまな高山植物が咲いていました。けれども、精神的な余裕がなく、カメラで収めることがなかなか出来ませんでした。







 山歩きでは、一歩一歩は、ほんの僅かなのですが、それが積み重なると、いつしか山の頂きに立てることを実感することが出来ます。それでも今回は、いっこうに目的地にたどり着かない厳しさを体験しました。

 6時に、高瀬ダムを出発し、私が烏帽子小屋に着いたのは、12時ころでした。相方の山縣さんは、10時30分ころには到着していました。百名山完登のために、最近連続して山登りをしているので、体力が相当ついているようでした。

 私はと言えば、到着後早速小屋に入って、ゴザの上にぐったりと寝転んでしまいました。小屋から往復1時間30分ほどかかる烏帽子岳は、私は中止。日々の運動量の少なさが、その原因でした。ただ、このグロッキー状態は、それ以降の山登りに継続していた事を、後から知ることになりました。

 布団1枚に2人という指示が、最終的には1枚1人になったのが、せめてもの救い。明日に向かって、山小屋の長い夜が続きます。では、次回は二日目の山登りを綴りましょう。







マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・2日目

マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・3日目

マッキーの山登り:北アルプス縦走・・・4日目

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マッキーの山登り:小学3年生・夏休みの尾瀬散策

2017年08月01日 | 泊まりがけの山登り



 
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 だいぶ前に、7月29日と30日の連休に、下の娘を連れて尾瀬に行く計画を立てました。上の子どもたちは、複数回尾瀬に連れて行ってますが、この子は今回が初めての尾瀬となります。

 この期間の尾瀬地方の天気予報は、芳しくないものでした。と言うよりも、梅雨明けして以来、全国的にぐずついた天候が続いています。様々な予約をしていなければ、中止も考えた程でした。今回は、尾瀬夜行の電車に乗り、会津高原尾瀬口駅まで行き、バスで沼山峠バス停へ行きます。そこから尾瀬沼を目指す、どちらかと言えばハイキングコースレベルの山歩きです。

 出発日28日(金)は、21時まで教室の夏期講習を指導し、急いで帰宅して娘を連れて東武浅草駅から出発する尾瀬夜行23:55(下の画像)に乗りました。東日本橋の乗り換え時、地下鉄浅草線は人身事故で電車が遅れていて、焦りました。



 23:55の車内は満席状態で、この電車は天候によってはガラガラの時もありますので、ちょっとびっくりしました。3年生の娘は、しばらく興奮して眠れませんでしたが、やがて熟睡してしまいました。電車が会津高原駅に着いたのも、私自身気が付きませんでした。バスの出発の車内放送で起きて、準備して下車しました。

 4時20分発のバスに乗る時点では、雨は降っていませんでしたが、山に近づくにつれて、雨脚が強くなってきました。桧枝岐の会津駒ケ岳登山口で下りると運転手に告げていた乗客が、雨の状況を判断したのか、計画変更して沼山峠(尾瀬)まで向かうといった状況となりました。終点の沼山峠バス停で降りた6時10分には、かなり激しく雨が降り続いていました。



 休憩所で小学3年生に雨具を着せて、上の画像のように傘をさすスタイルで歩かせました。ただ、靴は登山靴ではありませんでしたので、濡れるのは覚悟しました。バス停から尾瀬沼まで全て木道の上を歩きます。泥状態の地面を歩くことはありません。出発してしばらくは登り道。ピークの沼山峠からは下り道が続きます。濡れた木道ですので、スリップしないように注意しながら歩きました。ただ、雨の降り方は、高層湿原に向かうにつれて、だんだんと弱くなりました。





 大江湿原では、少し時期が遅いのですがニッコウキスゲの群落が、悪天候の中で歩く人たちを楽しませていました。沼に続く幾筋かの小川の水も、勢いよく流れていました。





 子どもは、実は雨が好きなのではと思うことがあります。小学3年生は、雨の中を元気に歩いていました。





 雨の中で、周囲の風景や草花を撮影する人たちも目立ちました。夫婦・子連れ・グループなど、様々な形態で多くの方が、本来なら梅雨明けした晴天の中で尾瀬を楽しむ計画を立てたのでしょう。





 3年生は、ビジターセンターの展示を、とても興味深く観察していました。動物の剥製などは、触って感触を味わうこともできます。数種類の小動物の毛皮も置いてありました。下の画像は、テンの襟巻ですが、とても気に入っていました。下の画像を見ると、とんでもないものが首に巻き付いているという感情と、ふんわりと温かい毛の気持ち良い触感が入り乱れている様子です。

 また、上映していた映画に出て来たオコジョが大変気に入り、「かわいい」を連発。翌日、登山路を歩いている時に、オコジョが出てこないか気になってたまらないようでした。ただし、繰り返し来ている私でさえ、尾瀬でオコジョを見たことはありません。





 雨は次第にあがり、尾瀬沼周回もできそうな状況となりました。しばらく歩くと、木道が切れて水たまりや泥んこ状態の地面を歩かなければならないことが分かりました。濡れた靴で、泥の中を歩かせるのは、可愛そうだ。そんな理由で、尾瀬沼の周回は取り止め、13時にチェックインがスタートする尾瀬沼ヒュッテに入るまで、湖畔・ビジターセンター・長蔵小屋(無料休憩所)・尾瀬沼ヒュッテ周辺で時間を費やしました。



 3年生は、山小屋に泊まるのは初めてでした。この山小屋は完全個室制で、部屋番101でチェックインしてから、山小屋の中を調査するように歩きまわっていました。尾瀬沼ヒュッテには、大きな檜風呂があり、一般の入浴時間の30分前に、私たち二人だけで男風呂に入浴できるように山小屋の人が配慮してくださいました。山小屋でこんな贅沢な入浴ができるなんて天国のようだと感じながら、湯船に浸かりました。

 山小屋の中にも、様々な昆虫が入り込んでいます。それを見つけては、観察していました。大勢でいただく山小屋の食事も、新鮮な驚きがあったようです。山小屋は、とても良い経験だったと思います。ただし、便器がウオシュレットであるなど、一般的な山小屋と比べたら、旅館並みの設備ですが。



 夜中降っていた雨は、朝にはあがっていました。それでも、途中で降ってこられると困るので、予め雨具を付けて歩かせようか迷いました。しかし、尾瀬の爽快な気分が味わえるように、上の画像のように雨具を着ないで山小屋を出発。結局、天候は上向いて、バス停までの道では、太陽も顔を覗かせ雨に降られることはありませんでした。





 ニッコウキスゲの花も、時折降り注ぐ太陽の中では、色鮮やかに輝いていました。前日も、この程度の天候であったならと思わざるを得ませんでした。





 山小屋周辺には、下の画像のようにピンクのユリが咲いていました。こんなところにヒメサユリが咲いている!南会津では、ヒメサユリが咲いていることを、帰宅後に知りました。

 コオニユリ(画像)やオゼヌマアザミヒオウギアヤメなどの花が至る所に咲いていました。ただ、尾瀬沼周遊が可能であれば、もっと様々な花に出会えたことでしょう。







 大江湿原の中を真直ぐに続く木道。我が子が一人で歩いて行く後ろ姿に、複雑な感情を抱くのは私だけでしょうか。やがて沼山峠に向かって登りが始まります。時間は十分にありましたので、滑らないようにゆっくり歩くように注意しました。先を行く登山クラブのクループの一人が、大きな音を立てて転びました。あんな専門的な人さえ、スリップするのだからね。帰りに気を抜くと危ないという見本だったので、そう言って、小学3年生に注意しました。





 今回の山歩きの目的は、高層湿原の尾瀬散策と、帰りに桧枝岐で途中下車して、日帰り温泉施設「燧の湯」に入ること、まる屋で「裁ち蕎麦」を食べること、桧枝岐の山村集落をちょっと味わうことでした。こちらの方は、天候には関係ないので、実行できました。

 燧の湯(ひうちのゆ)でさっぱりとして、子どもは山歩き用服装を着替えました。ちょっと湯の温度が高いと不平を言っていましたが、温泉大好きな子ですので満足していました。下の画像は、まる屋で裁ち蕎麦を食べた後に注文した「水ゼリー」を食べている3年生。裁ち蕎麦はちょっと大人の味かなと思いましたが、とても美味しいと言いながら食べていました。





 食後、軽く雨が降り出していましたが、桧枝岐の歌舞伎舞台を見に行きました。その手前には、橋場のばんばと呼ばれる小さな社があります。もとは水神様でしたが、今では縁結び・縁切りの神様としても拝まれています。鋏が無数に奉納されていました。画像の子どもの左後ろには、とても大きな裁ちばさみがあり、右手奥には「ばんば」が鎮座しておられます。

 山奥の山村集落に、歌舞伎の舞台があること自体、とても興味深いことです。その舞台を囲むように階段状の観客席が設置されています。歌舞伎を上演するときには、この観客席で村中の人たちが酒と肴を持参して観劇するのでしょう。





 今回の山歩きは、天候はいまいちでした。その結果、尾瀬沼周回はできませんでした。けれども、小学3年生にとって、高層湿原や山小屋泊まりは、未知の領域でしたので、とても良い経験だったと思っています。ただ、やはり山歩きには、子どもでも靴には十分に配慮する必要があります。自宅には、上の子が使っていた登山靴がありました。けれども、天気予報の雨量がとても少ないことから、歩きにくい登山靴を敬遠したことが失敗でした。

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マッキーの山登り:丹沢山系縦走(その2・蛭ヶ岳~丹沢山~塔ノ岳~大倉バス停)

2015年10月06日 | 泊まりがけの山登り



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 前回に引き続いて、シルバーウイークに出かけた丹沢山系の山登りを綴ります。前回のブログをご覧になっていない方は、以下のブログを参考にご覧ください。

マッキーの山登り:丹沢山系縦走(その1・西丹沢バス停~檜洞丸~蛭ヶ岳)

 丹沢山系の最高峰蛭ヶ岳山頂で小休止した後、次のピーク丹沢山に向けて出発しました。ここから先は、樹林の他に草原になっている箇所が多く、周囲の景観を楽しみながら、爽快な気分で山道を歩くことができます。振り返れば、檜洞丸はガスの中でしたが、蛭ヶ岳から歩いてきた山道が手に取るように見えました。

 この時期は、夏の暑さが過ぎて、運動していますから汗はかきますが、峰を渡ってくる風は清々しく、こうした低山の山登りには最適な季節といえます。丹沢山系は、交通の便が良いので、家族連れのハイカーも多数みられます。天気の良い日には、山歩きの楽しさを子どもに教えてあげる良い機会となるでしょう。











 草原の中に、ちょっとお化けのように大きなアザミが随所に咲いています。このアザミは、フジアザミという種類で、キク科アザミ属の多年草で、富士山周辺に多いことから「フジアザミ」と名付けられたそうです。日本産のアザミの中では最も大きな花を咲かせる種類であり、高さは20–100cm、葉は長さ30–70cmに達し、茎の先端に付く頭花の大きさは子供の拳ほど(直径5–10cm)と非常に大きくなります。

 草原は、笹原となっているところが多く、周囲には画像順に、キク科の植物のリュウノウギクノコンギクなどが咲いています。西丹沢では、リンドウが蕾でしたが、表尾根では笹原にリンドウが咲いて、秋を感じさせます。















 11時55分、日本百名山の丹沢山に到着。ここまでは、大倉から日帰りコースでもあるので、塔ノ岳ほどではありませんが、登山者でにぎわっていました。二十代の秋に、私の弟と大倉からノンストップで、この丹沢山まで歩いたことを思い出しました。その時は宮ケ瀬湖への長い山道を、走って駆け抜けました。時間の流れと体力の落差から、この楽しい思い出もだいぶ昔のこととなりました。

 その時も、朝時はガスが出ていて、霧の中からにゅっと鹿が現れびっくりしました。あの頃、この登山路には最も鹿が多かったように思います。丹沢山頂上で10分ほど休憩して、次のピーク・塔ノ岳へ向けて出発しました。画像は、笹原に囲まれた登山路から見る塔ノ岳への稜線と、間近に見えてきた塔ノ岳です。















 ちょうど13時に、最後のピーク塔ノ岳に到着。日帰りでヤビツ峠から表尾根を縦走する場合も、大倉尾根をピストンする場合も、丹沢山まで行かずに、この塔ノ岳が折り返し地点になることが多いはずです。また、私が今回縦走したコースを除けば、関東周辺に居住している方は、丹沢で一泊する方は少ないと思われます。

 塔ノ岳山頂には、所狭しとベンチが設置され、多くの登山客でにぎわっています。大倉からは登り3時間30分、下り2時間30分程度ですから、アルコール持ち込みでバーベキューを楽しんでいるグループも見られます。

 晴れていれば、私が縦走してきた丹沢山系が一望でき、その先にかなり大きな富士山が望まれます。若い時は、表尾根縦走を繰り返していましたが、ヤビツ峠からですと塔ノ岳まで標準で4時間ちょっとかかります。ですから、丹沢山まで行かなくとも塔ノ岳から大倉へ下ったとしても、十分に歩き甲斐のあるルートです。









 山小屋で買ったカップラーメンを食べて元気を回復し、13時45分、大倉バス停に向けて、大倉バカ尾根をひたすら下り始めました。この尾根は、神奈川県の努力により、緑の養生がうまくいって、だいぶ綺麗になりました。木道も整備され、荒れた登山路は回復してきました。

 これだけ多くの登山者を迎え入れる山小屋なのだから、物資の輸送はヘリコプターを使ってもよさそうなものですが、私が大倉へ下っている時に、ミネラルウオーターの箱を三つ背負ったボッカさん(強力・ごうりき) に出会いました。単調で長い登りの(下りの)尾根をバカ尾根と言いますが、その尾根を重い荷を背負って登ってくるボッカさんには、尊敬の念さえ感じます。

 年を取ると、足の関節の柔軟性が衰えて、山の下りで足を痛めたり、関節痛になる方が多いようです。若い時は、つま先から地面に降り立ち、随所の関節で衝撃を吸収するのですが、年を取るとバタ足になり、その衝撃をもろにひざ関節に受けるようです。特に、疲れた頃の下りでは、踏ん張りも利かずに、スリップして怪我をすることもあります。60代を過ぎたら、山の下りには十分に気を付けましょう。

 初日の足の具合から、二日目のちょっと長い行程に不安がありました。しかし、大倉への階段下りも、足を痛めないように気を付けながら歩き、無事に大倉の集落へ下りました。

 16時15分、大倉バス停に到着。多くの登山者がくつろいでいました。バスは臨時便を出し、15分程度の渋沢駅をピストン輸送していました。渋沢駅で小田急線に乗り、新宿で都営新宿線に乗り換え帰路につきました。

 さて、この山旅を、毎年恒例の「小屋泊まり夏山登山」と位置づけ、目的を達成した気分です。ただ、初日に本来の目的地・蛭ヶ岳まで到達できずに、手前の檜洞丸の青ヶ岳山荘に泊まららざるを得なかったことは、日ごろの運動不足が原因でした。

 中高年ともなれば、計画的にかつ意識して体を動かす機会を設ける必要があります。さもないと、日常の忙しさを主な理由として、体を動かすことなく惰性で過ごしてしまいがちです。現在私は週休1日ですが、その休みを有効に使って、少なくとも月一回、できれば二回の山登りを目指し、頑張ってみたいと思います。



【標準歩程】

西丹沢自然教室バス停~1.00~ゴーラ沢出合~2.20~檜洞丸(青ヶ岳山荘)~1.40~臼ヶ岳~1.20~蛭ヶ岳~1.30~丹沢山~1.00~塔ノ岳~2.20~大倉バス停

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マッキーの山登り:丹沢山系縦走(その1・西丹沢バス停~檜洞丸~蛭が岳)

2015年10月01日 | 泊まりがけの山登り

 

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 今年は、様々な理由から、毎年8月に出かける小屋泊まりの夏山登山をしませんでした。私にとって、年中行事とも言える夏山登山に出かけなかった年は、年末に必ず風邪などによりダウンしてしまうというジンクスがあります。極めて忙しいか、あるいは体調が悪くて、夏山に出かけることができなかった年は、体調管理がうまくいっていない年という理由から、こうしたジンクスとなったと思われます。

 今年は、寝る前に山登りの準備をしたにも拘らず、早朝に起きることができずに、「まあ、いいか。」という軟弱路線に陥ったことが数回あります。8月の夏山も、幾つかの条件が重なり、準備はしていたものの中止になりました。

 今年は、9月20日から23日の4日間、私のシルバーウイークでした。何か、老人ぽい休みの命名です。以上の理由で焦っていた私ですが、ちょっと遅い夏山登山
と位置づけ、20日から21日にかけて、丹沢山系を縦走しました。今日はその山登りを綴ります。

 20日早朝、自宅を出て新宿で小田急線に乗り換え、新松田駅で下車。新松田駅前のバス停から西丹沢自然教室行8時10分発のバスに乗車しました。

 1時間10分ほどで、下の画像の西丹沢自然教室前に到着。登山届を出して、9時30分に出発しました。



 舗装された林道をしばらく歩くと、右手に「つつじ新道」の登山口が見えてきます。初めは涸れた沢沿いを歩き、その後左手斜面の九十九折りの登山路を、尾根に向かい高度を上げていきます。稜線上に出ると、登山路は左手に続き、勾配は平坦となります。



 出発してから1時間ほどで、ゴーラ沢出合に到着します。数日前まで雨が多かったので、水量が多く飛び石が水没していて、川を渡るのに登山者たちは一苦労しました。渡渉した所から、再び急坂がスタートします。



 この時期の山は、夏の残照を漂わせながら、の気配が周囲に満ちています。広葉樹は、次第に葉の色を変え、木々には様々な実が付いています。しばらくの間は
きつい登りが続きますが、周囲を見渡せば、足元には様々な花が咲いていて、目を楽しませてくれます。

 檜胴丸(ひのきぼらまる)までの登山路には、画像順にヤマトリカブト・シロヨメナ・ホソエノアザミやアズマヤマアザミなどの草花が最も多く見られます。特に、いずれもキク科の植物であるシロヨメナと数種類のアザミの花は、この時期の丹沢山系全体を飾っている植物です。









 石棚山との分岐点を過ぎると勾配は小さくなり、檜洞丸頂上手前はシロヨメナの群落の中を、植物保護が目的の木道の上を歩きます。久しぶりの本格的な山登りでしたので、足がつり気味状態で檜胴丸頂上に向かいました。

 檜洞丸は、神奈川県相模原市と同県足柄上郡山北町の境にあり、標高1,601mの山で、丹沢山系では4番目の高さの山です。






 13時10分に木々で囲まれた頂上に到着し、ちょっと遅い昼食をとりました。予定では、檜洞丸を越えて、初日のうちに蛭ヶ岳まで行くつもりでいました。此処から先の檜洞丸から蛭が岳までは、およそ3時間。ちょっと考えた末に、無理をせずに予定を変更して青ヶ岳山荘に泊まることにしました。そうなった原因は、最近の運動量の少なさでした。

 西丹沢から檜洞丸は、日帰りコースでもあります。ただ、檜洞丸周囲を散策し、ブナの林に囲まれた自然を堪能するためには、宿泊施設として青ヶ岳山荘の存在は貴重です。山小屋では、私と同年代の京都と静岡から来られた姉妹と、今年癌の手術をしたという七十代の男性と、風情のあるランプの下で四方山話で花を咲かせました。

 女性が小屋番でしたが、現在は彼女のお母様と二人で交代で青ヶ岳山荘を切り盛りしているそうです。この山の北側の山北町方面では、この檜洞丸を青ヶ岳と呼んでいたそうで、この山荘を建てた彼女のお父様が名づけた山荘名です。

 現在の皇太子が若かりし頃、この丹沢山系を縦走した時に、この青ヶ岳山荘に立ち寄り、当時この小屋の名物であったブルーマウンテンをいただいたそうです。その後、最も味わい深い思い出のコーヒーを問われた皇太子が、この青ヶ岳山荘の一杯のコーヒーを挙げたという逸話が残っています。

 また、最近西丹沢では、ブナハバチによるブナの枯死が問題になっているそうです。こうした害虫が繁殖する原因に、酸性雨などによる土壌のPHの変化も挙げられています。環境の汚染が、思わぬところで悪さをしていると感じました。



 今まで宿泊した山小屋の中で、最もゆったりと敷かれた布団で熟睡することができました。翌9月21日、5時半に朝食をとり、6時10分に蛭が岳に向けて青ヶ岳山荘を出発しました。

 早朝は周囲がガスっていました。青ヶ岳山荘前から行く手を望めば、目指す蛭ヶ岳が靄の上にシルエットのように浮かんでいました。早朝このルートを最初に私が一人で歩いていましたので、周囲では様々な動物の動きが気配で感じられました。

 牡鹿の独特なホイッスルを吹くような、甲高い鳴き声も聞こえてきました。物悲しいその声を聴きながら、百人一首にも入っている猿丸太夫の短歌を思い出しつつ、朝露で濡れた細い登山路を、一人歩き続けました。

  奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きくときぞ 秋は悲しき






 キク科の植物を中心に、丹沢山系にはまだまだたくさんの花が咲いていました。下の画像の花は、イワシャジンホトトギスの花と、近づいてきた蛭ヶ岳です。









 さすがに首都圏にある人気山登りコースとあって、丹沢山系主脈コースは、木道・梯子・鎖・ロープなど致せり尽くせりの整備がなされています。不注意なミスをしなければ、安全な山登りができるはずです。









 一旦鞍部に下った後、蛭ヶ岳への最後の登りが待っています。昨日は、仮に檜洞丸から蛭ヶ岳までつり気味の足で継続して進んだなら、予定時間をオーバーして、日没後に蛭ヶ岳に到着することになったでしょう。

 足下には、シラヒゲソウ・リンドウ・ダイモンジソウが咲いていました。シラヒゲソウは、ウメバチソウ科ウメバチソウ属に分類される多年草。湿地の開発、産地が限定的であること、環境遷移に伴う湿地の消滅、栽培目的の採集などにより、多くの地域で減少傾向にあり絶滅が危惧されているようです。









 9時40分、蛭ヶ岳山頂に到着。蛭ヶ岳は標高1672.7mで、丹沢山系の最高峰です。今日の登山路の中では、蛭ヶ岳までの行程が一番きついので、朝のうちに通過してちょっと一安心でした。ここから、丹沢山・塔ノ岳のピークを経由して大倉バス停に下ります。

 天候は曇り時々晴れといった風で、低い雲が遮り、縦走路全体が見渡せる眺望はありませんでした。蛭ヶ岳の山頂は、塔ノ岳のような人出はなく、静かな佇まいを見せています。この山頂からの展望を期待していましたが、全体に薄いガスに覆われていて、霧が切れた時に稀に遠望できました。

蛭ヶ岳からの続きの山歩きは、次回のブログで綴ります。




【標準歩程】

西丹沢自然教室バス停~1.00~ゴーラ沢出合~2.20~檜洞丸(青ヶ岳山荘)~1.40~臼ヶ岳~1.20~蛭ヶ岳~1.30~丹沢山~1.00~塔ノ岳~2.20~大倉バス停

マッキーの山登り:丹沢山系縦走(その2・蛭ヶ岳~丹沢山~塔ノ岳~大倉バス停)

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マッキーの山登り:今年の夏山最終日・笠新道を経由して新穂高温泉へ

2013年08月13日 | 泊まりがけの山登り



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 山登り3日目。最終日に、この笠ヶ岳方面から、雄大な槍・穂高を望むことができるだろうか?また、下山路に咲く高山植物を楽しめるだろうか?・・・これは、天候次第。そうした期待を裏切るように、笠ヶ岳山荘の早朝は、霧雨模様の天気でした。

 5時過ぎ、Y氏と私は、上下のレインウエアーを着込み、笠ヶ岳山荘を出発しました。しばらく歩くと、天候が回復してきたのか、雨は止み空も明るくなってきました。私たちは、うっとうしいレインウエアーを再びザックに入れ、身軽になって再び歩き始めました。

一瞬、太陽も顔を覗かせ、ガスで覆われた周囲の山々に、朝日が射しました(下の画像・結局数秒の出来事でした)。



 しかし、主脈稜線から右手に90度折れる、笠新道分岐点まで来た頃には、再び雲行きが怪しくなってきました。本格的に天候が下り坂になる、さまざまな兆候を、私は感じ取っていました。






 笠ヶ岳の方向を振り向くと、大きな山塊が、ガスの中に消えつつありました(下画像)。再び霧雨になってきましたが、再びレインウエアーを着込むことがかったるく、霧雨の中を私たちは歩き続けました。



 杓子平と呼ばれる地点から、笠新道は急勾配の下りとなります。ここで、雨具を着込めば良かったのですが、「いっそのこと、ぬれて帰りますか。どうせ、この後入浴するんだし。」と言うことになりました。

 登ってくる登山者達は、雨具を着けないで下ってくる私たちを見て、「何と、山知らずの初心者なんだ。」と思ったか、「夏山、濡れて帰ろうなどとは、よほどの経験者達だな。」と思ったか、それは分かりません。しかし、とても違和感を感じたはず。実はY氏は大学で山岳部、私は高校でワンゲルに所属したこともあり、その後山登りを続けてきたので、相当な経験者の部類に入ります。

 やがて、雨はどしゃ降りとなり、私たちは雨具の上着だけは着ました。登山路は、流れ下る水にとって、便利な水路となり、雨は泥水となって流れ下ります。初めから、雨具を着込んでいればと反省しましたが、それは後の祭り。

 笠新道は、ふつうの登山路の箇所だけではなく、大きな岩が重なり合っていて、そこをひょいひょいとステップしながら下る区間も多い。ですから、傘を差して下るなどということは不可能な登山路で、雨の日はスリップを注意しながら慎重に下る必要があります。北アルプスでも、最も急勾配が続く登山路の一つが、笠新道です。大雨の天気で視界も悪かったので、杓子平から3時間の標準歩程を、私たちは一気に下りました。






 後から知ったことですが、この時刻には、飛騨地方には大雨注意報が出ていました。大雨の中の下り。びしょ濡れになって下りながら、最近の私のブログタイトル「日日是好日」を思い出していました。

 『がっかりしながらこの笠新道を下っても、天気が良くなるわけではない。悪天候だけれども、これもまた山登りであり、その経験も人生の一コマ。大雨に打たれる下りも、安穏とした日常生活では得られない体験。ならば、いっその事、大雨を楽しんでやろう。大雨に濡れる周囲の植物は、かえって活き活きしているではないか。今日もまた、日日是好日だな。』・・・そんなことを思いながら、笠新道を下りました。

 こんな、天候の日でも、数は少ないですが、下から登山者が登ってきます。軽い挨拶をしながら、通り過ぎていきますが、そうした登山者の中に、好印象の若いカップルがいました。テント泊用の大きなザックを背負い、大雨の中を一歩一歩登ってきました。

 大雨を考慮して、麓の山小屋や温泉旅館で、停滞するという手があるのに、この悪天候の中、頑張っているな。その二人とすれ違った後、私は熱いものが胸にこみ上げてきました。

『君たちの、この困難と労苦は、けっして無駄ではないよ。いつか君たちが家庭を持って、この山旅を振り返ったとき、得難い収穫があったことを悟るだろう。好天の山登りは、楽しい思い出と素晴らしい映像を記憶に残すだろう。けれども、この大雨の中、頑張って登った笠新道の経験は、君たちの絆を確かなものとしたはずだ。人生は平坦ではない。だからこそ、君たちのこの経験は、これから君たちが生きていく上で、貴重なものとなるはずだ。・・・日日是好日か。』

 そう思うと、私の目頭は熱くなってきました。打ち付けるように降る雨粒が、私の頬を絶え間なく流れました。




 上の画像が、夏山を代表するニッコウキスゲの花。下の花は、ピンクのニッコウキスゲではなく、オトメユリ(別名:ヒメサユリ)か、またはササユリのいずれかで、とても可憐な花でした。いずれも、激しく降る雨の中で、元気に可憐に咲いていました。



 10時近くに、笠新道入口に到着。その頃には、皮肉にも雨は上がりかけていました。傘をさして林道を歩いているうちに、雨は止みました。林道横を流れる川は、雨水を集め濁流となり、狂ったように激しく流れ下っていました。1時間ほどの林道歩きの後、日帰り温泉施設・奥飛騨の湯に到着し、早速入浴。やっと、靴の中から頭までびしょ濡れの濡れ鼠状態から、解放されました。昼食を食べて、ちょっと休憩した後、2時30分発の新宿行きの高速バスに乗車。

 車中、隣り合わせた同年配の登山者に話しかけると、彼は西穂高岳から入り、奥穂高岳・北穂高岳・槍ヶ岳を経由して双六方面を周遊し下ってきたそうです。難易度の高いルートの、単独登山です。山を初めて6年ほどだそうですが、年間80日ほど山に入るそうです。技術的なことよりも、体力に自信がないと、難しいルートですが、これだけ山歩きをしていれば、可能なルートです。

 話を進めるうち、彼の奥さんが、偶然私と同じ新潟市の秋葉区(旧新津市)であることが分かり、驚きました。新宿に到着後、別れ際「またいつか、山で会いましょう。」と挨拶し、固く握手を交わしましたが、一期一会の出会い、互いに相手の名前さえ聞くことはありませんでした。

 笠新道の下山路で通り過ぎたカップルや、帰りのバスで隣り合わせた登山者や、そして笠ヶ岳で出会った七十代のおばさん(この方も、偶然同郷の秋葉区在住の方)など、忘れ得ぬ一瞬の出会いと別れがありました。

 ただし、世の中には、屈折した精神の持ち主や、悪霊に取り付かれたように他人を批判する性癖の持ち主がいます。その事をちょっとでも批判されると、狂ったように過剰反応する、哀れな人たちです。こうした部類の人たちと関わらないということも、処世術として大切なことです。

 ゆめゆめこうした人たちを、啓蒙しようなどと考えないように。これは、理想を希求する教育的観点で努力しても、決して救済されない、身に染み付いた性(さが)。そんな
人間の持つ哀れで非情な側面を、頭からすっぽりと背負い込んで生きる人たちがいることを、私はこの歳になって、ブログの世界で経験しましたが、その事実に基づく結論です。

 けれども、地獄があれば天国があり、悪魔がいれば天使がいるように、世間はそんな変人ばかりではありません。爽やかな涼風のように、私の前を通り過ぎていく人たちが、数多くいることも確かです。私は、気持ちが豊かになるそうした人たちとの出会いを、大切にしたいと考えていますが、これは、多くの人たちにも言えることでしょう。

 心を豊かにし自分のちっぽけさを認識させる大自然、温かい心に触れ合う人びととの出会い、充実した過ぎゆく時間、そして脳裏に刻まれる高嶺に咲く花や景観、言葉では言い尽くせない私の人生の一コマ・・・それが、私にとっての夏山登山です。

 新宿で、Y氏と別れ、雨をたっぷりと吸い込んだ衣類で重たくなった荷物を背負って、地下鉄新宿線に乗り、我が家に向いました。



【およその今回の歩程時間】

5:10笠ヶ岳山荘出発~6:24笠新道分岐点~7:24杓子平~9:53笠新道入口~11:00新穂高温泉バス停近くの日帰り温泉・奥飛騨の湯


今回の山旅、興味ある方は、以下のブログも参考にご覧下さい。

マッキーの山登り:今年の夏山1日目・新穂高から双六小屋へ

マッキーの山登り:今年の夏山2日目・双六小屋から笠ヶ岳へ


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マッキーの山登り:今年の夏山2日目・双六小屋から笠ヶ岳へ

2013年08月10日 | 泊まりがけの山登り



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 8月4日、4時に起きて、天候が良ければ、双六岳(すごろくだけ)またはその反対に位置する樅沢岳(もみさわだけ)に登って御来光(ごらいこう)を仰ぐ予定でした。しかし、残念ながら未明から周囲はガスっていました。今日は、昨日の天気と異なり、雨具さえ必要になることが、ウエットな空気から感じ取れました。

 5時過ぎ、今日から一緒に歩くY氏と、双六小屋を出発。小屋の前では、学生アルバイトらしき従業員が、カメラのシャッターを切るサービスをしていましたが、担当が決まっているのでしょうか。



 弓折分岐(ゆみおりぶんき)まで戻ると、池が点在し赤い屋根の小屋がある鏡平を見下ろすことができます(上の画像)。昨日は、天気が良かった割に、ガスっていて、この方面の視界はありませんでした。結構きつい登りなのですが、意外と近くに鏡平が見えます。

 早朝から登山路周辺上空を、ヘリが旋回していましたが、昨日のクマ騒動と関連している可能性が高いと思われました。ここまで来る途中、Y氏が所属する山登りグループの女性と、偶然出会いました。その一団の中に、昨日クマと出くわし、怪我をされたグループがいて、その時の生々しい様子を聞くことができました。

 昨日のクマ騒動の影響か、登山者達は、できるだけかたまって歩いているようでした。私たちも意識して、他のグループと一緒に歩くことを心掛けました。

 長年、私は北アルプス登山をしてきましたが、登山最適期で登山者が多い登山路に、クマが出没するといったことは、初めての経験です。クマ全体が、このような行動を取っているというよりも、残飯漁りなどで味を覚えた一頭のクマが、単独の行動をしているように感じました。とすれば、やはりクマが悪いと言うよりも、人間の方に問題がありそうです。

 今日は、心に響く夏山の展望をカメラに収めることが、天候条件からできないので、主に足下に咲く高山植物を中心に、画像で紹介しましょう。

 この稜線でよく見られた花で、上から順に、最初がクロユリ、二番目がニッコウキスゲ、三番目がクルマユリ、四番目はタカネヤハズハハコです。












 一時ガスが晴れた時に、鳥瞰できる場所から麓を眺めると、山と山の間の谷は、U字谷のようになだらかに浸食され、至るところに雪渓が残り、小さな沢から水が中央の川に流れ込んでいるのが見て取れます(下の画像・手前の白い花はコバイケイソウ)。
なだらかな麓の山から、北アルプスの槍・穂高の鋭角な岩山が、向こう側に立ち上がっているはずですが、残念ながら穂高連峰は望むことができませんでした。






 登山路には、例年になく雪渓が残っていますが、その上を歩いた登山者の姿は、すぐに霧の中に消えていきます。

 登山路に残る雪渓周辺には、春先の植物が芽吹いています。高山の短い夏の到来に、植物は精一杯生きようとしています。花は、植物の生殖器官ですので、夏は植物にとって恋の季節とも言えます。厳しい自然環境を選択し、短い夏の間に子孫を残し、物言わず枯れていく・・・なんと潔い生き方だろうと思ってしまいます。

 高山に咲く花は、単に可憐で美しいだけではなく、高山植物のこうした生き方が、私達を一層感動させるのだと思います。下の画像の花は、上から一番目がシナノキンバイ、二番目がミヤマカラマツ、三番目はハクサンシャクナゲ、四番目はチングルマでその下がチングルマの実です。

 その下の画像は、夏の装いの雷鳥です。冬になると、白い羽となり、色を変化させます。天然記念物となっていて保護されているために、人間をあまり怖がりません。子育ての季節ですが、親鳥はよく見かけたのですが、幼鳥を見たのはなぜか一度だけでした。


















 下の画像の花は、最初がウサギギク、二番目がヤマハハコの蕾、三番目がミヤマコゴメグサ、四番目がタテヤマリンドウ、五番目がアオノツガザクラ六番目がハクサンチドリ、七番目がミヤマダイモンジソウです。立派で目立つ花もありますが、1cmにも満たないのですが、よく見ると可憐で美しい花も数多く咲いています。





















 笠新道分岐点よりも少し手前に、登山路から少しずれて、抜戸岳の山頂があります。視界は効きませんでしたが、私たちは抜戸岳に登りました。ガスった山頂は、静寂の中にありました。風雪で風化し、やっと読み取れるほどの山頂標識の板が、墓標のようにポツンと建っていました。その山頂で、Y氏持参のお湯でコーヒーを飲みましたが、味覚はシチュエーションに大きく影響されることは確かで、とても美味しかった。Yさん、また宜しく!

 笠新道分岐点を過ぎてしばらく進むと、人為的に岩をすっぱりと割ったような抜戸岩があります。その岩の間を通過するY氏の姿も、霧の中に解け入りそうです。



 昼過ぎ、笠ヶ岳山荘に到着。展望は利かず、山荘前から登ってわずかな距離にある笠ヶ岳山頂もガスの中でした。私たちは一旦受付を済ませ、濡れた衣類を乾燥室に掛け、ガスが晴れるのを室内で待ちました。

 私たちの願いが叶ったのか、2時頃、山荘の窓越しに笠ヶ岳への登山路から、ガスが消えていることが分かりました。私たちは、早速カメラを携えて、山頂へ向かいました。



 山荘から頂上への登山路を辿ると、祠のある広い山頂に出ますが、笠ヶ岳の本当の山頂は、そこから左手に少し行った所にあります。山荘から笠ヶ岳山頂までは、およそ15分から20分で到達できます。急速に天候が回復し始めて、山頂に着く頃には、青空も広がり始めていました。笠ヶ岳山頂は、下の画像のようにガレた岩が積み上がったような形態をしています。

 山頂では、新潟から来た高齢者を中心とする二十数名の山岳会の方達が、その中の一人がこの笠ヶ岳で百名山を達成したお祝いをしていました。百名山は、高齢者登山のモチベーションを高めるのに、役立っているようです。

(百名山について興味ある方は、以下のブログも参考にご覧ください。)

マッキーの書評:谷文晁『日本名山図会』と深田久弥『日本百名山』…その1

マッキーの書評:谷文晁『日本名山図会』と深田久弥『日本百名山』…その2









 今日歩いてきた登山路が、しばらくの間、ガスの切れ間から望むことができました(上の画像)。また穂高連峰が、雲とガスの切れ間から、辛うじて顔を覗かせました。笠ヶ岳に登る多くの方が期待する、日本アルプスの主脈・穂高連峰の展望を、わずかばかり味わうことができました。山の初心者を連れて登った槍・小学生の子を連れて登った奥穂・初めて穂高に来た帰りに走るように下った岳沢など、槍・穂高の思い出が走馬灯のように蘇ってきます。後立山連峰と並び、繰り返し訪れた槍・穂高は、私の登山歴の中核を成す場所でもあります。






 山荘周囲の視界が良好なタイミングを計って、数回に亘ってヘリによる荷揚げが行われていました。荷を素早く降ろすと、ヘリは再びガスの中に消えていきました。私たちは、笠ヶ岳の展望を楽しんだ後、山荘に戻りましたが、その頃には再びガスが出て視界が利かなくなり、夕刻から再び雨も降り出しました。

 今年の夏山の天候不順を嘆くべきなのか、その貴重な晴れ間を利用して笠ヶ岳山頂に立てたことを幸運とすべきなのか、判断に迷うところです。それでも、今回の主たる目的だった笠ヶ岳登頂ができたことで、良しとすべきでしょう。

 外は断続的に雨が降っていましたが、明日は急坂で名高い笠新道の下りです。できることなら、雨は上がっていてほしいと願いながら寝床に就きました。昨日の双六小屋と同じく、一つの布団に1.5人が寝る状態の混み方で、長い山小屋の夜は、更けていきました。



【およその今回の歩程時間】

5:10双六小屋出発~6:14弓折分岐6:20~6:48弓折岳~9:05秩父平~10:34抜戸岳10:50~11:00笠新道分岐~11:50抜戸岩~12:25笠ヶ岳山荘14:02~14:16笠ヶ岳山頂14:58~笠ヶ岳山荘

今回の山旅、興味ある方は、以下のブログも参考にご覧下さい。

マッキーの山登り:今年の夏山1日目・新穂高から双六小屋へ

マッキーの山登り:今年の夏山最終日・笠新道を経由して新穂高温泉へ


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マッキーの山登り:今年の夏山1日目・新穂高から双六小屋へ

2013年08月07日 | 泊まりがけの山登り



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 8月2日、授業終了後、教室で山登りの身支度をして、予定通り新宿23時発新穂高行の夜行バスに乗車。北アルプス(上高地方面)へ行くには、一昔前のように、JRの電車に乗り、松本で私鉄に乗り換え、その後バスに乗り換えるといった手間をかける必要はありません。ただし、この夜行バスは、よほど神経が図太くなければ熟睡できず、うとうとしては目が覚めるといった繰り返しで目的地に到着することになります。

 北アルプスのこの山域は、長野県と岐阜県の境に位置し、正式には飛騨山脈の一部です。上高地へ行けば、その人物の像がある、イギリス人宣教師ウォルター・ウェストンが、ここは日本のアルプスだと言ったことから、日本アルプスの名があります。三十代の終わりに、私は本場のヨーロッパアルプスの山々に登りましたが、やはりスケール感は、日本アルプスの比ではありませんでした。

 新穂高温泉に予定時刻よりも少し早く到着し、5:20にバス停から歩き始めました。事前の天気予報では、次第に天候は良くなり、山登りにはまずまずの天気になるはずでした。しかし結果から言えば、初日を除き、天候は期待を裏切り、特に最終日は、飛騨地方に大雨注意報が出るほどの雨でした。山登り最終日5日と東京に戻った翌日の6日は、全国的に天候が不安定で、各地で雷雲が発生して雨の被害が出たようです。

 新穂高温泉は、大きな山の谷間にある場所なので、平地に比べると時刻の割に、まだ薄暗い林道歩きで山登りは始まりました。しばらく行くと、車止めゲートがあり、そこに登山者カードを書く場所があります。そこから50分ほどで笠新道分岐点を通過し、その後15分程度でわさび平小屋に到着します。私はそこで、朝食をとりました。






 わさび平小屋からわずかばかり歩いた小池新道登山口から、本格的な山登りがスタートします。遥か彼方の目的地。なんと人の一歩は、小さいのだろう。最近の運動不足で、体も荷物も重い。そう思いながらも、いつしか空が近づいて、やがて眼下が広がってきます。

 
山のいたるところから湧き出した清水と、今年はとても多い雪渓からの雪解け水を集め、手を切るような冷たい水が、随所から勢いよく流れ下っています。秩父沢出合(下の画像・上部は雪渓)の水場で、ペットボトルに水を満たすために、流れの中に手を入れると、水が満たされるまで耐え切れないほどの冷たい水でした。



 


 40年近く続けている恒例の夏山登山。私は山に登りに来たのではなく、夏山に再会するために来ているのかもしれません。一歩一歩が苦しくとも、たとえ厳しい天候でも、充実感に満ちた雄大な自然に、夏山は私を誘うのです。シシウドヶ原付近から、登り右手にガスの合間から、穂高連峰の雄姿が姿を表しました(下の画像)。夏の北アルプスは、私にとって青春そのものなのです。






 小池新道登山口から3時間50分(標準)ほどで、山小屋が建つ鏡平という場所に着きます。そこにある鏡池の反対側に、槍や穂高連峰が連なり、鏡のようにそれらの山々を映し出すことから名付けられた地名です。ただし、残念ながら今回はガスっていて、視界はありませんでした。それでも登山者たちは、木製のデッキに寝転んで、静かな安らぎを感じながらうたた寝を楽しんでいました。上の花は、この周辺に群生しているキヌガサソウです。






 鏡平には、他にも幾つもの池が点在しています。私は鏡平山荘前のベンチで、昼食を取りました。この時期、この山域で最も目立つ花は、上の画像の白いコバイケイソウでしょう。大きな群落を作り、この山旅を通して至る所で咲いていました。また、下の画像の花は、最初がハクサンフウロ、二番目はハクサンイチゲ、三番目がコイワカガミです。









 木々に囲まれた鏡平山荘から稜線まで、きつい登りとなります。高度を上げていくと植生も変わり、周囲はハイマツや高山植物が生えた、アルペンムードが漂う景観となります。鏡平から1時間ほど登ると、ベンチが設置された弓折乗越にたどり着きます。本来ですと、ここも槍・穂高の展望スポットなのですが、ガスに覆われて穂高方面は視界が利きませんでした。ベンチに腰掛けると、2日連続の寝不足で、こらえても睡魔が襲ってきました。しばしこのベンチで休憩。






 弓折乗越から1時間ほど稜線を歩けば、今日の目的地・双六小屋です。上の画像でも分かるように、稜線右手穂高側からガスが吹き上げてきます。上の花はヨツバシオガマ、下の花はクルマユリです。下の山の画像左手が双六岳、その先に鋭角にそびえている山が鷲羽岳で、その左手に隠れるように黒い山が見えますが、それが水晶岳です。

 ところで、最近の登山ウエアーは、山ガールに代表されるように、カラフルでファッショナブルになってきました。カラフルなスパッツ・アンダーパンツを着て、その上に登山用の短パンを着込んだスタイルの男女が、とても多くなりました。いわば、最近よく見かけるトレイルランの服装の上に、短パンを着たスタイルです。

 それから、最近テント泊用の重たいリュックを背負った若者を、多く見かけるようになりました。若い時は、労を惜しまずに、テントと食料を背負って、山登りに出かける気力が欲しいと思います。ただ、テントの性能も向上し、極めて軽量になりました。ワンゲルや山岳部のしごき風の山登りではなく、同好会や仲良しグループで、若者が山を楽しむ時代になりました。それは、各種装備の進化と、個人的に多くの必要な情報を入手できることが、団体等に所属せずに、こうした活動を可能にしていると考えられます。







 やがて赤い屋根の双六小屋が、登山道の先に見えてきます。このエリアでは、大きな山小屋です。後から知ったことですが、私がこの登山道を通過した直後に、登山路にクマが出没し、足を噛まれた登山者がいて、一騒動となったそうです。2時過ぎ、双六小屋に到着。

 その後、1日前に山に入ったY氏と合流。この日の好天を利用し、Y氏は双六岳・三俣蓮華岳・鷲羽岳に登り、黒部川源流を跨いで戻ってきました。私自身は、久しぶりにこの山域に入りました。山小屋前で、Y氏と酒を飲みながら雄大な景観を楽しみました。次の日は、未踏の笠ヶ岳登山。心地良い疲労を感じながら、早めに就寝しました。




(今回の山登りの画像は、ニコンのコンデジを使用。)

【およその今回の歩程時間】

5:20新穂高温泉バス停出発~5:30ゲート~6:22笠新道分岐点~6:36わさび平小屋(朝食)7:00~7:15小池新道登山口~7:55水場8:10~8:52イタドリヶ原9:05~10:40鏡池・鏡平山荘11:15~12:33弓折乗越13:03~14:09双六小屋


今回の山旅、興味ある方は、以下のブログも参考にご覧下さい。

マッキーの山登り:今年の夏山2日目・双六小屋から笠ヶ岳へ

マッキーの山登り:今年の夏山最終日・笠新道を経由して新穂高温泉へ


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マッキーの山登り:紅葉の苗場山・・・その2:高層湿原とドラゴンドラへの下山路

2011年10月21日 | 泊まりがけの山登り



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前回は、和田小屋から祓川コースを通り苗場山頂までの山登りについて綴った。
マッキーの山登り:紅葉の苗場山・・・その1:和田小屋から山頂へ

今回は、苗場山頂に広がる高層湿原の景観と、二日目のドラゴンドラ(ロープウエー)へ下る登山道周辺の紅葉した風景を、画像を中心にまとめたいと思う。


【苗場山頂の高層湿原】


(360度パノラマ)

苗場山は広大な頂上湿原をもつ成層火山で、山頂から南西方向に緩やかに傾斜し、そこに高層湿原が4km×6kmの規模で形成されている。

苗場山ほどの標高に高層湿原が形成されている場所は、日本では他に立山連峰五色ヶ原や平ヶ岳などが挙げられる。


(まだ4時前なのだが、私の影が湿原に長く伸びている)

高層湿原
が形成される過程で、堆積した泥炭層の隙間が水で涵養された部分ができる。

こうした湖沼のことを池塘(ちとう)と呼び、周囲とは隔絶された環境であるため、独特の生物相ができるといわれている。


(この画像にも、よく見ると私の長い影が映っているのだが)

苗場山頂の池塘には、ミヤマホタルイやヤチスゲが苗のように繁って苗代田のような外観を呈していることから、山名を「苗場山」としたとの説がある。

秋の紅葉時期は、湿原に花を求めるのは不可能だが、点在する池塘と草紅葉そして茅野の独特な景観が郷愁を誘う。




【ドラゴンドラへの下り登山道の紅葉】


(右手の苗場山中心に180度のパノラマ)

翌日は、5時30分の一回目の朝食に間に合わせるため、5時に起床。

しかし小屋出発は、朝食・準備・散歩などで、6時40分を回っていた。


(早朝の靄にかすむ山並み)

下山コースは、神楽ヶ峰までは前日の登りと同じコースを辿り、そこから少し行った分岐点で、右手に折れる登山道を選択し、ドラゴンドラ山頂駅まで下り、ロープウエーを使い麓まで降りる計画である。



このゴンドラは、本来スキー客を乗せるために冬季運行するものであり、それ以外の期間は秋の紅葉時期を除き運休するらしいので、注意が必要だ。

従って、この下山路を登山者が使用する頻度は期間的に限定され、明らかに秋の紅葉シーズンにあわせ、ヤブを刈って整備されているように感じられた。



8時9分、分岐点の道標を目印に、田代原(ドラゴンドラ山頂駅)への下山道へ入る。

笹薮や広葉樹林帯を縫うように付けられた登山道は、登りに通った祓川コースよりも遥かに快適な山道だった。

この登山道が祓川コースよりも良い点を具体的に挙げると、第一に道はぬかるんでなく、第二に周囲は赤や黄に紅葉する照葉樹林帯であり、第三に右手に苗場山を長い間望むことができるといった点だ。



コースの中腹にある草原が草紅葉となり、その先に山々が広がり牧歌的な雰囲気を醸し出している。



神楽ヶ峰方面から望む苗場山は、この夏に登った前白根山から日光白根山を望む景観と似ていて、一般的な円錐形をしている。

しかし、下りの登山道から望む苗場山は、その山頂から高層湿原のなだらかな稜線が馬の背のように続き、どっしりとした山容を見せている。



赤く色づいたカエデ類や黄葉した木々が混在し、秋色に染まった山の美しさと静けさを堪能することができる山道である。

登りの登山者も、下りの登山者にも、この下りコースで出会うことはなく、自分の踏みしめる落ち葉の音と、満ち足りたSound of silenceを味わえる下山道だった。



この稜線上を歩けば、人にこそ出会うことはないが、手付かずのブナ林や照葉樹林の紅葉、その木々を行き交う小鳥のさえずりを楽しみながら、長閑なそしてどこか哀愁を漂わせた雰囲気を堪能できるだろう。



この登山道は、やがて枯れた広い草原になったスキー場ゲレンデに行き着き、そこからはゲレンデと林道を選択しながらドラゴンドラの山頂駅まで下る。



私たちは一部林道を歩いたが、山頂駅まで続くゲレンデをひたすら降りても、必ずドラゴンドラと名づけられたロープウエー山頂駅にたどり着くことができるだろう。

この時期、麓のドラゴンドラのチケット売り場に車を置き、私たちが使った下山道を往復して苗場山に登る方法も考えられる。

祓川コースよりも、紅葉した山々を楽しめるが、ロープウエー山頂駅からゲレンデを越えて、登山路入口を捜すのに不安を感じるかも知れない。

アドバイスするなら、山頂駅からひたすらゲレンデを登り、リフトの最終地点の建物の裏に登山路があることを念頭に歩けばよい。



10時15分、山頂駅前の丘に到着。

山頂駅周辺は、枯れ草となったゲレンデを散歩する子供連れや、高齢者をかばいながら階段を登る地元の家族連れで賑わっていた。

私たちは、25分間のロングロープウエーのドラゴンドラを使って麓に下り、無料の送迎バスで路線バス停(ドラゴンドラチケット売り場・苗場プリンスホテル隣
)まで行き、そこからバスで越後湯沢駅まで向かった。

駅前の蕎麦屋で、無事に楽しい山登りができたことに感謝して乾杯し、昼食を取った。

今回の山登りは、三つの点で充分に楽しい山旅であった。

一つ目は気が置けない仲間との楽しい交流、二つ目は珍しい高層湿原の秋の景観、三つ目は色鮮やかに紅葉した照葉樹林を存分に堪能できたことである。

その後、駅中の土産屋が並ぶコーナーで試食や試飲を楽しみ、各自お土産を手に新幹線に乗り込んだ。

私たちは利用しなかったが、駅中に日帰り温泉も設置されているので、時間があればそこで旅の汗を流すのもよいだろう。


微かな音を別れの挨拶代わりに、舞い落ちてくる一枚の枯葉

澄みに澄んだ秋空を屏風に、万感の思いを込めた最期の舞

その一瞬に芽吹きからの追憶が、ダイヤの如く凝縮される

枯葉は潔い自由落下運動の後、永遠に続く生のリングに昇華する




 

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