NPO法人 ハウル

ハンディキャップ(障がい)のある方の就労とスポーツ振興を応援します!

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徴兵制

2007-11-28 22:25:15 | 歴史
東国原知事が「徴兵制あってしかるべき」との持論を展開したとの記事があった。
若者がある期間、訓練や規則正しいルールにのっとった生活を送った方が良いと
のことだ。

20年前、私がアフリカのエチオピアに行ったとき、まだ内戦中で若者は徴兵され
戦火に向かった。
しかし、内戦は激化し帰るあてのない徴兵を逃れるため、自らの脚を銃で打ち抜き
障害者となる者が多かったと聞く。
「徴兵」とは何か、今一度考えていただきたい。

第2次世界大戦では、多くの障害者がアウシュビッツなどの収容所に送られた。
ナチスにとってユダヤ人だけでなく、障害者も地上から抹殺するべき対象だった。

戦争とは机上の理想では考えられない事態が起こることを理解しなければならない。
m-kishi
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男たちの大和

2007-04-09 21:40:06 | 歴史
 昨夜テレビで「男たちの大和」を視ました。公開時にも見ようかなと迷いましたが、もうひとつ勇気がなかったので視ずに終わりました。
 私の母方の伯父(実家の長男)は大和に乗艦し沖縄への特攻で(菊水作戦)戦死しました。もちろん私は会ったことはなく、母の実家に飾ってある遺影でしか伯父をしりません。小さい頃に何度か母から伯父について話をきいたことがあります。伯父は主砲の砲弾(直径46センチ)を弾薬庫から砲塔へ運ぶのが任務だったようです。普段の仕事では主砲の砲身の中に入り掃除などもしていたようです。下関の関門海峡が一望に見下ろせる火の山公園に大和の砲弾が飾ってあります。両親が下関に来たときに、二人を火の山公園に連れて行き「これが大和の主砲の弾(たま)だよ」と話すと「こんな大きなものを運んでいたら助かるわけないよね」と母がポツリと言ったのが印象的でした。
 出撃の前に一度伯父は里帰りに帰ってきたそうです。ちょうど村のお祭りの日で(昭和19年11月頃だと思われます)多くの親戚の人が実家に来ていたそうです。親戚の人が伯父に「今度はいつ帰ってこれるのかね」とたずねると「さあ」とこたえたそうです。里帰りといっても1日だけで、朝帰ってきて夕方にはもう基地に帰っていったそうです。あとで調べてみると遺髪と爪をそっと残していかれたそうです。
 今から思うと、母は生前大和に関するテレビ番組をあまり見たがらなかったような気がします。太平洋戦争後すでに60年以上経ちますが、家族にとっては昨日起きたことと何らかわりのないことではないでしょうか。幸運にも日本はその間平和で経済的にも豊かになりました。しかしそれは何の努力も無くつかむことができたのではないと思います。そこには忘れてはならない歴史があります。
「こんな日本にするために我々は死んでいったのではない」と言われないようにする為にも、平和を守るために一人ひとりが日本の将来にもっと関心を持たなければならないと思います。
皆さん、昨日の選挙は投票されましたか?
 
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