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新型共通テスト 「ゆとり」思想の再来

2018年01月16日 08時43分01秒 | 教育・研究
初めに申し上げますが、「ゆとり」教育が悪かったとは言いません。


「ゆとり」教育と呼ばれた理念は、学力の基礎・基本を大切にしながら、
子ども達の活動を重視していこうという考え方です。決して悪くはない
はずです。


しかし、実際には基礎・基本ができていない現実、たとえば「分数が
できない大学生」というような問題提起が話題になって、いろいろな
問題があたかも「ゆとり」教育にあるかのような話になり、


2000年代に入って、知識なども大切にすべきだという言い方で
「ゆとり」放棄になったのです。


「ゆとり」の理念の真骨頂は、「考える力」の重視にあったわけです。


それが、「ゆとり世代」というような、少し負の意味をこめた言葉で
批判されるようになり、「ゆとり」で示された理念自体が否定された
面があります。(「ゆとり世代」という括り方には反対ですが、ここは
本題からそれるので、それは別の機会に)


ところが、「考える力」などというのは、放棄したかのように見えた
「ゆとり」的な見方が再び出てきているわけです。実にわずかな
時間のうちに、そこに回帰しています。


教育行政は、しばしば「猫の目」と言われますが、迷走していると
言われてもいい状況だと思います。


性質が悪いのは、「考える力」を全国一斉のテストで見ようと
する点です。今後、何度もこの点を私は書くと思いますが、
全国一斉のテストで「考える力」を見るのは難しいです。


前回の記事でも書きましたが、もしそういうことをするなら、
国公立大学の二次試験や私立の独自試験でやればいいのです。


共通テストは基礎を見るためのものですし、全国の人が参加する
ようなものだからこそ、コンピュータを利用し、簡単に採点できる
ようにしているわけです。


何となく合点がいくのは、こういうことを考えている文部科学省の
官僚自体、公務員試験で合格しています。彼らは「数的推理」などを
受験しているから、それで「考える力」を測ることができていると
考えているのだろうということです。


でも、どうでしょうか。申し訳ないのですが、今の官僚の人達の
状況が良いと言えるのでしょうか。


これは皮肉になりますが、教育政策をくるくる変える、そして、
「考える力」を測るために物理的(時間・労力)に厳しいと
考えられる筆記試験を新型共通テストに入れる、そういう発想
自体、「考える力」が足らない役人の発想ではないでしょうか?


再度、言います。新型の共通テストは実施すべきではなく、
それは国公立の二次試験、私立の独自入試に任せる内容です。



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