金沢3日目。写真は、ホテル日航、最上階のレストランから。ど真ん中に、金沢城。
この町の歴史は、加賀一向一揆が「百姓の持ちたる国」を100年にわたって出現させ、戦国時代には、前田利家が日本一の大藩「102万石の城下町」を築き400年。
この500年の歴史が、間違いなく、今の金沢を作っていることを、3日間で見て歩きました。
人口をちょいと調べてみると、現在は46万人で、県庁所在地としては大きくないかもしれませんが、江戸時代には、江戸、大坂、京都、名古屋に次いで5番目の町。
それが、戦争で空襲に合わなかったということから、街並みが、江戸時代からそのまま残る金沢なのです。
今回、自治体学校で初日に利用した本多の森ホール。
加賀八家の本多政重の名をとってのホールだが、その本多政重は、徳川家康の重臣でよくドラマに登場する本多正信の二男。
その石高は、なんと5万石。この話、行きのタクシーの運転手さんから聞いたから、多分間違いない。
これって、「忠臣蔵」大好きの私の記憶では、赤穂藩主浅野内匠頭と同じなんですよね。
すご~。
そんな、金沢市、主要道路は別として、あらゆる町の道は、行き止まりあり、くねくねと曲がりくねる道多く、土塀に囲まれているところも多く、しかも細い。写真は寺町。
さすがは、武士の街。街じゅうが城下町なのである。
そして、いくつもの用水が、川から街中に引かれて、農業用水、生活用水として活用されている。
陽水の街。あっ、ちがった「用水の街」。
水と緑豊かないい街です。
また、来たいな。(^-^)/
ちなみに、レストランは、ランチの時間。私はコーヒーだけと思ってたので、遠慮しようとしたら、ホテル日航の方が気遣ってくれて、わざわざ窓際の席に案内してくれました。福岡から来たことを告げると、さらに、喜んでいただき、素敵な笑顔をいただきました。さらに、好きになった金沢なのでした。(^-^)/
この町の歴史は、加賀一向一揆が「百姓の持ちたる国」を100年にわたって出現させ、戦国時代には、前田利家が日本一の大藩「102万石の城下町」を築き400年。
この500年の歴史が、間違いなく、今の金沢を作っていることを、3日間で見て歩きました。
人口をちょいと調べてみると、現在は46万人で、県庁所在地としては大きくないかもしれませんが、江戸時代には、江戸、大坂、京都、名古屋に次いで5番目の町。
それが、戦争で空襲に合わなかったということから、街並みが、江戸時代からそのまま残る金沢なのです。
今回、自治体学校で初日に利用した本多の森ホール。
加賀八家の本多政重の名をとってのホールだが、その本多政重は、徳川家康の重臣でよくドラマに登場する本多正信の二男。
その石高は、なんと5万石。この話、行きのタクシーの運転手さんから聞いたから、多分間違いない。
これって、「忠臣蔵」大好きの私の記憶では、赤穂藩主浅野内匠頭と同じなんですよね。
すご~。
そんな、金沢市、主要道路は別として、あらゆる町の道は、行き止まりあり、くねくねと曲がりくねる道多く、土塀に囲まれているところも多く、しかも細い。写真は寺町。
さすがは、武士の街。街じゅうが城下町なのである。
そして、いくつもの用水が、川から街中に引かれて、農業用水、生活用水として活用されている。
陽水の街。あっ、ちがった「用水の街」。
水と緑豊かないい街です。
また、来たいな。(^-^)/
ちなみに、レストランは、ランチの時間。私はコーヒーだけと思ってたので、遠慮しようとしたら、ホテル日航の方が気遣ってくれて、わざわざ窓際の席に案内してくれました。福岡から来たことを告げると、さらに、喜んでいただき、素敵な笑顔をいただきました。さらに、好きになった金沢なのでした。(^-^)/
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