京都の街並みの話の続き。ど真ん中にあるはずの朱雀大路の一番南の街の入り口には、羅城門があったという事は知ってたし、芥川龍之介の「羅生門」も平安京の衰退していく様を描き出していて黒澤映画でもお馴染みですね。観光地図に、「羅城門遺址碑」と書いてあるのを確認し、現場に行ってみました。ただの公園でした。しかも、北に向かって道路らしきものは全くありません。周辺を歩き回りましたが、平安京にして最大のど真ん中の大通りの痕跡を、私は見つけだせませんでした。
当時、羅城門にあったはずの毘沙門天像が、現在は東寺にあることからも、都の入り口の役目は、東寺がになったということなのでしょうか?
当時、羅城門にあったはずの毘沙門天像が、現在は東寺にあることからも、都の入り口の役目は、東寺がになったということなのでしょうか?
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