前回のブログの最後で、今週末も‘文化財巡り’を画策中と書きましたが、心配していた天気も今日1日は、良い天気のよう(明日は、西日本は雨模様っぽいですね)だったので、早速、早朝から‘文化財巡り’に行って参りました。
行って来ましたのは三重県でして、まず最初に訪れたのは、三重県津市にあり、天然記念物に指定されています椋本の大ムク(上記写真参照)です。
現地の説明板によると、樹齢は1,500年、日本で2番目の大きさのムクノキだそうで、新日本名木100選にも選ばれているんですが、現在でも十分な迫力の太さを誇る巨樹であるにも関わらず、かつては、もっと大きかったそうで、明治3年(1870年)の暴風雨で巨枝が折れてしまい、今でもその部分が痛ましく残っています。
また、この大ムクがある場所は‘椋本’という地名ですが、平安時代初期、嵯峨天皇(詳しくはインターネット等でお調べ下さい)の御代に、蝦夷征討で有名な征夷大将軍、坂上田村麻呂(この方も詳しくはインターネット等でお調べ下さい)の家来であった野添大膳父子が伊勢路を流浪し、この地に逃れて来た時に、このムクノキを見つけ、その下に草庵を作って住んだそうで、その事が‘椋本’という地名の発祥になっているそうです。
この言い伝えが本当であるとするならば、樹齢が1,500年と言われているので、平安時代初期というと800年代ですから、その当時既に樹齢が300年程あったわけで、その頃でもかなり立派なムクノキだったでしょうね。
かなり大事にされているムクノキなようで、こういった巨樹にはよくしてある注連縄は当然として、頑丈そうな支えがしてあったり、ムクノキの周囲には玉垣がしてあり、門には鍵までしてあって、直接は触れないようになっています・・・しかし、前の道に覆い被さるようにのびた巨樹には圧倒されっぱなしで、私も写真を撮りつつ、巨樹の雄姿を目に焼き付けていました。
さて、椋本の大ムクを後にして向かった先は、同じく三重県内の松阪市なんですが、どこの文化財を訪れたかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。
行って来ましたのは三重県でして、まず最初に訪れたのは、三重県津市にあり、天然記念物に指定されています椋本の大ムク(上記写真参照)です。
現地の説明板によると、樹齢は1,500年、日本で2番目の大きさのムクノキだそうで、新日本名木100選にも選ばれているんですが、現在でも十分な迫力の太さを誇る巨樹であるにも関わらず、かつては、もっと大きかったそうで、明治3年(1870年)の暴風雨で巨枝が折れてしまい、今でもその部分が痛ましく残っています。
また、この大ムクがある場所は‘椋本’という地名ですが、平安時代初期、嵯峨天皇(詳しくはインターネット等でお調べ下さい)の御代に、蝦夷征討で有名な征夷大将軍、坂上田村麻呂(この方も詳しくはインターネット等でお調べ下さい)の家来であった野添大膳父子が伊勢路を流浪し、この地に逃れて来た時に、このムクノキを見つけ、その下に草庵を作って住んだそうで、その事が‘椋本’という地名の発祥になっているそうです。
この言い伝えが本当であるとするならば、樹齢が1,500年と言われているので、平安時代初期というと800年代ですから、その当時既に樹齢が300年程あったわけで、その頃でもかなり立派なムクノキだったでしょうね。
かなり大事にされているムクノキなようで、こういった巨樹にはよくしてある注連縄は当然として、頑丈そうな支えがしてあったり、ムクノキの周囲には玉垣がしてあり、門には鍵までしてあって、直接は触れないようになっています・・・しかし、前の道に覆い被さるようにのびた巨樹には圧倒されっぱなしで、私も写真を撮りつつ、巨樹の雄姿を目に焼き付けていました。
さて、椋本の大ムクを後にして向かった先は、同じく三重県内の松阪市なんですが、どこの文化財を訪れたかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。