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本日は改姓なり!

うだうだな日記ですがどうぞよろしく

椋本の大ムク

2017-07-08 16:05:56 | 天然記念物
前回のブログの最後で、今週末も‘文化財巡り’を画策中と書きましたが、心配していた天気も今日1日は、良い天気のよう(明日は、西日本は雨模様っぽいですね)だったので、早速、早朝から‘文化財巡り’に行って参りました。
行って来ましたのは三重県でして、まず最初に訪れたのは、三重県津市にあり、天然記念物に指定されています椋本の大ムク(上記写真参照)です。
現地の説明板によると、樹齢は1,500年、日本で2番目の大きさのムクノキだそうで、新日本名木100選にも選ばれているんですが、現在でも十分な迫力の太さを誇る巨樹であるにも関わらず、かつては、もっと大きかったそうで、明治3年(1870年)の暴風雨で巨枝が折れてしまい、今でもその部分が痛ましく残っています。
また、この大ムクがある場所は‘椋本’という地名ですが、平安時代初期、嵯峨天皇(詳しくはインターネット等でお調べ下さい)の御代に、蝦夷征討で有名な征夷大将軍、坂上田村麻呂(この方も詳しくはインターネット等でお調べ下さい)の家来であった野添大膳父子が伊勢路を流浪し、この地に逃れて来た時に、このムクノキを見つけ、その下に草庵を作って住んだそうで、その事が‘椋本’という地名の発祥になっているそうです。
この言い伝えが本当であるとするならば、樹齢が1,500年と言われているので、平安時代初期というと800年代ですから、その当時既に樹齢が300年程あったわけで、その頃でもかなり立派なムクノキだったでしょうね。
かなり大事にされているムクノキなようで、こういった巨樹にはよくしてある注連縄は当然として、頑丈そうな支えがしてあったり、ムクノキの周囲には玉垣がしてあり、門には鍵までしてあって、直接は触れないようになっています・・・しかし、前の道に覆い被さるようにのびた巨樹には圧倒されっぱなしで、私も写真を撮りつつ、巨樹の雄姿を目に焼き付けていました。

さて、椋本の大ムクを後にして向かった先は、同じく三重県内の松阪市なんですが、どこの文化財を訪れたかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。

甘泉寺のコウヤマキ

2017-06-09 20:29:39 | 天然記念物
今回は前回からの続きで、望月家住宅を出て向かった先は、同じく新城市内にあります甘泉寺と言う寺院です。
私が寺院に向かったと言う事は、当然ながら‘文化財巡り’なわけなんですが、今回は表題にある通り、この寺院にあり国の天然記念物に指定されていますコウヤマキを見て参りました。
甘泉寺のコウヤマキは、コウヤマキとしては国内で1番の巨樹だそうで、樹齢は400年以上とも600年以上とも言われているそうです。
ただ、上記写真を見て頂いてもわかるように平成21年(2009年)に台風の被害を受け、木の上部がかなり欠損しているんですが、それでも、このコウヤマキの迫力は圧倒的で、木の頂上部分が葉に覆われていないからこそ、木の幹の部分がてっぺんまで一直線にそびえているような感じで、下から木を見上げながら感心してしまいました。
また、この甘泉寺は、戦国時代、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍が戦った長篠の戦いで、後世に名を残した鳥居強右衛門と言う武将の墓所があり、この武将についての詳細は、インターネット等で調べて頂くとして、私は個人的に、この武将の長篠の戦いでのエピソードが大好きで、天然記念物のコウヤマキと共に、鳥居強右衛門の墓所にも訪れる事が出来、大変、満足した‘文化財巡り’でした。
ま、しかしながら、今回訪れた2件の‘文化財巡り’ですが、どちらの文化財を見学している最中も私の他の見学者は1人もいなかったんですけどね。

遊龍松

2017-05-14 16:16:29 | 天然記念物
本日は日曜日でしたが、天気も良かったので近場での‘文化財巡り’に行って参りました。

行って来たのは、京都市西京区にあります善峯寺という寺院で、このお寺は西国三十三所の第二十番札所となっていて、西国三十三所の寺院は‘文化財巡り’等の関連で何ヶ所か訪れた事があり、‘文化財巡り’をしている身にとって、西国三十三所や四国八十八箇所の巡礼は、それなりに興味はあるんですが、以前、本ブログでも書いた事がありますように、まだ、私の年齢で西国三十三所等に挑戦したいという気にはなれないですね・・・私が、それほど信心深くないというのもありますが、それこそ、定年を迎えた後に‘文化財巡り’熱がまだ冷めていなければ、その時は挑戦したいと思っていますが。

さて、本題。

今回行った善峯寺には、国の重要文化財に指定されています多宝塔もあるんですが、今回の目的はその多宝塔の前にそれこそ地を這うように横たわって植わっていて、国の天然記念物に指定されています遊龍松と呼ばれる樹齢約600年の五葉松です。
全長が37mもあり、私も見て驚いたんですが、平成6年(1994年)に松食い虫の被害のために10m以上切られたそうで、元々は50m以上もあったそうです。
ただ、10mほど切られたとしてもその迫力は圧倒的で‘日本一の松’と呼ばれ、私も写真を何枚も撮りましたが、当然ながら遊龍松全体を1枚の写真におさめられるわけもなく、その姿を目に焼き付けながら感心していました。
この松を‘遊龍’と命名したのは、花山院家厚(安政4年(1858年)当時の前右大臣だそうですが、詳しくはインターネット等でお調べ下さい)と言う方だそうですが、この松を遊んでいる龍に見立てて、そう名付けられたのも納得と言った感じでしたね。

P.S. 本ブログを読んで頂いている方は、あれっ?と思われたかも知れませんが、本ブログのテンプレートを久しぶりに変更しました・・・当分は、これでいくと思うんですが、どんなもんでしょうかね。

二見の大ムク

2017-04-19 21:48:52 | 天然記念物
4月も半ばに入り、やっとこさ気温も暖かくなって来ましたので、先日の日曜日、大阪府外へ‘文化財巡り’に行って参りました。
とは言っても行って来たのは隣の県の奈良県で、五條市にあります‘二見の大ムク’という樹齢1,000年とも言われる国の天然記念物に指定されているムクノキを見て参りました。
樹高が15mほどもある立派なムクノキなんですが、元々は樹高が30mもあったそうで、1959年(昭和34年)に紀伊半島や東海地方に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風により、主幹が折れてしまい現在のような姿(上記写真参照)になっているそうです。
しかしながら、このムクノキ、何と民家の敷地内にあり、外から見る分には土塀越しにしか見る事が出来ず、私も家の前にあった空き地に車を停めて、外から写真を撮影したり、見上げたりしてた所、家の前に車が停まって、運転されていた女性が下りて来られたんですが、私はたいして気にも留めずムクノキを見ていたら、その女性の方がその民家の住人だったらしく‘中に入って御覧になりますか’と声を掛けて頂きまして、邸内の庭に入らせて頂き、敷地内から‘二見の大ムク’を拝見、撮影させて頂きました・・・インターネット上でも‘二見の大ムク’の写真は何枚か見ましたが、敷地内から撮影した写真はなかなかないんじゃないですかね。
思いもよらない幸運に、当然ながら、その方にお礼を言って、帰路に着いたんですが、木の迫力に感心した事もさる事ながら、非常に得したような気分になった今回の‘文化財巡り’でした。

妙国寺のソテツ

2017-04-11 22:13:14 | 天然記念物
先日の土日は、ぐずついたお天気で雨も降ったり止んだりだったんですが、4/1,2,8,9の4日間、大阪府堺市で春季堺文化財特別公開が開催されていたので、堺市へ行って参りました。
この堺文化財特別公開は、毎年、春と秋に開催されていまして、普段は公開されていないような所が公開されたりするんですが、今回、私が行って来たのは、堺市堺区にあります妙国寺という寺院です。
実は、この寺院は普段でも公開されているんですが、今回の特別公開時期は、ミニガイドツアーがあったりすると聞いたので、この機会に足を延ばした次第です。
この妙国寺は1562年に開山されたお寺なんですが、境内に樹齢1,100年を超えると言われるソテツありまして、国の天然記念物に指定されています。
当然ながら私はそれが目的で今回、訪れたんですが、このソテツには興味深い伝説がありまして、戦国時代に、かの織田信長がその当時から有名であった妙国寺のソテツを気に入り、安土城に移植したそうなんですが、このソテツが‘堺に帰りたい’と泣き声のような怪しい声を毎夜するようになり、その霊気が城中を悩ませたそうで、激怒した信長は部下に命じて、ソテツを切らせた所、切り口から鮮血が流れて大蛇が悶絶したように見えた事から、信長も戦慄し恐れおののいたそうで、早々に妙国寺に戻したという伝説があります。
今回、ガイドして下さった方の話によると、ソテツに風が当たると木の隙間から立てられる音が気味悪かったのではないかと言う事と、ソテツは鉄分が多いそうなので、切った時に鉄分を含んだ赤い色をした成分が、血に見えたのではないかと言う事でしたけどね。

さて、これで大阪府にある植物の国指定天然記念物は、全て見た事になると思うんですが、これからも機会がありましたら各地の天然記念物を見たいものですね。