本日は改姓なり!

うだうだな日記ですがどうぞよろしく

因島水軍城

2018-06-10 21:30:39 | 
今回も前回からの続きで、尾道市にあります向上寺を出て向かった先は、同じく尾道市内にあります因島水軍城です。
1983年(昭和58年)に建設された城郭風建築物で、施設内はこういった建築物にありがちな資料館になっているんですが、観光資料によると‘日本唯一の水軍城’が謳い文句になっているそうです。
ただ、和田竜(詳しい事はインターネット等でお調べ下さい)によるベストセラーとなりました歴史長編小説『村上海賊の娘』でも話題になりました海賊、村上水軍に少しでも興味のある方には、足を運んでみたい場所でしょうね。
かくいう私も、日本史には興味があるので、立ち寄ったわけなんですが、これまで知らなかった事等も展示してあって、それなりに楽しめましたけどね。

さて、因島水軍城を出た後は、この日の最後、同じく尾道市にあります文化財に向かったんですが、どこに向かったかは明日以降のブログにて紹介したいと思います。
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福山城

2018-06-04 20:21:25 | 
今回は前回からの続きで、福山市にあります明王院を出て向かった先は、同じく福山市内にあり、日本100名城にも選定されています福山城です。
徳川家康の従兄弟である水野勝成(両名共に詳しい事はインターネット等でお調べ下さい)が、1619年に備後福山藩の初代藩主となり、1622年に竣工したのが福山城なんですが、天守以外の建造物は、2014年3/29付けのブログで紹介した京都市伏見区にあります伏見城から移築した建造物が多かったそうで、それも1873年(明治6年)の廃城令によって、天守や筋鉄御門等、5棟のみが残される事になり、ほとんどの施設は取り壊されたり、民間に払い下げられたりしたそうです。
また、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)には、福山大空襲により、天守等も焼失し、現在の天守は、1966年(昭和41年)に福山市の市政50周年記念事業として、月見櫓や御湯殿と共に復原され、これまで本ブログで紹介しました復興天守と同様、中は博物館になっています。
現在、建築当時の遺構として残っているのは、伏見櫓と筋鉄御門で、国の重要文化財に指定されているんですが、どちらも堂々とした建造物で、伏見城の遺構としても大変、貴重なんだそうです。
しかしながら、これは完全に個人的な感想ですが、城というのは良いもので、天守のない城も良いですが、やはり天守があると、それが復興した天守だとしても、心踊るというか、天守最上階の展望台からの周りの景色を堪能しながら、建築当時に思いを馳せていました。

さて、福山城を出た後は、同じく福山市内にあります文化財に向かったんですが、どこに向かったかは明日以降のブログにて紹介したいと思います。
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池田城

2018-02-28 21:53:43 | 
先日の日曜日、まだまだ寒い日が続きますので、遠出はしませんでしたが、近場での‘文化財巡り’に行って参りました。
行って来たのは、大阪府池田市にあります池田城でして、現在は池田城跡公園として整備されていて、平成12年(2000年)に、櫓風の模擬天守(上記写真参照)や、門が建てられ、憩いの場となっているようで、私が訪れた際も、家族連れの方や、散歩等で来られている方が何人かいらっしゃいました。
元々の城は、いつ築かれたのかは定かではないらしいですが、南北朝時代には‘池田城’という城は存在していたのではないかと言われており、ただ、その当時の‘池田城’が現在の地にあったかどうかは疑問の残るところらしいです。
現在の城跡公園の地に、池田城が築城されたのは室町時代だそうで、小規模な城だったそうですが、戦国時代の永禄11年(1568年)に、当時の城主であった池田勝正(この後出てくる武将等も詳しくはインターネット等でお調べ下さい)が織田信長に攻められ、落城した後、家臣となり、その時に池田城も大規模な拡張を行ったそうです。
その後、池田勝正は、重臣であった荒木村重に追放され、その荒木村重も織田信長に忠誠を誓った後、謀反を起こしたりしたんですが、結局、天正8年(1580年)に織田信長の命により、池田城は廃城となります。
戦国時代に、畿内の時の権力者達によって、色々と翻弄された城で、日本史好きの私としては、城自体は、立派な天守や、櫓等が残っていないとは言え、なかなか興味深かった城で、一度足を運んでみたいと思っていたので、この地で起こったであろう出来事を考えると感慨深かったですね。

さて、この日は、池田城を出た後、もう1件、自宅から車で30分もかからない場所に立ち寄ったんですが、その場所については、明日以降のブログにて紹介したいと思います。
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伏見お城まつり

2017-12-01 21:56:40 | 
今回は前回からの続きで、三重県伊賀市を後にして向かった先は、京都市伏見区にあります伏見城です。
2014年3/29付けのブログでも紹介していて私が行くのは2度目だったんですが、当日は‘伏見お城まつり’というイベントが開催されていまして、現在は非公開になっています天守の内部にも入場できると聞いたので足を運んだ次第です。
今回で4回目となるそうなんですが、当日はかなりの人出で、私はもちろんマイカーで行ったんですが、伏見城の駐車場に入るまでの道路は車の列が出来ていまして、結局、駐車場に入るまで30分以上かかりましたからね。
前回、紹介した時にも書きましたが、伏見城は耐震基準の関係で、非公開となっているんですが、今回のイベントでも入場できたのは1階の玄関部分だけで、それでも個人的には、これまで外からしか見る事の出来なかった天守に入る事が出来たのはありがたかったですけどね。
しかしながら、これも前回紹介した時に書いたんですが、京都市民の要望によって保存が決まり、京都市に譲渡されているので、耐震費用が数億円かかると言えど、改修した後、入場料をとって、京都市の数ある観光地の1つとして紹介すれば、それこそ旅行のツアーに組み込まれたりして、十分に観光客を誘致できる気がするんですけど・・・ま、個人的には、いち早くそういった対策をして頂いて、いつかは天守の最上部からの眺めを堪能させて頂きたいなと思っています。
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徳島城

2017-10-03 20:15:25 | 
今回も前回からの続きで、名西郡石井町にあります田中家住宅を出て向かった先は、徳島市にあり、日本100名城にも選定されています徳島城です。
実は、未見の城を訪れるのは、2015年9/14付けのブログ‘吉野川’で紹介した洲本城以来でして、それこそちょうど2年ぶりくらいの新規の城訪問となりました。
1585年、徳島藩の藩祖である蜂須賀家政(詳しくはインターネット等でお調べ下さい)によって築城された徳島城は、江戸時代を通じて蜂須賀家の居城となり、明治維新を迎えます。
多くの城と同様、明治維新後の廃城令によって、ほとんどの建造物が撤去され、唯一、現存していた城門である鷲之門も、1945年(昭和20年)7/4の徳島大空襲により焼失しましたが、1989年(平成元年)に鷲之門は復元(上記写真参照)されています。
しかしながら、石垣はかなり現存しているのと、国の名勝に指定され、千秋閣庭園とも呼ばれている旧徳島城表御殿庭園が見事で、ここではかなりの写真を撮影したのと、その景色を目に焼き付けてきました。
また、旧徳島城表御殿庭園の隣には徳島市立徳島城博物館があり、徳島藩や蜂須賀家に関する歴史資料等が多く展示されていました。
上記で書いたように久しぶりの城訪問となったわけですが、やはり日本の城と言うのは、たとえ天守や櫓等がない城であっても良いものですね・・・しかも、四国には名城と呼ばれる城が数多くありますので、いつか巡ってみたいものです。
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