本日は改姓なり!

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第68回正倉院展

2016-10-31 20:02:05 | 展覧会
先日、奈良市の奈良国立博物館で開催されています正倉院展に父と共に行って参りました。
昨年は、1人で出掛けたんですが、今年は父の都合もちょうど合いまして、しかも個人的には今年で10年連続、正倉院展には足を運んだ事になります。
また、今年は珍しく私達が行く前に母が友人に誘われて、一足先に正倉院展に行っていて、感想を聞くとかなり良かったと言っていました。
今回の正倉院展の目玉は、漆胡瓶と呼ばれるペルシア風の水差しで、黒漆で塗られた下地の上に鮮やかな文様が描かれ、さすがにこの宝物の周りにはかなりの人だかりが出来ていました。
一足先に行っていた母のお気に入りは、大幡残欠と呼ばれる大型の染織幡で、聖武天皇(詳しくはインターネット等でお調べ下さい)の一周忌の法会の場を飾ったものらしく、今から1,200年以上前に使われたものですが、一部しか残ってないとは言え、それでもかなりの大きさで、当時は非常に色鮮やかで、豪華な幡だっただろうと思われます。
私が個人的に目を惹かれたのは、撥鏤飛鳥形と呼ばれる3cm程の鳥をかたどった象牙を用いた飾りで、これには父も感嘆したようで、私も小さい飾りをガラス越しにまじまじと見つめていました。
あと、展示物の中に、日本史で習った事はあっても、実物をこれまで見た事がなかった日本で最初の流通貨幣である‘和同開珎’が展示してあって、思わず‘おお~’と唸ってしまいました。

正倉院展は、間違いなく来年からも行くとは思うんですが、来年以降、どのような貴重な宝物に出会えるか楽しみですね。

南丹

2016-10-29 22:19:52 | 重要文化財
先日、毎度お馴染み‘○○巡り’にまたもや行って来まして、今回行って来たのは、京都府の丹波地域で、俗に南丹(亀岡市、南丹市、船井郡京丹波町の3市町ですね)と呼ばれる地域に足を運んで来ました。
まず、最初に訪れたのが、南丹市にあります石田家住宅(上記写真参照)で、重要文化財に指定されている住宅なんですが、昭和48年に解体修理が行われた際に墨書が発見され、その墨書により建立年代が確定し、現在、建立年代が明らかな民家としては日本最古の住宅なんだそうです。
石田家は、庄屋を務めた家柄だそうですが、住宅自体はそれほど大きいものではなく、現在も石田家の方が個人で管理されています。
これまで見てきた民家と比べて、個人的に大きな違いがあるようには思えません(何度も書いていますが、私は建築に関してど素人です)でしたが、次に訪れる民家共々、この地域の民家は茅葺きの屋根が他の地域よりも低い感じはしましたね。
ただ、さすがに建立年代のわかる民家としては日本最古の住宅らしく、古さという意味では、重みを感じる住宅ではありましたけど。
石田家住宅を出て、次に向かったのは、船井郡京丹波町にあります渡邊家住宅で、この住宅も重要文化財に指定され、上記の石田家住宅同様、この住宅も渡邊家の方が個人で所有されているため、見学には事前に連絡が必要と言う事で、当日に電話したため、ひょっとしたら見せてもらえないかもなと思ったんですが、こころよく‘どうぞどうぞ、お待ちしております’と言われたので、行って参りました。
渡邊家住宅も茅葺きの民家で、建築年代は不明なんですが、かなり古いらしく、しかも、ほとんど修理の手が加えられていないそうで、ただ、渡邊家の方が説明して下さったんですが、かなり高齢の方だったため、同じ事を繰り返し繰り返し話されたのは少々、困りものでしたけど。
また、これは石田家住宅の説明書きにも書いてあり、渡邊家の方も仰っていたんですが、個人で重要文化財指定の建造物を所有すると、住宅自体を勝手に修理したりする事は出来なくなるんですが、国から補助金が出て、個人負担はほとんどないものだと思っていましたら、結構な負担があるらしく、文化財指定を受けたため、整えなければならない設備もいるらしく、それの維持費等も大変との事でした。
私は、こういった文化財指定の建造物に行くと必ず説明書きの有無を確認するんですが、渡邊家住宅では上記のような話もあり、料金をとると税金の問題も出てくるので、説明書きも作っていないとの事でした。
個人で文化財を所有する事がいかに大変かという事で、近年はその個人負担を払っていけない方も多く、そういった方が文化財を国や自治体に寄贈するケースが非常に多いそうです。

今回は、貴重な古い民家を見る事が出来たのと、普段は聞けないようなお話も聞けたので、なかなか有意義な‘○○巡り’でした。

旧太田脇本陣林家住宅

2016-10-25 22:30:26 | 重要文化財
前回のブログは、個人的にショックの強かった訃報がありましたので、その事について書きましたが、今回は、前々回の岐阜県の‘○○巡り’の続きを書いていこうと思います。

小坂家住宅を出て向かった先は、美濃加茂市にあります旧太田脇本陣林家住宅で、主屋、隠居家、表門や蔵を含め5棟が重要文化財に指定されていまして、その名の通り江戸時代には、中山道の51番目の宿場である太田宿の脇本陣となっていました。
隠居家は一般公開されているんですが、主屋は現在も住宅として使用されているため、通常は公開されていません。
ただ、私が訪れた時は、太田宿の中山道まつりというイベントが開催されていまして、主屋が特別に公開されるというので、当然ながらそれを狙って足を運んできた次第です。
林家は、脇本陣の他にも村の庄屋や、太田宿が尾張藩の藩領であったため、尾張藩の勘定所の御用達も務め、他にも質屋、味噌醤油等の製造販売も営んでいたらしく、現在も十分に広大な敷地ですが、往時には、今よりももっと壮大な構えだったらしく、いかに林家が権威があったのかがわかります。
脇本陣として機能していた住宅だけあって、住宅の中も、林家の方が使用する住居部分と、脇本陣として武士等が使う座敷等は、はっきりと区別され、仕切られていて、当時、身分が高かった武士(士農工商という身分制度ですね)等が出入りする門や式台は別に設けられています。
住宅の案内をされていた説明員の方に聞いたんですが、上記に書いたように商家としての一面もあった林家なので、敷地内で製造販売した品物は、すぐ近くを流れている木曽川(当時は川に隣接するような形で林家の敷地があったんじゃないかと思われます)を通って、品物を運んでいたそうです。
あと、この住宅の有名なエピソードとして、自由民権運動の主導者として有名な板垣退助(詳しい事はインターネット等でお調べ下さい)の話がありまして、板垣退助と言えば岐阜県で遊説中、暴漢に襲われ‘板垣死すとも自由は死せず’の由来となった言葉を言ったと言われていますが、その事件の前日に宿泊していた宿が、この林家住宅だったそうです。
10/4付けのブログ‘有川家住宅’でも書きましたが、今回訪れた商家町や宿場町で、昔の雰囲気を未だに残している街並みというのは本当にいいものですね。

ミスターラグビー

2016-10-20 20:58:10 | スポーツ
今日はブログを書く予定ではなかったんですが、個人的に耳を疑うようなニュースがあったもので、その事について書いていこうと思います。

ラグビーの元日本代表選手で現役時代は主将も務め、史上最年少で日本代表の監督も務められた‘ミスターラグビー’こと平尾誠二氏が、今日午前お亡くなりになったそうです。
伏見工業高校時代は、3年生の時に全国高校選手権大会で優勝、同志社大学に進学し、史上初の大学選手権3連覇を達成し、イギリスに留学の後、神戸製鋼所に入社され、日本選手権7連覇という偉業を成し遂げられています。
その間にも史上最年少で、日本代表に選出されるなど、変幻自在で卓越したプレーは未だに私の目に焼き付いています。
私が住んでいる場所はラグビーの‘メッカ’であります花園ラグビー場から、車で15分もかからないほどの場所で、父母共にラグビー観戦が好きだった事から、私も幼い頃からラグビーというスポーツは身近にあり、ラグビーを好きになっていったきっかけの1つは、当時、非常に強かった神戸製鋼というチームと、その中心選手でありプレーも格好良かった平尾誠二氏に魅了されたからです。
冬のラグビーシーズンになるとテレビ観戦はもちろんの事、花園ラグビー場に家族で足を運んだ事も多く、当然ながら平尾選手がプレーされているのも間近で見ていますし、スタンドで観戦されているのを見た事もあります。
ここ最近、お見かけしなくなったとは思っていましたが、闘病生活を送っていらしたとは全く知らず、今日のニュースを見て驚いてしまいました・・・これからまだまだ、日本ラグビー界の発展に欠かせない人物だったでしょうに残念でなりませんね。
しかも、3年後には日本でラグビーワールドカップが開催されるというのに、53歳という若さの早すぎる死は、あまりにも惜しいです。

心よりご冥福をお祈り致します。

小坂家住宅

2016-10-19 21:29:29 | 重要文化財
先日の日曜日、またもや毎度お馴染み‘○○巡り’に行って参りました。
行って来たのは、岐阜県美濃市にあり重要文化財に指定されています小坂家住宅で、造り酒屋を営んでいて、現在も営業されています。
小坂家住宅がある美濃市の美濃町という地区は‘うだつのあがる街並み’と呼ばれる商家町で、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定され、美濃和紙の生産地として現在も和紙問屋のたたずまいを残しており、非常に雰囲気のある街並みとなっています。
小坂家住宅は、その‘うだつのあがる街並み’の中で唯一、重要文化財に指定されている建造物で、紙問屋が多い地区にあって、珍しく江戸時代から続く造り酒屋だそうですが‘むくり屋根’と呼ばれる特徴的な屋根になっていまして、その美しい屋根は美濃町の中でも他に比べるものがない見事さです。
現在も、店舗として現役で使われているので、座敷等に上がったりする事は出来ませんでしたが、店の中や、店の奥にあります蔵等は見学する事が出来、店の正面を撮影した上記写真では、それほど広く感じないかも知れませんが、奥行きがかなりある住宅で、さすがは造り酒屋だけの事はあると思いましたね。
本ブログを読んでおられる方で、私の事をよく知る方なら、私が日本酒好きというのはご存知だと思うんですが、造り酒屋に行って、私が日本酒を買って来ないわけがなく、お店の人におすすめしてもらった日本酒を買って来ました。
お店の人に‘帰宅してから飲むのを楽しみにします’と言うと、笑顔で見送って下さったんですが、日本酒を買って来たのが日曜日という事もあって、翌日の出勤に差し支えると思い、実はまだ飲んでいないんですよね・・・ま、次の休みには飲もうとは思っているんですけど。

さて、この日は小坂家住宅を出た後、もう1件、岐阜県内の重要文化財に指定されている建造物を巡ったんですが、どこへ向かったかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。