では前記事の続きで、獅子舞の展示物を左に置いて右に
この様に入り口があるので入って行きます
ここが登別市文化伝承館に当るみたいですね 入ってすぐ左壁側
右は何もなく体験学習室になってる様です。 画像右奥へ進みます
入って左に
その右側に温泉誕生秘話
左側
正面
その中の
続き右側
カルルス温泉の名の由来場所
左下の詳細
似た泉質であったことから、カルルス温泉と名付けられた。
右側
見えるかなぁ~ この中の詳細左側
明治天皇は開拓時に結構デッカイドウに着てるみたいで、あちゃこちゃ
に碑があります。 右側
右壁側
この中の左側詳細 獅子舞の行事がある神社
右側ここら辺の住所も片倉で、片倉家と白石家が登別開拓者
日野は登別温泉開湯者
http://www.noboribetsu-spa.jp/?page_id=10252&lang=ja
真ん中展示物
特別展示室は以上となり、この城「風」の入り口から右の階段で
2・3階を観に行きます
まず2階登り詰めると・・・
正面と左にも兜
正面右に
開拓に、片倉家(仙台藩白石城主)と白石藩家臣が着てます
左入って右壁側
入って正面
入って左側
左壁側(階段の壁)
左側フロアは
この詳細の後ろ左側から
このフロア階段後ろに
上に写真があった
きっと片倉・黒澤・白石氏でしょうか・・・ (ちゃんと見て無い)
この壁左には
陽天丸と言うお船が
幌別沖に陽天丸(7,100t)座礁沈没、乗組員の救助に当たる
この方は、アイヌの研究家、アイヌの父と呼ばれた方らしい。
日本のアイヌ文化研究の重要な研究者の一人であるとされている。
階段を上り、途中の壁
更に登り、途中の右壁
登り切ったら左に折れて
3階はまだ勉強してないアイヌのお部屋
入って真正面
左側
画像左壁側
その下部分
入って真正面にあった知里 真志保(ちり ましほ)
アイヌの言語学者で東京大学での指導教授は国語辞典のあの
金田一京助だそうな
このフロア入って左壁に居たのがアイヌ人の金成(かんなり)マツで、
その方の金成マツノートを作成した机
ユーカラをラテン文字表記で約100冊のノートに書き綴ったもの
を、金田一京助や萱野茂が翻訳していた。2007年、半分以上が
手付かずのまま北海道教育委員会は「一定の成果が出た」として
翻訳を終了した。
2階で紹介したジョン・バチェラーによって設立された函館の
愛憐学校に入学
アイヌ女性。正しい和名は金成 广知(まち)。アイヌ名はイメカヌ
または、イメカノ。ユーカラの伝承者として高名である。
※ ユーカラは、アイヌ民族に伝わる叙事詩の総称。
アイヌに関してはほんとあっしわからんちんなので、記事作成に
苦労した・・・
次回はこの後に行ったダムや帰り道に寄った所のご紹介です
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だが・・・天候が悪くなる予報なので、どうしてることやら・・・
降っても倉庫でやれるので中止にはなりません
楽しんでるかなぁ~・・・ 皆さんもど~かなぁ~・・・