北海道言友会 公式ブログ

吃音者(どもる人)でつくるセルフ・ヘルプ・グループ 北海道言友会

11月9日(土)のマンデーナイト吃音カフェ報告 ~吃音だけではないという苦しさも~

2015-11-10 23:53:32 | 活動報告
 今週のマンデーナイト吃音カフェは女性お二人がお客様として来てくださいました。毎度ありがとうございます。
 今回のコーヒーは「パナマ・エリダ/ナチュラル」というコーヒーでした。パナマのエリダ農園が生産したコーヒーですが、熟した豆をさっさと水で洗って裸にするのではなく、コーヒーチェリーの果肉をつけたまま乾燥させたものです。それから果肉部分を取り除いて豆にします。こうするとコーヒーチェリーの塾生した果実香が豆に着くようです。それが私にはワインのような香りに感じられたのだと思います。この香りを逃さないように手挽きでゆっくりと粉にします。そして間髪入れずにペーパーフィルターで淹れました。コーヒーと言うよりも万塾した果実の持つ豊かな香りが鼻腔を満たします。温度が下がるとその豆の素顔を見えてくることがあります。この豆も例外ではない様です。味が落ち着き、鮮やかな酸味が口の中に広がるのです。苦み一辺倒のものとは一味も二味も違います。本当にコーヒーの味と香りって神秘的ですね。
 さて、今回の話題は吃音と吃音以外の悩みが複合的に私達を苦しめることがあるということでした。私達は吃音があるとそれ以外のものを見なくなる傾向があるようです。「全てを吃音のせいにしてしまう」と非難されるのはそういう点を突いているのだと思います。
 人の話が聞けない(ドキッ)、自分の事だけを話す(ヒャーッ)、この方法で吃音は良くなる(ギクッ)。精神的な病気で苦しんでいる方もいます。身体の病気で苦しんでいる方もいます。身体の麻痺を伴っている方もいます。「吃音」だけをクローズアップして他の病気や障害、生きにくさを無視しては、本当に必要な支援は実現しないと思います。その人の希望、性格、考え方の特徴、吃音に関する知識、得られる支援、足りない支援等々。一人の人を支援するということは、実はそうそう簡単な話ではないように感じるのです。ですから「吃音は治らないから話す指導は無駄だ。」と言ってのけたり「吃音はこの方法で治る」と言い切ってしまったりというのはどうも信用できないような気持になってしまうのです。言語聴覚士の方も、医師も、ことばの教室の先生も、臨床心理士の方々も、そして勿論当事者が一番大事にして頂きたいのは、「人」だと思います。「パーソン・センタード」という考え方はここでも大事なことですね。
 少しお疲れ気味のお二人にはお早いご帰宅を促させて頂きました。「どうぞ、ご自愛ください」っていいことばですよね。年齢を重ねて来てその意味が解るような気がしてきました。
 さあ、来週はまたどのような話題、どのようなコーヒー、紅茶に出会うでしょうか。みなさまのお越しをお待ちしてます。(とど)
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