KISSYのひとりごと

日々感じたこと、ドライブ日記やDVDのレビューなど…徒然なるままに綴っています。

女信長

2013-04-15 21:51:37 | 映画・ドラマ

 ネタバレありなので、オンデマンド視聴を予定されている方は、お読みにならないでください。

 録画してあった「女信長」(フジテレビ系、4月5日・6日放送。原作は佐藤賢一)を観ました。タイトルが示すとおり、「織田信長が女性だった」という奇抜なストーリーなのですが、それだけに物語に引きこまれました。「女信長」を演じたのは、天海祐希さん。宝塚歌劇団・月組で男役のトップスターをつとめただけあって、凛とした演技は、さすがです^^

 「歴史IFモノ」は、史実と異ならざるを得ないのですが、史実(とされる)場面と「伝説」とされる場面が、うまく融合し、「歴史ファン」でも十分楽しめる作品に仕上がっているのは、原作、脚本とともに出演者のみなさんの演技のたまものでしょう。

----------ここから本編。ネタバレありです----------

 尾張の小大名・織田信秀の正室・土田御前が産んだのは姫さまでした。側室の子が家督を継ぐことを屈辱と考えた土田御前は姫を男と偽って育てることを決意します。「女信長」の誕生です。

 織田家に嫡男・信長が誕生したことが世に知れ渡ったころ、父・信秀は信長が女だと知り斬り殺そうとします。「織田家の跡取りが女だと知れたら末代までの恥」と考えたからです。しかし土田御前の説得により、信秀は信長を男として織田家の総領にするという決断をしたのでした。

 実の両親の決断は、信長本人にとっては大迷惑な話です。妹のお市は姫として可愛がられているのに、なぜ自分は男として生きなければならないのか・・・。しかし幼い信長は、あわれな運命から解き放たれる日が来ると信じることしかできませんでした。初陣の後、信長は、「戦は嫌いだ」「女として生きたい」と父・信秀に訴えます。しかし信秀は「織田家の総領として生きるのが天命だ」と男として生きることを強要します。女性として生きたいと願いながらそれが叶わないという葛藤が、「うつけ者」と言われる言動につながっていくという設定もうまいですね。

 さて、信長の産みの親である土田御前は、信長よりも信長の弟・信行を可愛がっていたという話が「史実」として伝えられています。物語では、この「史実」は、「女」である信長よりも、「男」である信行こそ織田家の跡取りに相応しいと考えたからだという設定です。うむ、なるほど。

 そして、守り役の平手政秀の死。「史実」では、政秀の死によって、「うつけ者」から真の織田家総領となったとも言われていますが、ドラマでは政秀の遺書を読んだ信長が、「女である信長に戦のない太平の世をつくるという夢を託したい」という父・信秀の遺志を知り、「太平の世」をつくるために織田家の総領となる決意をすると描かれています。なかなかうまい。

 しかし家督をついでから30年余、信長に待っていたのは、「太平の世」どころか戦につぐ戦の連続でした。そして本能寺の変が起こります。このとき信長が女性だと知っていたのは、正室の濃姫、妹の市姫をのぞけば明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康の3人です(ドラマでは、この瞬間は家康が「女信長」だと知っていたとは描かれていません。本能寺の変の後、それが明らかになります)。

 「天下人」への野心を抱く秀吉は「信長が女である」ことを理由に「天下人」の地位を自分に譲れと信長を脅します。一方、信長が自らの後継者と考えていた光秀は信長の申し出を固辞、家康との会見を繰り返します。このあたりは本能寺の変に徳川家康も関わっていたという「伝説」がうまく使われています。

 さて、「天下人」の地位を譲ってもらえなかった秀吉は、信長への挙兵を決断します。それは本能寺の変の前におこなわれました。「史実」では本能寺の変の後、いわゆる「中国の大返し」で謀反人・光秀を討ったとされていますが、この「強行軍」が可能だったのは、本能寺の変の前に秀吉軍が京に向かっていたから・・・なるほどなるほど。

 しかし、ドラマでも本能寺を襲ったのは秀吉軍ではなく光秀軍でした。なぜ光秀が本能寺を襲ったのか。その本当の理由がわかったとき、少しホロリときました。そして「信長生存説」「光秀生存説」もうまく生かされたエンディングへと物語りはすすんでいきます。

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