皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

板倉 高鳥天満宮

2019-07-11 20:15:21 | 神社と歴史

 上州板倉智恵付け天神と名高い高鳥天満宮。御祭神は菅原道真公。

延喜元年(901年)菅原道真公が九州大宰府に左遷となった時、菅公に長く仕えていた岩下勝之丞が随行を願い出たが許されず、代わりに「これを私だと思って仕えなさい」と自画像を下賜される。勝之丞は泣く泣く随行をあきらめ、その御尊躰画像を本国である出羽の国に持ち帰り、末永く守護したという。

 文暦元年(1234)勝之丞の後裔岩下勝之進が祖先の恩を感謝しようと画像を伴って京都北野天満宮参拝の折、板倉の地に至り宿を求めると、その晩鳥が飛来してやまないこの地に私を祀りなさいと菅原道真公が枕元に立ったことから、その夢に従ってこの地に天満宮をお祀りしたという。

境内地裏の天神の滝。この滝で身を清めた岩下勝之進の夢枕に道真公が立ったことから、天神の滝といい、また夢が叶うとされる「夢見の滝」とも称される。

更にその先は天神池が広がっており、天満宮の境内を囲むように広がっている。大変良く整備された環境で水の町板倉の象徴のような景観が見られる。

道真公は承和十二年(846)乙丑(きのとうし)年生まれとされ、天神様と牛に纏わる説話は数多く残っている。大宰府に行く途中牛によって待ち伏せの賊を逃れたり、また道真公が亡くなった際、亡骸を運ぶ途中牛車が動かなくなったところが安楽寺(大宰府)に始まりだったといわれている。学問の神として信仰が深まったのは江戸期からで、平安当初は天神様は農耕の神としての御神徳が厚かった。

現在「願掛けなで牛」として牛の像をお持ち帰り、願えが叶えば返納するという。

合格祈願の奉納者の名前が数多く記されている。

吉田松陰の肖像画


板倉町郷土資料館には吉田松陰がこの地を通った資料が展示されている。

長州藩士、吉田松陰は文政十三年(1830)生まれ。「安政の大獄」で斬首刑に処せられているが、明治維新の精神的指導者とされ、多くの人材を育てている。嘉永六年(1853)ペリー来航の前に江戸湾防衛の脆弱さを指摘し、なおかつ江戸湾のみならず、北からのロシア南下にも備える必要性を説きながら、北の防衛を点検すべく、旅に出たといわれている。松陰自身21歳の時萩を発ち、九州、中国、東海道、北陸道、東北道と徒歩で廻っている。途中館林から板倉を通り谷田川を船で渡って高鳥天満宮の参道を通って利根川堤防を下って行ったことが「東北道遊日記」に記されているという。

伊藤博文、高杉晋作、山形有朋らを育てた維新の指導者の足跡をたどることができ、智恵付け天神の御神徳を感じる次第だ。

 

 

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忍の行田か行田の忍か

2019-07-10 23:53:57 | 郷土散策

今年は行田市制施行70周年。田んぼアートを始め多くの記念事業が催されているようだが、そもそも昭和24年の市制がしかれるまでは、ここ行田市は忍町と呼ばれていた。忍市ではなく行田市となったのは「忍市」では要するに語呂が悪かったせいであろう。「行田」とは「成田」が転じたものと考えられているが、元は忍町の一字(ひとあざ)に過ぎなかった。

足袋でその名を知られるようになると、駅や電燈、郵便局も皆行田と名がついたため、他所の人は当時行田は独立しているものだと思ったらしい。

「忍の行田か、行田の忍か 武州行田は足袋でもつ」と歌われて、行田の名は次第に定着していった。

忍にしても行田にしても、その読み方は珍しく、他所では「いくた」「しのぶ(しのび)」と読む方が一般的のようだ。

東京四谷三丁目はかつて四谷忍町と呼ばれていて、家康から忍城へ派遣された高木九助の所領であったことに由来する。

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星の降る丘

2019-07-10 23:10:44 | 心は言葉に包まれて

MISIA 星の降る丘 より

どうしてもひとりになりたくて 星降る丘に立っていた

去年キミと見た ペルセウスの流星群 hu... こぼれ落ちてくる

手を伸ばしたら 届きそうなほど

鮮やかに ひとつひとつひかり放つ まぶしく

忘れ得ぬ 遠き思い この胸に

そっと そっと そっと 祈り捧げる

 アルバム「星空のライブ」の最後に収録されたこの曲が好きです。あまりの高音に初めて聞いたときに驚きました。

藍色を茜に染めてく 風吹く丘に立っていた

強がりなんかじゃなく 強くなりたいと願って hu..溢れ出すばかり

本当の愛を抱こう いつの日にか

もっともっと光り放つ 必ず

誰よりも 熱き思い この胸に

ずっと ずっと ずっと 歌い続ける

星は朝露へと変わって輝きだす

本当の愛を抱こう いつの日にか

もっともっと光放つ 必ず

誰よりも熱き思い この胸に

ずっとずっとずっと 歌い続ける

 彼女の願いは歌うこと 大切な人に大切な思いを伝えることだといいます。

 そして歌うことより 歌い続けることを願っています。

 いつかライブで聴くことが出来たらといいなと思っています。

 

 

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川俣関所跡

2019-07-10 22:37:09 | 史跡をめぐり

埼玉県と群馬県を隔てる「父なる利根川」。川の恵みは肥沃な大地をもたらす一方、氾濫によって多くの人々を苦しめてきた。

羽生市新郷と明和町を結ぶ国道122号昭和橋はその交通量も多く、しばらく前には羽生市側に道の駅も整備され、益々人々の往来も激しくなっている。新郷は江戸時代には忍藩に属し羽生領との境となっていたのは古利根川と呼ばれた会の川であったという。日光街道の脇往還宿場として栄えていた。

 この道は鴻巣から熊谷に出ることなく行田から上新郷を経て利根川を渡り、日光へと抜けることができる。故に日光街道と称し、元和三年家康の亡骸はここを通って日光へ送られたとされる。その時には八王子から川越に出て忍城へと入り、川俣にて利根川を渡ったのだという。

川俣関所の成立は慶長年間(1596-1615)とされ明治2年まで実に約260年間続いた名関である。江戸城警備の主要機関で俗にいう「入り鉄砲に出女」の言葉の通り将軍家の人質となった諸大名の奥方と、戦乱の引き金を引く鉄砲の江戸江の入荷を取り締まったという。

日の出に開門、日の入りに閉門され、実際の関所跡は河川改修で川底に沈んでしまっている。「別関所」「新郷川俣関所」とも呼ばれかつては厳しい取り締まりが行われていた。

 一説には関所破りに際して思い罰が課され、磔にまでされたという。実際に土手を下って行ったところが処刑場であったとされ、処刑に使われた杭の破片などが地中に埋まっているという。

当時の関所の定が記されていて、その厳しさを物語っている。

 

 

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板倉町 雷電神社

2019-07-09 23:22:06 | 神社と歴史

群馬県板倉町雷電神社は関東地方の「雷電神社」の総本社とされる。社伝によれば推古天皇六年(598年)当時は伊奈良の沼と呼ばれる湿地に浮かぶ小島であったこの場所に、聖徳太子が神の声を聴き祠を設けその神を祀ったことを起源とする。

延暦二十年(801年)東征した坂上田村麻呂が社殿を造営したところ、祭の夜、境内にあった杉の木の梢に沼の中から灯が上がってきて闇を照らしたと伝わる。板倉町は渡良瀬川、谷田川、利根川に囲まれ、古くからその氾濫に悩まされながら、肥沃な土地の恵みを受けてきた土地柄。町のいたるところに大小さまざまな沼の景観を見ることができる。水神である弁財天を随所に祀り、水の恵みと畏怖を信仰の対象にしてきたと思われる。

一方古くから雷の多い土地柄であり、河川の氾濫ともあって火災や水害も多かった。延宝二年(1674)館林藩主徳川吉綱が社殿を再興し、後に吉綱が徳川5代将軍になるに及んで、次第に神社も繁栄するようになる。また吉綱から葵の紋の使用を許されている。

現在の社殿は天保六年の造営で、左甚五郎から10代目の石原常八の作と伝わる彫刻が施される。

特に本殿東北(丑寅)の方角のは子供が鰻を捕まえる様子が表されていて、その構図は魔性を持つ鰻をとらえることが方位除け(鬼門除け)として彫られているという。

境内地裏には奥社として伊邪那美大神が祀られ、家内円満、子授け、縁結びなどの御神徳を伝えている。

境内末社八幡宮稲荷神社社殿は群馬県内最古の神社建築で国の重要文化財に指定されている。天文十六年(1547)赤井氏旗下篠崎三河守が造営したと伝わり、享保十九年に改修されている。全国に7例しかない正面二間造りの本殿で向かって右が八幡社、左が稲荷社。

現在の主祭神は火雷大神、大雷大神、別雷大神の三柱で、雷除けだけでなく、厄除けや安全祈願の祈祷も多い。

また榛名神社と並んで雨乞いの御神徳もあるという。埼玉県鶴ヶ島市脚折の白髭神社の雨乞い神事は壮大で現在四年に一度の神事であるが、その龍蛇が運んでくる神水はここ板倉雷電神社の神水とされている。

 

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