「私失敗しないので!」は今クールも高視聴率が続く人気医療ドラマの決め台詞。主人公のドクターが絶対の自信をもって言い放つ姿は、爽快感にあふれている。主題歌のアーティストが変更になったのが少し残念だが、何故かこのシリーズから見て楽しんでいる。(これまで見たことはなかったのに)
昨今ランチにしろ何にしろ、自分で選択できない人が増えているという。平和でものが豊かになった故の賜物ともいえるが、豊富な選択肢があるとかえって自分で選べなくなる傾向があるという。理由は「後悔したくない」という心理が働くせいだという。人は経験を積みある程度成功体験が積み重なると、自分から積極的に選択するということを楽しむより、失敗を恐れる傾向が出てくるらしい。勿論人それぞれだとも思うが、当てはまる事例も多いだろう。歳を重ねても、新たな経験を楽しむ気持ちを失わないようにしたいと思う。
似たような事象に「ギャンブラーの誤謬」というものがあるらしい。
広義の思い込みで、本来の事象の確率が少数の試行でも観察されるはずだといった、所謂「玄人のなんとなくの勘」のことを指すらしい。
例えばサッカーの試合の前に行われるコイントス。コイントスの回数を増やしていくと表と裏の出る回数はほぼ1/2に近くなるという。表と裏のでる確率は理論的には1/2だから続ければ続けるほど、その確率は1/2に収束していく。これを大数の法則という。
ところがギャンブルなどで表と裏それぞれの目が出るほうに賭けたとき、何度も同じ目が続くと次は反対の目が出てくるような気がしてくる。表に三回賭けて負け続けると次はそろそろ裏が出そうな気がする。そして結果的に四回目も五回目も表が続いて負けてしまうこと。
この錯覚をギャンブラーの誤謬という。なぜなら五回表が続いたとしても、理論的には6回目のコイントスも表と裏の出る確率は1/2に変わりないからである。大数の法則はその試行を無限に増やしていくと当はまる法則であって少ない試行の範囲では表が続くという事例はありえることだともいう。
ギャンブルにしても投資にしても、このなんとなく、或いはそろそろ次はといった理論的に根拠のない判断のことをギャンブラーの誤謬といい、判断基準の選択を戒めるようにするという。じゃんけんにしても同じでグー、チョキ、パーの三手からなる結果の帰属は勝ち負けあいこの33.333333、、、、、、%であってじゃんけんに強い弱いの差はないのである。
あるとすれば自分はじゃんけんに強い、弱いという勝ってな思い込みだけであって、その思い込みによる心理状態が与える精神的有利不利は本人次第である。
ところで営業成績を曜日周りや天候のせいにするのも予見といえば聞こえがいいが、誤謬と言ってもよいのではないか。そろそろ前年を割れる、或いはまだ前年をクリアできるといった観点も客観性はあまりないようにおもう。自由主義経済において予算を立てることは非常に重要なことであるけれども、実際には思い込み拠るところも多いだろう。
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