今日は八月の十四日。お盆の期間であるがそもそもお盆とは「盂蘭盆会」といいお釈迦様の弟子、目連があの世で苦しむ亡き母を救うため、お釈迦様の教えの通りに供養して成仏することができたという逸話に由来する。ご先祖様が迷わずかえって来られるよう迎え火を焚き、最終日には送り火を焚いて見送る。
ではこうした風習が一般に広まったのはいつのことか。
室町時代、八代将軍足利義政のころ守護大名の勢力争いから応仁の乱となり、長く戦場となった京都は荒廃し、治安も乱れた。義政は京都東山の山荘に隠居し、義満の金閣に倣って、慈照寺を建立する(銀閣)。銀閣をたてるのには七年の歳月がかかり、財政難から銀箔を施すこともできなかったという。
しかしながら、質素で幽玄の趣の強い銀閣は、当時の武士、僧侶、貴族の暮らしに根づき、今日の和風文化のもととなったという。
そうした多様性に富んだ文化は、現在にも伝わり、その生活習慣の一つが祖先信仰である盂蘭盆会となって残っている。
茶をたてる風習というのもこの時代が元となっていて、侘茶は元々は茶の味を飲み分けて賭け事としたことに由来する。始めたのが村田珠光でのちの堺で大成させたのが千利休である。(茶道)
その開祖ともいえる村田珠光が九十九貫で購入したというのが「九十九茄子」
足利将軍家から松永久秀、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康へと受け継がれた天下の名器とされる。昨年の大河ドラマでは、松永久秀は名器「平蜘蛛」を信長に譲ることを拒み、盟友明智十兵衛へ預けた様子が描かれていた。
久秀はこの九十九茄子を一千貫で手に入れ、信長に献上したと伝わる。本能寺では焼け跡から拾い出されて、秀吉へと渡っている。その後天下を取った家康へと渡り、明治維新後には三菱の創始者である岩崎弥太郎の弟弥之助へと受け継がれている。興味深いことに現在でも三菱にゆかりのある美術館に現存している。
まさしく日本の歴史の中心に置き継がれた名器であろう。
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