六年生になり、幾らか以前よりも机に向かう時間が多くなった。宿題よりも自学(自主学習)を一生懸命やっている(感じがする)。
漢字と共に熟語を覚えるよう指導される。日一日と言葉の世界が広がっていく。
『節穴』と書いていたので、節穴を見たことある?と聞いてみると、『ない』という。今時の子供は節穴なんて見たことないのだろ。小学校の頃、木造校舎の隅々に節穴が空いていた。当時体育館はなく、音楽室が集会場を兼ねていた。その床にたくさんの節穴が空いていた。
見えるべきものを見落とす様を卑下してお前の目は節穴かなどと表現する。役に立たない穴のことだ。
自宅床を見ても節穴どころか、節さえも見当たらない。木の材質も美しいものしか使われなくなっている。
世の中が便利になって、ものも豊かになると、新しい価値にと共に新しい言葉も生まれる。新語流行語の部類は毎年注目される。一方で使われなくなる言葉や表現もたくさんあるだろう。
言葉は生き物とだという。使うことでその輝きは増すのだろう。
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