皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

日高市 高麗神社①

2021-10-12 20:57:46 | 神社と歴史

高麗神社の高麗とは中国の東北部から朝鮮半島にかけて、約七百年間(BC37年頃~668年)に栄えた大きな国で、唐と新羅によって滅ぼされたとされる。「日本書紀」においては天智天皇五年(666年)10月に高句麗から遣いがやってきたと記されており、その中に「玄武若光」という名が見られる。

 高麗人は豪勇で騎馬民族としての性格を有し、高度な技術を持っていたとされる。天智天皇の御代の遥か以前から高句麗の文化は日本に伝来していたと考えられていて、まず越前若狭湾から近江に入り、次第に東進して武蔵野方面まで伝わったと考えられる。この間にも高麗人は各地に定着し、それぞれの地で日本人と融合し、大陸の優れた文化を伝えていった。
 祖国を失い多くの高句麗の王族や文化人が日本へと渡り、各地に散っていったさなか、霊亀二年」(716年)武蔵国に高麗郡が置かれることとなる。乙巳の変以降、中央集権国家を目指す大和朝廷にしても、滅んだ友好隣国を受け入れたものの、京に近い領地をあてがう余裕はなかったのだろう。当時の関東は未開の地であり、「駿河」「甲斐」「相模」「上総」「下総」「常陸」「下野」にいた1799人の「高麗人」を武蔵国の丘陵地に集め、「高麗郡」として開拓していったという。
その統治者こそ現在の高麗神社に祀られる「高麗王若光」である。
 
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十七節気 寒露

2021-10-12 20:21:26 | 生活
昨日までの真夏日が遠い記憶のように、今日は朝晩の冷え込みが秋らしく冷え込んだ一日となった。早いもので秋の節気も残すところ二つ。
草木に宿る露が冷たく感じられるようになる。寒露のころに感じる寒さのことを「露寒」と呼び、露が凍りかけて霜が混ざったような状態のことを「露霜」という。露と霜とが繰り返しめぐってくることから「年月」という意味もあるという。

秋が深まるにつれ、夕暮れから急激に日が沈んでいく様を「秋の日は鶴瓶落とし」と表現するが、鶴瓶とは井戸から水をくみ上げる桶のこと。

夕方の空はあっという間に夜の闇へと包まれてゆく。


神宮においては(伊勢)神嘗祭を迎える季節。五穀豊穣に感謝し天皇陛下が初穂を天照大神に奉る宮中祭祀として毎年十五日に祭祀が執り行われる。戦前までは祭祀が終了する十七日が国民の祭日として祝われていた。新嘗祭と同様神宮において最も由緒ある祭事である。
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